White 〜文彩の支配から論理の支配へ〜

2008-11-20

御礼

はてなから、ポイント受け取りのお知らせです。

realiste0さん

furukatsuさんからポイント送信がありました。

ポイント送信明細

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ポイント送信者: furukatsu

ポイント受取者: realiste0

送信ポイント : 500ポイント

コメント

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大変すばらしいエントリでした。

furukatsu様という方から、犯罪予告の記事に関して、「大変すばらしい」との評価で、はてなポイントを贈呈されましたので、御礼申し上げます。

ライブドアは政府役人の劣化コピー

http://news.livedoor.com/article/detail/3908150/

こちらの書き振りであるが、政府役人と同じ穴の狢である。ライブドアの執筆者は、要するに政府役人に恨みがあるとの意図の下、私のブログを利用し、巧妙にレトリックを駆使し、政府役人の評価を下げる記事を構成している。しかし、実はこのやり方は、法律を書いて自分のやりたいことを実現していく政府役人の手法とまったく遜色がなく、要するに、政府役人の劣化コピーに過ぎない。毎日コミュニケーションズという会社の記事

http://news.goo.ne.jp/article/mycom/business/it/20081120-n04-mycom.html

にいたっては、ライブドアよりも内容がひどく、正視に堪えない。

http://news.goo.ne.jp/article/mycom/business/it/20081120-n04-mycom.html

こういう記事は、ともかく報道するという結論が先にあるのだろう。この結論が先にあって、かつ、結論が先にあることに文句を言わせない言語支配が今の日本の支配であり、実に邪道で詐欺的である。

何度も言いますよ?

私の存在核心と言いますか、信念というものは、この日本社会を、嘘ではなく、きちんと理論どおりの社会にしたい、ということに尽きる。これに対して、現在の日本社会は、一見理論どおりになっているかのようにみえて、それは図式にすぎず、その図式とは全く異なった内容に支配されている。すなわち、哲学的にいうなら、図式内容二分論に支配されているのだが、そもそも、人間および人間社会というものは、一個の客観的存在なのであって、それが図式と内容に分かれることはありえず、結局それは理性を濫用した人為的な操作といわざるをえない。このような人為的操作による図式と内容の分割によってどのような事態が起きているかというと、内容がよくても図式に乗らなければ評価されず、他方、内容が悪くても図式に乗っていれば評価されるという極めて不自然かつ自然への侮辱というほかない現象が起きている。このようなものは、明白に不正義であって、今すぐにでも正されるべきものである。私の怒りの中心はまさにこの点であり、それ以外に他意はない。そして、かかる図式を作り、その図式から利益を得ているのが、東京大学法学部であり、官僚なのであるから、これを殺害することは、私の信念に適合するということであり、ゆえに殺害予告を繰り返しているのである。

なぜ君たちが私のいうことを理解できないか?

それは、率直に言って、君たちがクズだからである。君たちは、マスコミを含めて、結局自己・自社利益のことしか考えていない。たとえば、毎日コミュニケーションズライブドアニュースは、私が色々書いてある中から、とりわけ「東大法学部卒が社会を腐らせている」という発言にのみ着目し、その点のみを記事に織り込んでいる。これは、別に本件殺害予告によって社会的正義が揺るがされるから報道したと言うより、本件を奇貨として、東大法学部をたたこうという私利私欲に出たものであることが明らかであり、道義的観念や倫理観に反した明白に醜悪な行為と言える。かくのごとく、君たちは、自己中心主義をその信念とし、それ以外は修飾にすぎないから、世界を自分のためにのみ観察しているのであり、そのために、私が本気でこのようなことを書いていても、他意があるとか裏があると解釈し、真に受け取らないわけである。そして、そのような傾向は、近年では、中央官庁でも見られるようになり、まさに公も私もない支離滅裂な社会へとメルトダウンしようとしている。

