2000年度立命館大学産業社会学部
朝日新聞協力講座ニュースペーパーリテラシー

2000.11.16


第8回
新聞報道と人権




法花 敏郎 販売局次長謙広告局次長



(1)表現の自由と報道被害

 ただいまご紹介いただきました法花でございます。私は今、朝日新聞の販売局と広告局に二股をかける格好で勤務しておりますが、8月末までは大阪編集局で30年間、新聞記者をやっておりました。
 大阪社会部に通算16年、神戸支局に8年、近畿、中四国、北陸を統括する地域報道部に4年あまり勤務しました。在任中は1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件、5年前の阪神大震災、兵庫県立神戸高塚高校で起きた校門圧死事件、児童連続殺傷事件、和歌山のカレー毒物混入事件、西鉄高速バスジャック事件、岡山のバット殴打事件などに遭遇しましたし、司法記者クラブ在籍中は死刑囚が生還した財田川事件(香川)や徳島ラジオ商殺し事件(徳島)などいくつかのえん罪事件も取材しました。
 さて、本日、私に与えられたテーマは「報道と人権」です。古くて新しいテーマですが、たとえていえば切れば血の出る話であり、ジャーナリストの仕事の根幹に関わる大事な問題です。
 この問題は一言でいえば憲法21条の「表現の自由」を根っ子に日々記事を送っているジャーナリズムの仕事と、やはり憲法13条の保証する国民の基本的人権(プライバシー権、肖像権)が衝突し、時にはとりかえしのつかない人権侵害を起こしてしまうということです。
 94年6月27日に松本サリン事件が起き、新聞もテレビも無関係の会社員、河野義行さん(45)を犯人視するニュースを流し、多大のご迷惑をおかけしました。98年7月の和歌山カレー毒物混入事件では後に殺人、保険金詐欺容疑で逮捕される夫婦の自宅を多数の記者、カメラマンらが昼夜取り囲み、取材方法のあり方が問われました。横山ノック・前大阪府知事の強制猥褻事件では女性の写真が写真週刊誌で報道され、問題になりました。最近では報道被害という言葉も定着しています。日本弁護士連合会が今年10月6日に岐阜市で開いた人権擁護大会で政府から独立した人権機関の設置を求める宣言したのもひとつにはこういう様々の人権侵害が背後にあるからであります。
 報道と人権の兼ね合いが実務の場で問題になったケースとして最初に1997年2月から5月にかけて神戸死須磨区で起きた児童連続殺傷事件のことをお話しします。この事件を取り上げるのはひとつには私の神戸支局在任中に起きたこと、もう一つは今年になって西鉄高速バスジャック事件、愛知県下の主婦殺害など「17歳の凶行」が世間の耳目を集め、現代社会の病根、少年犯罪と規制のあり方を考える素材になると思うからであります。
 私の畏友、加畑公一郎・京都支局長がこの口座で一部触れているようですが、重複する部分はご容赦願いたいと思います。
 先日、屋根裏を整理していたらこの事件の三冊のスクラップ帳が出て参りましたので、スライドで資料を見ながらご説明します。
 この事件ではでは5人の小学生が襲われ、2人が殺害、3人が重軽傷を負いました。殺害された小学校六年生の男児の生首が校門に置かれ、「学校殺死の酒鬼薔薇聖斗」の名前で犯行声明が神戸新聞社に送られてきました。6月28日、当時中学校三年の少年が殺人、死体遺棄罪で逮捕され、神戸家庭裁判所は少年を医療少年院に送る保護処分を決定しました。少年は今、精神科医の治療を受けながら更正への道を歩んでいます。
 この事件は手口の残酷さ、遺体の置き場所に学校を選んだという不可解さから社会に強い衝撃と不安を与えました。マスコミは多くの記者を投入して激しい取材合戦を繰り広げました。神戸支局では社会部、写真部に応援を求めて50人ぐらいの記者でチームを編成し、現地に取材の前線本部を設営いたしました。
 私どもの作成した不審者リストにA少年は載っていましたが、それは数多くの中の一人であり、犯人が中学生であるとはよもや想定しておりませんでした。取材班は地域の人達からシラミ潰しにお話をおうかがいすること、これを「地取り」と申しますが、それに加えて学校、警察、検察の夜討ち朝駆けが続き、取材班が寝るのは午前三時か四時、文字通り不眠不休の取材を続けたわけであります。幸い、取材班の奮闘で朝日新聞は少年が自宅に残したあの不可解な犯行メモ、「愛するバモイドオキ神さま、今日人間の壊れやすさを確かめるための聖なる実験をしました」という内容ですが、これをスクープして他紙を圧する事ができました。
 この事件の舞台となったのは「海、山へ行く」という言葉で形容される商売上手の神戸市の西部にできた全国どこにでもあるニュータウンです。家庭は大企業に勤務する父親と母、三人兄弟で、これまたどこにでもある中流家庭です。犯行の動機は検察の捜査の結果、次のように説明されました。すなわち、少年は小学校5年生の頃、かわいがってくれた祖母が亡くなった。祖母の死をきっかけに「死ぬとは何か」ということに興味を抱くようになってナメクジやカエル、ネコなどの小動物を解剖した。そのうち人を殺そうと思うに至ったーという見方です。祖母の死は誰でも経験することです。カエルを解剖した体験は私にもあります。果たしてそんな理由で人を殺すのだろうか。私はそう思いました。
 少年は家庭裁判所に送られ、精神科医の鑑定を受け、医療少年院に送られることに決定しました。神戸家裁の決定書は少年の精神鑑定をした医師の診断書をもとに「未分化な性衝動と攻撃性との結合により持続的かつ強固なサディズムがかねて成立しており、本件非行の重要な要因になった」と結論づけています。14歳といいますと男子が射精する時期でありまして、「性衝動」とという言葉を使ったお医者さんの説明の方が検察官の見方よりはわかりやすい。従来の伝統的な刑事警察の手法では「殺し」というのは怨恨、痴情のもつれ、物取りと相場が決まっておりますが、時代の変化とともに従来のものの見方ではとらえられない犯罪が増えてきています。


