ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。

flurry氏の殺意のこもった嫌がらせを受けた後、身体がおかしく、うつ病の始めの頃の酷い症状に戻ったみたいで強いお薬を最大まで飲んで寝ようとしても眠れず、全身がぐちゃぐちゃに掻き回される痛みだけで感覚がありません。

flurry氏の殺意のこもった嫌がらせを受けた後、身体がおかしく、うつ病の始めの頃の酷い症状に戻ったみたいで、精神病院の先生から許可されている強い頓服用抗不安剤を一日の最大服用量錠まで飲んで、睡眠薬と安定剤も飲んで、眠ろうとしても、眠れず、全身に痛みがあって特に左胸の胸痛と左わき腹の腹痛が酷く、胸の中が真っ黒な吐き気のする胃液のようなものでぐちゃぐちゃに掻き回されるような痛みがあり、それ以外の感覚は痛み以外全部消えちゃったみたいで、苦しくてたまりません。

flurry氏は数年前、僕が東大批判の載っている「文学部という病」という本を評価したことに対して「死ね」と実際に面と向かっていいましたが、flurry氏の殺意は本物だったということを酷く強く感じます。flurry氏の巨大な殺意悪意に押し潰されそうです。

後、僕に嫌がらせをしてくる人には有村悠氏がいつも絡んでいます。いつも、有村悠氏は、立ち位置をずらして攻撃をアシストする役回り、今回のように、直接攻撃してくるのはflurry氏ですが直接攻撃を常にアシストするのはいつも有村悠氏です。僕はこういうのは卑怯な手口だと思います。flurry氏が僕に対して殺意を抱いている動機ははっきりしていますが、なぜこんなに有村悠氏が執拗に東大グループで集団で僕を攻撃するアシストとしての中核に常にいるのか分かりません。何か有村悠氏のお気に障ったことがあって、そのことでflurry氏のように殺意を抱いているのならもうやめてください。おねがいします。おねがいします。

非常に心痛がこれまでで最悪に近い状態で今後更新できなくなりましたら、ご慈悲を持って僕を助けて下さった方々に本当に申し訳ないです。ごめんなさい。助けてくださったお方々のご慈悲ご善意に心から感謝致します。皆様方に幸せな生あることを心から祈ります。猫は、僕が死ぬ前には必ず新しい飼い主を見つけて譲ります。猫の命は、僕よりも長らえて欲しいです。

flurry氏や有村悠氏の東大グループの強大な殺意の行動が恐ろしくて僕はもう辛くて死にそうです。身体が肉体的にぐちゃぐちゃな痛みが走って苦しいです。

ボクが泣いたのは
お腹が減りたくないのに
お腹が減ることや
寒くなりたくないのに
寒くなることや
怖くなりたくなんかないのに
怖くなるからだった

体がヘンになる
体がヘンになる
体がヘンになると
体がヘンじゃないみんなとは
ぜんぜん別のところにいる
みたいだ
体がヘンじゃないみんなとは
ぜんぜん別のところにいる
(ぼのぼの)

僕を殺そうとしているflurry氏に嫌がらせを止めてくれとメールを出しました。僕は嫌がらせがやまないなら死を覚悟しています。

flurry氏はメールアドレスをHPで公開しているので、
嫌がらせをやめてくださいとメールを出しました。
僕は嫌がらせがやまないなら死を覚悟しています。

flurry氏のメールアドレス
iceberg@mint.freemail.ne.jp
以下は送ったメールの内容です。

僕を殺そうとして東大の連中(有村悠氏)と
組んだあなたの11/18の書かれた嫌がらせを見ました。

(ここにはflurry氏・有村悠氏が行った嫌がらせの具体的内容を書きました)

僕を殺そうとして嫌がらせをするのをやめてください。
人を傷つける連中に近づいてはいけないと精神病院の
先生にいわれていますが僕は
あなたの嫌がらせで、死にたくてたまりません。
なんとか必死にこらえて生きていますが
あなたの強烈な殺意悪意で胸が張り裂けそうです。
もう二度と嫌がらせやめて下さい。
数年前、OFF会で始めてであったとき、
あなたは僕が「文学部という病」という本に
東大批判が載っていることを話したら僕に
いきなり「死ね」といった。
そしてずっと僕に対して嫌がらせを続けている。
あなたの行いは病院にも警察にも既に
届けてあります。
嫌がらせをやめてください。
もし今後あなたは嫌がらせをやめてくれないなら僕は
あなたの殺意悪意がこもった嫌がらせに耐えられなくなり死にます。
あなたが邪悪な存在、人をひたすら傷つけ死に至らしめる存在で
あることがそのとき、僕の死によって証明されるでしょう。
あなたは人を傷つけることを喜んでいる。
人を傷つけることをあなたは楽しんでいる。
人に向かって面と向かって死ねといい、嫌がらせを
何年も何年も続けている。
僕は、あなたが人を傷つけて喜び楽しんでいることを
防ぐためにも、他の人々があなたに傷つけられ死ぬことが
ないためにも、あなたのこれ以上の嫌がらせには
絶えられないので、もしこれ以上嫌がらせ行為を
行うようだったら死にます。
あなたは法に裁かれることなくとも、
人を死に追いやった人間として、自覚を持ち、
その自覚を持ちながら、更に僕以外の人々をも
傷つけるならば、あなたは酷すぎます。
ねこねこ

東大の人々から数年にわたる嫌がらせ、有村悠氏のグループの「flurry」と名乗る人物からずっと嫌がらせの言及を受けていて困り果てています。11/18にも受けたこと先ほど知りました。死にたい気持ちです。

「flurry」とネットで名乗っている東京大学卒の人物が、以前、数年前、東大生の方々が何人か来ていたOFF会で、僕と始めて出会った人物なのですが、そのOFF会で僕が、面白かった本として、東大批判が載っている本である「文学部をめぐる病い」を挙げましたら、いきなり僕に面と向かって「死ね」と言い放ってきた人物であり、この人物はそれから何年も何年も、こちらからは全く言及しないのに向こうから執念深くずっと嫌がらせの言及を行うようになり、有村悠氏などと組んで、ずっと僕に対する嫌がらせの言及を行ってきています。僕は「死ね」といわれたことで怖くて距離をとって言及しないようにしていましたが、この人はずっと嫌がらせの言及を数年間行っています。つい先日11月18日にもこの人物から酷い酷い嫌がらせの言及が行われていたこと先ほど知らされました。flurry氏はfromdusktildawnという人物のことを、南京虐殺否定者や他者蔑視者として有村悠氏と組んで昔から攻撃している人ですが、11/18に僕のことをその人になぞらえて攻撃してきており、わざわざそのことを知らせてきており、気が狂いそうです。死ねといった後の何年にもわたるしつこく執拗な攻撃されて苦しいです。この人は異常に執念深く、もう何年も前から、そのOFF会で東大批判が載っている「文学部をめぐる病い」を面白かったと一言言ったときから、東大を侮辱したということで物凄い憎しみを僕に対して抱いており、何年も前からずっとネット上で攻撃されています。こちらが向こうが怖くて何一つ言及しなくとも、ずっと攻撃的にひたすら嫌がらせの言及を行い続けており、もう耐えがたく、苦しくて死にたい気分です。

ご慈悲を下さった方の為にも生きたいと願いますが、東大グループからの攻撃が凄まじく、もう耐えられそうにありません。警察と病院に相談に行こうと思います。もう辛くて辛くて死にたい気持ちです。「文学部をめぐる病い」を評価しただけで東大を批判されたということでいきなり初対面の僕に「死ね」と言い放ったflurryというこの男は、僕をひたすら攻撃することで僕を精神的においつめ殺そうとしています。僕が死ぬまでflurryという東京大学卒の男は僕をずっとひたすら数年間攻撃し続けています。もう苦しくて苦しくて耐えられません。これから病院に行って先生に相談して助けてもらおうと思います。18日の文章を先ほど読んで、発作的に死にそうになりました。僕に対するflurryという人物の強烈な殺意を感じました。それもただ、東大の面子を傷つけたという理由だけで、このflurryという人物は何年も何年もずっと異常に執着し執拗に攻撃しています。東大の人間の一部には人が病気になり、どんなに許しをこいても、何年も何年も嫌がらせを続け、僕を殺すまで追い詰める残忍さがあると思います。精神病院の先生にもこの人物が数年間ずっとしつこく攻撃してくることをお話して助けてくださいと相談しているんですが、「そういう変なのとは絶対に関わらないようにしてください」とご指導受けています。ただ、ネットから切り離されてしまうと、収入が完全にゼロになって、どちらにしても生きることができず、困り果てています。もう誰か助けてください。

