雑談帖 — 世の中について


目次

《世界の野蛮国,日本》 2008/10/31(Fri) 13:01:49
《ネットワークビジネス推進連盟》 2008/10/13(Mon) 16:24:15
《中国のごまかしを笑えるか》 2008/09/06(Sat) 13:43:32
《ニセ科学と政治家たち》 2008/08/13(Wed) 10:34:51
《犯罪を利用して自説を売り込む不見識と新聞》 2008/07/09(Wed) 16:58:06
《野蛮な国》 2008/06/27(Fri) 11:16:02
《日本政府に化石賞》 2008/06/13(Fri) 16:50:25
《死刑が殺人を抑止しているというのか?》 2008/06/11(Wed) 15:06:41
《米気候安全保障法案」廃案へ》 2008/06/09(Mon) 00:53:05
《京都議定書,裏に密約》 2008/05/18(Sun) 12:37:06
《二酸化炭素排出源を隠す財界と政府》 2008/05/12(Mon) 00:23:51
《ILO ユネスコ 共同専門家委員会》 2008/05/05(Mon) 11:56:27
《UFOがいると信じる元文部大臣》 2007/12/18(Tue) 22:05:49
《日本軍は正しかったといい続けるアナクロ集団》 2007/10/04(Thu) 20:00:57
《ハタハタの復活》 2007/01/30(Tue) 08:58:56
《厚労省の卑屈な財界追従》 2006/11/25(Sat) 09:18:44
《労働再分配率の低下》 2006/11/22(Wed) 08:20:45
《高機能高品質の製品が売れている》 2006/10/20(Fri) 08:05:47
《明日の予定》 2006/09/05(Tue) 12:46:51
《8月15日のNHKニュース》 2006/08/31(Thu) 11:49:43
《ビラ配り無罪》 2006/08/29(Tue) 10:15:05
《千人針》 2006/08/15(Tue) 09:36:40
《昭和天皇はA級戦犯合祀を怒っていたという報道》 2006/07/21(Fri) 01:08:38
《金正日に感謝する人々》 2006/07/13(Thu) 10:46:49
《ジダンが重い口を開いた》 2006/07/13(Thu) 09:45:37
《ああ,ジダン》 2006/07/12(Wed) 23:53:53
《犯罪統計メモ》 2006/07/07(Fri) 08:12:06
《喜んでいるのは誰か》 2006/07/06(Thu) 07:09:07
《その時歴史は》 2006/05/31(Wed) 23:09:00
《天野祐吉「CM天気図」から》 2006/05/23(Tue) 08:27:01
《京女・九条の会》 2006/05/20(Sat) 12:21:18
《簡単な相関》 2006/05/20(Sat) 11:05:11
《小選挙区制の幻想と欺瞞》 2006/05/11(Thu) 00:33:51
《なぜブログにしないか》 2006/05/08(Mon) 09:39:49
《批判精神がなぜなくなってしまったのか》 2006/05/06(Sat) 09:53:32

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《世界の野蛮国,日本》 2008/10/31(Fri) 13:01:49

国連人権委員会が日本政府に勧告を出した。「国連人権委:死刑廃止へ 日本政府に『最終見解』」と題する10月31日付の mainichi.jp の記事から。

【ジュネーブ澤田克己】日本の人権保障状況を審査した国連の規約人権委員会は30日、死刑廃止へ向けた取り組みを日本政府に求める勧告を盛り込んだ「最終見解」を公表した。国際社会では死刑廃止国が大勢を占めるようになっており、死刑維持国への国際的批判の高まりを背景に厳しい内容となった。
 国連人権規約の自由権規約に基づく締約国に対する国別審査で、日本への審査は15、16の両日、10年ぶりに行われた。勧告に法的拘束力はない。
 最終見解は特に、日本で(1)死刑執行数が増加(2)本人への告知が執行当日−−であることなどを問題視。死刑囚本人とその家族が心の準備ができるよう「適切な時間的余裕を持って執行日時を事前通知すべきだ」と勧告した。
 国連の調査では、死刑を廃止または事実上廃止した国・地域は141。死刑制度を存続しているのは56で、主要8カ国では米国と日本だけ。
 最終見解は、代用監獄制度の廃止▽虚偽の自白を防ぐための取り調べ録画▽女性の再婚禁止期間など民法上の男女差別撤廃▽従軍慰安婦問題での政府の責任認定と、生存する関係者の訴追−−なども、自由権規約締約国として日本政府が行うべきだと結論づけた。
さて,今の日本で死刑廃止と言ったらどうなるか?いやがらせを受けるのは必定だ。あれこれの凶悪犯罪で無期懲役などに判決が決した場合にたいがい出てくるのは,被害者の家族の「これでは浮かばれない」というコメントである。家族がそういうのはある意味仕方がないかもしれない(とはいえ,松本サリン事件で被害者であるにもかかわらず冤罪をこうむった河野義行さんは決して犯人たちの極刑を主張しなかったのだが)。しかし,わざわざそれをことさらに取り上げて被害者感情に同化させようとするマスコミは何なのか。そして,ネットの陰湿な中傷を繰り返す人々。
本来ならば,高い倫理的立場や宗教的観点に立って,許しこそが我々に平和と平安を与えてくれるのだということを念頭に置くのが,社会を動かしていくうえでの根本的な心づもりではないか。私の亡くなった祖母も「ならぬ堪忍,するが堪忍」と言っていたものだ。ところが右翼マスコミの筆頭である産経は,こともあろうに6月18日付の社説で,死刑廃止論に対して口汚く感情的な反発を表明している。
もう45歳のネズミ人間になっていたのか。きのう、昭和と平成をまたいで全国を震撼(しんかん)させた幼女連続誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤死刑囚の刑が執行された。26歳の「おたく」青年は、逮捕から20年近く生きながらえたが、殺された子供たち4人はかわいい盛りで時計が止まったままだ。
 ▼鳩山邦夫法相は、就任以来13人の死刑執行を命じた。平成では最多の執行数とあって、「鳩山法相は、ほぼ2カ月おきに死刑を執行し、ベルトコンベヤーのごとく処理している」とかみついた国会議員の集団がある。
  ▼亀井静香氏が会長を務め、加藤紘一、福島瑞穂両氏といったおなじみの面々も名前を連ねている超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」だ。亀井氏は鳩山氏を「法相の資格もなければ、人間の資格もない」とまで口を極めて罵(ののし)ったことがあるが、正義は鳩山氏の方にある。
 ▼刑事訴訟法475条は、死刑が確定すれば、法相は再審請求が出ているときなどを除いて6カ月以内に刑の執行を命令しなければならない、と定めている。宗教上の理由などから在任中、死刑執行の命令を一度もしなかった法相が何人かいるが、彼らこそ法律違反者だ。
 ▼神ならぬ人間が人間を裁き、死をもって罪を贖(あがな)わすのはいかがなものか。国家による殺人だ、という死刑廃止論者の理屈は一見、もっともにみえる。だが、凶悪犯の衣食住を保障し、国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義にかなうはずがない。
 ▼2年前に刑が確定した麻原彰晃死刑囚も宮崎死刑囚同様、自ら罪を悔い、遺族に謝罪する可能性はゼロに近い。欧州連合(EU)では、死刑を廃止しているので日本も、という出羽(でわの)守(かみ)は、さっさと文明の都、パリあたりに移住されてはいかがか。
この文章には,そもそも死刑廃止の議論がどのような論拠を持っているのかということについて,何も言及されていない。そもそも批判はそこから始まるべきなのだ。相手のいうことに耳を傾けた後に,異論があればかみ合わせて主張する。そういう訓練ができていない人間は確かにいくらでもいるのだが,文で立っているはずの新聞がそれではどうにもならない。そもそも皮肉や汚い用語に満ちていて,文章としての品位が低すぎるのも困ったものだ。

もっとも,産経は宗主国アメリカの奴隷としての日本の今の現状を固守したいのだろうから,先進国で死刑を廃止していない米日が国際標準なのであろう。その意味では彼らなりの価値判断に立っているわけだ。


《ネットワークビジネス推進連盟》 2008/10/13(Mon) 16:24:15

以前に 書いた健全なネットワークビジネスを育てる議員連盟 というのは,世論の非難を受けて解散したらしい。asahi.com の記事から引用しておこう。

民主党の前田雄吉衆院議員=比例東海=がマルチ商法業者から講演料と献金を受け取り、業界擁護の国会質問を続けてきた問題で、同党の鳩山由紀夫幹事長は13日、仙台市内で記者会見し、すでに党として本人の事情聴取を進めていることを明らかにした。鳩山氏は「献金の問題には違法性はないと感じているが、国会の質問の中身などもよく精査して、我々としてもきちんと対処したい」と述べた。

 さらに、前田議員が事務局長を務めるマルチ商法支援の議員連盟については、「議連はすでに解消させてもらっている。もう今は存在していない」と説明した。「(衆院選や民主党への)ダメージを最小限に食い止めていくべく努力したい」とも語った。(2008年10月13日11時55分)

記事では,「マルチ商法支援の議員連盟」と書いてあって,マルチという反社会的な行為を支援する団体として,朝日の記者もこの連中のことを認識しているわけだ。

さて,記事にあるように前に引用した議連は解消して,サイトもすでに消されているが, 実際にはまだまだ踏ん張っているらしい。「ネットワークビジネス推進連盟(旧:流通ビジネス推進政治連盟)」というサイトがあって,アドバイザーの前田議員がしっかり高説を宣っている。

