2006年06月08日

タバコと値段 (mobanamaさんへの返答

JTを応援したら、たくさんコメントもらった。嫌われてんな、JT。すぐ陰謀とか言われちゃうしw。こんな会社の役員は本当に大変だわ。

http://punxlife.seesaa.net/article/13895074.html#comment

あんまり長くなるのも見にくいよね。ちょうど素敵な質問をもらったので、別記事にして回答していきましょう。

私の発言のどのあたりが、「欧米からもたらされたありがたーい思想から外れたことを堂々と言う。」になっておりますでしょうか。ご教示いただければうれしく思います。


いやいや、私は別にmobanamaさん個人に対して「欧米からもたらされたありがたーい思想から外れたことを堂々と言う。」と言ってるわけじゃなく、あちこちの嫌煙家連中のBlogを見てるとそういう人が多いですね、という程度のこと。いわゆる「嫌煙ファシズム」ってやつね。

でも、これで「逃げてる」とか思われるのも癪なので、あえてmobanamaさんの言うタバコ増税に関して、私の考えを述べておきましょう。

まず前提から。
私が「欧米からもたらされたありがたーい思想」と言ってるのは、もうおわかりかと思いますが「自由」ということに尽きる。自由の定義については人それぞれ考えがあるでしょうが、私は「人が自分の生を自らの判断でデザインできること」だと思っています。煙を吸うのも吸わないのも、自分で判断して好きなようにすればよい。人には、それぞれその自由がある。そして、自由のもう一面が責任。煙を吸ったことで病気になる、寿命が縮む等の不利益を被っても、それは自分で下した判断の結果であり、自分で引き受けるべきことです。

ただ、私の自由と誰かの自由は、必ずどこかで競合する。だから、それを解決するための努力というのはしなければならない。つまり、煙を吸いたくない人の自由を侵さないためには、分煙を進めていく努力は必要でしょう、ということですね。煙を吸う自由と吸わない自由の折り合いをつけるポイントなんて、どんだけ議論したって分煙しかない。私が分煙分煙言ってるのは、つまりはそういうことです。

翻って、タバコ増税を主張される方々、署名までして値上げしようとする方々のことを考えてみましょう。彼らが主張しているのは、タバコの値上げによって経済的に禁煙せざるを得ない人が出てくる、その結果、喫煙率の低下が実現できる、という理屈です。これって、経済制裁を加えて民族の自決権を奪おうとするようなもんでしょ?その主張自体が、自由の侵害以外のなにものでもないんですよ。喫煙率なんて、計画して下げるべきものじゃない。喫煙による害を啓蒙していったら結果的に下がった、というならいいですけどね。

禁煙するかどうかは、喫煙者本人が自分の判断で決めるべきことです。家族とか友人とかに「体に悪いからやめたら?」って薦めるぐらいはいいですが、圧力かけてやめさせようなんてのは、いかなる手段であれ度を越したお節介。または、タバコの害に神経質になるあまり他人の自由を忘れちゃったあわてんぼさんの短絡した理屈です。

煙草の値段と若年層の喫煙率との逆相関があるってサイトはご覧いただけました?


これも、そう。たとえ逆相関があるというのが真実だとしても、その手段を摂ることが正解であるとは、私は思いませんよ。若年層が買えない値段にすれば吸わなくなる、ってのは、教育による手段を放棄して安易で手軽な方向に走るという意味にしか聞こえない。それに、喫煙「率」が低下したって、その少ない喫煙児童が先鋭化しないとは限らないでしょ?タバコ買うためにカツアゲするとか、コンビニ襲ってかっぱらうとか、覚醒剤の方が安いからこっちにしちゃおう、とか。

