2008-11-25
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879 :学生さんは名前がない:2008/11/25(火) 20:03:27 ID:DaXANSAjO
国を変えるのは>>1しかいない。
やってくれよ
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人間というものは、一番頂点にきちんとした正義があれば、一元的支配体系だろうと納得して隷従できるものだよ。その正義のために自分は奉仕をしているという感覚があるからね。そのように正義が明確になっている社会であれば、警察官も堂々と業務を遂行できるし、正義があるため位階制の勝敗も明確であるから、勝者は堂々としていていいし、敗者は諦めて従うことにも納得できる。また、社会も安定するし、国家として自信が持てる。ところが、匿名官僚制のように、何が正義であるか正体不明のシステムなんて、おぞましくて従えないのだよ。自分が信じていた価値が実は嘘でした、とか、詐欺でしたとか、こんな醜悪なシステムもないだろう。一言、最悪だよ、この体制は。私もそろそろ怒りが頂点に達しているので、近日中に文部科学省の職員を闇討ちするかも知れないが、殺されても文句が言えないと思え。
革命宣言
私が国を変えたいと言っているのは、たんに客観的事実どおりの当たり前の法で行くということです。この嘘にまみれたくだらない社会をやめるということです。これは私が生まれながらに有していた悲願であり、過去幾多の社会的攻撃に耐えながらも、私はこの信念を守ってきました。ところで、あなたがたが社会を変えるというとき、そこには、経済成長や治安維持が暗に含まれていますが、そういうことではない。きちんと日本人というものを直視して、ファクトを顕在化させ、現実と向き合う社会を作る。これまでの、東京大学のキチガイ卒業生が一丸となって作ってきた、自己愛のための妄想と誤魔化しと嘘で脚色した欺瞞だらけの社会をやめるのです。これをやると、多分、日本人のクズさをあからさまにすることになるでしょうが、それでいいのです。自分を直視し、等身大の制度を再構築する。それが、一番大事です。自然からはじめなければいけません。西洋風味というのはもう止めなければならない。これが徹底的に日本人の心象を寒いものにしてきたのである。この国には客観的事実として何があるのか、それを分析し、それに沿った社会を再構築しなければならない。id:nomurayamansukeのように、飯さえ食えればよいというようなペテン師は、駆逐せねばなりません。この人工的な社会を維持し、利益を維持しようとしている劣化官僚(東大教授を含む)を一人一殺しましょう。
政府見解へ
君の話はよくできた自分語りだ。君は何も正しいことを語ってはいない。すべて自己言及だ。自己愛で暴力は許せないと言い、自己愛で警察に被害届けを出し、自己愛で逮捕し、自己愛で事情聴取を行い、自己愛で恫喝する。君はすべて自己愛だ。そのくせ子供には一切そのことを教えず、あろうことか、民主主義だ、自由だ、権利だ、と教える。これがどういうことか分かっているだろうな塩谷。
http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20081125-3
政府はいい加減にしとけよ。私は図式上のゲームをしているんじゃないのですよ。要するに自己愛で動いている政府に対して、私の存在核心、信念であるところの真理と正義に基づいて、地で喧嘩を売っているわけです、「地で」。これは政治的挑戦です。君たちの存在核心には自己愛しかない。自己愛の観点から人工も自然もごっちゃにしている。矛盾しているから自己愛なのだ。何の科学的精神もない。君には、何も無い。詰め込んだ知識と醜悪な自己愛、共同愛の塊だけがある。自然の光を見ようとしない、人工物に棲みついて人を操ることしか考えていない、徹底的なクズである。君らの頭のよさは、図だけだ。地は何も改善しようとしない。試験で点数を取るという図が与えてくれる頭のよさに過ぎないではないか。地でどうにかしようとしないのか。地こそが大事なのだよ。何事も地で行かなければ何も立派なものはできない。ハリボテになるだけだ。
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関係各局との連携とか、各方面との調整なんてことをいう者がいますが、それはある種の全体主義的価値構造を個人の側から語っているだけで、明文である個人主義に反していますし、ただの自己愛なんですよ。ましてや、恫喝なんて手法を使う日には、何も理性はありません。こういう大馬鹿者で、馬鹿と言われてもなんの痛覚もない真性馬鹿がこの国を支配しているのです。この国では、子供のうちは、理性的でも、大人になって社会活動をしているうちに、そういう理性も痛覚もなくなってしまう者であふれています。それは別に何の正当性もないわけで、要するに子供のうちは騙しておいて、大人になってから現実を見せているだけです。昔どんなに客観的かつ理性的に語った者も、現実社会に入ると、社会的関係や人間関係的相対化に自我を破壊されてしまう者が続出します。
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新最高裁長官が、自然科学的な厳密な推論をモットーとする、などと言っているが、これは嘘である。そもそも、司法は完全に自己愛で判断を出しており、自然科学的な推論はどこにも存在していない。証拠法則なども、結局は社会通念を巧妙に忍び込ませた自己愛的判断基準を採用している。日本の司法はお上の自己言及の言い換えでしかないので、法としての価値は全くない。このような嘘に嘘を塗り重ねるマスコミにも価値はない。要するに、知識を独占した者による詐術で支配されているのである。
