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more楽:歌舞伎「娘道成寺」の魅力 女形舞踊の要素を網羅

 安珍清姫伝説を源流とする「道成寺物」は、能の「道成寺」から沖縄の組踊り「執心鐘入(かねいり)」まで、芸能の一ジャンルを形成している。歌舞伎の「京鹿子(きょうかのこ)娘道成寺」は女形舞踊の最高峰の一つだ。この人気曲を、坂東三津五郎さんが12月の東京・歌舞伎座昼の部で踊る。【小玉祥子】

 室町時代に完成した「道成寺縁起」は、伝説を次のように描く。一夜の宿を求めた僧の安珍に、その家の娘、清姫が恋をする。安珍は再会の約束を果たさず、清姫が後を追う。安珍は紀州(和歌山県)の道成寺に逃げ込み、釣り鐘の中へ身を隠す。怒りから蛇体となった清姫は、鐘に巻き付き、安珍を焼き殺す。

 能の「道成寺」は、その後日談。鐘を焼かれた道成寺に、新たな鐘が奉納された。寺は境内への女性の立ち入りを禁じたが、白拍子の懇望に「舞を見せるなら」と通す。白拍子は舞いながら、鐘の中に飛び込む。彼女は清姫の霊であった。後シテでは、霊が鬼女となって鐘の中から現れる。

 この能に着想を得て幾つかの歌舞伎舞踊が作られ、決定版となったのが「娘道成寺」だ。1753年に、初代中村富十郎が初演した。筋は能の「道成寺」によりつつも、歌舞伎らしい色づけが施されている。

 道成寺を訪れた白拍子が、舞の奉納を条件に境内に入ることを許される。花子という白拍子は、衣装を変えながら、娘のさまざまな思いを踊りで見せ、最後には鐘に入って蛇体となる。

 花道での「道行」、烏帽子(えぼし)をかぶっての「金冠」から始まり、「鞠唄(まりうた)」「花笠」へ。さらに、詞章から“恋の手習い”とも言われ、女の思いの丈を見せる「くどき」、楽器を用いての「羯鼓(かっこ)」「鈴太鼓」など。踊りの振りも衣装も次々と変化し、飽きさせない。

 「日本舞踊の女形のすべての要素、技術が入っています。能から取ってはいても歌舞伎化し、娯楽作品になっている」と、日本舞踊の坂東流家元でもある三津五郎さんは魅力を説明する。本興行で坂東流の「娘道成寺」が披露されるのは、踊りの名人と言われる曽祖父の七代目三津五郎以来となる。

 花子が寺へと至る花道での「道行」を重んじるのが、坂東流の特色の一つ。七代目は「嫉妬(しっと)物として『道成寺』を見せるのは、道行だけ」(「舞踊芸話」)とその重要性を語っている。今回は坂東流の通例にならい、義太夫ではなく常磐津を道行の地(伴奏)に用い、昔通りに衣装を赤にする。「現行は7、8分のところを15分ぐらいかけます」と三津五郎さん。

 坂東流のもう一つの特徴は、題名の通りに「娘」として踊ること。「『道行』までは怨念(おんねん)、恨みの性根で芝居をしますが、舞台へ来たら『娘』になる。嫉妬を見せる部分も、娘が嫉妬のまねをするつもりでいたします」

 名女形が手がけてきた踊りだ。「女形の卒論のような曲ですし、女形でも歌舞伎座で上演する機会は少ない。立ち役の私には大変なプレッシャーです」

 歌舞伎座の12月公演は2日から26日まで。問い合わせは03・5565・6000へ。

毎日新聞 2008年11月29日 東京朝刊

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