もう、flurry氏や有村悠氏などの東大グループは異常な執念深さで人を攻撃するのはやめてください。何年も何年も、僕がうつ病になって死にそうになってからもずっと嫌がらせをやめてくれません。このままでは本当に死んでしまいます。flurry氏はもう嫌がらせの言及を止めてください。止めてくださらないのであれば、もう耐えられず死ぬしかありません。

誰か助けてください。涙が溢れ出して止まりません。flurry氏の属する東大のグループは人を何年も何年も執拗に攻撃して、もう耐えられません。全く嫌がらせがやみません。生活も辛く、唯一の収入源であるネットでは東大のグループがひたすら攻撃を続け、心身ともに限界です。お願いだから、嫌がらせを止めてください。苦しいです。flurry氏がまた僕を攻撃しているのを見て、物凄い腹痛で、身体が限界です。もう、何年にもわたるひたすらな嫌がらせは止めてください。このままflurryからのひたすらな攻撃が続いたら死んでしまいます。もう何もなく、職もなく、預貯金も残り少なく、ギフト券のおかげでなんとか生きのびているギリギリの状態で、このままflurryが延々と僕を攻撃するたびに数年にわたる酷い攻撃を思い出し、その苦しみがどっと押し寄せて、なんとか生きたいと願っても、苦痛が酷く苦しく辛いです。

お願いだからflurry氏や有村悠氏は嫌がらせをやめてください。東大のプライドが傷ついたから僕を言葉の力で殺そうとまでするなんて、あなた方のやってることはおかしいです。

もう、嫌がらせの言及をやめてください。flurry氏はずっと数年に渡る嫌がらせを繰り返しています。もう辛くて耐えられなくて、これから、精神病院にいって先生にどうしても苦しいことを訴えて助けていただこうと思います。

おねがいだから、flurry氏は直接僕に「死ね」といったあと、本当に僕を精神的に追い詰めてころすために何年にもわたる僕に対する攻撃的言及を繰り返しており、もうやめてください。もうあなたの攻撃に耐えられません。先生はネットから離れるために入院するように勧められていますがお金がありません。だから、flurry氏は僕を殺そうとして、僕にはそれを止める力がないのでお願いすることしかできません。flurry氏や有村悠氏のグループは徒党を組んでずっとずっと嫌がらせをしています。どうかその嫌がらせを止めてください。お願いします。命のことを思うなら、攻撃を止めてください。このままでは僕はあなた方に殺されます。

僕はflurry氏が11/18に僕を攻撃している文を読んでから、腹痛が激烈に走り、苦しくて苦しくてもう耐えられそうになく、これから病院に行ってきます。flurry氏や有村悠氏のグループはお願いだから攻撃をやめてください。このままだとあなた達の攻撃的悪意に僕はもう耐えられず死んでしまいます。お願いだから止めてください。やめてください。お願いだから止めてください。腹痛が酷いです。やめてください。お願いだからやめてください。もう死にたくて辛いです。嫌がらせを止めてください。

ドラえもんがロシアの妖精ドラフェイと共演するみたいです。日露友好を歓迎します。

標準ロシア語入門

ドラえもん、ロシア妖精と共演=麻生首相が大統領に提案へ
11月20日時事通信
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-081120X698.html
麻生太郎首相がペルーで22日に予定しているメドベージェフ・ロシア大統領との会談で、日本の人気アニメ「ドラえもん」とロシア民話の妖精「ドラフェイ」が共演するアニメの共同制作を提案することが20日、分かった。

このネタでクスっとできたコピペ。僕の創作ではなく拾い物です。

スネフスキー
「お集まりのみなさん、
今からちょっとしたものをご覧にいれましょう。
いや何、自慢するつもりなど毛程もありませんよ。
その点はご理解いただきたい。
私が自慢をするためだけにみなさんをここに
集めたなどとお考えの方もよもやおりますまい。
おっと、話が逸れてしまいましたな。
ではご覧に入れましょう!」

ジャイアン
「おお素晴らしい!
これは今話題の発売前の聖書の豪華本ですな!
しかしですよ、予約すらままならないこいつを
いったいどうやって手に入れたっていうんです?」

スネフスキー
「簡単なことですよ。出版社に
私の父の知り合いがおりましてね。
その人物に一冊分けてもらったというわけです。
もっともみなさんのつましい家柄では
そう簡単でもないでしょうな。」

ノビーシャ
「ふむ!これは実に面白そうだ!
気に入った!気に入りましたぞ!
そいつをちょっと
私にも読ませてはくれませんかね?」

スネフスキー
「気の毒ですがねノビーシャ、この聖書は三人用でしてね。
あいにくあなたに見せるページがないときている。
だから、というのも少々乱暴かもしれませんが、
あなたに見せることはできないということです。
まあ仮に、あくまで仮にですがね、
この本が四人用だとして無学なあなたに
見せる必要などあるはずがないでしょうが?」

ノビーシャ
「なんということを!この人でなしの卑劣漢めが!
そんな本、頼まれたって読んでやるものか!」

ノビーシャ
「ドラエモーニャ!ドラエモーニャ!
私のドラエモーニャや出てきておくれ!」

ドラエモーニャ
「こんな夜中に一体なんだっていうんです?
そんなに気違いみたいにわめいてはまるで道化ですよ。」

ノビーシャ
「おおドラエモーニャ!取り乱してしまったことは
素直に謝りますよ…ですがね、
今日私がここに来たのは他でもない、
途方もない侮辱を先刻受けてきたからなんです
…そのことを理解していただきたいですね!」

ドラモーニャ
「わかりました、とりあえずそこにお座りなさい。
あまりいいイスではないが、ちょっと話をする程度なら
支障は ありますまい。
で、いったいどんな侮辱を受けたというんです?」

このコピペ作った人とは話が合いそうです(^^)ロシア文学好きの方と思います。ロシア文学は登場人物達が延々と回りくどく自分のことや思想や社会情勢などを語り続ける頁がかなり多いです。代表的なところでは、ドストエフスキーなんかそうですね。現実の会話とは掛け離れた、読者に状況説明とその人物の思想状況を説明している小説でしかありえない、小説技法としての会話です。当たり前ですが、現実のロシアの人々はさっぱりと普通に喋るので、ロシア文学みたいな延々と演説するような喋り方はしません。あくまで、ロシアの小説技法として、そういった技法があるんですね。ドラえもんがロシア文学文体になるという異化作用、とても面白く、久々に心が明るくなりました。

ただ、日露の首脳同士が文化交流についてあくまで「余談」として話すことは良いと思いますが、ちゃんと身のある政治の話(日露で外交的に手を結ぶという主題)を行って、ロシアと長期的な日露エネルギー友好条約を結ぶとか、なるべくロシアとエネルギー的にも仲良くして欲しいなと思います。僕は親露派で、今後、アメリカの覇権が崩壊してゆくなか、日本が中国に吸収されずに独立性をある程度維持して存続するには、ロシアと手を結ぶしかないと思います。

日本へ供給可能な北方資源ルートを確保し、天然ガスの相場の支配権も持ち、中東諸国と仲が良く、フランス・ドイツ・イタリアなどのEU諸国とも繋がりを持ち、アフリカでも支持されており、中国と並び大きなアフリカ権益を確保しつつある資源大国ロシアと日本が手を結ぶことは今後の日本においてとても大切だと思います。いずれ台湾が中国に吸収されることは不可避と僕は予想しているので、その後、シーレーンは中国の影響を大きく受けること確実になり、その前に、日本とロシアがエネルギー協定を結んで、北方資源ルートを確保することが、絶対的に必要になると思います。

ロシアも日本の優秀な技術や人材を得たい、また中国への牽制に日本を使いたいと考えていると思われるので、その点において両国の利益は合致し、日露が手を結ぶことは決して無理な話ではないと思います。特に人的資源の問題において日露の利益は合致します。両国とも、人口減少による人的資源不足に悩んでいるので、このままでは圧倒的な人的資源を持つ中国に飲まれてしまう可能性高く、アメリカの覇権が崩壊するなか、中国以外の、相互に強く結び合える国を、両国(日露)とも探しています。中国と仲良くしないということではなくて、巨大なる人的資源を誇る大国の隣国中国とは仲良くして友好関係を結ぶが、対中従属はしない、自国の独立性を保つ、その為にどうしたらいいかという問題です。その点で日本とロシアの利益は合致するのです。日露が手を結ぶことが、お互いに人口減少国として人的資源の不足を補い合えるという相互の利益になります。

ロシアは、男性の平均寿命が短く、人口減少が日本よりも早いので、日本の医療技術等をロシアに提供することは、とても有効な支援になりますし、資金面だけでなく、ロシアの人々の健康面など様々な技術的側面においてに、日本がロシアの人々に支援できることは沢山あると思います。こういった草の根の交流(医療支援等)で、日露の国民同士が互いに友好することが大事だと思います。