※欧米の子供の喫煙率はどうなんですかね?日本より低いのかな。でも欧米のガキどもは日本のガキより凶悪だったりするしな。

極論しちゃうと、高校生ぐらいの年齢なら、タバコ吸うのなんか私は本人の自由だと思ってます。それで身長が止まろうが、深刻な障害を抱え込もうが、本人が責任をとるのなら勝手にすればよろしい。ただ、小学生とか中学生はそんなの自覚できないでしょうから、親が保護する責任を負うのが妥当だと思うわけです。つまり、未成年の喫煙が問題だと思うなら、まず保護責任を全うできてない親を糾弾するのが筋ってもんでしょう。これは自由と責任の所在の問題であって、銭金が入り込むような話じゃあないのですよ。ましてや自動販売機がどうとか、11時以降売らないとかいうのも、本来は筋違いな話でね。

当たり前のことだけど、私は喫煙者の自由だけをことさらに重要視しているわけではない。(ここ強調しとかないと、また読解力の無い人が誤解するからね。)ただ、なんでも法律とか規制で縛ろうとすれば、いずれ「自由そのもの」が危機にさらされることになりかねない。そこを憂慮しておるわけですよ。

国や権力が介入する領域をいかに少なく保つか。そのために我々個々になにができるのか。これが、自由民主主義を標榜する先進国の国民として、また、自立した大人として、イチバンに考えなきゃいけないことじゃないんですかね?
posted by elmo at 04:34| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
またまた時間があいて、すみませんでした。ほとんど月刊誌を使った対談ペースですね(^^;。ごめんなさい。

さて、「自由」を大事にというのには基本的に賛成です。無闇矢鱈に国や権力が介入するというのは確かに考えものです。個人的には前々から申し上げている通り、分煙さえなされていれば、基本的には個人的には他人の喫煙を許容しております。(「煙草を吸ってきた直後に近くに寄るんじゃねえ」という程度の「不完全な分煙に対する苦情」を言うくらいであれば「許容」の範囲に入れてもいいですよね?)

しかし貴方の論からは、保健の視点というものがかけているように思います。
例えば同じようなリスクを与える量の他の物質に置き換えた場合、今のような緩い放置政策が許容されると思いますか?
放射性物質であれば、リスクとしては極めて微小な量であっても、おそらく新聞の紙面を飾ることもできる事件となりうるでしょう。というかそういう事例がありますよね。
アスベストとの比較でも同様。
歴史的事情を勘案しても、野放図な使用は規制されてしかるべき段階にあると考えています。

ちなみに税金も含めこのあたりのものは国の施策の話。まさしく喫煙「率」の議論をしているんです。「圧力かけてやめさせよう」という個人レベルのものではありません。その観点からは、教育による啓蒙なんてのは今更論外。すでに効果がないということが証明されきった施策です。今時それしか案を出せない為政者は無能呼ばわりされてもしょうがないでしょうな。



あと、「禁煙ファシズム」とお考えの点に関しては、本当に極端な人が居ることは認識していますが、そんなのはどんな「運動」にもいるものです。社会全体の風潮として言うなら、私は上述の通り喫煙に関してはまだ真っ当なレベルにまで保健的観点からの運動が完了していないと思っていますので(根拠は現在の国民の喫煙率や、町中での喫煙遭遇率だけでも結構十分かと)、現状を「ファシズム」だとは思っておりません。その際に過激な人を「利用」していることは否定しませんが、本当に過激な人のいい分だけの社会になる気配が勝りはじめたら、多分私も逆の批判を開始しているでしょう。

ちなみに、現在50代以上で、その台詞を口にする人は原則として信頼し得ない人だと考えています。何故なら彼らは、かつて喫煙が圧倒的な「大人の男の常識」だったころに煙草を吸っていた/吸いはじめた人たちだからです。自分の立ち位置を省みることができない人の言うことは普通信頼できませんよね?

今30代以下の人であれば、ある程度物心がついたのが80年代以降となって、既に禁煙の運動がかなり勢力を拡張した後になりますから、その反動としての過激さばかりを目立ったものとして捉えてしまうのもある程度理解できますがね。
Posted by mobanama at 2006年07月15日 17:02
mobanamaさん、ども。月刊誌ペースで全然OKですよ。毎日意見交換しても不毛な会話だってある。少しでも有意義な話ができればいいんではないかと。

>(「煙草を吸ってきた直後に近くに寄るんじゃねえ」という程度の「不完全な分煙に対する苦情」を言うくらいであれば「許容」の範囲に入れてもいいですよね?)

