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源頼朝はニセものだった!? 浮上したナゾを追う

11月29日18時23分配信 産経新聞


源頼朝はニセものだった!? 浮上したナゾを追う

像主について論争が起きている伝源頼朝像(神護寺蔵)(写真:産経新聞)

 初めての武士政権を樹立した平清盛は公家社会の頂点に立つことで、覇権を握った。その平氏政権を倒した源頼朝は、武家社会の頂点に立ちながら国を統治した。

 朝廷から独立した「幕府」の誕生だ。頼朝は鎌倉幕府初代将軍であり、江戸幕府崩壊までの700年に渡って続く幕府中心社会の始祖といえる。

 武士として覇業を成し遂げた頼朝の「顔」というと、誰もが思い浮かべる肖像画がある。教科書でもおなじみの国宝「絹本著色伝源頼朝像」だ。黒い束帯を身にまとう、りりしい姿は武士の頂点に立った男の顔にふさわしい。

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 この頼朝像は同じ構図で顔の向きが違う平重盛像、藤原光能像とともに「神護寺三像」と呼ばれている肖像画シリーズの一つ。絵自体に作者や像主を示す証拠はないが、三像が3氏であるとする通説は寺伝に残る記述の数々を根拠に生まれ、語り継がれてきた。

 「神護寺略記」などによれば、三像以外にも後白河法皇像と平業房像の肖像画があった。法皇は文治4(1188)年、同寺に仙洞院を寄進している。4年後に法皇が死去すると同院には法皇像を中心に、4人の肖像画がかけられた。法皇像は室町時代に写されたものが残っているが、原本は何らかの原因で散逸したと考えられている。

 一定の年代以上の日本人は、通説に基づいた教科書で、これが頼朝の顔であると教えられてきた。しかし最近の教科書は、「伝頼朝像」と書かれていたり、単なる鎌倉時代の肖像画として紹介されているケースもある。日本人の脳裏にすり込まれた、りりしい頼朝の周囲に何が起きたのか。

 平成7年、当時東京国立文化財研究所に在籍していた米倉迪夫氏(現・上智大学教授)が唱えた仮説が社会に大きな反響を呼んだ。あの「源頼朝像」が別人であるとする仮説で、教科書の記述を揺るがしたきっかけの一つとなっている。

 制作年代や作者について、通説を疑問視する声は昔からあった。米倉説は目や耳の描き方から三像が14世紀中ごろの絵と推定したうえで、像主を覆すところまで踏み込む。「重盛像」が足利尊氏で「頼朝像」は尊氏の弟・直義、「光能像」は室町幕府2代将軍・義詮であると主張する。

 物的証拠として挙がったのが京都御所に残る足利直義の願文だ。願文には「征夷将軍(尊氏)ならびに予(直義)の影像を図き、もってこれを安置す。良縁をこの道場に結び、信心を末葉に知らしめんが為なり」と書かれていた。米倉説は、文中の「影像」こそ三像であるとしている。

 しかし直義願文で納めたとする肖像画は2幅。現存するもう1幅「伝光能像」の説明はつかない。

 米倉氏は、「納入事由にはおのずと直義の画像納入事情とは微妙に相違する背景があろう」(『肖像画を読む』角川書店)と説明。これに対し、文化庁主任文化財調査官を務めた宮島新一氏は『肖像画の視線』(吉川弘文館)の中で、「根拠薄弱と言わざるを得ない」と指摘、米倉説の問題点と通説の正当性を書き連ねている。

 米倉説は光能像を義詮像と推定した根拠に、足利家の菩提寺・等持院(京都市北区)に残る義詮木像を取り上げた。木像と肖像画を比較したところ、目やくちびるが似ているとする。似てはいるが、木像は制作年代がはっきりしておらず、比較対象としてふさわしいかについては批判もある。

 神護寺の谷内弘照住職も米倉説には冷ややかだ。「頼朝の娘が亡くなると、寺の住職がお悔やみ文を送っています。その返礼もありますし、頼朝の妻、北条政子からの手紙も残っています」。頼朝と寺との親密さを伝える史料がある一方、足利家との関係の深さもうかがわせる史料は見つからないという。

 仮説を補完する証拠はないが、通説を裏付ける完全な証拠もない。論争で積み上げられた状況証拠を並べると、今のところあの頼朝像は、頼朝ではないか。今まですり込まれてきた、りりしい姿であってほしいという思いもあるけれど…。(渡部圭介)

 ■神護寺三像 鎌倉時代の似絵(肖像画)の代表作で3幅で国宝指定を受けている。「神護寺略記」によると作者は藤原隆信となっているが、筆致などから複数の絵師が関わっているとみられ、隆信が総指揮をとる形で制作されたとの見方がある。米倉氏は神護寺略記に後白河法皇ら5人の名前の後に「等」という記述があることから、ほかにも多くの肖像画があった可能性を示唆しているが、この点については宮島氏も「傾聴すべき意見」と評している。

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最終更新:11月30日0時57分

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