また、日露の交流としては、僕は日露で国際的なお見合いとか出来たら良いなあと思います。ロシアの方は、男女共にとても美形が多いです。僕はうつ病失業生活困窮状態になる前、ロシア音楽のコンサートとかよく聴きに行っていて、日本に住んでいる在日ロシア人の方々と観客席で一緒になったりしましたが、男女共に背が高くて美形が多いなあといつも感じていました。両方とも人口減少に悩んでいる国同士ですし、日露関係が安定友好すれば国際的なお見合いなどを積極的に行うことで、日本とロシアで手を組んで、人口問題に立ち向かってゆけると思います。ただ、勿論、それにはロシア語を日本人が積極的に学ぶことが必要です。

日本もロシアも悩んでいる大きな問題は、圧倒的な人口(人的資源)を擁する中国に比べ、日本もロシアも人口減少に歯止めが掛からず、人的資源が不足していることです。その点において、先に書いたとおり、日本だけでなく、ロシアも日本と同じく、圧倒的な人的資源を持つ中国に飲み込まれたくないとの思いはありますから、日本とロシアの利益はその点においても合致するのです。他にも、日露はアメリカの覇権崩壊の中において様々な点(特に中国に支配されたくないとお互いに思っている点)で利益が合致するところが多く、21世紀の日本は、対米従属戦略の限界点を見据えて、隣国ロシアと絆深め仲良くしてゆくことが大切と思います。

ロシアという国は僕は好きですけど、日本の人々の多くにはあまり存在自体を意識されていないところがあります。両国間の関係が長期的な友好条約などで安定化して、草の根交流とかが活発に始ればいいなあと思います。ソースが出せなくて申し訳ないのですが、数年前、日露の意識調査のアンケートがあって、日本に好意を持つロシアの人が70%、ロシアに好意を持つ日本の人々が5%とかいう意識調査の統計が出たことを覚えています。日本のほとんどの人は、ロシアについて、よく知らない・無関心という意見が圧倒的に多く、今後仲良くしてゆくべき、様々な利益関係が合致する資源大国の隣国ロシアに関して、日本の人々も、興味を持って、ロシアの魅力というものを感じてくれたら嬉しいなと思います。

最後に、ロシアについて書かれた本では米原万里さんの著書がお勧めです。楽しく面白く読める良書揃いです。

参考作品(amazon)
標準ロシア語入門
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NHK新ロシア語入門 (CDブック)
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A31 地球の歩き方 ロシア 2008~2009 (地球の歩き方 A 31)
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ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)
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不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
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魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)
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心臓に毛が生えている理由
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嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
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寒くて凍えています。死のことばかり考えています。官僚殺人事件を論理的に考えて欲しいです。

入門!論理学 (中公新書)

酷く寒いです。布団を三枚がけにして猫と一緒に寝床に入っていますが、凍えていてとても寒いです。寒くて頭痛がまたぶり返しています。頭が上手く働かないです。先に書いたように、死のことばかり考えています。今月は今まででアフィリエイト収入が最も少なく、苦しいです。もし、ご余裕あるお方々いらっしゃいましたら、ギフト券かアフリィエイトでご慈悲をお願いしたく、どうか、お願い致します。このような書き出しで本当に申し訳ありません。後、僕が凍えながらどうしても書きたいことは、10/19のエントリにも書きましたが、僕も含め、失業者や障害者といった弱い層、貧困層の人々を社会保障抑制によって抹殺しようとしている厚生労働省の最高幹部達は非常に残忍な連中だと僕は寒さのなかで凍えながら思っています。

先日、厚生労働省の元最高幹部が殺害された事件がありましたが、それによってマスメディアが一斉に厚生労働省の官僚達を礼讃し始めたのは、完全に誤った事態であると思います。法に反した殺人という行いが正気の沙汰ではないように、これまた現在のマスメディア報道も正気の沙汰ではありません。厚生労働省の元最高幹部が殺されたら、その時から厚生労働省への批判を一切合財止めてしまい、厚生労働省の官僚達を急激に礼讃しだすマスメディア(昨日の報道ステーションなど典型的でした。厚生労働省の官僚達を徹底的に礼讃していました)は異常な非論理性(「死者は批判してはならない・死者は礼讃しなくてはならない」という日本の非論理的文化タブー)に支配されており、論理的に見れば完全に報道機関として狂気に陥っています。報道機関に最も求められるのは中立性であり、論理的な土台がなければ、中立性は保てません。日本のマスメディアは今回の事件報道を見ると、日本の非論理的文化タブー(死者批判の禁止及び死者礼讃の強制という非論理的文化規則)に乗っているだけで、論理性は皆無です。これでは、今回の殺人事件は厚生労働省と保守政界と財界と保守マスメディアが組んで行った自作自演の殺人事件なのではないかと疑いたくもなります。

今回の殺人事件と、厚生労働省の最高幹部達が社会福祉施策を抑制及び半減し医療費を上げ失業保険制度を改悪し、失業者や障害者などの弱い立場の人々、貧困層を抹殺しようとしていることは、別々に考えるべきです。殺人事件の犯人への批判とは別に、貧困層を抹殺する厚生労働省の最高幹部達は批判されて然るべきだと思います。それが論理的な考え方です。先に書いたように穿った見方をすれば、厚生労働省への批判を防ぎ今後も社会福祉を削減し続ける為の、自作自演の殺人事件の可能性だってあるのです。僕が10/19のエントリ「心身の不調が続き、苦しいです。死ということについてずっと考えています。 」に書いた心配通り、マスメディアは一斉に厚生労働省やそのキャリア官僚どもを擁護し始めました。論理的に考えて、これはおかしいと皆様方に気づいて欲しいです。殺人事件と、厚生労働省のキャリア官僚達による様々な残忍劣悪な厚生労働行政については、別々に考えるべきです。僕の恐れていた通り、マスメディアが厚生労働省とその官僚達を急に手のひら返して擁護し始めたことによって、厚生労働省がずっと推し進めている現在の社会福祉削減施策が急激に進み、一人の死ではなく、貧困層の大勢の死が急激に加速する可能性が高いと思います。日本のマスメディアには論理性が全くありません。今回の殺人事件は非論理的なマスメディアの動きにより厚生労働省の残忍な施政を利しているだけです。日本の文化的タブー、死者批判の禁止を利用したメディアコントロールの自作自演の可能性も捨てきれないと思います。今回の事件により、マスメディアが権力に対するチェック機能を失い、厚生労働省の独裁的権力が拡大して、社会福祉の削減は更に進む可能性が高いです。その結果、僕のような層(貧困層)がどんどん死んでゆくことになるでしょう。僕は悔しいです。

どんな悪党であっても、死後は擁護されるという日本独特の風潮は、全く非論理的です。日本以外の諸外国にこのような非論理性は、僕の知る限り、あまり見当たりません。例えば、第二次世界大戦の敗戦国の戦争責任においても、ドイツやイタリアはずっと、ヒトラーやムッソリーニなどの戦争時の最高指導者の人物達の問題点について、悪しき問題点についてもきちんと学究的に研究が行われ、マスコミもそれを報道いたしますから、国際社会でも、信用を勝ち取っている側面があります。日本では、このような研究は、『死んだ人間を批判してはならない』という日本独特の特殊な文化的タブーによって、きちんと行われることが少ないです。僕は東条英機には非常に悪しき問題があったと思いますが、そういうことをきちんと検証しようとする研究は、『死んだ人間を批判してはならない』という日本独特の特殊な文化的タブーによって圧殺されます。僕は、今回殺された人物について悪しき問題点はなかったか、きちんと検証するべきだと思いますが、マスコミは『死んだ人間を批判してはならない』という非論理的な日本の特殊文化的タブーに寄り掛かり、逆に、今回殺された人物をきちんと検証せずに急激に礼讃しています。これは論理的に考えて完全に誤っている論理であり、このような誤った論理が、日本の愚かな敗戦を生んだ一因であると思います。そして今また再び、文化的タブー(死者を批判してはならない)を悪用する政界・官僚・財界・マスメディアの思惑、社会福祉を削減し貧困層を見殺しにしようとする厚生労働省の最高幹部達の思惑に乗せられているということに、どうか、人々が気づいて欲しいと、僕は願います。

日本の文化的な非論理性(死者を批判してはならない・死者は礼讃しなくてはならない)は、今回のように政治的に悪用され、いずれ日本の破滅を招き、日本の大勢の人々の死を最終的に招くと思います。どうか、人々が、論理的に物事を考えてくださることを、僕は心から望みます。

最後に、どうか、ご慈悲を、ご余裕おありになる方におきましては、どうかお願い致します。どうか、お願い致します。

参考作品(amazon)
入門!論理学 (中公新書)
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論理学
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詭弁論理学 (中公新書 (448))
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逆説論理学 (中公新書 (593))
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懐疑論者の事典 上 (1)
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懐疑論者の事典 下 (2)
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心身の不調が続き、苦しいです。死ということについてずっと考えています。