ええ。むしろどんどん言うべきだと思ってますよ。

>しかし貴方の論からは、保健の視点というものがかけているように思います。

この指摘、正直とても嬉しいですね。待ってました、というところ。そう、私は「保健」の視点を意図的に排除して書くようにしている。なぜなら、保健の視点からモノを論ずるには、裏付けとして正確なデータが必要だから。私はそんなデータを持ってないし、WHOだの王室なんとかだのが発表するデータが正しいかどうかの検証をする暇も手だてもない。

歴史的に見ても、我々は煙草に関する情報を入手しやすい時代に生きている。ただ、情報をどんなにかき集めたところで、どれが正しくてどれが間違っているのかを判断できなければ、それについてものを言う資格なんて無いと思うんですよ。

で、じゃあ煙草の話をする時に、そういった正確な情報なりデータなりが必要か、というと、それも必要無いんじゃないの?というのが私の立場。煙草を吸いたい人がいて、吸いたくない人がいる。じゃあ分ければいいんじゃん?ってだけだと思うんですよ。問題はそれが不完全だから、あちこちで軋轢が生じる。完全にしようとしても、コストとかいろいろな問題があって難しい。じゃあ、どうする?っていうのが建設的な話だと思うのでね。

放射性物質とかアスベストの話を持ち出しちゃうと、じゃあその毒性の違いはどうなのか、から話し出さないといけなくなっちゃう。喫煙者だったらみんな、たぶん「被爆即死亡の放射性物質と副流煙は違うだろう」って反論しますよ。それが違わないことを立証するには、副流煙の害を誰でも追試可能な形で見せる必要がある。WHO曰く、じゃなくね。嫌煙家からすれば「副流煙が猛毒だなんて常識じゃないか!」なんでしょうけど、私は実感としてそう思ってないですしね。

結局、そういう議論になると時間がかかるだけで、得るモノは少ないんじゃないのかな、と。それよりむしろ、キライなものはキライだから分煙を完全にしろ、って言った方が、最終的なハッピーには近いんじゃないか。

>ちなみに税金も含めこのあたりのものは国の施策の話。まさしく喫煙「率」の議論をしているんです。

私の立場からすると、何故喫煙「率」を下げる必要があるのかが解らない。ましてや国策として取り組むべきものとも思えない。人口構成に対する特定の集団の比率なんてのは、国がコントロールすべきものじゃないです。

そもそも、非喫煙者を煙害から守ることが目的なら、喫煙率なんて指標にそう大きな意味はないでしょう。(喫煙率を下げれば結果的に煙害は減る、と言う理屈は解る。けど解るだけに、その安易さが容認できない。)「喫煙率を欧米並みにすること」が自己目的化してるとしたら、それはファッショであり外圧であると私は思いますがね。

おそらく、嫌煙家の方々もみんなしびれをきらしてるんでしょう。いくら教育しても改善されない、マナーも良くならない、保健の視点から見れば改善は急務なのに、とね。だからこそ、もっと問題をシンプルにした方がいいよなぁ、と思うんですよ。みんながさっさとハッピーになれるようにね。

ただ、急務だからといって、問題の解決を法律とか国の施策に委ねるのは極めて危険なことです。それは煙草の害以上の禍根を将来に残すことになる。
Posted by elmo at 2006年07月18日 23:23
お返事ありがとうございます。
月刊ペースと言いつつとりあえず早々に一点だけ(^^;

>被爆即死亡の放射性物質と副流煙は違うだろう

被「爆」後の「即死亡」については大多数は熱と爆風です。
被「曝」でしたならば、必ずしも「即死亡」ではありません。
Posted by mobanama at 2006年07月19日 20:05
ははは。そりゃそうだw。
Posted by elmo at 2006年07月19日 20:16
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