ネットワークビジネスに真面目に取組み、家計を助け、生計を立て、 汗して活動している多数の善良な方々がいらっしゃいます。 さらには、事業として取り組んでいる起業家や中小起業主も 増えつつあります。 また、優良でユニークな製品、そして、 ビジネスチャンスと収入の道を人々に提供し、法を順守しつつ、 安定した経営で長年にわたって納税義務を果たしている、 数多くのネットワークマーケティング企業が存在します。
(中略)
私は、この観点から2004年3月1日の予算委員会分科会において、 政府の考え方をただす目的で質問に立ちました。 残念ながら、ネットワークビジネスに関わる人々の数も、その市場規模も、 政府としてはまったく実態が把握されていないのが現状です。

ただ、法を順守したネットワークビジネスは育成すべきだ、との質問に対し、 「一定の厳しい要件がつくが、検討に値する」との回答を得たこと。 さらに、今回の「特商法」改正のなかで、 ネットワークビジネスの中に「善良な」ものと「悪質な」ものがある、 という視点が生まれたことは、細やかながら業界にとって 一つの前進と言えましょう。
言うまでもなく、世界的に大きな広がりを見せている ネットワークビジネスは、年齢も性別も問わず、 老齢者や社会的弱者にも就業の機会を提供するとともに、 納税義務を果たしている多数の企業と従事者が存在するという現実を、 政治が重視し新しい法律によって対応すべき時が来ています。

ネットワークをビジネスの宣伝媒体やコミュニケーションの道具に活用するのだったら,それは別に問題視するには当たらない。前田議員の上の説明は,その意味では自明なことを騒いでいるかのようにも見える。しかし,一方でこの団体の入会案内には次のようにある。
 あなたは、ネットワークマーケティングという新しい流通手段を通して独自のビジネスを展開することにより、日本の社会に対し、
 1.優良でユニークな製品を人々に広め紹介し、
 2.新しい21世紀の流通方式をいち早く担い実践し、
 3.リストラが吹き荒れる中、新しく参加する会員・ディストリビューターに   仕事と収入の機会を提供し、
 4.性別・学歴を問わず仲間の人々に「生きがい」を与え、
 5.納税義務を果たすことにより、日本経済の活性化に貢献
しておられます。
要するに,呼びかけている相手はマルチ商法をやっている人たちではないか。 ディストリビュータというのはマルチの会員をさす,その業界の用語である。健全なビジネスなどというものではない。それにしても,民主党というのはこういうやからが多いなあ。


《中国のごまかしを笑えるか》 2008/09/06(Sat) 13:43:32

北京オリンピックの「やらせ事件」では日本中で中国をあざ笑う声がわき出した。少女の歌の口パク,そして世界に放映した北京市街の花火が,じつは CG だったというやつだ。折からのチベット問題での中国政府の対応への批判もあって,オリンピック本番での過剰演出に対してほとんど馬鹿にしたような嘲笑がマスコミをにぎわせたわけだ。しかし,なんでもかんでもごちゃごちゃにしてしまっていいのだろうか。
北京オリンピックの開会式を見ていた人は,まずイベントそのものの派手な演出で度肝を抜かれた。これでもかという物量を投入した凝りに凝った演出に,まずは感心させられた人も多いのではないだろうか。たまたま休暇で温泉宿にいたわたしもけっこう堪能したものだ。宙づりで天空を歩く人の群れもすごかったし,巨大な巻物も趣向としては面白かった。
が,ちょっとこてこての中華料理を食べ過ぎたような感覚もなかったわけではない。まあ,飽きるほどの満腹感も中華料理の楽しみのうちではあるのだから,それはお約束といえないこともない。それにしてもとにかく長かった。他に何もないホテルの部屋に家族でいたので,他にやることもなかったのでついついずっと見てしまったのだから,いまさら言っても愚かなことだけど。
ともかく,その中に登場した口パクだの CG だのって,別にどうってことはないというのが私の感覚なのだ。全体の監督は映画監督のチャン・イーモウで,彼らしい映像美の追求といえないこともなかった。映画なんてそもそもアフレコが常識だし。お約束としてショーを楽しめばいいことであって,何もそこで目くじら立てる必要はあるまい。 その点では,私は北京オリンピックのいろいろな演出についてはお国柄ということで片付ければいいと思う。
しかし,チベットやウイグルの民族問題への対処は別である。ここで中国は2つの方針をとっていて,ひとつは起きている現実を隠蔽すること,もうひとつは民族紛争を圧力で押さえ込むことをねらっているのは明白だ。いずれにしてもまずい対応になってしまっていて,チベット問題ではむしろ「敵」のダライ・ラマに点を稼がれてしまっている(この種の愚かな対応はアメリカとイスラム原理主義の間の構図に似ている。ただし内容はかなり異なるが。なおダライに関するいろいろややこしい問題はここでは触れない)。
さて,それに関して日本のマスコミがしきりに持ち出し,いろいろなところで受け売りされているのは前者のほう,つまり中国では言論が統制されていて事実を国民に知らせていないということを印象づける論法だろう。その裏には「日本では言論は自由だ」という優越感があるわけだ。
が,日本では,明々白々たる事実を政府権力がないものとして握りつぶす事態は起きていないか?そんなことはない。日本の嘘はもっと深刻だ。真実を伝える声があっても無視して,必要なら「そんなことはない」と根拠も示さずに断じる。狡猾なのは, 表向きは言論の自由を保っているかのように振る舞うことである。そのことを如実に示したのが,先日の最高裁が行った日米密約の存在の事実上の否定である。
事情を簡単に振り返っておこう。かつて沖縄返還にあたって,核を持ち込むことを容認するという日本政府の密約がなされた。首相は後に非核三原則によってノーベル平和賞をもらった佐藤栄作である。このことは永く秘密にされていたが,その文書が2005年に米公文書館で公開された。結局,日米両政府は国民に嘘をついて,沖縄の米軍基地に核兵器を置いたままで返還していたのである。この事実は公的に明らかになったものであり,いまや歴史的事実となって確定したといっていい。それを受けて,かつて日米の密約を暴露した毎日新聞の西山太吉記者が国家賠償訴訟を起こした。彼の特ダネは当時の世論を一気に動かすだけの内容を持っていたにも関わらず,記者が外務省職員と情を通じることで国家機密を漏洩させたという容疑にすり替えられて,逮捕されたのである。しかも密約など知らぬというごまかし付きでだ。
事実が明らかになった今,西山記者を投獄したことは国家によるジャーナリストに対する凌虐に他ならないことが明白になった。そこで賠償訴訟というわけである。
この訴訟に対して,最高裁までのすべての判断は事実判断をいっさいせずに原告主張を斥けた。国側は一貫して密約の存在を否定した。親分のアメリカが公文書を公開しているにも関わらずだ。これが嘘ごまかしのたぐいでなくて何だろうか。これは最近の事例として挙げたにすぎず,この種の権力の嘘と欺瞞はいくらでもある。自国政府の嘘に目をつぶって他国政府のごまかしをわらうのは,どこかがまちがっている。


《ニセ科学と政治家たち》 2008/08/13(Wed) 10:34:51

七田式つながりで国際生命情報科学会 (ISLIS) のホームページを見る。冒頭からしてふるっている。

本会は生体機能、脳生理学、精神活動、東洋医学、伝統医学、代替・統合医療、生体放射、気、気功、精神集中、潜在能力、感覚外認識、精神的物理現象などの実証的解明を行い、21世紀の科学、技術の新しいパラダイムを切り開き、人類の平和な文化と福祉に寄与することを目的とした純粋な学会です。
あやしげな単語が勢揃いしているのだが,最後にとってつけた「純粋な学会」というのは,学会の表の紹介文でみたことがない。よほど「不純な学会」とみられたくないのであろうか。その謎は後半を見ると解ける。
共催団体をみると,「共催 国際総合研究機構(IRI )、 超党派国会議員連盟 人間サイエンスの会(NS ) 」とあるのだが,学会が国会議員の組織を共催に付けているなど言語道断ではないか。そして,2008年8月の「第26回生命情報科学シンポジウム」のプログラムを見ると, 「北岡秀二 前参議」,「末松義規 衆議」,「末松知子 令夫人」,「山本有二 衆議、元大臣」といったお歴々の講演が。みな相当な保守系政治家ではないか。それと,またしても「令夫人」に笑ってしまうのだけど(七田眞が絡んでいる「音楽熟成協会」でも「令夫人」の尊称を役員名簿に使っている)。ともかく,これは学会のシンポジウムなどというものではない。


《犯罪を利用して自説を売り込む不見識と新聞》 2008/07/09(Wed) 16:58:06

秋葉原で起きた殺人事件から1月になり,さまざまの追跡記事がマスメディアに登場した。その中でこれはまた,我田引水の主張をもっけの幸いと言わんばかりに喧伝する記事が産経に出ている。「【秋葉原通り魔事件】暴発は脳の機能不全? 脚光浴びる脳科学」と題する記事だ。