では詐欺教育とは何なのか

それは、教育が、後々官僚東大がしたいことができるように設計されていることである。そもそも、教育とは、教育基本法に図として示されているように、真理と正義を教えるものでなければならない。右真理と正義とは、たんに特殊日本的な真理と正義ではなくて、世界中で普遍的に認められているものを指すと考えるべきである。ところが、日本の初等教育で教えているのは、非本質的かつ支離滅裂な語句や事象の羅列的暗記であり、実際児童生徒がみにつけているものは、真理と正義ではなく、ばらばらの地に足の着かない語句のみである。そのような教育は高校、大学でも継続され、結局、真理と正義とは程遠い頭を有したまま社会に出て労働ロボットとして働くこととなっている。この点、文部科学省側からは、そうではなく、きちんと真理と正義を教える建前となっている、と反論があるかもしれないが、すでに述べたように、文部科学省が言うのは地に対する図であって、図式としては完璧にやっているといっているのであるが、明らかなように、地で行わなければそれはやったことにはならないというべきであるから(学校で教師がよく言っていた「この単元はこれでやったことといたします」という定型句は、のちのち、「だから、やったのではなくて、やったことにすると言ったでしょう」と言い訳するためのものである。しかし、そもそも、教育をするといっておきながら、教育をしたと妄想する、などという主張は認められないから、そのような言い訳をしても、筋が通るわけではない)、反論は失当である。では、文部科学省が地でおこなっているのは何かというなら、体育や行事における軍隊のごとき集団訓練や、いじめを活用することによる異端分子の排除、非本質的で支離滅裂な語句の詰め込みによる条件反射労働マシンの大量生産といった、日本実社会の奴隷制度のための継続反復的な価値の再生産である。そして、図と地に分けるという人為的操作は、大人の勝手な思考分類にすぎず、自然児たる子供がそのような分類を理解するはずがなく、教科書等で図を見せられた場合、それ自体が地であると理解するのが通常であるし、また、教師側も、それが図に過ぎないことを力を入れて教えているといった事情もないから、このような教育は、児童生徒をして、図が地であるという錯誤に陥らせ、もって大人側が子供に必要な行為をなさしめる意図のもとで行われている複雑で人為的な一連の計画的組織的詐欺行為というほかない。殺害予告中の詐欺教育とは、右実質を指しているのであり、それはまったく正当な指摘である。

社会が汚いことについて

社会とは汚いものだ、そういうものだ、という、粗雑な直感が散見される。確かに、日本であろうと、中国であろうと、欧米であろうと、社会はある程度汚い。しかし、日本の汚さと、他国の汚さは、レベルが違う。たとえば、フランス史を概観すれば、貴族や国王が威張っており、それを民衆が打倒して行く、という意味での、人間の野性的な汚さはみられる。しかし、一部の貴族や族長が権勢を振るうのは、人間の脳に由来する当然のことである。フランスの立派なところは、国民が身をもってそれを改善する方途を模索した点である。ところが、日本の場合はそうではない。日本のお上のしたことは、たんに異国趣味で西洋風の文化を整え、それを巧みに利用して子供や国民をだますことだけである。すなわち、ここにあるのは、自然で当然の汚さというより、今後も継続され改善される見込みのないお上の継続的な手口の汚さである。それは要するにロマンチックな形式的言語と醜悪な意図を対置させ、後者を前者の中に巧妙に隠すことによって、無知な者をぎもうしつつ、最終的に知恵のあるものに食わせるという、明白な策略が見て取れる。これを国策として行っている時点で、この国の汚さは意図的かつ人為的なものであり、正視に堪えないものがある。この汚さは、人間に作り付けの汚さを見せてきた各国史のそれとは隔絶した、非常に醜悪な点に特徴がある。ゆえに、日本人が「社会は汚い」というのは、免罪符にはならず、実はこれは、日本の老人独特の醜悪な策略を隠蔽するためのレイヤーに過ぎない。