(2)事件の背景になにがあるのか

 以上の説明でも私にはまだこの事件がよくわかりません。ちょっと話が横に飛びますが先だって私はネパールを旅しました。かの国はハイキングの旅行者の荷物を運ぶポーターの日当が一日200ルピ(日本円に換算してわずか320円)という貧しい国ですが、子供の目はどこでもきらきらと輝いていました。ネパールでは36もの厳しい身分上の戒律(カースト)がありますが、登校拒否もいじめもございません。
 児童連続殺傷事件は紛れもなく先進国の社会の病であると思います。その背景になにがあるのか。学校、家庭、地域社会という三つのキーワードをもとに考えてみたいと思います。
 @学校について
  輪切り、偏差値、頂点校と底辺校、校内暴力といじめ、不登校、ゆとりの教育と総合学
 A家庭について
  人口の都市集中、過疎と過密、核家族化と農村、会社主義と父親不在、母子密着、お受験
 B地域社会
  ご隠居さん不在、自治会の役員になり手がない、ガキ大将不在、宮沢賢治・雨にも負け
 さて、マスコミはこの事件をどう報道したのでしょうか。現行の少年法は「少年の保護、育成」を掲げ、新聞、雑誌が少年の実名を報道することを禁じています。朝日新聞をはじめとする新聞各紙はこの法の規定に従って少年を仮名で報道いたしました。当然です。しかし、写真週刊誌「フォーカス」は7月9日号に少年の顔写真を掲載し、物議をかもしました。地元の神戸弁護士会は新潮社に「発売中止」を申し入れ、東京法務局も回収を指示しましたが、」フォーカスは「社会的影響力の大きいきわめて特異な、少年法の枠を超えている」との姿勢、「販売中止が広がっている上、販売した店ではすでに売れているので回収する現実の利益がない」と回答しました。
  新潮社は先に大阪府堺市で起きた母子殺傷事件でも19歳の少年を雑誌「新潮45」で実名で報道しました。この事件は1998年1月、堺市でシンナーを吸った19歳の少年が文化包丁を持ち出して通行人を襲い、幼稚園児を殺害、母親と女子高校生に重軽傷を負わせた事件です。名前を乗せられた少年が名誉毀損訴訟を起こし、裁判では報道の自由と少年法に規定のどちらが優先するのかが争われました。裁判所の判断は一審原告勝訴(少年法の保護主義重視、250万円の支払い命令)、二審原告敗訴(請求棄却)。