8日で発生から1カ月となった東京・秋葉原の無差別殺傷事件の加藤智大(ともひろ)容疑者(25)ら若者の暴走による凶悪犯罪は、大きな社会不安となっている。加藤容疑者の場合、携帯サイトの書き込みに熱中しており、識者は「脳の機能不全が影響しているのではないか」と指摘する。相次ぐ凶悪犯罪に、文部科学省も年度内に設置する徳育に関する有識者会議で「脳科学」との関連性を検討していく考え。今後、脳科学研究が本格的に脚光を浴びそうだ。(中略)
『ゲーム脳の恐怖』の著書がある森昭雄日本大教授は「人を殺すことの善悪がつかないのは記憶、感情などを司る前頭前野が機能障害を起こしているからではないか。同種の事件は今後増えるだろう」と懸念。「茨城県土浦市の8人殺傷事件の容疑者はゲーム中毒だった。格闘ゲームをはじめとしたゲームは反射神経で反応するだけで、思考能力が働かなくなる。凶悪犯罪を起こした容疑者の脳の状態を科学的に分析する必要がある」と指摘する。 2008.7.8 21:55
この事件をめぐっては,容認しがたい動機であり憎むべき犯罪であるという認識はだれしも一致して述べている。その一方で,犯人が派遣労働者として一貫して不安定な状況にあったことに注目して,犯罪を生み出した社会背景について追求する記事も多かった。もちろんネットワーク社会の問題についても多くの議論がなされている。が,報道から伝わる犯人像からすると,基本的に働きぶりはまじめで,ゲームに没頭して引きこもったりするタイプではない。ただ,信頼できる人間関係がない状況に置かれて,ネットでの付き合いもうまくいかずに孤独だった。就労不安,恋もできず,そんな状況がこれまでに見えてきた彼の姿ではないか。

それを何も事実確認することもなしに,自分の怪しげな「ゲーム脳」説で説明しようと言う,なんとも不見識なコメント。いわゆる「ゲーム中毒」の若者は,そこまで人間的な悩みをネットで吐露したりはしないし,仕事や学校にはちゃんと通うといったこともできなくなっているものだ。

それにしても,この産經新聞の特集をみると,まともに現代の若者の就労問題に触れたものがない。唯一「正論」で加藤尚武が高校教育における競争の問題を指摘しているのがそれなりの見識を示すものになっているぐらいである。森教授の我田引水もちょっとひどいが,そのまえにひどいのは,森にコメントを求めて,お約束のお粗末な見解をありがたく頂戴する産経の記者のレベルである。


《野蛮な国》 2008/06/27(Fri) 11:16:02

アメリカ連邦最高裁は,銃の所持が国民の権利であるという判決を下した。なんとも野蛮な国だ。今にはじまったことではないが。判事の判断が小差だったのは,多少は評価すべきか。

【ワシントン草野和彦】市民の拳銃所持を禁じた首都ワシントンの法律について、米連邦最高裁は26日、「個人は憲法上、銃を所持する権利がある」として違憲判決を出した。最高裁が個人の銃所持を憲法上の権利と明確に判断したのは、初めて。一定の銃規制は認める内容だが、判例が確定したことで、銃社会の米国で、完全な銃禁止法の制定は事実上、不可能になった。
 裁判は、警備員のディック・ヘラーさん(66)が自宅での拳銃所持を求めて訴えたもので、9人の判事の結論は5対4の小差だった。(後略:毎日新聞 2008年6月27日 10時39分)


《日本政府に化石賞》 2008/06/13(Fri) 16:50:25

日本政府が化石賞をとったという実に名誉なニュース。

 福田康夫首相が九日発表した地球温暖化対策「福田ビジョン」に対し、ドイツで開催中の気候変動枠組み条約特別作業部会の会場で、環境保護団体が温暖化対策に後ろ向きな国を選ぶ「化石賞」の二位を贈った。関係者が十日明らかにした。一位はカナダ、三位はオーストラリアだった。
 日本の授賞理由は、温室効果ガス排出削減の中期目標を示さなかったのに加え「二○二○年に○五年比14%の排出削減が可能」との試算を示し、欧州連合(EU)の目標と同等だとしたことなど。
 日本は一九九○年以降の排出量が増加しているため「○五年比14%減」では森林吸収分を除くと九○年比で4%の削減にとどまるが、EUは二○年に九○年比20%削減の目標を掲げている。
 会場に集まった保護団体メンバーからは「緊急性への認識が足りない」「数字ゲームをしているだけだ」との批判が相次いだという。
 特別作業部会にオブザーバーとして参加している気候ネットワークの平田仁子理事は「ようやく日本が温暖化対策でリーダーシップを取るという期待感があったが、福田ビジョンはそれに応えておらず、非常に強い批判が出ている」と話した。
 日本は昨年、インドネシアでの条約締約国会議の際も、それぞれ別の理由で化石賞の一位から三位までを占めて話題になった。 (中国新聞ニュース 08/06/11)
このニュースを流したのは,この中国新聞以外に,下野新聞,静岡新聞,西日本新聞,赤旗,徳島新聞といったあたり(Google で検索)。大新聞は書いてないようだ。


《死刑が殺人を抑止しているというのか?》 2008/06/11(Wed) 15:06:41

刑法が規定する刑罰というのは,いろいろな根拠に裏付けられている。もっとも単純素朴なのは個人に代わって権力が報復を代行するという報復主義で,古代からある考え方だ。 どうやらこの考えしか,わが法務大臣にはないらしい。ちなみに近代以降は,犯罪者を一定期間社会から隔離して,その間に教育して更生させることが刑罰の役割だという考えが強まったのだが,その場合には死刑は廃止される方向を持つことになる。そして世界の多くの国で死刑は廃止されてきた。

それでも日本人の大半が死刑の存続に賛成だという世論調査の結果は,感情的情緒的な反応だけで日々をすごし,物事を深く考えつめることができないこの国の精神の貧しさを反映しているのだろう。その中でまたしても無差別大量殺人事件。そして政治家の無責任な発言だ。

鳩山法相は9日、東京都内であったパーティーでのあいさつで「私が粛々と死刑を執行させていただいていることを『司法的殺人』と書くマスコミもある。それは違う、人の命を大切に思えばこそだ」と述べた。そのうえで東京・秋葉原の無差別殺傷事件にふれ、「昨日も大事件があったが、人の命を奪うような人にはそれなりのものを負ってもらおう。それは日本人として当然の考え方だと思う」と、死刑制度の必要性を訴えた。 (asahi.com, 2008年6月9日21時9分)

このかんに起きている無差別殺人は,最初から死刑になることを予期しての犯行というのがひとつの特徴となっている。つまり社会的見せしめ,報復としての死刑はこの種の殺人に対しては何の抑止力にもならないのだ。つまり,死刑の必要性を訴える根拠にはまったくならない。むしろ逆といってもいい。「人を殺せば死刑になれる」というメッセージを自暴自棄の犯罪者に送るだけのことなのだ。

法務大臣の仕事というのは,犯罪を起こす社会的土壌を解明していくことが真っ先にあるべきなのに,「悪いやつは見せしめに殺せ」という,江戸時代と何も変わらない感覚で生きているわけだ。いや,近代以前にも人を殺めてしまっtた人間が仏心にめざめて名僧になったなどという話があるではないか。

それにしてもこの死刑大好き大臣のセリフ。「死刑を執行させていただいている」とは。誰が「執行させて」いるというのだろうか。「〜させていただく」というのは近年の過剰ワンパターン敬語の代表格だが,こんな状況で使えるとは大した神経の持ち主らしい。


《米気候安全保障法案」廃案へ》 2008/06/09(Mon) 00:53:05

asahi.com 2008年06月07日10時37分

 【ヒューストン(米テキサス州)=勝田敏彦】米国の地球温暖化対策の最有力法案である「米気候安全保障法案」の審議が米上院本会議で始まり、6日、採決を行う動議が出された。しかし賛成が法案可決の目安となる60に届かず、審議継続は難しくなった。11月の大統領選・連邦議会選を控えた政治日程を考えると、事実上、廃案になる見通しだ。

 この法案は、連邦レベルで温室効果ガスの排出量取引制度を導入し、50年までに排出量を05年比で約70%減らすのが柱。環境保護を重視する野党民主党の後押しもあり、昨年12月、この種の法案では初めて上院委員会で可決され、本会議に送られた。

 しかし経済への悪影響を心配する与党共和党やブッシュ政権が「燃料コストの上昇を招く」などと主張。環境保護派からは逆に「不十分だ」との批判もあり、上院での採決は微妙とみられていた。

アメリカの下僕で,かつ量的目標を財界に封じられている日本国政府としてはさぞ安心できる事態のなりゆきにちがいない。


《京都議定書,裏に密約》 2008/05/18(Sun) 12:37:06

朝日5月18日朝刊1面の見出しが目に飛び込んだ。記事の書き出しは次のようになっている。

ある密約が,日本の環境外交政策の足かせとなっている。「あのディール(取引)と関係者は呼ぶ。
日本政府として京都議定書は批准するが,国内排出量取引制度を始めとする強制的措置は産業界に課さない&emdash;。02年の議定書の批准の際,経済産業省と経団連(現・日本経団連)との間で確認した。外部には公表されず,文書にも残されていない。
最近,大学の共用プリンタのところに置かれていた新聞記事のコピーに,昨年の安倍内閣が出した「環境立国日本へ政府方針」という大きな見出しが躍っていた。この10年に政府がやってきた環境政策はいずれも財界に及び腰で,環境省の役人がそれでも自分たちの使命感で提出してくる規制案が歴代の財界首脳に一喝されて引っ込める,あるいは経産省が足を引っ張るといったプロセスを繰り返してきた。その中で,大学の環境教育なるものが政府発表の額面だけを受け取って学生に紹介しているということなのか。ちなみにこの安倍内閣の方針を取り上げた記事も朝日のである(別段批判的な書き方はしていない)。さまざまの情報を比較して,眼光紙背に徹する読み方を教えるのが大学というものである。