もちろん、このような汚さは、何も政府役人のみにみられるものではなく、この国のあらゆる組織の上部にみられるものであるが、にもかかわらずなぜ私が政府役人をターゲットにしているかというと、学校教育をはじめ社会全体を管理している彼らが、そのような醜悪さを意図的に温存しようとしている節があるからである。すなわち、学校教育カリキュラムは、いじめを意図的に温存しようとしているし、政府役人と通じているマスコミも、地域社会におけるいじめを拡大再生産している。なぜならば、政府役人およびマスコミの出身母体である東大文系学部が、日本人の醜悪さを利活用することにより社会統治を行おうとしているからであろう。本来ならば、醜悪性といったものは、学校教育や地域社会で組織的に摘んでおくのが筋であるのに、これを意図的に温存させ社会に活用しようとしている官僚に正義はない。また、東大文系学部で研究をしている陰湿な教員も天誅されるべきであろう。したがって、私は、文部科学省官僚と、東京大学法経文学部の教授を殺害するわけである。

文部科学省官僚への殺人予告をしているのは私です

一週間以内に、次の者を順次、その自宅において刺殺する。

目的は、詐欺教育に対する天誅http://www.acat.jp/acat/upload/up/1285.pdf)。

ネタではない。

文部科学省初等中等教育局】

局長 金森 越哉 初等中等教育企画課長 常盤 豊

財務課長 関 靖直 教育課程課長 高橋 道和

児童生徒課長 磯谷 桂介 幼児教育課長 浜谷 浩樹

特別支援教育課長 永山 裕二 国際教育課長 大森 摂生

教科書課長 伯井 美徳 教職員課長 大木 高仁

先日から2chねるに文部科学省官僚の殺害予告を書き込み、毎日新聞に記事にされたのはこの私です。2chねるでは、発狂した基地外扱いされていますが、私は極めて正常なのであります。なぜ私がこのように堂々と犯罪予告をするかというと、この国の法律や情報がはったりのまやかしであり、何も実がないことを熟知しているからです。また、殺害予告の動機は、真に知的なことがらであり、要は、子どもにどうでもいいことや嘘ばかり教えたり、子どもを欺くことで子どもを操作し、最終的にはシステムに食わせようとしている狡猾な政府役人に対して、天誅を食らわせるということであり、通俗的な政治的経済的意図を持つものではありません。このような非論理的な支配体制は、結局、子どもを欺いて大人の都合の良いように操作するためのものであり、理想を真面目に信じた子どもに対する裏切りであり、醜悪極まりないものであります。実質的には、体制側には何も正当性がなく、屁理屈や強弁をするしか能がないのです。連中の考えていることは、子どもとは政治をする必要がない、の一点だけです。クズ中のクズであり、これを殺害しないでおくべきではありません。

日本法はもっとも強力な組合の合議決定

ていねいに説明しないと分からないのだろうか。そもそも、政治とは価値と価値の整理活動であり、法とはその結果である。では日本ではどんな法ができたか。それは、お上というグループをつくり、彼らの合議決定を法とするというものである。けっして六法全書ではない。六法全書は決定を飾るレトリックにすぎず、法ではないのである。合議決定であるから、内容は問われない。前後矛盾していてもかまわない。その時々のお上のご都合主義的な決定自体を正義としている国なのである。であるからして、ご都合、つまり、状況に対するはまり具合自体が正義であり、彼らが合議でそれを決定したらそれが正義となる。つまり、特定の人々の「人の判断」が法であり、いったん判断されたら覆らず、反論などしようがない。それ以上は、この国の法は論じようがないのである。醜悪なところは、国民には、西洋的な法体系があると欺いているところである。むしろ、あらゆる分野で、それと類似のものがあると思わされている。ゆえに子どもたちは夢を見てがんばるのだが、現実を知って愕然とする。そこにあるのは、単なる人の合議の体系であり、格好のよい法の内実はないのである。法は、レトリックであり、飾りであり、文学の範囲に属する。この国の法の本質は、もっとも力の強い組合のメンバーの合議決定(ただし例外的な直訴を許容している)でしかない。

baionaneetbaionaneet 2008/11/29 18:08 逮捕されましたね。もう少し落ち着けばよかったのに。
私も同じような人間ですが、合法的に活動しています。
http://baiodao.blog86.fc2.com/