モーツァルト:レクイエム
生と死の境界―「臨死体験」を科学する

先に書きましたとおり、頭痛はおさまったのですが、喉痛・腹痛が酷く、苦しいです。精神病院から、風邪薬を貰って飲んでいるにも関わらず、痛みがずっと続くので、現在の肉体の苦痛は風邪ではなく心身症の可能性が高いと判断しています。肉体の苦痛がずっと続きます。臥せっている寝床において死ということについて考えることたびたびです。

苦痛と共にあらゆる気力が大幅に失せており、動くことがほとんどできず、生活最小限の行動以外は寝床でモーツァルトのレクイエム(ベーム指揮)やブラームスのドイツ・レクイエム(クレンペラー指揮)を聴きながら死について書かれた本や科学的に臨死体験について研究する本を読んだりしています。僕は死後は自己意識の一切合財は無になると考えているだけでなく、死後は自己意識の一切合財は無になるという絶対的確信的な直感、ある種の信仰的信念があるので、死後の世界を説く本などには全く興味が皆無で、死後の世界は無であることを説いた本などを読んでいます。先日ご紹介したフェルナンド・ペソアの「不安の書」や日本では哲学者中島義道さんの著書などが、死後の無を説いているので、僕の直感と一致します。

これ(死後の無を確信すること)は論理的ではなく(論理実証学的に考えると死後については論理的に不明(結果を出せない)ので考えること自体が無意味な命題です)、信仰がある人々のように死後に何らかの救いがあれば生にとってそれは幸いなこととは思いますが、どうしても『そのような考え方は少なくとも自分自身にとっては誤っている。自分にとって死後は無である』という決定的な直感・確信が僕の中にあり、それが絶対的確信として在るので、僕は論理的には不可知論者であるべきと思いますが、そうはならず、僕は死後の無を信じる神秘的唯物論者・神秘的無神論者です。ただ、これはあくまで僕の個人的な直感・確信による信仰で、「死後は無である」と論理では帰結を出すことができないので、その点においては神秘的唯物論者・神秘的無神論者であることに自覚的であろうと思っています。

日本の哲学者、中島義道さんと、死後についての考え方や世界観は僕はかなり似ているんですが、中島義道さんは虚無に身を委ねて全なる無となることを美化してしまっているところがあるので、そこが僕と違います。僕はどうしても無が美しいとは思えません。無とは、寧ろ僕にとっては反人間的な、何も無い非存在という恐怖を感じさせるものです。中島義道さんの考え方は自然科学の中に唯我論(私が消えれば全てが消える)が入り込んでいるところがかなりあって、唯我論と自然科学による宇宙論的視野がいっしょくたになっていて、僕の見るところ、論理実証学的にはその著述はそうとうめちゃくちゃに破綻しているように思います。哲学者の書物を読むとき、誰の著書においても、論理実証学的に検証しながら読むことはとても大切です。中島義道さんと僕は世界観的には非常に近しい(僕も中島義道さんも死後は無であるということを直感的に信仰している)のですが、どうも、中島義道さんは、無を個人的に美化していてそれを希求しているところがあって、そこが僕と違うなと感じます。中島義道さんの考え方はネオ・エクスデスっぽいのですが(ネオ・エクスデスとは「私はネオエクスデス 全ての記憶 全ての存在 全ての次元を消し そして 私も消えよう 永遠に!」の台詞で有名なファイナルファンタジー5というゲームのラスボスです。全てを無化する虚無が具現化した存在です)、僕は逆に、死後の世界を願う人々の営みや信仰に人間の美しさを感じます。しかし、僕は直感的に死後は無であると考えるので、その中(死後という幻想を抱く人々の共同幻想)には入れず、ただそれ(死後を信じる人々が創りあげた営み)を審美的に眺める外部者でしかありません。この外部者であるというところは、僕と中島義道さんは同様であると思います。以下、中島義道さんの著作から引用します。

天然痘や癌の撲滅に一生を捧げたとしても、バッハやミケランジェロのように素晴らしい作品を生み出したとしても、やはりそのすべての仕事は、死にゆくとき彼らに少しでも満足をもたらすとしたら、ガラクタである。(中略)

(死ぬという)真実から目をそむけた幸福は、いかに快適でもとくに死の間際には御免だということさ。私たちは死ぬときこそ真実を知りたいのではないかね。真実をしっかりとつかむことこそ大切なのではないかね。私たちが偶然この世に生まれてきて、そしてすぐ死んでしまわなければならないことは、真実ではないかね。そして、恐るべき不条理ではないかね。そのことを、とりわけ、死ぬときには、ごまかしてはならないのではないかね。(中略)

ようく考えれば、(一人一人の生命や営みや作品だけでなく人類種全体のありとあらゆる全ての営みすら)残るのは僅かのあいだだけなのだ。やがて、(人類の営みも地球も太陽系も宇宙も何もかも)みななくなるのである。人間は死ぬとずっと死につづけるのだ。一億年経ってもその一億年倍経っても生き返ることはないのである。やがて、人類の記憶はこの宇宙から跡形もなく消えてしまうのである。たしかに(生きている間に大きな営みを残せば)自分の仕事は自分の死後数百年もつかもしれない。(エジプトのピラミッドのように)運がよければ数千年もつかもしれない。しかし、それが何だろう?宇宙論的時間のうちに置いてみるとき、いかなる仕事でも、自分の死後ホンのちょっと長生きするだけなのだ。だから、こんなはかない綱にすがりつくのは錯覚なんだ。

どうだろう?私は例えば王侯貴族たちのミイラやそれが安置してあった極彩色の棺を見ると、なんとも言いようがなく悲しくなってくるのだ。永遠の生命を望む彼らの情念だけが、その虚しさだけが強烈に伝わってくる。こうしたミイラ(死後の復活)にすがって死んでいくより、夜明けの露のように消えてしまった名も無い(古代エジプトの)庶民たちのほうがずっと潔いのではないか。死の不条理にそのまま身を委ねる美しさがあるのではないか。(中略)

死んでゆく人に対して、「あなたはこんな仕事をした、あんな仕事をした」と声を大にして慰める人は、やはり自分の死に対して同じように言い聞かせるだろうから、欺瞞的だということさ。
(中島義道「働くことのイヤな人のための本」)

僕は、世界観は中島義道さんに極めて近しくて、死後は無であり、人間種のあらゆる全ての営みは宇宙論的視野において儚く消え去るものであると、直感・確信し、信じているので、その点については中島義道さんと意見を同じくするものですが、ただ、それは論理実証学的には普遍化できない命題である(現代の人間が未来を宇宙論的視野で知ることなど不可能である)こと間違いなく、そのことは心がけておきたいと思います。

例えば、僕は古代エジプトの、今は名前の残っていない人々も、夜明けの露のように消えるなんて気持ちはもっていなかった人々も多いと思いますし、もし彼らが権力者であれば、ピラミッドなどで名を残すこと望んだ人々だっているのではないかと思います。彼らの下部構造(経済構造における位置)が上位構造(文化等)に名を残す位置ではなかった、それが一番大きいと、社会科学的に考えて、そう思います。中島義道さんの考え方は、感傷的、文学的に過ぎるなと思います。僕は、ミイラになって、死後の復活に望みを掛けた人々の生への執念に、美を見ます。そこが、共通する部分のある世界観(死後の無を信じ、万物の滅びと全ての無を信じている世界観)を持ちながら、虚無に美を見る中島義道さんと、生に美を見る僕の決定的な違いです。

中島義道さんの方は、上記の著書や他のご著書などで書かれていますが、かなりご裕福なお家のお生まれで、金銭的にお困りにならない、生活や健康に困らない、死から遠い裕福な暮らしをずっとされてきた、僕の方は、中島義道さんに比べると生まれつき貧乏かつ、健康が生まれつき弱く、かなり死に近い暮らしをしてきた、しかも、おそらく、僕の方が、現状から推定して、はやく死ぬ可能性が高い(病気と生活困窮でせいぜい数年で僕は死亡の可能性が高く、僕よりずっと年上の中島義道さんの方が長生きする可能性が高いと推定しています)、そのことによって、その差があるのかなと思います。中島義道さんは死に遠い生まれのお方ゆえに、僕より死を美化する能力に恵まれていて、それは、死を避けられぬ人間という存在にとって、とても大きな生の力だと思います。僕の方は死・虚無を美化する能力は、中島義道さんに比べるとおそらくかなり低いゆえ、生の力も総合的に低いのだと思います。