《二酸化炭素排出源を隠す財界と政府》 2008/05/12(Mon) 00:23:51

気候ネットワークは,「地球温暖化対策推進法・大口排出事業者の排出算定・報告・公表制度による第1回報告データ(2006年度)の36非開示事業所についての分析」と題するプレスリリースを発表した。地球温暖化対策推進法にもとづく日本の制度では,会社の権利が侵害される恐れがあるときには大臣に請求すれば二酸化炭素排出量を開示しなくてもよいということになっているらしい。そこで「工場・ 発電所など14,224事業所のうち、36事業所(14事業者)は、同法21条の3により権利利益を害 するおそれがあるとして経済産業大臣に非開示の請求をして開示を拒否」して認められているらしい。数から見るとごく一部にすぎないようだが,その実きわめて影響の大きいところが情報を隠しているということだ。

リリース資料によると,気候ネットワークでは,自治体の条例で開示させている情報などから推定できるデータなどに加えて,独自に推定したデータを公表している。独自推定の主な部分は次の通り。

(1)非開示事業所の中には、日本全体の上位100位以内にある事業所が17もあり、排出量が極 めて大きいところが多数含まれることが改めて明らかになった。 (2)日本の総排出量の上位10位を占める事業所のうち、7事業所が高炉製鉄所、3事業所が石炭火力発電所であることが明らかとなった。
案の定というべきかもしれないが,要するに環境負荷の責任の大きいところがデータを隠しているわけだ。つまりはザル法でデータ隠しを容認するような法律を作って,環境を守る姿勢を偽っているというのが日本政府の実態である。


《ILO ユネスコ 共同専門家委員会》 2008/05/05(Mon) 11:56:27

全教が ILO とユネスコに対して,教職員の地位に関する勧告が日本で守られていないとして申し立てた(2002年)。それを受けて文科省の反論も聞いた上で日本政府への勧告と中間報告が行われたのだが,その後改善はなかった。そこで今回調査団が来日した(関連記事)。

この事態は日本の教育問題を考える上で重要なキーとなるものであり,国際機関が日本の教育のゆがみを指摘しているという無視できないはずの事態であるにも関わらず,ほとんど無視されたままだ。教育,教育と騒ぎたてる評論家,マスコミは故意に無視している。 検索してみても,教職員組合関係のサイトと赤旗のサイトにしか情報が見つからない。これは 日本の政治状況の中でよく見かける「共産党外し」とほぼ同じ構図なのだ。しかし,今度の調査の結果として,さらに日本政府に対する厳しい結論を専門委員会は出してくるだろう。それでもマスメディアは無視し続けるつもりだろうか。


《UFOがいると信じる元文部大臣》 2007/12/18(Tue) 22:05:49

asahi.com/2007年12月18日21時28分の記事から

政府は同日の閣議で、民主党の山根隆治参院議員の質問主意書に対し、「地球外から飛来してきたと思われるUFOの存在を確認していない」とする答弁書を決定。文部科学省によると、「UFOに関する答弁書は初めて」という。

 ところが、町村氏は記者会見で「政府の公式答弁は極めて紋切り型。私は個人的にはこういうものは絶対いると思っている」と反論。「そうじゃないと、ナスカ(南米ペルー)のああいうの(地上絵)、説明できないでしょ」と述べた。


なんとまあ,この国のバカな議員にバカな大臣。国会の論議の時間をくだらないことに使わないでほしいものだ。


《日本軍は正しかったといい続けるアナクロ集団》 2007/10/04(Thu) 20:00:57

asahi.com 10月4日 の記事から

沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、「新しい歴史教科書をつくる会」は4日、文部科学省に対して検定意見の撤回をしないよう申し入れた。記者会見した会長の藤岡信勝・拓殖大教授は「軍の命令や強制がなかったことは実証された史実」であり、教科書会社による訂正を認めることは「検定制度の枠組みを外部の圧力によって有名無実化することになる」と述べた。
藤岡のこの主張は二重の意味で欺瞞的だ。まず,沖縄で日本軍によって自決が強制されたことは,他ならぬ沖縄の多数の人々の記憶に残っている事実であって,それ以上正しい実証はあり得ない。だからこそ沖縄はあの島々から県の人口の1割近い人が集まって検定への抗議行動を行ったのだ。それもすべての会派の国会議員が賛同しての大集会だ。それを敵に回してのこの藤岡発言,日本軍国主義の亡霊としかいいようのない人物である。余談だが,藤岡が東大教育学部の研究室にいたころ,彼の部屋にくる客はいかに右翼丸出しの怪しげな風貌の人物ばかりで,それも夕刻に現れる。学生や他の教員はだれも訪ねないところだったらしい。かつて近くで大学院生をしていた友人の話。

二重の欺瞞と言ったもうひとつのほうは,これはむしろ今の政府の見解の欺瞞そのものを藤岡が代弁しているという事実にある。教科書検定がこれまでずっと政府の,とくにタカ派のコントロールの下にあったことは周知の事実。教科書裁判でそのことは明白になっている。通常は片言隻句にもチェックを入れて突っ返す検定官が,そもそもの基礎知識からしてまちがいだらけの「つくる会」の歴史教科書を通過させたということひとつをもっても,そのタカ派指向ぶりがよくわかるではないか。中国での日本軍の侵略や虐殺行為にしても,沖縄での自決強制にしても,ようするに,日本軍がとてつもなく非人間的な軍隊であったことを後世に知らしめないために,日本の教育を真実から遠ざけようとしてきたのは,小泉から安倍に至って頂点に達した軍国主義礼賛,靖国万歳の政府当局だ。検定官はその意向を受けて動いて来た傀儡にすぎない。

福田総理大臣は,たてまえとして,自主的に行われる教科書検定に政府が口出すわけには法律上いかないのだが,教科書会社からの修正申し入れをまって検定官が自主的に対応するのであれば,それは構わないのではないかと,人ごとのようなふりをして指図するという姑息なやり方をとっている。

その「たてまえ」を今更のように言い立てて,これまで政府が検定をコントロールしたことがなかったかのように,そしてコントロールすることはまずかったかのように,当の作る会当事者本人が言っているわけだ。タカ派権力の意向で検定を自分の都合の良い方へとねじ曲げてもらった本人がそれを言うなど,それだけでも二重の欺瞞といっていいのかもしれない。まったくもって入り組んだ欺瞞の中でしか生きられないアナクロな人物ではある。


《ハタハタの復活》 2007/01/30(Tue) 08:58:56

朝のニュースで,秋田のハタハタの復活のニュース。思い切って3年間の禁漁を行った結果,ほとんど取れなくなっていた男鹿のハタハタが復活して,昔のような大漁にもどったという明るいニュースだ。

私が仙台に住んでいた69年からのほぼ30年間,そのほんの最初のころにはハタハタは冬の魚屋の店頭を飾る安い魚だった。それがどんどん取れなくなっていき,ついには網を入れてもほんの一掴みしか入ってこないという状況に陥った。それがたぶん90年代になってからではないかと思うのだが,秋田県の漁協が禁漁に踏み切った。同時に漁場復活のために人工漁礁を作ったりしていたらしい。それが奏功して,今ニュースで紹介されているような状況になったということだ。

自然を相手にした漁業はゼロサムゲームではない。正確に言うと,短期的にはゼロサムゲームだが,長期的には当事者の強調でしか利益が確保されない性質のものだ。そのためには短期的な利益放棄と,抜け駆けの制止が肝心だ。ハタハタの場合には,領海内の沿岸漁業であり,地元漁協だけの合意で禁漁を実施 できたことが大きい。

さて,似たようなことはほかにいくらでもある。マグロやイワシの漁獲管理という 問題はすぐに思いつくことで,しかし,この場合には広域を移動する魚種が対 象だから国際的な協調が欠かせない。そこがむつかしい。 漁業だけではない。たいていの資源・環境問題は,短期的にゼロサムで,長期的には協調が不可欠なのだ。それだけではない。地域経済だってそう。

そういったゲームで最悪なのは,短期利益を確保するための 抜け駆けであることはいうまでもない。しかし,グローバリズムはその最悪の行動をやってくれる。しかもアメリカという軍事力や経済力を背景にし ての企業行動は,現時点でそれを止めるための方策がなかなかない。せめて 他国が協調してブレーキをかければいいのだが,逆にならずもののお先棒を担いでしまうのが日本政府である。

と,ハタハタの豊漁のよろこばしいニュースから連想はあらぬ方向へ行ってしまうのだが, それにしても浜一面に無数に打ち上げられたブリコの映像にはびっくり。 浜に何日も転がっていても,また波に戻されれば大丈夫生き残れるらしい。 生き残り確率の低い繁殖戦略だと思ったけれど,酸素の供給とか海中での 捕食の確率の高さを考えると,これでもうまくいくんだろうな。


《厚労省の卑屈な財界追従》 2006/11/25(Sat) 09:18:44

asahi.com 2006年11月25日06時03分の記事から

短期の契約を繰り返す契約社員など「有期雇用者」の正社員化について、厚生労働省が来年の通常国会に提出予定の労働契約法の素案から、正社員化を促す規定が削除されたことが24日、明らかになった。経済界が「業務の繁閑に対応するために有期雇用は不可欠」と強く反発しているため。
削除された案文は「契約更新が3回を超えたり、雇用期間が通算1年を超えたりした場合、本人が希望すれば「正社員への優先的な応募の機会を与えなければならない」というものだそうだ。

最近,トヨタや日亜化学などの高収益を上げている大企業で,偽装請負などの不正が発覚したばかりのところで,こんな卑屈な策がこっそりと練られていたわけだ。 最近厚労省は世論に押されてパートの正社員化を促すためのパート社員法を準備しているはずなのだ。その裏でこんなことをやっているというのは,要するに,資本家と財界に楯突くことになりそうな法律を作ると怒られるので,一方で「いえいえ親分様,このとおりしっかりとあなた様には不都合なことがないようにいたしておりますんで,なにぶんにもよろしく」というわけだな。

