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more楽:能、文楽などに見る平知盛 高い人気、描き方多様

 平安時代末期、壇ノ浦の合戦で平家が源氏に敗れて滅亡するのを見届け、海へ身を投げて自害した武将、平知盛。その壮絶な生きざまは「平家物語」などに描かれ、人々の共感を呼んだ。そして、鎮魂を祈る能となり、文楽や歌舞伎、落語でも取り上げられ、今に受け継がれている。【濱田元子】

 「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤(こういん) 平知盛幽霊なり」

 これは、室町時代に作られた能の人気曲「船弁慶」の後半で、知盛の亡霊が登場する場面の有名な詞章だ。

 兄の源頼朝との不和から都を逃れ、大物浦(兵庫県尼崎市)から九州へ向かう舟に乗った義経らの一行を嵐が襲う。そのとき海上から現れ、舟を転覆させようとするのが、知盛ら平家の怨霊(おんりょう)。だが、「その時義経少しも騒がず」、弁慶が数珠を取り出して怨霊を祈り伏せる。

 「知盛を亡霊として出す能は『とんでもない』という知盛ファンもいるが、能は鎮魂する気持ちで作られているんじゃないかと思います」と能楽シテ方観世流の山本章弘さんは話す。

 江戸時代、町人の芸能として人気を博した人形浄瑠璃文楽では、知盛は「義経千本桜」の渡海屋・大物浦の段で、悲運の主人公となって登場する。先行する能をひとひねりし、知盛は壇ノ浦で死んでおらず、大物浦で船宿渡海屋の主人、銀平に姿を変えて、義経一行への復讐(ふくしゅう)の機会をうかがうという設定だ。

 「千本桜」は歌舞伎でも人気の演目。また、能をモチーフに河竹黙阿弥が作った歌舞伎舞踊「船弁慶」もおなじみだ。1885年に九代目市川団十郎が初演し、新歌舞伎十八番にもなっている。

 そんな悲劇の武将の物語を庶民の世界に移し、パロディーにしたのが、落語の「船弁慶」。

 妻のお松にうそをついて舟遊びに出かけた喜六。それを見つけたお松と喜六は夫婦げんかになり、知盛と弁慶の祈りの場面のせりふで応酬するが……。

 山本さんは「文楽では知盛が生きていたという設定になっていることに驚いた。落語でも『そもそもこれは』という謡の一節が登場する。みんながその一節を知っていたということ」と知盛の人気ぶりを語る。

 さまざまな形で描かれる知盛にスポットを当て、能・文楽・落語でそれぞれ見比べ、聴き比べてもらおうというユニークな企画「船弁慶三体」が28日午後7時半から、大阪市中央区の山本能楽堂で行われる。

 能は山本さんがシテを務めるほか、文楽人形の吉田玉女さん、文楽三味線の竹沢宗助さん、落語家の桂宗助さんらがそれぞれの芸を競う。

 一方、東京・歌舞伎座では尾上菊五郎さんらによる歌舞伎舞踊「船弁慶」が上演中(25日まで)。それぞれの芸能の趣を知る絶好の機会となっている。

毎日新聞 2008年11月22日 東京朝刊

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