僕は幼少より病気がちで、特に大病に掛かったり、生まれつきのアレルギーなど酷く、良いお医者様に巡り合えた運の良さと現代医療のおかげで生きてこられた側面が大きいので(アレルギーは幸い、幼少期より十年近い減感作療法、ずっとアレルゲンの注射を続けて、やっとなんとか良くなって社会に出られるようになりました。僕はとても猫好きなので、猫アレルギーでなかったことが幸いでした)、幼少期に病院で入院しているとき、自殺を目撃したり(首吊り自殺でした)、親しくしていてもいつの間にかいなくなっちゃう方々とか病院で身近にいましたから、死に対して幻想を抱けないところがあって、今、病気と生活困窮で、自分に死期が近年に訪れることを思うと、非常に暗い気持ち、暗澹たる気持ちで辛いです。中島義道さんみたいに、たとえ、宗教などの死後の信仰は一切信じられずとも、死という虚無自体を美化できる能力があるといいんですが、僕には死後の世界を信仰できる能力は無いですし、虚無を美化する能力もありません。僕にあるのは死後の世界は無だという絶対的確信と、それは無であり、美しくもなく、何も無い、ただ何も無いだけであるという絶対的確信だけです。この確信はおそらく、僕の幼少期の病気がちな体質、長期入院やそこ(病院)は人々が死んでゆく環境であったことなどが影響しているのかなと推定しています。

ゆえに、僕は死期を感じるたびに肉体に苦痛としての痛み走り非常に心細く、しかしその想念から抜け出すことできず、ひたすら不安のなかで死についてずっと考えています。抗うつ剤や安定剤、抗不安剤の投与が無かったら、自殺している可能性が極めて高い為、僕は、現代医学というテクノロジーによってなんとか生きています。これは小さい頃から変わらず、それ(現代医学の技術に頼らねば生きてゆけぬ心身を持つ身であること)が、僕の厭世観の一つであると自己を分析しています。

例えば、僕は一度、青信号の道路を渡っていたら信号無視の暴走車に跳ねられて、重傷を負ったんですが、そのとき、跳ねられた後もしばらく意識がはっきりしていた為、凄い力で跳ね飛ばされ空中を舞って地面に叩きつけられてその後全身が物酷い苦痛でした。救急車のなかで身体がショック状態(痛みで硬直している)ということで、強力な鎮痛剤を打たれたとき、意識を失って身体が光の中で溶けてゆくような臨死体験の如き幻覚(幻覚発生時、不快でも快感でもなく、幻覚の中でも「ああ、幻覚とはこんなものか」みたいなメタ意識があったように思います)を見ましたが、幻覚から醒めた後、自分の状態(ベッドに寝かされ骨折箇所を固定されている、背広を着ていたが意識喪失時に脱がされて医療用の服を着せられていた、全身に痛みの状態)を顧みて、車に跳ねられて、ショック状態下で鎮痛薬を打たれて意識を失い幻覚を見たのか、臨死体験は脳内物質のバランスが過度に崩れることで脳内状態が通常時と大きく変化することで発生する脳の異常反応現象であり、死後意識が存続するあの世など、どこにも存在しないと考える、僕の支持する学説(脳内現象説)が自身の体験で補強されたような感じだな、と、ベットの上で動けなくて全身打撲と複数の骨折で酷い苦痛の中、かなり冷静に考えていました。後、仕事がこれでしばらく出来ないな、僕は貧しくてお金ないから、相手が逮捕されていないでひき逃げで逃亡したら、医療費・生活費困るな、病院から重傷の状態で医療費払えなくて叩き出されたらどうしようとかも考えていました。死後にあの世があるとか、そういう自分の信じていないことは、全く頭に浮かばず、今回は生き残れたが今後どうしようかという現実的な憂き世の心配が酷かったです。この交通事故で僕を轢いた相手が逮捕されて、相手の入ってた保険会社から全治三か月分の医療費と慰謝料が出たので、その時、事故で働けなくなって一時的に仕事を失いましたが、その分の治療期間・再就職期間までの医療費・生活費はなんとかなりました。また、このとき、現場の警察の方々が親身に対応してくれたので(警察の方が、現場の証言などを取り、信号無視による暴走事故で僕を跳ねた加害者側に100%の加害責任があることを証明してくれました)、とても助かりました。

話がずれますが、僕は昨今の不祥事や事件などで話題の厚生労働省などの強大な権限を持つ省の最高幹部達、日本を支配する一角たるエスタブリッシュメントとしての地位にあるキャリア官僚達(キャリア官僚達もピンからキリまであり、予算・権限の少ない弱小官庁勤めでほとんど自身の権限を持たないキャリア官僚とかもいるので、キャリア官僚全部が支配層とは一概には云えません)には医療費を何割も値上げし社会保障費を無理矢理抑制し失業者、障害者などの貧困層の弱い立場の人々を見殺しにする社会福祉半減施策を推し進めていることに対して強い不信感と嫌悪感を抱いていますが、現場で人々を助けてくれるノンキャリアや地方公務員の警察官の方々には感謝の気持ちを抱いています。先日、厚生労働省の元キャリア官僚が殺された事件が起きましたが、僕は社会保障費を抑制して医療費を値上げし社会的に弱い立場の人々、貧困層を苦しめ抹殺したがっているとしか考えられぬ厚生労働省のキャリア官僚なるものは先に書いたように深く不信を抱き嫌悪していますが、今回の捜査で現場で働く警察官の方々の為に、一日も早く犯人が逮捕されて治安が回復することを願っています。後、この事件によって、厚生労働省のキャリア官僚達が推し進める社会保障費削減などに対する取材にマスコミが及び腰になって、結果、社会保障費の削減などが正当化されるような悪夢の如き事態にならないことを願っています。その為にも、一日も早い犯人逮捕を願います。話を戻します。

僕は自身の死期が迫っても、それでもどうしても、幼少期より現代医学の技術の力(自然科学の論理的な力)によってなんとか生命を維持してきた人間なので、論理的でない超越的なものの存在を信じることはどうしてもできません。今も、酷く不調の心身を、抗うつ剤・安定剤・抗不安剤・睡眠薬などの薬物の力に頼って、なんとか生きながらえています。ただ、交通事故のときと違い、仕事がなく、お金も無く、ギフト券を贈ってくださるお方、アフィリエイトで買い物してくださるお方々のご慈悲に助けられ、なんとか少しだけ生きのびています。生命をながらえさせて頂き、本当にありがとうございます。命を助けてくださるお方々に、言葉に尽くせぬほど、感謝の気持ちを抱いております。ありがとうございます。

僕は、人が生きている間に何かを為して、死後にその営みを残すことを無意味だとは思わないので(僕はいずれ人類が滅亡すると思いますが、だからといって人類の営みが無意味だったとは思いません。それと同じく、人間の生の営みが、いずれ死ぬゆえに無意味であるとも思いません)、何か、少しでも、皆様方に有意義なものを残せればと思いますが、仕事も財産も社会的身分も何も無く、精神疾患と心身症で酷い有様で、ご慈悲あるお方からのご支援でなんとか生を繋いでいる状態で、ただ、このようにひたすら書くこと以外、何もお役立てする物事を残せないことを、誠に申し訳なく、無念に思います。申し訳ございません。先に挙げました臨死体験についての学術書としては、スーザン・ブラックモア著「生と死の境界」をお勧め致します。学術的に誠意を持って科学的・論理的に臨死体験問題に取り組んだ良書だと思います。臨死体験について書かれた書では、立花隆さんの「臨死体験」もなかなか出来の良いノンフィクション作品と思いますが、スーザン・ブラックモア「生と死の境界」は、科学的・論理的に臨死体験の検証に迫っているので、更に読み応えがあります。

松尾芭蕉は、晩年、日々詠む句を常に辞世の句として詠むということを述べられました(山田風太郎「人間臨終図巻」より)、僕もその気持ちで、句を詠んでいます。今日も苦痛の中で一句詠みました。最後にそれを紹介致します。

枯葉をも 羨ましきは 我が身かな

参考作品(amazon)
生と死の境界―「臨死体験」を科学する
生と死の境界―「臨死体験」を科学する
臨死体験〈上〉 (文春文庫)
臨死体験〈上〉 (文春文庫)
臨死体験〈下〉 (文春文庫)
臨死体験〈下〉 (文春文庫)
不安の書―リスボン市に住む帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの
不安の書―リスボン市に住む帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの
働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)
モーツァルト:レクイエム
モーツァルト:レクイエム
ブラームス:ドイツ・レクイエム
ブラームス:ドイツ・レクイエム

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お心遣い、心から感謝致します。先日より体調が悪く、臥せっておりました。

ペルト:ヨハネ受難曲

僕の心身の不調に、お心遣い頂いたお方に、心から感謝致します。定期通院している精神科の方で風邪のお薬を出して頂いたのですが、昨日より、頭痛がとても酷く、前頭部が割れそうな痛みで、ずっと猫の世話と自分の身の回りのこと以外は、臥せっている状態でした。外にいこうとしたのですが、身体が全くいうことをきかない形で、頭痛と疲労感とダルさによって外に出れませんでした。よく分からないですが、記憶が曖昧で、薬をもしかしたら飲み忘れたかも知れず、それが原因かも知れません。記憶能力がうつ病で痴呆症状を起こしており、記憶力が極めて散漫としており、不安に包まれております。臥せっている間は、amazonで買った食料で食べ繋いでいたので、ギフト券を贈っていただいたお方のご慈悲に、感謝の言葉尽くしきれなく、ただただ、頭を下げるのみです。ありがとうございます。

