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ここは、批評家・東浩紀が運営するブログサイトです。東浩紀の経歴や業績については、当ブログの親サイトに情報があります。hiroki azuma portalをご覧ください。
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日本SF大賞予備選考候補作
投稿日時:2006年09月25日07:08
ちょうど1年ぐらい前の投稿に書いたように、僕は日本SF大賞の予備選考委員なるものを拝命しています。最終選考の候補作を絞り込むために、推薦作を探してきて日本SF作家クラブ事務局に報告する役割です。
昨年と同じように、今年も僕が提出した候補作と選考理由を公開します。昨年と対照的に、小説がひとつも入らない(ハルヒだけ入っていますが、小説そのものが候補ではない)ことになりました。
なお、ネタバレ満載なので、そういうのが気にかかるかたは読まないでください。
■
以下、東浩紀の推薦作を挙げます。4つです。
昨年と同じく、推薦の優先度が高い順に並べています。
・『時をかける少女』
・細田守(監督)
・マッドハウス(制作)
・劇場用アニメーション
2006年夏公開。筒井康隆の有名なジュブナイル小説の映画化。原作を大幅に改変しており、事実上のオリジナルと言って差し支えない。アニメーションとしての本作の魅力は多岐にわたり、物語展開もすぐれているが、その点はすでに多くの論評が出ているので解説の必要はないだろう。
評者がこの作品を大賞の候補として推すのは、そこに、タイムスリップをアドベンチャーゲームの分岐として捉えなおした(言いかえれば、40年前の想像力を現代風にアップデートした)意欲的な構成があったからである。この作品の主人公は、途中まで幾度も同じ現在を反復し、リセット可能な人生を満喫しているが、ふとしたことから「反復そのものの反復不可能性」に直面する。それはコンピュータ・ゲームのプレイ経験の隠喩として読める。新しい技術が可能にした、主流文学や主流映画に難しい経験を作品化するのは、SFの本来の使命である。その点でこの作品は、現代的な主題を追いつつも、きわめて正統的なSFだと言える。
また、加えて、細田監督がこの作品について、「新しい未来を示したかった」と述べているのも重要である。『時をかける少女』を貫くのは、未来が複数ありうる世界(モラトリアムな世界)のなかで、ひとつの未来を選ぶとはどういうことか、という問いである。本作は青春SFのかたちをとっているので見えにくいが、この問いは、「大きな未来」を失った現代のSF全体に突きつけられている問いでもある。その点を含め、本作の射程は大賞受賞にふさわしい。
なお、本作については評者はブログでも詳しい感想を書いた。
→http://www.hirokiazuma.com/archives/000239.html
・『バルバラ異界』
・萩尾望都
・小学館
・コミック
2002年から2005年にかけて連載され、2005年10月に最終巻が出版された萩尾望都の最新SF長編。2052年の近未来社会と少女の夢の世界を往復しながら、二組の親子のすれ違いと和解の物語が並行して同時に展開していく。
「火星」「少年」「不老不死」「トラウマ」など、萩尾作品を特徴づける主題が満載なうえに、SFとミステリの双方を取り入れた物語展開はきわめ複雑かつ精緻で、その筆力と想像力には圧倒させられる。SF大賞の時事性を考慮し、本稿では『時をかける少女』を第一候補に挙げているが、本来ならばこちらも同じように大賞に推薦したい。
なお、この作品の最終巻でも、まさにアドベンチャーゲーム的な分岐の発想が重要な役割を果たしている。主人公は、最終的に息子と和解することができるが、それは「ありえたかもしれないもうひとりの息子」との和解にすぎず、その代償として本来の息子は別の分岐世界に飛ばされてしまう。この点で本作の主題は、上記『時をかける少女』ときわめて近いところに位置している。『時をかける少女』も『バルバラ異界』も、ともにリセット可能な世界でリセット不可能な物語を追求した作品なのである。
・『ひぐらしのなく頃に』
・竜騎士07
・07th Expansion
・同人ノベルゲーム
2002年に頒布が開始され、2006年8月の夏コミでようやく最終話が発売された長編のアドベンチャー・ゲーム。同人制作ながらも、2004年に口コミで人気が爆発、急速にメディアミックス展開が進み、今秋にはPS2での発売も決定している。
本作の基本はホラーであり、ミステリである。昭和50年代の農村を舞台とした連続殺人事件の謎が主題となっており、SF色は薄い。しかし、本作の世界観の根幹は、実は、登場人物のひとりが幾度も同じ時間、同じ事件をループしており、そこから抜け出すためプレイヤーの介入を必要としているという、SF的な発想で支えられている。ここでも現れる主題は、リセット可能な世界でのリセット不可能な物語の再構築である。
同人ゲームであること、表面的にはSFに見えないことなどを考えると、大賞候補として挙げるのは必ずしも適切ではないかもしれない。しかし、選考過程ではこのような周辺ジャンルにも目を配ってほしいという希望を込めて、推薦することにした。
なお、本作についても評者はブログで詳しい感想を書いている。
→http://www.hirokiazuma.com/archives/000242.html
・『涼宮ハルヒの憂鬱』現象
・谷川流(小説版)
・京都アニメーション(アニメ版)
・角川書店
小説版は2003年に刊行された第8回スニーカー大賞受賞作。2006年の春のアニメ化によってブレイクし、ベストセラーになったのは知られるとおり。これもまた、あらためて物語の解説は行わなくていいだろう。
谷川の原作は、強い物語や奇想に支えられているというより、ライトノベルの「お約束」を逆手に取って作りあげる、いわばメタライトノベル的な洗練が特徴的な小説である。京都アニメーションは、原作に潜むそのメタ性を最大限に生かす演出(たとえば、放映順番が話数の順番と異なっているなど)を駆使して話題作を作り上げた。そこにさらに、評論を加える無数のブログが加わり、ブームが生まれた。メタがメタを生み、そしてまたメタへと取り込まれるというこの現象には、現在のライトノベルの市場の可能性と問題点が、すべて凝縮されている。
小説版、アニメ版も、それぞれ高い水準を保っている。しかし、小説版は本年の候補にするのが難しく(第1作は2003年の小説であり、シリーズは完結していない)、アニメ版も単体で候補とするにはいささか弱い。そこで、評者としては、両者を組み合わせ、この現象全体を選考対象にしてはどうかと考える。実際に今年のハルヒブームには、ちょっとした「センス・オブ・ワンダー」がなかっただろうか。
最後に付け加えるが、本作の世界観にも、根底ではアドベンチャー・ゲーム的な「リセット」感覚が流れている。現在のSFのひとつの中心は、ゲーム的な物語感覚なのかもしれない。
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