被爆者 吉田勝二さんの思い
「みなさん平和な世の中をつくってください。平和な世の中をつくるには、人の痛みに気づく人間になることです」大きなスクリーンに被爆者・吉田勝二さんの言葉が映し出されたときには、多くの親たちがハンカチを取り出し、目頭を押さえていました。
昨日、娘の小学校のアートフェスタの参観に出かけました。およそ240名ほどの6年生が披露したのは、長崎原爆の被爆者である「吉田勝二さんの8月9日」でした。6年生はこの4月に修学旅行で長崎に行き、原爆資料館でお話をして下さったのが、吉田勝二さんでした。
吉田さんは、長崎県立工業高校造船科2年の13歳、爆心地から800mのところで被爆しました。長い入院・療養、やけど治療のため顔や足の皮膚移植手術を3回もしました。
治療のあと電車に乗ってひとりで家に帰る時のこと・・・
「おかあさん、あの人顔こわいよ」「見ちゃだめなんでもないのよ」吉田さんの耳に親子の声が聞こえ、じろじろ顔を見られる視線から顔を上げることができず、下を向いたまま、くやしくて悲しくて泣いていました。そして、学校を卒業してからも就職先で「病気がうつる」と避けられたり、差別を受けました。
思い出したくもない自分の人生を変えてしまった原爆について、こんな苦しみを二度と起こしてはならないと、二十数年前から原爆資料館で自分の体験を話すようになったということです。
「吉田さんの8月9日」を、リコーダーによる音楽、ナレーション、大きなスクリーンの映像、そして芝居で表現しました。8月9日に何が起きたのか、そして吉田さんにどんなつらいことがあり、何を自分たちに伝えようとしたのか・・・想像力・感性豊かで、しかも社会と自分の関係を見出そうとし始めている子どもたちに、吉田さんの思いはしっかりと伝わっていました。