皆様方に少しでもご恩をお返しすることができればいいのですが、何も生産することができず、自分自身を情けなく思います。幾つか、臥せっている中で、痛みと疲労と不安以外には何もすることがないので、頭の中で句を詠み、メモ帳に書きとめていました。しかし、あまりにもへぼ句なので、自分で作って自分で悲しくなるばかりです。どうしようもない句ですが、何も残すものもなく、ここに発表しておきます。僕は無神論者で唯物論者ですので、死したら、『生命活動が停止することで人間の根幹たる意識は永遠に蘇ること無き完全なる無になる』と思っていて、作った句とかにも、それが反映しています。死後の肉体は石のように、精神活動(脳を中心とする生命活動)の無い、物体になるであろうという世界観を抱いております。幾つか、つくった句のなかで多少マシかなと思える句を紹介します。

朽ちるのは定め知りつつ口惜しい
なにもなく末期の水なき最期かな
石眺め古き世の人思い馳せ

やはりどうみてもへぼ句で申し訳ございません。自分で自分自身に、達観(死の先駆的了解)というのは自分にはなかなかできないものなのだなと、句を作っていて感じました。情けないです。

暗いことしか書けず、申し訳ありません。頭痛は今日の朝まで酷かったんですが、ずっと臥せってお薬だけ飲んでいたところ、お昼頃からやや痛みが薄れ、今(夕方)には更に痛みが薄れた形です。なんで急に頭痛が起きたのかは分かりません。抗うつ剤を飲んだと思って飲み忘れて、間違って流しにそのまま捨てちゃったかして、それで、断薬症状が出たのかなと思いますが、これは予想の一例で、原因不明です。

頭が痛いときは音楽も聴けなかったのですが、今はなんとか聴いています。とても明るい曲を聴ける状況ではなく、アルヴォ・ペルトの「ヨハネ受難曲」を聴いています。少数の歌い手とヴァイオリン・オーボエ・チェロ・ファゴット・オルガンだけの最小のユニットにまで切り詰められた、極限のシンプルな音楽の美しさ、素晴らしいです。聴いていると、ラテン語(ラテン語で歌われます)をもっとちゃんと勉強していれば良かったなあと思います。うつ病困窮の現在の状態だと、記憶力ほか全ての思考能力が衰え頭が働かず、語学学習を行うのは絶望的状態で、残念だなあと思います。

こんなに早く何もかも終わるとは、数年前は思っていませんでした。僕がうつ病になることも、今ここでだんだん衰弱しながら朽ち果てる前の文章を書いているのも、全ては因果律の流れ、逃れられぬ運命だったんだなあと感じます。僕は死を達観できないので、悲しさと不安がつのるばかりです。

最後に、先日取り上げた優れた宗教漫画「少年の国」の、教祖の少女の最後の神言は、希望の言葉「イマニウマクイク=今にうまく行く」のアナグラムに文字を幾つか入れて分かりにくくしたものだと思います。それまでの少女は神掛かり状態で終末論を唱えていましたから、それ(今までの自分の発言の根幹)を否定したものだとと考えていいと思います。優れた漫画の特徴として、様々な解釈が可能という特徴がありますが、僕は唯物論者かつ無神論者なので、こう解釈しました。教祖の少女の神掛かり状態(トランス状態・変性意識状態)での、非常に厳しく攻撃的で残酷な態度は、死を目撃してしまったことによる、死の恐怖が反動形成されてできた攻撃性だと思います。教祖になった後、少女は神掛かり状態で「人類は自滅する」という、新興宗教にありがちな終末論を唱えますが、これは、宗教団体を大きくするために最高幹部の出門が、少女の抱く死への恐怖心を利用し、彼女に催眠暗示で植え付けたものであると思います。

最後に教祖の少女が、自分が神掛かり状態で唱えてきた一切の言葉を否定して、自分だけの神言をみつけたことは、その神言に恐怖ではなく希望が入ってる(「今にうまく行く」)ところからして、少女が自分の恐怖心を外界に投影していたことに気付き(少女は自分が「バカで狡い」存在になってしまっていることに途中で気付きます、そこから成長したと考えられます)、結果、自力で恐怖を克服まではいかずとも制御して、出門に掛けられた催眠暗示の洗脳を自力でデプログラミング(脱洗脳)して、教団が最悪の状態(宗教による殺人)に陥る寸前ギリギリで、その事態を教祖として阻止できたのだと思います。

物語の最後、教祖だった女の子(教団は崩壊)は、病院(精神科)に入院していますが、彼女が、心身の健康を取り戻したらいいな、彼女をずっと好きで教義には疑いを持ちながらも、彼女をずっと献身的に支えてきた男の子(この子がいなければ、教団は完全暴走して、周囲を巻き込んだ大変な破滅を遂げていたと思います)と、再びうまく行くことがあれば、いいなと思いました。本作(少年の国)は宗教団体が常識を捨てて暴走し、危険なカルト宗教になってゆく救いなき有様は陰惨ですが、それでも、著者が最後まで人間を見捨てずに人間を最後まで信じていることが分かる、好作品であると思います。

いずれ死んだら、こういった良き作品、良き漫画や良き音楽に心打たれることも無くなるであろうこと思うと、寂しいです。最後に、この文章書きながら一句詠みましたので、その句を最後に紹介させて頂きます。皆様方に幸せがあること、地に恵みと平和あることを心から願っております。

冬の果て 薄れ薄れて 消え行くか

参考作品(amazon)
ペルト:ヨハネ受難曲
ペルト:ヨハネ受難曲
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (1) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-01))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (1) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-01))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (2) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-02))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (2) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-02))

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非常に体調悪く、更新滞りましたら申し訳ございません。井浦秀夫「少年の国」「神の存在証明」について

少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (1) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-01))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (2) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-02))

非常に現在体調悪く、不安と不眠頭痛とても酷く、更新今後滞りましたら、申し訳ございません。今のうちに書いておかないと、もう、いずれ体調不良で、文章が書けなくなるかも知れないので、先日の「神の存在証明」のエントリの続きを書いておきます。

僕は、論理的に論理実証学者パトリック・グリムと同じ立場を支持します。本当は自分の言葉で説明すべきかと思いますが、疲労の極に達しており、まことに申し訳ながら、引用することで、ご説明を致したく思います。

グリム(パトリック・グリム)の神の非存在論によれば、(ゲーデルの)不完全性定理が、中世以来の神学論争を決着させることになります。というのは、「神」が、すべての真理を知る無矛盾な存在であれば、そのような「神」は存在しないからです!証明は非常に簡単です。すべての真理を知る「神」は、もちろん自然数論も知っているはずであり、自己矛盾するはずがありません。ところが、自然数論の不完全性定理によって、ゲーデル命題に相当する特定の他項方程式については、矛盾を犯すことなく、その真理を決定できません。よって、すべての真理を知る「神」は存在しません。(中略)
グリムも、彼の証明が否定しているのは、「人間理性によって理解可能な神」であって、神学そのものを否定するわけではないと述べています。ただし、少なくとも、神は、いかなる形式的あるいは合理的な考察からも、本質的に認識不可能でなければならないことは明らかと言えます。
(高橋昌一郎「理性の限界」)

論理的に考えることは、とても重要だと思います。それは、神を信じるのは理性や合理性ではなく、生理(非論理的・非合理的な直感・感覚)だとオットーが「聖なるもの」で述べていますが、僕もそれは、分かるような気がするからです。

僕の場合は、論理実証学者スマリヤンが揶揄している神秘的唯物論者(無神論・唯物論を直感的に正しい、即ち、神の非洞察を非論理的・非合理的に直感している)なところがどうしてもあり、どうしても神は非存在であると直感的・感覚的に思いますが、それが論理的ではない帰結であるということは、いつも戒めとして胸に思っています。

そうしないと、僕は神を信じないという信仰を信ずる信仰者になってしまう、それは、論理的に誤っていると僕は考えるゆえ、自分の考え(無神論・唯物論への論理的でない部分における感覚的直感・非合理的洞察)に理性(合理的思考)によってブレーキを掛けています。そうしないと、僕の神秘的唯物論者としての部分が神を非合理的帰結を持って絶対に信じないという狂信に走ってしまう恐れがあるからです。

