
アイスコーヒーとカプチーノ
久し振りの休日、街をぶらぶら歩いていたらごっちんに会った。
そのままバイバイするのも何だったんで近くの喫茶店に入った。ごっちんはカプチーノを頼んで私はアイスコーヒー。
二人きりでいるのは久し振りなので少し緊張する。ごっちんもそうなのかカップを手にして視線は店の外。なかなかこっちを見ない。
私の目の前のグラスは汗をかいている。カランと小さな音を立てて氷が崩れた。
氷が溶けてしまった表面は層を作ってそれは綺麗な透明だ。
「最近どう?」
グラスを見つめてぼんやりしていたらごっちんが言った。その言葉に顔を上げて目が合う。ごっちんはふにゃりと笑った。
あぁ、なんだか懐かしい。ごっちんはいつもこんな風に笑ってた。
「まぁまぁだよ。そっちは?」
コーヒーを一口飲んで聞き返すと「ごとーもまぁまぁ」と言って目を伏せた。
そこで会話が終わってしまう。次の言葉が切り出せなくて、思い浮かばなくて、私も目を伏せた。
なんだかなぁ。私達は変わってしまったんだね。
二、三年前なら居心地が良かったはずのこの沈黙が今ではとても息苦しい。
ごっちんはどう思ってる?私は苦しくて仕方がないよ。
「何か変わったね、最近」
黙ったままでいるとごっちんが口を開いた。私は目を開いてごっちんを見る。
ごっちんは顔を上げていたけれどその視線は店の外にあった。なんだか寂しい。
「変わったって、何が?私?」
「そう、よしこ。何て言うのかなぁ・・・まぁ変わったよ」
ごっちんは私を見て笑った。
その笑顔は私がいつも見ていたふにゃりとした笑顔ではなく、口の端だけをキュッと上げる、とても大人びた笑顔だった。
そんな顔、するようになったんだね。
「そうかな。でもごっちんだって変わったよ。私も上手くは言えないけどさ」
私が言うとごっちんはまた大人びた顔で笑った。
それがなんだか寂しくて悲しくて私は小さく息を吐いた。
「あは」
ごっちんはふにゃりと、私がよく見慣れた懐かしい顔で笑った。
なぜ笑ったのかが分からずに私は少し首を傾げた。ごっちんはふにゃふにゃ笑ったままだ。
ずっと笑みを浮かべているので私も小さく笑った。カランと音を立ててまた氷が崩れた。
グラスを軽く回して口にする。
「飲めるようになったんだ」
「ん?」
「それ。ミルクもシロップも入れてないっしょ?」
「あぁ、そうだねぇ・・・」
そうだ。そう言えばごっちんと二人でいた時の私は何も入れずにコーヒーを飲むなんて事、出来なかった。
ミルクは必ず必要だったしシロップは二つ。いつもそうだった。
それがいつからからだろう。はっきり思い出せないな。
言える事は、私はコーヒーをブラックで飲めるようになったし、シロップが二つだなんて、
そんな甘ったるい物は今ではもう飲んではいないと言う事。
はは、私はごっちんが言うようにやっぱり変わってしまったのかも。
「大人になったんだねぇ」
ごっちんはしみじみと言ってカップを両手で口の前まで持っていく。カプチーノ。
「・・・相変わらず好きなんだね」
「ん?ごとー?」
「そ。いつもカプチーノだ」
私が言うとごっちんは大きな口を横いっぱい広げてにぃっと笑った。こんな顔もよくしてた。何だか得意そうな顔。
可愛いなぁ。
ごっちんの顔を見ながらコーヒーを飲んだ。
余計な物を何も入れていない苦みと少しの酸味と渋みが体中に染み渡っていく。
胸が苦しい。何だか押し潰されてしまいそうだ。
ごっちんは私の前で美味しそうにカプチーノを飲む。
胸が詰まって息が出来ない。苦しいよ。
「そっか。じゃあもう要らないな」
カップを机に戻してごっちんは唐突に言った。話が見えない私は、ん?と目で伺う。
ごっちんは大人びた顔で笑った。
「ミルクとシロップ。家にまだあるんだけどさぁ。もう使う人いないもん」
あぁ。
ごっちんは私の目を覗く様にして言う。その顔は少し寂しそうだ。
見ないで。そんな顔をしないで。そんな事、言わないで。
ごっちんは何でもないように空になったカップを両手で弄ぶ。
何故か急に悲しくなって私は泣いてしまいそうになった。誤魔化そうとグラスを手にして一気に飲み干す。
氷が溶けて大分薄くなってしまったそれはあまり美味しくはなかった。
窓の外を見て、深呼吸する。
「いいよ、残しておいて」
ごっちんを見て言う。
紙ナプキンで折り紙をしていたごっちんは弾かれたように顔を上げた。
その仕草がおかしくて可愛くて私は笑ってしまった。
「置いといてよ、私だってたまには甘いコーヒーが飲みたくなるよ」
私が言うとごっちんは嬉しそうに笑った。ふにゃふにゃとした顔で。
「そっかぁ、じゃあまだ置いとこ」
ごっちんは嬉しそうに言う。それが私は嬉しい。
二人同時に席を立った。テーブルの上には空になったカップとグラスと紙ナプキンで作られた不格好な鶴。
店を出てごっちんはうーんと伸びをした。私はその少し後ろで深呼吸。
埃臭い空気は決して爽やかではないけれど、それでも幾分かすっきりして、肩から力が抜けた。
自然とごっちんの隣りに立っていた。
「今度、また近い内に行くよ、家」
ごっちんはビックリしたように私を見てそれから少し恥ずかしそうに、嬉しそうに笑って頷いた。
私も何だか恥ずかしくてごっちんを見れずに狭い空を見上げていた。
「約束だよ」
何かが手に触れて視線を落とすとそこにはごっちんの手があった。
あぁ、ごっちん。
そうだ、ごっちんの手はこんなだった。優しくて、暖かい。
涙が出そうになって空を見た。
「おぅ、約束だ」
涙目で睨む空はぼやけて何だか変な感じがした。
ごっちんが手をギュッと握るのが分かった。
甘い。甘いよ。
そうだ、私達はこんなだった。甘かったんだ。シロップの海に溺れているみたいに。ミルクのお風呂に浸かっているみたいに。
それがいつからかミルクは無くなってシロップも無くなった。何故。無くしたからだ。排除したから。
排除したのは私だ。私が無くしたのだ。けれど今、それを欲しているのも私だ。
ごっちんは何も変わってなんかいなかった。変わってしまったのは私だったんだ。
だから元に戻すのも私だ。
「また連絡するよ」
「うん、待ってる」
ごっちんは笑った。あの頃と何一つ変わらない笑顔で。
ほら、笑顔だって私の手を握るその手の温もりだって何も変わらない。
胸が苦しくなって深呼吸してそれから笑った。
「「じゃ」」
同時に言って手を放す。ヒラヒラ揺れるごっちんの右手。もう一度笑ってから私は歩き出した。人の波に紛れ込む。
空を見た。秋晴れの空にコンクリのビルが映える。
立ち止まって、大きく息を吸って吐き出した。涙が溢れそうになって寸前で堪えた。
遥か昔のとびきりの甘さを思い出して切なくなる。あぁ、おもっくそ甘いコーヒーが飲みたい。
通り過ぎる人に押されてまた歩き出す。家に着いたらごっちんにメールしよう。
ポケットの中の携帯を握り締めて私は家へと向かった。
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