資本主義社会は,基本的に資本家と労働者という大きな階層から構成されていて,互いの利益はしばしば相反するということを,社会科学の基礎知識として押さえておかなければ いけないのだが,そのことはあらゆるところで隠蔽されてしまっている。そして,財界の意向がやりたい放題で通用する社会(自由社会というらしい)になってきてしまった。アメリカでさえ,「金持ち優遇税制反対」という選挙スローガンが民主党から出されたりするほどなのに,今財界に擦り寄らない政党はほんの一握りにされてしまっているのだ。


《労働再分配率の低下》 2006/11/22(Wed) 08:20:45

1996年に 70.4 % だったものが 2006年には 62.6% まで低下している。規制緩和,労働組合の衰退,派遣労働の合法化,リストラ合理化,法人税逓減,あらゆる局面で労働者の不利益になるような施策が進められた結果だ。それを支えるための社会全般の右傾化の推進も来るところまできている。


《高機能高品質の製品が売れている》 2006/10/20(Fri) 08:05:47

今見ているNHK総合のニュース。

10万円の炊飯器,8万6千円の掃除機など,これまでの最高価格を大きく上回る製品が売り出され,よく売れているらしい。メーカーの販売担当者の弁, 「自分の時間を作るためにお金を惜しまない人が増えている」ということだそうだ。それは金のある一部の人間はさらに収入が増えているということだろう。こういうものは1万台売れればヒット商品らしいが,それくらいの金持ちはいるだろう。

毎日の食品や衣類は高いと売れないという別の側面も発生しているらしい。貧乏人にも必須なものは値段を上げられないわけだ。

消費動向全体では,高級品にかける支出が増え,必需品にかける支出は減っているということだが,これはひとつの世帯で起きているのではない。金持ちはより金持ちに,貧乏人はより貧乏になっているということなのだ。


《明日の予定》 2006/09/05(Tue) 12:46:51

報道によると明日9月6日が秋篠宮妃紀子さんの出産予定日らしい。予定日とはいえ,胎盤の位置が異常であることによる帝王切開なので,手術の予定日というべきか。

どんな子どもが産まれるのかについて,個人的な興味はないのだが,むしろ今から 興味津々なのは,社会にどんな騒ぎが起きるかという点だ。風評では男子だという うわさが持ちきりなようで,もしそうであった場合には,「御世継ぎの誕生」として 祝賀ムード一辺倒になるだろう。楽しみの第一点は,そこでどんなアナクロニズムが出来する かということにある。日の丸の小旗を振ってのちょうちん行列があちこちの町内会 で起きたりはしないか。そこまでいかなくても,皇居前広場ではそんな風景が見られる にちがいない。

マスコミや政界の動きも注目に値する。自民党総裁,そして総理大臣を狙っている 連中は,その騒ぎをずるがしこく利用するだろう。「天皇を利用している」と非難さ れないようにずるがしくやるのがこの際のポイントだ。

そしてその騒ぎが,もし起きるとして,現在の日本の右傾化の流れにどのような 影響を与えるのか。歴史には必然の流れもあるし,偶然が引き起こす想定外の カタストロフィもしばしばある。むしろ流れの中にたまたま落下した倒木が 洪水を引き起こすようなもので,起こるべくして起こる事件はみな偶然の産物でもある。 皇子誕生という事件がいったいこの国に何を引き起こすのか,しっかり と見届けようではないか。

そうそう,このことは子どもたちにも言っておかねば。彼らこそ,明日起こることを記憶にとどめておくべき歴史のただ中にいるのだから。


《8月15日のNHKニュース》 2006/08/31(Thu) 11:49:43

8月が終わる。今年の夏は,これまでにも増して,日本の軍国主義化への強い圧力を感じさせた夏だった。 中でも 8月15日朝のNHK総合のニュースは異常な演出に彩られていた。

この日の7時台のニュースは,ほとんどの時間を小泉首相の靖国参拝の報道に費やしていた ことを覚えている人もおられるだろう。もちろんそれは日本国民のみならず諸外国かも 注目を集める重要なニュースである。問題なのはそのニュースの間に何が視聴者に 情報として届けられたかということだ。

小泉が首相官邸を出るまで,ニュースは原稿用紙半分にも満たない次のような文章を なんども繰り返した。

小泉首相はこれから靖国神社へ参拝する予定です。中国と韓国は これまで首相の靖国参拝に対して強い懸念を表明してきました。
同時にカメラは官邸と靖国神社周辺の光景を映し出していた。小泉が官邸を出て 車に乗り込むと,ヘリコプターまで使ってその移動を中継し,境内を進む首相の 姿を追った。「今,小泉首相が官邸を出ました」,「今参拝しました」…それだけ を無能なスポーツ中継のように口走り,その後で解説委員が登場して, ほとんど内容のないことをしゃべって朝のドラマの時間になった。

このかんのアナウンサーのしゃべりの分量は,1分もあれば足りるだけのものであった にも関わらず,ニュースはそれ以外の情報を一切伝えていない。中国や 韓国が首相の靖国参拝に反対することは,歴史的に見ればまったくの道理であって,また周知の事実でも ある。しかし,反対していたのは別段中国と韓国だけではない。シンガポールでも マレーシアでも,そしてその他のアジア各国やアメリカでも反対や懸念の声が出ていた のである。外国だけではない。日本国内でも公明党を除く野党はかねてから 反対を表明していた。政党だけでなく多くの個人や団体も…その中には心強いことに 私の大学と縁のある浄土真宗の関係者も含まれるのだが…反対の声を上げていたのである。

そしてなかんずく,自民党の内部からさえ強い反対の声が上がっていたことを,まさか NHK政治部が知らないわけもないだろう。過去の首相の行動から見ても,小泉の行為は 突出した異端行為なのである。それを「事実を淡々と伝える」かのように見せかけて ニュースにしてしまったのがこの日の朝のテレビの光景だった。

首相の参拝には賛成の声ももちろんある。遺族会とか靖国神社の神職であるとか,あるいは右翼でもよい。その声も同時に伝えればよいのである。「さまざまな角度から検証する」と,建前としてNHKはいつも言っているではないか。

「中国と韓国が反対しています」とだけ伝えて,それ以外には反対がなかったかのよう に国民を欺こうとしたNHKの姿勢は,あきらかにジャーナリズムの精神などかなぐり捨てて,時の権力の犬になりさがった大本営放送の昔に戻ってしまっている。もっと恐いのは,クーデターによって制圧されたわけでもないのに,この国の放送局がこんな状態になってしまっている ということだ。

さてその後,小泉の靖国参拝をかねて批判していた自民党の加藤紘一元幹事長が 右翼に刺された。この右翼にしたって,あの日のNHKニュースで「中国と韓国は けしからん。それを持ち上げるような奴もゆるせん」とばかりにいきり立ったの かもしれない。十分に考えられることだ。NHKは,結局こういう連中にテロの 火を煽ってやったのである。そして一般国民も煽られている。


《ビラ配り無罪》 2006/08/29(Tue) 10:15:05

ある僧侶が,共産党のビラを葛飾区のマンションのドアポストに配布したことが住居侵入にあたるとして逮捕された事件で,東京地裁は昨日無罪判決を出した。当然である。しかしこの当然がどの程度認識されているのか,その点には大きな疑問が残る。

現時点で、ドアポストに配布する目的で昼間に短時間マンションに立ち入ることが、明らかに許されない行為だとする社会的な合意がまだ確立しているとはいえない。(判決文から)
この判決文が問題なのだ。そのうちに同様の行為が許されないとする社会的な合意ができたら,ビラ配りは取りしまっていいということになる可能性がある…裁判官はそういう含意を 持たせているのだ。

言論の自由はこの日本で保障されていると,よく言う人がいる。本を自費出版したり,ウェブに掲載したりしても,そのことで逮捕されることはない。確かに戦前よりはましだよね。しかし,放送はNHKにしても民放にしても,あらゆる種類の言論規制をかけている。新聞もしかり。どんなふうに規制がかかっているかについては,また別に書くことがあるだろうから触れないが,「勝手に思って,一人でしゃべっても罪にはならない自由」が言論の自由だと思ったら大間違いだ。

思想信条の自由と一体の関係にある言論の自由の内実は,次のような要素を同時に持っている。別段これといって出典を挙げるほどでもなく,近代民主主義を基礎付けている市民的自由の概念から必然的に出てくるものである。

伝える自由,知る権利,伝えることを妨害しないという他者(特に権力)への縛り

これらが同時に満たされてこそ,言論の自由が保障されているのである。今回の事件の判決では,言論の自由が擁護されるべきであるというもっとも肝心の理由は,ほんのおざなりな形で言及しているに過ぎない。もっと問題なのは,報道がその点に何も言及していないことである。ましてこの僧侶を逮捕するために,公安が長時間の尾行やビデオ撮影や聞き込みなど執拗で異様な捜査を継続してきたという,権力による言論妨害の問題について何も触れていないのだ。

今回の裁判で, 思想信条および言論の自由と平穏に過ごす権利との対立の問題が,本来審理されるべきところだったのだが,その論点がぼけぼけにされてしまったというところに,この国の あいまいな全体主義への傾斜が重ねあわされるのだ。


なお,私がここで「事件」と書いているのは,「マンションへの立ち入り事件」ではなく,「マンションへビラ配りに立ち入った人を警察が逮捕した事件」のことです。おまちがいないように。