以前、紹介した優れた宗教漫画、たかもちげんさんの「祝福王」は、狂信が、カントの普遍立法として万人の人々に祝福を与える様相を描いた優れた漫画ですが、逆に、狂信が、悪意なき破滅を引き起こす様相を描いた、「祝福王」と対極に位置する優れた宗教漫画もあります。「弁護士のくず」でベストセラー漫画家となった井浦秀夫さんの宗教漫画「少年の国」です。これは、宗教について、神について考えるうえで、「祝福王」と並んで必読文献として読んでおくべき優れた宗教漫画だと思います。

ごく当たり前の高校生や大学生の生態をユーモラスに描いてきた井浦(井浦秀夫さん)は、そうであったからこそ、享楽主義が理想主義に転じ、理想主義が狂信主義に突き進む様子を見事にドラマ化した。すなわち、本書「少年の国」である。
(呉智英「少年の国」文庫版解説)

この物語(少年の国)は神がかりの少女を利用して、狂信的な宗教団体が発展し、理想主義の名のもとに、暗殺などの行為にまで手を染める、宗教団体が反社会的活動を行うまでに至る物語で、とても優れた作品です。「祝福王」が宗教の狂信における肯定的側面を重視しているのに比べ、本作は宗教の狂信における否定的な側面を重視しています。

神がかりの少女は、教団の教祖として祭り上げられますが、彼女の神がかりは、極めて彼女にとって有利なエゴイスティックな神がかりで、なおかつ、少女は正気の時(神がかっていない時)、そのこと(自分のトランス状態における神がかりの予言によって、教団が反社会的に暴走すること)に非常に苦しんでいます。少女は、神がかり状態(トランス状態)によって、自分(教団)に都合の良いように、神のお告げを行いますが、そのことを少女はコントロールできず、そこに少女の激しい苦悩があります。

最終的に、少女を教祖とする集団は周囲を巻き込んだ自己破滅への道をひた走りますが、最後に、教祖の少女が、完全に逆説的な神学(否定神学)によって、今までの自らが神がかりにおいて発言したことを全て否定します。これが、非常に興味深い、逆説神学になります。

それまでの少女は、神かがり状態において、絶対者として人々に君臨していましたが、最終的にそれ(神がかり状態における今までの自らの絶対命令としての発言)を逆説的な神学で否定致します。それはつまり、人間は孤独で弱い生命ゆえ、超越者(神)に縋りたがる。しかし、神は一切の答えや命令を人間にださない。人間の世は人間に任されている。人間が、その孤独に耐えうること(神に縋らないこと)によって、その孤独に耐えうるものにこそ、神の祝福はあるであろう、という極めてグノーシス的な逆説神学に到達します。

これは「逆パスカルの言説」と呼ばれるもので、パスカルの言説が逆転している考え方です。つまり、僕のような、どうしても神(超越的存在)を信じられず、不完全な世界で不完全に生きるという、神無き孤独に耐える無神論者、唯物論者は、この考え(逆パスカルの言説)で考えると、神を信じない、信じられない、孤独の生を生きることで、死後は無だと考えています。僕自身も死後は無だと考えています。しかし、この「逆パスカルの言説」においては、パスカルの言説が逆転します。

つまり、神の不在を前提として考えると、神がいなかった場合、死後は無です。僕はこの立場です。そして、もし神が不在ではなく超越的に存在し、超越的なものに縋らず、神を信じないという孤独に耐える生を送る人を神が救うとしたら、神がもし不在であれば、死後は無であり、神がもし存在し孤独に耐える生を送る人を救うとしたら、無神論者・唯物論者が神に救われるということで、神を信じないことによるリターンは、ゼロもしくは無限大になるということです。「パスカルの論理」を逆転することで、まったく逆の論理が導かされるのです。

「少年の国」は、この論理をとことんまで突きつめており、「祝福王」と並ぶ、日本の宗教漫画の白眉であると思います。ぜひ、一読をお勧め致します。

最後に、体調が極めて困難な状況であり、今後更新が滞ることがありましたら、まことに申し訳ございません。

参考作品(amazon)
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書 (1948))
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書 (1948))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (1) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-01))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (1) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-01))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (2) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-02))
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION (2) (双葉文庫―名作シリーズ (い-39-02))
祝福王 (1) (MF文庫)
祝福王 (2) (MF文庫)
祝福王 (3) (MF文庫)
祝福王 (4) (MF文庫)
聖なるもの―神的なものの観念における非合理的なもの、および合理的なものとそれとの関係について
聖なるもの―神的なものの観念における非合理的なもの、および合理的なものとそれとの関係について
パンセ (中公文庫)
パンセ (中公文庫)

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世界恐慌のNHK特集で、オバマ大統領からクルーグマン教授まで、みんな、人間のエゴ的貪欲に基づいた自由資本主義には欠陥があると述べています。昔から警告されていました。

現代の流行思想
形式論理学入門

昨日夜間放映のBS1NHK特集地球特派員2008「悪夢はいつまで続くのか 世界金融危機アメリカからの報告」で、オバマ大統領やクルーグマン教授ら、出てくるアナリスト達がみんな、「自由資本主義は人間の貪欲なエゴ的本性に基づいており、(資本家が)他人の金を使って儲け、儲けは自らのポケットに入れ、損は社会(労働者達)に放り投げる、ウォール街(自由資本主義)の根幹的なシステムに過ちがある」と述べていました。オバマ次期アメリカ大統領はこう述べていました。

オバマ次期アメリカ大統領
「ウォール街だけが栄え、市民達が苦しむようなことはあってはならない」

本当にそのとおりで、日本にも、こういうこと「財界だけが栄え、市民達が苦しむようなことはあってはならない」、はっきりいってくれる権限ある政治家がいてくれるといいですが、こういうこと、野党共産党の政治家以外は誰一人も日本の政治家はいいません。残念ながら共産党が第一党になるのは現状無理なので、日本の最もベターな選択として、政権交代して民主党を第一党とする野党リベラル左派政権を早期樹立してほしいと、僕は心から望んでおります。

「自由資本主義は人間の貪欲な本性に基づいた搾取システムで論理的に根幹的な欠陥がある」このことに、もっと、はやく、世界の人々が気づいてくれたらと思いました。論理実証学者、特に唯物論的論理実証学者が、これはもう、ずっと昔から指摘していたことです。

唯物論的論理実証学者の仲本章夫さんとか、既に1980年代(日本がバブルに浮かれていた頃)から、自由資本主義とそれを擁護する現代観念論群・現代流行思想群は論理に根幹的欠陥があり、いつか破綻するということを警告していました。現代観念論群・ポストモダン思想群などの珍奇な流行思想の根幹的な欠点である論理性のなさを痛烈に批判した仲本章夫さんの著書「現代の流行思想」(1990年4月刊行)など、そのことをはっきり著述しています。

私たちは人間です。誰もが、ただ一度だけの人生を、(生まれの身分・生まれの富の格差に)束縛されずに、自分の持っている身体的精神的な様々な能力を十分に発揮できる人生を送りたいと思っているはずです。子供たちには国民として必要な必要な知識と能力を身に付け、学園では豊かな教養と高度の専門的な知識と技量を身に付けられたらと願います。職場では自分の能力にあった仕事を、創造的な雰囲気のなかで発揮したい、明るい展望のもとで商売をしたり農・林・漁業をしたい、後継者の心配もなく伝統工芸に打ち込みたい、金の心配なく研究したい、その他様々な分野で十分に力を発揮したいと願っているはずです。

日本の経済力に見合っただけの生活を(皆が公正に)することができる、病人は医療費と生活費の心配なく高度の医療を受けることができる、高齢者は住居や生活の不安なしに様々な年齢の人々と暮らすことができる、障害者は適度な支えのもとに自立の道を歩むことができる、婦人は男女差別なく、育児休暇・休業・保育所などで安心して働くことができる、だれでもそうしたいと思っています。

私たちはまた、本を読みたい、映画をみたい、音楽を演奏したり聞いたりしたい、絵画を鑑賞したり描いたりしたい、博物館に行きたい、書道に打ち込みたい、小説や詩や和歌や俳句や狂句や川柳をつくりたい、という文化的欲求を持っています。人々と仲良くしたい、人に親切にしたい、人々と集まってなにかをしたい、ここにはとてもみんな書ききれませんが(自由資本主義的なエゴイズムの貪欲とはまた別の欲望、他者に与えたい、他者と協調したいという欲望)そんな気持ちもあるはずです。

それにもかかわらず、(自由資本主義体制下にある)現実は私たちの体験している通りです。(社会の下層の人々には)夢も希望もないといった状態です。しかし、人間は夢や希望なしには生きていくことはできません。未来が明るいと信じられるからこそ、現在を夢や希望を持って生きることができるのです。私たちの生活に未来の観点をうちたててはじめて、現在が意味があり、過去も過去としての意味をもつことができるのです。