その理由の違いの説明。注目される最高裁判決。

【高まる少年法改正】
 @少年法の精神と仕組みの説明 少年の保護と育成
  1条・少年の健全な育成、非行少年の矯正
 20条(検察官への送致) 家庭裁判所は死刑、懲役または禁固にあたる罪の事件について、調査の結果、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認めるときは、決定をもって、検察庁に送致せねばならない。ただし16歳未満の少年は送致できない
 61条(記事等の掲載禁止) 家庭裁判所の審判に付された少年、または少年の時に犯した罪により公訴を提起されたものについては、氏名、年齢、職業、住居、容貌等によりそのものが当該事件の本人であることを推知することができるような記事または写真を新聞その他の出版物に掲載してはならない
 A改正のポイント
 厳罰化、14、15歳の中学校2年、3年生が刑務所に行く
 B問題点
  犯罪とは何か。本人の資質と環境


(3)マスコミ各社にも大きな反省

 6年前、1994年6月27日夜、長野県松本市の住宅街で有毒ガスが発生し、7人が死亡、60人が重軽傷を負って入院しました。長野県警は最初に事件を119番通報した会社員河野義行さんが化学薬品会社に勤務して薬の調合に詳しいことから河野さんに疑いを抱き、「被疑者不詳」のまま河野さん宅を捜索、マスコミに発表しました。
 ほとんどの新聞、テレビが河野さんを犯人視する補導をしました。朝日新聞は「会社員宅から薬品押収、農薬調合に失敗か?」と書きました。後にこの事件はオウム真理教による組織ぐるみの犯行と分かりましたが、河野さんに対する重大な人権侵害を起こし、マスコミ各社に大きな反省を迫りました。翌年4月20日、朝日新聞は河野さんに陳謝するとともに、社説にも書いて謝りました。
 捜査当局の誤った捜査、起訴、裁判による人権侵害はいくつかありますが、一番ひどいのは1980年代に再審無罪が言い渡された3つの死刑事件でしょう。
 時間の関係で詳しい経過は省きますが北から順に松山事件(1955年、宮城県で起きた一家殺人、84年再審無罪)、財田川事件(1950年、香川県下の闇米ブローカー殺害事件、84年無罪)、そして免田事件(1948年、熊本県下の祈祷師一家殺害事件、83年無罪)です。
 いずれも死刑判決の確定後に「無罪を言い渡すべき新たで明白な証拠」が発見されたとの訴えが認められて裁判がやり直しになって無罪が確定し、元死刑囚が娑婆に出てきたケースです。警察も検察もそして裁判所までが誤る。新聞がそれを報じて被疑者、その家族に重大な人権侵害をもたらしたのはいうまでもありません。しかも、無実が判明するのはこれらのケースでは発生後30年も経っていて、無罪をいくら詳しく報じたところで十分な救済にはなりません。
 新聞、テレビはこうしたことを反省し、事件報道で被疑者を呼び捨てにするのをやめ、容疑者をつけています。朝日新聞の場合は1989年からです。手錠をはめられたままの連行写真も原則として使いません。事件報道は実名が原則ですが、@20歳未満の被疑者、A精神障害者、B参考人・別件逮捕者、C婦女暴行の被害者、D自殺・心中未遂で助かった人、E被疑者の家族などは匿名にしています。最近はこの匿名の範囲を拡大し、引ったくり事件のように微罪・軽過失事件は名前をださないように配慮しています。以上はいずれも世の人権意識の高まりを反映するものです。