《千人針》 2006/08/15(Tue) 09:36:40

NHKの連続テレビ小説「純情きらり」は,政権べったりのNHKの政治姿勢の中で,少しだけだがきらりと光る健闘ぶりを見せていて,なかなか好感がもてる。ドラマとしてもよくできていて,時代背景をきちんとおさえたダイナミックな展開や今そこにいない人が画面の外で,つまり見る側の想像の中で演じている役割とか,しっかりとした台本がそれを支えているのだろう(まるでチェーホフの芝居のようだといったらほめすぎだろうか)。ここ何年かのドラマの中では出色のできといっていい。役者も戸田恵子と室井滋という名女優ふたりをはじめ,主人公をめぐる若い男たちのそれぞれの面構えもいい。

と,こんなことを書こうとしたのではなかった。今朝放送されたシーンの千人針の話だ。 出生する兵士の無事を祈って,親しい者が針と糸と布をもって町を行く人に頼んで 縫ってもらう。そうして沢山の人の思いがこめられた布をお守りに持っておけば, 敵の弾をよけて軍功を挙げることができる,そう信じて作られたのが千人針である。 私の母もふたりの兄が戦争に行くときに作ったらしい。もちろんそんなものの効果が あるわけもなく,私の叔父たちはサイパンと沖縄で死んだ。

千人針 − この布切れには,たくさんの,そして深い願いがこもっていることは まちがいない。であれば現実に千人針はその願いを受け止めて,戦場の護符として きっと役立つにちがいないという思い込みを,あの時代多くの人がしたのである。 しかし,いくら思いをこめられたとしても,千人針は弾道を1ミリたりとも逸らす 能力はない。悲しくも美しい動機がいくらあっても,現実は変えられない。

しかし,それでも私たちは,変えられない現実を前にすると,「思い」や「願い」 にすがろうとしてしまう。そして,心で何かを変えることができると思い込んでしまうこともあるのだ。無数のニセ科学の主張はしばしばそこに結びついていて,人を 利用して,だまして儲けようとしている。

もしも思いが現実を変えられるとしたら,それには思いを人に伝えて社会を動かすというメカニズムしかない。千人針を掲げて反戦デモでもやれば,それは戦争を抑止する意味が幾ばくでもあったのかも知れないが,もちろん当時そんなことをできるだけの政治的な 土壌は庶民レベルでは何もなかったといっていい。なんという時代,しかし現在もあまりにもひどい時代ではある。


《昭和天皇はA級戦犯合祀を怒っていたという報道》 2006/07/21(Fri) 01:08:38

20日付ネットニュースと夕刊で,新聞各社はこのことを大々的に報じた。 1988年靖国神社に東条英機らが合祀されたときに記録されたという天皇の発言は次のようなものである。

「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」
「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
この発言はかなり波紋を呼んでいるとみえ,特に合祀で名誉回復を果たしたA級戦犯の遺族たちは困惑と怒りを隠せないようだ。とはいえ,彼らは天皇の言葉に逆らうわけにはいかないので,「そんな発言があったはずがない」という,ありがちな自己欺瞞によって乗り切ろうとしている。

それらの動きはともかく,天皇の真意については報道は何の憶測もしていない。恐れ多いとでもいうのか。しかし考えてみれば,昭和天皇がA級戦犯に対してよい感情をもっていなかったことは当然の人情ではないか。

天皇にとって,戦犯というのはようするに失敗した部下たちなのである。とことん負けるまで戦争を続けた挙句に, その大言壮語も地に堕ちて無残な敗北を喫したのは東条たちのせいではないか,・・・ そう天皇が思ったとしても何の不思議もない。そのことで自分は面子を失い, 敵にへいこらしてやっと延命できたのであるから,ボスとしては情けない部下を 許せないのがとうぜん。部下の失敗は自分の責任だと して許すような人格者ではなかっただろうし。

天皇の言行に関わる報道では,常に美化の方向にバイアスがかかることは心しておかないといけない。皇室に関する菊タブーはこの国のマスコミでは絶対なのだ。 しかし,彼は戦後,政治に関わることを禁止された後でも,沖縄への 米軍駐留を積極的に望んで発言したことが知られている(参考資料)。 そもそも絶対的な敗勢に 陥ってもその結末が恐くて戦争終結をいたずらに遅らせた責任は天皇にある。 そのくせ自分は戦争責任については「そういう文学方面の言葉のあやなどは知らない」 などと,米人記者の質問に対してうそぶいたのである。 そしてこれらは厳然たる事実である。

美化への偏見や天皇絶対化の空気に対する世間的遠慮を取り去って, ふつうの人間の心情をみるつもりで考えれば,いまさらのようにこの国の 右翼を慌てさせている天皇の発言の真意は,実に人間として酷薄なものだ。 いや,彼が取り立てて酷薄なのではない。部下の失態を人前で声高に 罵る上司なんていくらでもいるではないか。学生の失敗を自分の責任として かばわない教員とかもね。


《金正日に感謝する人々》 2006/07/13(Thu) 10:46:49

案の定,日本の右翼政治家たちが大喜びで騒いでいる。 「北朝鮮のミサイル基地を攻撃するのは自衛行動だ」などと民主党や自民党の 議員たちがはしゃいでまわり,国内よりもむしろ国外から批判されている状態だ。 もっとも,日本国内で彼らを批判する側の声は報道されないのだが。特にそれが 共産党だったりすると。

そして,麻生外相の「金正日に感謝しないといけないのかもしれない」発言が飛び出した。 本音だろう。これを報道したのはスポーツ報知,スポニチ。朝日も毎日も,もちろん 読売も産経も一切触れていない(7月13日付赤旗による)。当然韓国のメディアは 大きくこのことを報道して批判している。そうなってさえも「大新聞」にも NHKにも麻生発言のニュースはない。

それにしても,自民党でいちおうまともなことを言っているのが,元幹事長の山崎拓。あのスキャンダル政治家である。「先制攻撃論は憲法違反だ」もちろん正しい。正しい発言が不道徳な輩の口から出てくるというのは,なんとも腐りきったこの国ではないか。


《ジダンが重い口を開いた》 2006/07/13(Thu) 09:45:37

asahi.com 2006年07月13日09時29分 の記事から

 どんな言葉だったのかについて、同選手は「とても口には出せない」と伏せた。英紙がマテラッツィ選手の挑発として報じた「テロリスト売春婦の息子」との発言の真偽を問われると「まあそうだ」と答えた。

ジダン選手は、反移民を掲げるイタリアの政党幹部が「仏代表は黒人とイスラム教徒、共産主義者で構成されている」と発言したことにも触れ「私の行為より悪質ではないか」と批判した。

やっぱりそんなことなんだろうなあ。FIFAの調査がこれから始まるのだが,「とても口に出せない」言葉については,ジダンの口から発せられることはないかも知れない。


《ああ,ジダン》 2006/07/12(Wed) 23:53:53

サッカーワールドカップのフランスチームは魅力的なチームだった。なんといっても ジダン。ジダンに向けられたパスは吸い寄せられるように彼の足元にぴったりと寄っていき, マークする相手が何人いても,その動きとはまるで異なる位相で足が回り,味方に 向かってボールがすっと走っていく。淡々として派手なアクションはないが, 細かい技巧をなめらかに組み立てるジダンの動きを 見るのが,ワールドカップの楽しみだった。しかもこれが最後の彼のひのき舞台だったのだ。

ジダンは寡黙だったが,盟友のアンリとの連携を見ていると, アルジェリア系の白人とアフリカ系黒人の間の厚い友情が感じられて,それもとてもよかった。 フランスチーム全体も白人と黒人の共同作業としてプレイが展開されていて, 特にアフリカ人に対する判官びいきの目からは,そのこともまた声援を送る 要素になっていたのだ。

それが,あのまさかの頭突きである。イタリアのマテラッティが背後から声を かけたところで,振り向きざまに一発食らわせてしまった,あのシーンは衝撃だった。 その後のPK合戦までの経過は,まるでぼんやりとしたスローモーションの 悪夢のように感じられたのだ。何なんだ,ジダン?一体どういうことなんだ? そのことばかりが頭にめぐっているうちに,ついにイタリアが勝った。

その後の報道では,マテラッティがジダンをテロリストと呼んだとか,テロリスト 売春婦の息子と言ったらしい(タイムズが読唇術の専門家に唇の動きを読み取らせた らしい)とかいった情報が聞こえるものの,真相はまだ分からない。

ただ マテラッティは,テロリストなどという言葉は自分は無教養だから知らないと 言っているようだが,まさかそれはありえないだろう。どうもこっちがくさい ように思う。一方,ジダンはまったく沈黙したままのようだ。

まあ,そんなふうに感じるのは,もともとひいきだったからだといわれそうだが, それでもやはりイタリアチームに不審の目を向けざるを得ないのは, 彼らが白人のチームで,しかもイタリア(スペインもだ)のサポーター の中には,ファシストもどきの人種差別主義者がいるという事実なのだ。 サッカーの選手は出身が貧しいことが多いのだが,ファシズムは 社会の底辺から,残念なことに,出てくるのだ。

一方,かつてフランスは革命後の国民議会に歴史上初めてユダヤ人を代議員として 選んだ。フランスの街を歩けば黒人が堂々と,時には白人と男女のカップル で歩いている。「尊大で自己中心的なフランス人」などという偏見をもつ 人間は日本にいくらでもいる(そのくせアメリカの奴隷であることには 何も感じてないらしい)が,人種の融和と多文化の受容という意味では, 日本はフランスの足元にも及びはしない(もちろんフランスにもネオナチが いることは承知)。