しかし、ただ未来とか希望とか夢とかいっても、客観的な裏づけがあってはじめて、私たちの生活に現実的な展望が生まれるのです。そのための保障は、世界には法則がある、ということである、と私は思います。この世界、つまり私たちをとりまく自然や、私たちの生活するこの社会に法則があるということは、その法則性をしっかりと認識し、それを正しく適用するなかで世界を(万人に公正な良い方向へ)変革する展望が生まれることではないでしょうか。(中略)

現在私たちが生活する資本主義社会(自由資本主義社会)を頂点として、一般に階級社会は支配階級(富裕層・資本家層)の被支配者階級(貧困層・労働者層)にたいする搾取と抑圧の体制のうちにあります。この体制(自由資本主義体制)のうちにあるかぎり、社会的矛盾が解決されないことは、私たちがよく知っていることです。しかし、一九八九年に起きた東ヨーロッパやソビエト連邦の様々な事件は、社会主義が「失敗」したかのような外観を私たちに与え、また日本の、いや世界の反動勢力がそのような宣伝をふりまいています。(中略)

もともと、科学的社会主義の創始者たち、すなわちマルクスとエンゲルスは資本主義が十分に発達し、その矛盾が頂点に達したときに転化するものとして社会主義を考えました。しかし、現実の社会主義はそうではありませんでした。(中略)この社会主義(スターリン型社会主義)は、社会主義的民主主義を成熟させず、共産党・労働者党の一党独裁がおこなわれ、政治的・市民的自由が十分には保障されないなどという欠陥を持っていました。(中略)

私たちはせっかくこの世に生まれたからには、幸福で希望と未来への希望に満ちた生活をおくりたいと思っています。しかし、それを思想のうえで、イデオロギーのうえで妨害しているのは(論理性を持たない現代流行思想群等の)神秘主義・非合理主義思想です。私たちが神秘主義・非合理主義と闘うということは、この思想(論理的でない人文科学)を成立させている社会的基盤と闘うことを意味しています。資本主義からでてきた諸矛盾を解決するのに資本主義(自由資本主義を保持し支えるために動いている論理なき観念論・現代流行思想等)が無力であることは自明のことです。社会にかんする科学的な立場にたって、すなわち科学的社会主義の立場にたって、諸矛盾を分析し、これを切り開く道を探求することは、私たちが生きのびるのにぜひとも必要なことです。科学的社会主義を学び、これを豊かにしながら前進することこそ現代にとって重要なことではないかと思います。
(仲本章夫「現代の流行思想」)

僕も書きたいこと沢山あるのですが、酷くお腹を下しておりまして、心身が先に書いたように疲労及び不調甚だしく辛く、心身及び生活困窮甚だしく、もうキーを打つのがやっとで、あまり長く書くことができません。ただ、論理的・自然科学的に社会や人間の在り方を考えるということを、どうか人文系の皆様方におかれましても大切にして欲しいと願います。

例えば、先年、「オタクは動物化する」みたいなセンセーションな現代思想が日本の一部で流行しましたが、僕は、オタクであったと思いますが、うつ病・神経症・心身症を発症し、精神病院に定期通院しております。デイケアという、精神疾患を持った人々で親睦を深める催しが周期的にありまして、参加しています。僕みたいな、漫画やゲーム、アニメ好きのお方や、そういったオタク文化の創り手のクリエイターの方もいらっしゃいます。オタク・非オタク問わず、うつ病や神経症を抱えている方々いらして、参加しております。僕のような存在、オタク文化の享受者や創造者のお方々にも、様々な悩み(経済的悩み等)があって、僕も含めそういったお方々がうつ病や神経症を発症しているという例一つ取ってみても、「オタクは動物化する」なんてことは一概にはいえません。それはそれを発案した観念論者の観念に過ぎず、普遍化できない命題です。

自由資本主義がいかに観念論で擁護されようとも、自由資本主義は、制度の本質的に『絶え間ない競争=闘争と脱落者・敗者の貧困=死』という、万人の万人に対する不公正な闘争と根幹的な共通性を持っています。そのようなシステムがシステム内の人間に掛ける負担は多大なものであり、その結果、弱い層、僕のような層から、死んでゆきます。今が、自由資本主義という名の経済戦争が常に続いている暗黒の世の中であることを認識することが大切と思います。

そして、僕は、本当は、大勢の人は、軍事的戦争も経済的戦争も望んでいないと思います。そう信じなければ、人間、人類に未来はないので、この思いには、僕の願いが入っています。

「閣下、既に第一師団は兵力の30%を失い、また第二師団は兵力の約50%を失っております。
ところが第三師団が師団長に(戦争を)やる気がなく、兵隊に大人気でしらんまに兵力が倍にふくれあがっています」
(いしいひさいち「鏡の国の戦争」)

どうか、自由資本主義を擁護するいい加減な観念論に惑わされることなく、皆様方が論理的にお考えになり、万人に公正な世へと、社会が斬新的に進んでゆくことを、心身の苦痛のなかで、僕は願っています。皆様方にとって、世界大恐慌という暗い夜の後、真の夜明けが訪れること、心から願い祈っております。

参考作品(amazon)
現代の流行思想
形式論理学入門
哲学入門
論理学入門
科学思想論
理性の復権
論理と認識の世界
鏡の国の戦争 (潮ビジュアル文庫)

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疲労困憊激しく更新できず申し訳ありません。第五帝国の衰退について。

ペソア詩集 (海外詩文庫 (16))

昨日、書きました様に、疲労困憊甚だしくひどく、なかなか更新できず申し訳ありません。昨日書きました様に僕のような何もない者にお気遣い頂き、ご慈悲あるお方に、心から生命という恩義を持って深く感謝しております。なんとか、皆様方のお役立てになればと思って書き綴っていますが、僕には何にも力がなく、無力で申し訳ありません。

19・20世紀ポルトガルに、フェルナンド・ペソア(1888〜1935、47歳で死去)という詩人・哲学者がいまして、無数の断章の集合の書「不安の書」や詩の数々を残しましたが、彼は、第一〜第四帝国が衰退、第五帝国の時代が来ると予想を立てていました。彼のいう第一〜第四帝国とは、「ギリシャ」「ローマ」「キリスト教」「ヨーロッパ」です。

ただ、彼は、19・20世紀人として、衰退した過去の大国である19・20世紀ポルトガルの中にいて、時代の制約がありましたから、どこが第五帝国になるかはわからなかった。それは、今の我々と同じで、未来を読み通すことはできないということです。

今から見れば、彼の唱えた第五帝国はアメリカでしたが、19・20世紀人の彼にはそれがまだ分からなかった。未来(無数の因果律)を見通せない、全ての人間の持つ理解限界性です。

僕もペソアと同じで、現在の帝国、第五帝国アメリカが今後衰退すると予想・予測しますが、その後、世界がどうなるのかは、灰色の影に包まれているようで、はっきりとした予想・予測を立てることはできません。ただ、アメリカべったりの日本とイギリスは、アメリカと運命を共にし、凋落していくという、予想・予測はしております。

後、ペソアは悲観的で強度の欝病・神経症の患者だったので、極めて強い悲観及び欝病的・神経症・心身症的症状に彩られた著作「不安の書」とか読むと、僕と同じだな(悲観的かつ欝病・神経症・心身症)ということが分かって、親近感を感じます。彼は精神的な疾患による心身の不調に苦しみ、それが彼の寿命を縮めた(ペソアは47歳で病死)一因といわれております。僕はペソアよりもっと短い寿命で死ぬ可能性が高いだろうなと、心身症の痛みのなかで、論理的・理性的に考えております。

疲労甚だしく、あまり文章を書けずに申し訳ございません。先日の「神の存在証明」のエントリについては、僕は論理実証学者パトリック・グリムと同様の論理を建てて考えているので、それについては、今後、余力がなんとかありましたら、いずれご説明したいと思います。

最後に、フェルナンド・ペソアの詩を抜粋してご紹介させて頂きます。海外詩文庫「ペソア詩集」より。

フェルナンド・ペソア
「第五帝国」

何世紀にもわたる時間のうちで
次から次へと世紀は引き継がれるが
満足しないのが 人間だ
魂の啓示によって 盲目の力が
支配されますように

こうして 四つの時代が過ぎた
夢見られた存在の四つの時代が
大地は劇場となるだろう
ひとっ子ひとりいない真夜中に
忽然と日が昇る劇場に

ギリシャ、ローマ、キリスト教
ヨーロッパ――それら四つはすべて
すべての時代が行く彼方へと過ぎ去った


参考作品(amazon)
ペソア詩集 (海外詩文庫 (16))
ポルトガルの海―フェルナンド・ペソア詩選 (ポルトガル文学叢書 (2))
ポルトガルの海―フェルナンド・ペソア詩選 (ポルトガル文学叢書 (2))
不安の書―リスボン市に住む帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの
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フェルナンド・ペソア最後の三日間
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