旧日本海軍の山本五十六・連合艦隊司令長官が太平洋戦争開戦時などに決意を書き記し、戦後所在不明になっていた肉筆の文書「述志」が、海軍兵学校時代の友人だった堀悌吉・海軍中将の遺品の中から見つかった。大分県立先哲史料館(大分市)が1日、発表した。 同館は「内容は遺族や海軍出身作家による出版物で知られていたが、実物が見つかったのは大変貴重だ」としている。 述志は、開戦日の1941年12月8日付の便せん2枚と、海軍次官時代の39年5月31日付の同3枚。2通とも毛筆で書かれていた。 開戦日の述志は「大君の御楯とただに思ふ身は名をも命も惜しまざらなむ」と歌を詠み込むなど、決死の覚悟をうかがわせる内容。39年の述志には「此身滅すべし、此志奪ふ可からず」などとあり、海軍次官時代に日独伊3国同盟に反対したため、身の危険を感じつつ書いたものという。 山本長官は2通を海軍次官室の金庫に保管。43年4月に搭乗機が米軍機に撃墜され戦死後、堀中将や遺族が立ち会って内容は確認されていた。 |