そんな背景もあってのフランスチームの現在がある。それなのに ジダン,君のやってしまったことはあまりにも悲しいではないか。 何があんなことをさせてしまったのか。やってしまったことは 取り返しがつかないが,真実をいつか語ってほしい。


《犯罪統計メモ》 2006/07/07(Fri) 08:12:06

上半期(1〜6月)に起きた刑法犯
前年同期に比べ10.2%少ない99万7355件
検挙率
30.5%は前年より2.1ポイント上昇。上半期としては7年ぶりに30%超
殺人や強盗など凶悪犯
4965件(前年比12.6%減)
窃盗犯
74万5581件(同11.6%減)
知能犯
4万1992件(同16.4%減)
粗暴犯
3万6793件(同4.8%増)
逮捕など
3.2%減の18万746人(うち少年は14.7%減の5万96人)

ともすると,「激増する殺人,凶悪犯,少年犯罪」と煽られそうなので,こういうデータは よく見ておかないといけない。


《喜んでいるのは誰か》 2006/07/06(Thu) 07:09:07

北朝鮮がミサイルを撃った。まったくクレイジーな連中である。これでまた日本の軍国主義への傾斜を後押しする結果になってしまっていることを,何も分からないのだろう。うんざりである。これで大喜びなのは,だれよりも日本の右翼なのだ。

ジャリン子チエの父親の鉄はヤクザが大好きである。ヤクザがいるとわざと絡んで小馬鹿にして,わざわざ喧嘩を売らせるのだ。相手がかかってきたら,ここぞとばかりに叩き潰すのが趣味なのである。彼にとっては好戦的なヤクザほどうれしい。強がってすぐに興奮してつっかかってくるヤクザほど,彼が愛しているものはないといってもいいくらいだ。大袈裟に「おー,こわ」などと恐いふりをして相手に殴らせてから,何だかよくわからないマンガ的なパワーで逆襲して,猫がネズミにするようにいたぶって遊んでしまうのである。負けるつもりがない鉄にとって,相手の暴力はとてもうれしい挑発なのだ。

もっとも鉄はかわいい。日本の右翼やアメリカとちがって彼には金も権力もない。やっつけられたヤクザは素直に改心して堅気になってくれるし,誰も死なないし誰も傷つかない。だがアメリカや日本は鉄とはちがうのだ。同じなのは相手が好戦的になってくれるのを本音では期待しているということだ。

日本の改憲勢力の最大の口実は,北朝鮮が攻めてきたときに備えようというものである。この種の宣伝は威勢がいいほど受ける。やられる前にやってしまえ!などとわざと陰で言うことで勢いに火をつけるのも常套手段。北朝鮮がおもちゃの鉄砲を振りまわすたびに, 勢いづくのは彼らの方なのだ。つくづくいやなことだ。


《その時歴史は》 2006/05/31(Wed) 23:09:00

いまさっき放送されたNHKの「その時歴史は動いた」,いきなりとんちんかんな ところから歴史が始ま っている。1960年からスタートしたのである。それは違うだろう。

そもそもベトナムの主権は歴史的に誰に属するものであったのかという点を抜きにして, 20世紀のベトナムの問題を語るわけにはいかない。第二次大戦後,アメリカは共産主義勢力がアジアの一角を支配する ことを悪魔の支配と同一視して,それをつぶすことは神聖なる正義である という錦の御旗をふりかざして侵略を正当化した。だがそんなことはアメリカの 論理に過ぎない。

ある国の権力を握る勢力が資本主義を標榜しようが,共産主義を唱えようが,そのこ と自体は民族自決の問題であって,虐殺だの外国への侵略などという人道に反した 事実もないのに,他国がそこに介入するなど許されることではない。それをアメリカは やってくれたのである。

歴史の「その時」を正しく見てみようではないか。ベトナムは戦前にフランスが 侵略して植民地としていた。そこに日本軍が進出して,フランスから「解放」して 独立させた。もちろん,それは泥棒が他の泥棒に入れ替わっただけのことで, ホーチミンを首班とする勢力は対日抵抗を組織して闘った。

第二次大戦後,再び昔の泥棒のフランスが ベトナム南部に舞い戻って傀儡政権を樹立した後も(これが恥ずべきことに, フランスを追い出した日本軍が擁立した「ベトナム皇帝」を,戻ってきたフランスは そのまま擁立したのだ), 彼らは頑強に独立の戦いを遂行していったのだ。そして,ついにフランスは 1954年のディエンビエンフー陥落を機に,ジュネーブ休戦協定を結んで,民族統一のための総選挙を行うことになったのである。南北ベトナムの境界の北緯17度線は 双方がいったん兵を撤退させた軍事境界線である。このまま事態が進めば, すべては落ち着くべきところに落ち着いたはずなのだが,アメリカがそれを 妨害した。

アメリカはジュネーブ協定を認めなかった。しかしアメリカにとってはこれは 他人の喧嘩が収まるための和解の契約なのであって,自分の権益がどうであれ, 認めないことじたい不届きな話なのだ。フランスというパトロンに逃げられた 南の傀儡政権を援助するというかたちで,米軍がこんどはベトナムの独立を 妨害する主役となった。そして,ベトナムの泥沼にはまり込んでいったので ある。

それをこの NHK の放送は,ベトナムの民族自決の視点からではなく, あくまでも共産主義勢力との戦いというアメリカの視点をそのままに 語り続けている。それはちがう。20世紀は民族独立の世紀だった。その 流れが主要なモチーフなのである。

とはいえ,ジャーナリズムが機能して権力の暴走を食い止めたという, アメリカにおける報道のあり方は,確かにあの国では民主主義が それなりに正しく機能したということを物語っている。そして, そのことを雄弁に声高に語る NHK の松平アナウンサーの声を, わが国のジャーナリズムを代表する NHK 職員諸氏は耳を痛くしながら聞いてくれたのだろうか。


《天野祐吉「CM天気図」から》 2006/05/23(Tue) 08:27:01

朝日新聞6月22日付に「手抜きはごめん」という評論家の天野祐吉のコラムが掲載された。 憲法改正の手続きを定める「国民投票法案」について,彼らしい軽みのある文章で批判しているのだが,これが本質を衝いているのだ。

今の与党案を見る限り,憲法改定についての国民投票が行われるときには,改定に賛成する側も反対する側も,一定期間,CMはだれでも自由にやっていいことになっている。という か,その点についての規定や制約がまったく見られない。
おいおいおい,である。ほんとにそれでいいのかと,憲法改定への賛否以前に,ぼくは思ってしまう。もし,それでいいなら,お金をたくさん用意できる側が,圧倒的に有利になるに 決まっているからだ。
この指摘にはうなった。さすが天野祐吉。同時に自分の不勉強にも恥じ入ってしまった。

さてその 一方で,国民投票法案では,国民の間での議論をほとんど禁じており,マスメディアの 報道をも制限しようとしているのである。つまりは,言論の自由を奪っておいて, 財界が用意した何千億もの資金でマスコミを買収して,国民をマインドコントロールの 渦の中に叩き込もうという魂胆が見え透いているではないか。「憲法はビールや化粧品を売るのとはワケがちがう。『だれでも』『自由に』というと聞こえはいいが,憲法改定のような大問題については,意見CMが公平に行われるように,きちんとした枠が必要だ。(中略)意見CMは本の一例で,つめのたりないところが,この法案にはまだたくさんあるように,僕には思えるのだ」として,テレビ報道の責任をきちんとついている。

天野の言い方をそのまままねして結びにしよう。ワールドカップに負けたって日本の将来は何も変わらないが,憲法が変えられたら,国民の人生は大きく狂ってしまうのだ。うーん,やっぱり彼の飄々としたエッセイにはとうていかなわない。


《京女・九条の会》 2006/05/20(Sat) 12:21:18

あれこれと昨今の動きから切実な危機感が迫ってきます。昨日も共謀罪があわや強行採決されそうでしたが,ひょっとしたら今国会では成立しないかもということになったようです。
このまま濁流に呑まれるように政治が動いていけば,後世になって歴史が大きく暗転したのは2000年代初頭であったというふうに 書物に書かれたり,自分の子どもたちに申し開きが出来ないなどということに なりかねません。そんなわけで「京女・九条の会」を結成しました。小さな声でも集まれば流れに抵抗できるかもしれないという言葉に 一縷の望みを託しつつ。


《簡単な相関》 2006/05/20(Sat) 11:05:11

2000年に父が,2004年に母が亡くなった。いずれも享年78歳。敗戦の年,父は23歳の 陸軍将校,母は19歳で国民学校の教師だった。軍国主義教育と大本営の戦争報道, 狂熱的な巷の興奮に育てられた世代である。2人ともその呪縛から生涯逃れられずに戦後を 生きた。彼らは青春期に戦争を体験した最後の世代であるといってもよい。

この10年ほどで父母の世代がつぎつぎに世を去っていくようになった。彼らの多くはやはりわが父母のように保守的であり,戦後の自民党政治を支えた層である。しかしそれでも, 彼らが健在のうちには日本国憲法,ことにその平和条項の九条を変えようとする動きは,日本の保守政治の中で決定的な力を得ることが出来なかった。80年代半ばに元海軍将校 (とはいえ彼は主計大尉で,戦場とは遠いところで算盤をはじいていたのだが)のタカ派首相として登場した中曽根康弘でさえ,「日本をアメリカの不沈空母にする」などという好戦的な言辞を振りまいてみたものの,彼の時代に憲法を変えられるとは夢想もしていなかったのである。

