戦後に死刑判決を受けた女性被告
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戦後の裁判で女性に死刑判決が言い渡されたのは、今回の宮崎知子被告で11人目。最近では、炭鉱下請け会社の従業員ら6人が焼死した北海道夕張市の保険金殺人事件の1審判決(62年3月、札幌地裁)以来のことだ。 最高裁の調べでは、戦後の死刑確定者は628人(62年末現在)いるが、このうち女性は3人だけ。1審で死刑判決を受けたあと現在、上級審で争っている女性被告は、連合赤軍事件の永田洋子被告ら3人。 (1988年2月9日 朝日新聞)
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昭和23〜24年ごろ確定した事件で Y・マサと言う女性が、近所の裕福なおばあさんを 刃物で殺害、家に火をつけた事件が一審死刑だった記憶がある 娘に晴れ着を着せてやりたいので 着物を貸してくれと頼みに行って断られたのが動機とされていた。 本人は、娘に着せる着物ぐらい持っている、単なる心理上のもつれでの犯行だと 主張していた記憶 山本宏子と似た事件で、こちらの被害者は憎まれることもない 性格のよい老婆だったのに減刑か、と思ったな 例の刑事裁判資料56号に載っている事件 現場の写真がえぐかったので、あんまりじっくり読めなかったw |