(4)時代の転換点に立って

 最後に平和の問題についてお話します。21世紀まであと3ヶ月を切りました。私達は今、時代の転換点に立っています。20世紀は後世の歴史家にどう評価されるでしょうか。
 私は「戦争と平和のはざ間で揺れ以後いた時代」ではないかと思います。1914年から1918年にかけて第一次世界大戦があり、その後の20年の平和もつかの間1939年から45年まで第二次世界大戦がありました。戦争の犠牲者はある資料によりますと第一次世界大戦で900万人、第二次大戦で5439万人といわれております。第一次大戦の時の死者は9割以上が軍人だったのですが、近代兵器の発達で第二次大戦では空襲による市民の死者が増大し、軍人よりも市民の死者の数が多い。5439万人の死者中、軍人2542万人に対して市民2879万人であります。ことしの朝日新聞の社説によりますと第二次大戦の日本の死者は310万人。東京、大阪そしてこの京都からも日の丸の小旗に送られて出征兵士が戦地に行きました。おびただしい家族が父を、母をそして兄弟を失いました。原爆詩人、峠三吉が「父を返せ、母を返せ。平和を返せ」と訴えた通りです。
 私が申し上げたいのは20世紀の歴史の中で報道がもたらした最大の人権侵害は、第二次世界対戦で新聞が軍国主義に抵抗できず、アジアの人たちに多大の迷惑をかけ侵略戦争に荷担してしまったことです。戦後、朝日新聞は1945年11月7日に社説「国民とともに立たん」を掲げ、朝日新聞の戦争責任を国民に謝罪するとともに報道機関としての再出発を誓いました。朝日新聞綱領は「不偏不党、真実の公正な報道」とともに「平和で民主的な社会の創造」を規程し、時の権力にこびない論陣を張ってまいりました。それから半世紀たった今、ジャーナリズムは今、大きな岐路に立っています。
 それと申しますのも最近、日米防衛協力の新ガイドライン関連法(周辺事態法)や国旗・国歌法が制定され、日本国憲法の掲げる平和主義が脅かされているからであります。
 国会には憲法改正をにらんで憲法調査会もできました。ガイドライン関連法は海外の有事、つまり戦争が起きたときに日米共同で対処することを規定した法律で、具体的には朝鮮半島の有事を想定したものといわれています。いわば自働参戦装置といって差し支えありません。この法律には有事の際、米軍の戦闘機や軍艦が日本の港湾や空港を使用することおよび戦地で負傷した米兵を日本の病院で手当てすることなどが事細かに規定されています。これは戦争の放棄、国の交戦権を否定した憲法9条を骨抜きにするものにほかなりません。
 見逃してならないのは、こうした一連の動きに対するマスコミの対応は二極に分化する傾向にあることです。具体的に言うと読売、サンケイは新ガイドラインや憲法改正を推進する姿勢を鮮明にしており、読売は独自の憲法改正試案を発表しております。朝日は一貫して否定的です。無論言論は自由であり、皆さん方の中に新ガイドライン法推進、憲法改正賛成の人がいてもかまいません。しかし、新しい世紀の幕開けにきな臭い戦争の匂いのする法律を制定し、憲法の平和主義を脅かすことの後に一体何がやってくるのでしょうか。東西の冷戦が終結してからはや11年。6月には南北朝鮮の歴史的な会談が成立しました。朝鮮半島有事の危険性は以前より小さくなったのではないでしょうか。
新聞の仕事は、歴史のひとこまひとこまをきちんと読者に伝えることにあります。その歴史について、その歴史を定義して英国の史家、E・H・カーは「歴史とは現在と過去との絶えざる対話である」といっています。
20世紀が戦争と平和の狭間で揺れ動いた時代であったとするなら、おびただしい血を流した過去の教訓から私たちは平和を手にして今日の繁栄を築いたのであり、来るべき21世紀に国民の人権をどこかに追いやった戦争の悪夢を再現させてはならない。今は平和な時代ですが、法律が成立すれば一人歩きします。
今年8月からは通信傍受法が施行され捜査当局が必要と認めれば市民の電話やEメールを盗聴することも可能になりました。こうした国民の権利を侵害するおそれのある法律の運用をきちんと監視し、身の回りで差別をなくし、人権を守り発展する試みを大きく育てねばならない。
私は今は編集局を離れましたが、その思いを熱くする仲間とともに、朝日新聞から情報を発信し続けたいと思っています。ご静聴ありがとうございました。