ところが今,憲法の平和主義に対する圧力はかつてなく強まっている。戦争を知る世代の重石が取れてきたのがその大きな要因であるとしばしば指摘されていて,たとえば 京都から出た野中務元衆議院議員などは,歴代総理大臣の登場に隠然たる影響をもった ことで知られている自民党の長老格であったが,平和憲法を堅持するという一点においては揺らがない人であった。ところが2000年ごろに野中に対する保守政界での風当たりは 激しくなって,事実上彼は追い出された。その背後には,彼の指向が日米一体になった軍事的拡大とは相容れなくなってしまったという力関係の変化がある。

さてここで,簡単な相関に目をやることができる。戦争体験をもつものがいる間, 憲法を変えようという声は抑制されていた。彼らがいなくなってきたら,その声が 大きくなってきた。

真実を知る人々が,自分が体験した何かを避けるべき だということを語っていたとしたら, その声には傾聴すべきものがあるだろうし,その何かをわれわれは避けるべきだ。 戦争や大災害というものに対抗するための人間の知恵として。

ところがその「何か」に無知な人間が増えて来る中で, 別にそれは悪いものではないと主張する人間が力を強めてきたとしたら, それは他人に不幸をもたらして,自分はうまい汁を吸おうという勢力であることは,事の道理というものだ。 事実を知っているものが退場した途端にのさばってウソを突きまくる悪というのは 三文芝居にいくらでもいるが,まさにその構図がこの日本の現状といっていい。


《小選挙区制の幻想と欺瞞》 2006/05/11(Thu) 00:33:51

小泉政権が戦後2番目の長期政権になったという報道が先週流れていた。吉田茂内閣以来だという。つまり,それだけ国民の支持が長続きしたとでもいいそうなNHKのニュースの口ぶりだった。しかし,一見同様の現象が観察されたからといってそれの原因にも共通性があるという解釈は,このさい大間違いである。

要するに,小選挙区制が施行されたために,相対的な第一党が過半数の圧倒的な議席を 独占できることができるという仕掛けができてしまったのだ。実際,自民党の得票率は 長期低落傾向にあるのである。それでも過半数をとれるという危険な制度が小選挙区制 であることは,ちょっと頭を使って考えれば,法案準備の段階から明白だった。 なのに,第二党であった旧社会党はそれに賛成し,また自民党から分家した保守系 小政党も,議席では絶対損をするはずの公明党も,賛成,あるいは妥協したのである。私には彼らの頭の悪さが信じられなかった。

もっとも,マスコミもあるものは狡猾,あるものは単純に愚昧そのものだった。小選挙区制の幻想をあるものは振りまき,あるものは愚かにも信じ込んだのである。あるいは政治学者もそうだ。東大の総長になった佐々木毅が,小選挙区制は日本の危機を救うといって 論壇で大きな声で騒いでいたことは,今でも思い出す。

幻想というのはこういうことだ。自民党の長期政権はよろしくない。だからその状態を 変えるには,政権交代が可能な仕組みを作ればよい。それには小選挙区制が有効である。 なぜなら,小選挙区制にすれば自民党以外が結束して対抗軸を作らざるを得なくなり, アメリカやイギリスのように二大政党が交互に政権を取り合うようになる。私は そんなウソは止めてくれとよく口走っていたものだ(身の回りの小さなコミュニティの中だけのことだけど)。

ある主張が声高に叫ばれているときには,その主張が実現することでだれが 利益を得るのかを考えること,それが政治や社会を見抜く上でもっとも 有効な物差しである。小選挙区制は,要するに政権党にとって最も有利に働く のである。そのことを見抜けなかった勢力は間抜けとしかいいようがない。政党も マスコミも学者たちも。

幻想ならぬ誤算もある。日本の保守バネあるいはもっと露骨に自民党バネの 強固さである。これまで何度か自民党が危機に陥って,このまま選挙になれば 大敗かと騒がれたことがある。先の総選挙もそうだ。岡田代表率いる民主党がやたら 元気にマスコミに登場して,まるで日本には民主党と敵役の自民党しかいない とでもいった雰囲気が掻き立てられた。そして,民主党は惨敗した。

民主党が惨敗したのはなぜか?それは簡単だ。自民党が負けるかも知れないという 話が盛大に焚き上げられたからである。そのような状況で行われた選挙では, 実際には自民党が大量得票していることは何度もあるのだ。これが日本なのだ。

とはいえ,現状は深刻である。このままでは日本は奈落に落ちるが如くに, 基本的人権の否定,グローバル化する軍事産業による軍費拡張と世界侵略へと 動いていってしまうだろう。いや,もうかなりのところまで動いてきてしまっている。


《なぜブログにしないか》 2006/05/08(Mon) 09:39:49

この記録は著者の一人語りを書き留めるためのものです。とはいえ生まれつきの不精者 としては,いちいち HTML ファイルを編集しては FTP でサーバに転送するという簡単な 作業さえめんどうで,さっぱり続かないのです。授業関連のコンテンツ整備だけでもかなり の能力を使ってますし。

そういう思いは誰にもあったと見えて,また誰かに反応して欲しいということもあってか, ブログ全盛の時代になりました。お手軽日記+掲示板機能というわけです。それも悪くは ないと一時思って導入を考えたのですが,結局止めにしました。そして,こんなふうに 言いっぱなしの記録システムを作ったのです。記録者にとってはけっこう快適なシステムで,いちおう満足しています(読者には知る必要のないことですが)。まあ似たようなものはいくらもあるでしょうが,プログラミングの授業を持っている身としては,自転車の再発明もやっておかないといけません。

自分の考えを公開するために,読者と交流できるブログという仕掛けをどうして採用しなかったかというと, これは偏に私が臆病だからです。この世界,私の主張に対して文句をつける人は いくらでもいるでしょうし,匿名の脅しなどもごろごろしているのがネットの裏街道, いや裏街道がそのまま表になっているのがインターネットの世界です。一般の人が インターネットに接する何年も前から, いくつもの掲示板荒らしやMLでの執拗な攻撃によるコミュニケーションの荒廃を 私は見てきましたし,「ブログ炎上」なる事件も耳にします。

公開された掲示板などのシステムでは,管理者の継続的な介入や発言が必要です。 それがうまくいけば,よい状態を維持して活発なコミュニティが形成されることも あります。たとえば東北大学理学部数学科の黒木玄さんの掲示板も, 上質のアカデミックな交流の場として何年か機能しました。 しかし,管理者がそれを放置した瞬間から,場は荒れてしまったのです。

そんな過去の経緯を観察してきて,だけど 勤勉ではないくせに言いたいことはある,それでいて論争や駄弁につきあっても いられないということで,ブログのような「突っ込み可能」なインターフェースを 避けて,淡々と書き続けるだけというスタイルに落ち着いたというわけです。 とはいえ,責任を自覚してここに書き綴っていることにはいささかの迷いもありません。 読者からの匿名でない疑問や指摘に対しては,可能な限り尊重して対応していくつもりです。


《批判精神がなぜなくなってしまったのか》 2006/05/06(Sat) 09:53:32

世の中にニセ科学や怪しげな霊能者の話があふれている。それも日を追うごとにひどくなってきている。

昨日(5月5日)の朝日(大阪版)の生活面には,平岡妙子記者による「デトックス」 の体験記が掲載されていていた。大森隆史という代替医療の「医師」がやっているも のらしく,「普通の食生活をしていても水銀や鉛などの「有害ミネラル」が 体にたまっているという」ことで,それを追い出すために豆乳入りジュースをがぶ飲み するんだそうだ。そんなもので水銀中毒が治るのなら世話はない。そもそも水銀や鉛が 蓄積されて健康に被害を及ぼしているのであれば,こんなお気楽な記事で扱うレベルの ものではない。「大朝日」の記者がなんの批判力もなく,むしろシンパになって書いている のである。

こんなふうにニセ科学に対する無批判な接近が目立ってきたのは,ここ数年のことのよう な気がする。2002年9月30日、NHKスペシャルで「奇跡の詩人」と題するとんでもないでっち上げの片棒担ぎの放送をやらかしたのは記憶に新しい。冷静な目でしっかり見ていれば,いんちきであることが判断できるようなお粗末なものだったのだが(私は新聞の番組紹介で積極的に評価していたのでどれと思ってスイッチを入れてみて,あきれかえった),取材する側が被取材者の意図をなんら疑わないで,心霊術のだましと同種のトリックに 自らはまってしまったのである。

http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/20020930nhk.html

しかし問題の根源はもっと深い。ニセ科学や代替医療の関係者だけがつじつまの合わないウソをついているわけではないのだ。たとえばイラクへの武力侵攻のときにブッシュやラムズフェルドがついたウソはどうなった?いや,彼らはそのことで多少の非難にはさらされているし,他国のことだからおいておこう。小泉首相や公明党の神崎がアメリカにこびへつらってついたウソは,ウソとして断じられたか?そうはなっていない。

ようするにウソをついても権力をもっていれば,金があれば,儲かれば,それでいいという全体的な風潮が,批判精神を押し殺してしまっているのだ。ウソを追求できないこの国のマスコミの責任もひどいものだし,上からの脅しに右往左往している学校の教師たちもいる。もとより小は町内会の顔役からトップは代議士にいたる累々たる保守政治の術策は都合のいいウソを下に無理やり飲み込ませることでしかない。

そんななかで,若い人たちたちがウソを見抜く力をもつことなんて, 到底無理な話ではないか。とはいえ,彼ら自身の自己防衛のために,鋭く物を見つめて ウソを見分ける鑑識眼をもたせないと,胡散臭いまじないや代替医療で詐欺師に財産を 取られ,戦争推進の旗振りに踊って自分や家族が殺され,他国の人間を殺すところまで いきついてしまうだろう。