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六法全書は政府の主観を仮託して表現するものだから、この解釈に当たっては、役人の意思を探求し、それに沿って解釈するのが基本である。各々の裁判官は、自由な判断権を有するといっても、これは形式に過ぎず、法の趣旨は、役人や最高裁に同調せよ、というものであるから、自由な判断権はない。常に最高裁や官僚の意向を読み取り、その結論に合わせて判決を書かなければならない。このように、人が支配しているくせに、民主国家などを教えているのである。殺されて当然だろう。なめているのか。
クズな日本人
理性的に書くと、情熱が足りないと言い、情熱をこめて書くと、感情的だ、と言う。要はお前の自己愛だろう。
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「個人の人生戦略と金だけの社会になった上、法や倫理や道徳があるかのような図式を装う現代日本社会の醜悪さに怒りが頂点に達した。現在の日本には嘘以外何一つ素晴らしいものがない。巧妙な嘘を組み立てて子供を欺いてきた文部科学省に復讐したいと思った」と供述しているという。
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私の言うことは何も主観的なことではありません。私は長年最高裁判例を研究してきたのですが、日本人の代表的な価値観を突き詰めていった最高裁判例の構造からすれば、日本人は基本的に自己中心主義であり、人の主観的判断が先行し、それをいかにももっともらしい図式で脚色していく、というものとなっているからです。また、最高裁のごとく、相対的、ご都合主義的、権威的、名誉職的で、門前払い、議論の打ち切りもするし、最高裁長官のように司法の長のくせして税金犯罪までします。このように極めていい加減な性格が日本人の代表的価値観であり、客観的にはまさに「クズ」というのが適切だと思います。
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文部科学省は、落としどころとしては、大衆に真相がばれないようにしつつ、俺をけん制するということだろう。そのレイヤーであるが、マスコミに発表するとか、事情聴取など、様々な連続的なツールが用意されてある。要するにあいつらが決めた落としどころは、流布されているやり方でたいてい正当化できるようになっている。
東京大学で教授5名殺害
調べに対し「社会はルールで回っていると教えられ、信じていたのに、実はルールの裏で人がすべて決定していた。東大や中央官庁によるあの手この手を駆使した醜悪な国家的詐欺に辟易した。自由に自然に生きることや貴重な人生を奪われた。復讐したいと思った。また、都合のいい部分だけ都合のいいレトリックで報道するマスコミにも腹が立った。正当な知識ではなく、自分たちの詐欺のために知識を使っている東大に腹が立った。東大出身者なら誰でも良かったが、なるべく指揮命令している者を殺したかった」と供述しているという。
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原則とか例外とかいうが、そもそも例外を作った時点で原則の論理は破綻しているのだから、原則例外二分論というのは嘘である。つまり、例外というのは、論理破綻をごまかすために人工的に作られたものだ。原則例外二分というのは、背後に人間社会の自己愛が潜んでいるわけである。id:nomurayamansukeさんは、公共の福祉は人権の例外と説明するが、原則例外二分論が自己愛である以上、これは論理破綻のごまかしである。実は、憲法の背後には自己愛があり、結局はその法律を作った人が法ということになる。このような意味で言うと、どのような法律でも論理は破綻しており、要は自己愛の言い換えに過ぎない。
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日本法は、図と地を分けている上に、図の方が原則例外二分や概念の交錯に満ちているので、これは法の本質を構成しておらず、判断を修飾する巧妙な文彩である。つまり、法律製作者や判断者が地で総合考慮を行い、それを図式化するわけだが、そもそも地は図にならないのだから、この図は地とは別の嘘である。さらに、その図にも様々な概念的破綻がある。したがって、人の判断は法であるが、六法全書はそれを彩るレトリックでしかなく、法の範疇に入らない。このような文彩にすぎないものを、法ということにして教えてきた法学部は、何も言い訳が出来ないだろう。もっと大きく言うと、学校教育自体が、あらゆる科目において、学問ではなく、文彩という嘘を教えてきたのであり、このようなものを国民の脳髄に不可逆的に植え付け、自分で思考する能力を剥奪してきた文部科学省の罪は、海よりも深い。
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日経春秋 春秋(11/25)
あのニュースをどこで聞いたか、50歳以上なら、多くの人が記憶しているはずである。38年前のきょう、作家の三島由紀夫は東京・市ケ谷の陸上自衛隊・東部方面総監部に入り、総監を監禁し、バルコニーで演説、割腹自殺した。
▼亡くなったとはいえ、三島の行動は、明らかに刑法に触れる。つまり犯罪である。でも三島作品は書店の店頭から消えなかったと記憶する。逆に多くの三島本が並んだ。作家と作品が別人格とすれば、当然だろう。ノーベル賞候補だった作家の行動に、どんな文学的背景があったのか、世の読書人は知りたがった。
3行目までは正しいが、4行目が嘘である。日本には刑法などはない。正確には刑法を作っている人の自己愛に触れるかどうかが問題である。いくら正義の行動とはいえ、「東京・市ケ谷の陸上自衛隊・東部方面総監部に入り、総監を監禁し、バルコニーで演説すること」などを許していると、社会全体の秩序が維持できない。ゆえに逮捕となったのだろう。
そのばしのぎでナアナアなシステムは今すぐにでもぶっこわして変えるべきだ。
しかし現東大生を攻撃すれば日本は変わるのか?
そんなことをしてもマスコミや話のネタとしか考えないバカな大衆を喜ばすだけだろう。
一緒にくだらないシステムを嘲笑し啓発するサイトを作らないか?
そのほうがよっぽど建設的だと思うが。
奴隷で大満足なマゾ日本人を袋だたきにして目覚めさせよう。