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【人、瞬間(ひととき)】あの言葉 元参議院議員・筆坂秀世さん(60)(中)
■「お父さん、もういいよ」
「セクハラ事件」で共産党の役職を罷免された当時、議員宿舎に住んでいた。マスコミが押しかけてくるのは目に見えていた。「事件」の公表前日、妻に事実を打ち明けた筆坂が次に取りかかったのは引っ越しの準備だった。長女夫妻に手伝いを頼み、共産党系の運輸会社に連絡した。
「(埼玉県の)川越に持っていた家に夜逃げをするように引っ越し、党の命令を守って表札を出さないまましばらく息をひそめて暮らしました」
しかし、国会議員であった者が記者会見もせず逃げ隠れしていることが我慢できなかった。市田忠義書記局長や浜野忠夫副委員長に「記者会見を開きたい」と電話で何度も申し入れた。
ある日、浜野が記者会見を強行するのを警戒して自宅を訪ねてきた。
「私もお人よしで、浜野氏の顔も立ててやらないといけないと思い、記者会見を開きたいという要求を強硬に言い募ることはしませんでした。ところが浜野氏の帰り際に、隣の部屋にいた妻が出てきて激怒したんです」
妻は浜野に思いの丈をぶつけた。「私は党員として40年近く、赤旗を拡大し、党員を増やし、さまざまな選挙の手伝いもしてきました。でも、これから『筆坂の妻でございます』と活動ができると思いますか。夫に弁明の機会を与えてください」。浜野は土下座せんばかりに謝ったが、弁明の機会は与えられなかった。
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それでもまだ、自分は党に必要な人間だと思っていた。常任幹部会の先輩であった荒堀広のすすめもあって、政策委員会の職員として党本部に通うことになった。復帰したその日、志位和夫委員長に「僕の部屋にこない?」と誘われた。そこで志位は「筆ちゃん、つらかったろう。僕もつらかった」と涙ぐんだという。
「警告(のはずだった処分)を罷免に変えられるのは不破哲三さんだけです。志位さんがそれに従ったにすぎないことは私にはよく分かっていました」
だが、仕事はいっさい与えられなかった。毎日午前10時ごろ顔を出し、昼食をとったら代々木公園を散歩して、午後4時には帰るという生活を2年近く続けた。精神的にボロボロになった。
離党のきっかけはやはり妻のひと言だった。
「お父さん、もういいよ。辞めていいよ」
=敬称略(文 桑原聡)