戦後に死刑判決を受けた女性被告




(雑記ではイニシャル表記を原則としておりますが、今回は調べればすぐに名前が出てくる人ばかりということもあり、死刑が確定した人、係属中の人は全て実名表記させていただきます。ご容赦ください。また死刑確定囚は死刑囚と表記しています)

 新聞記事を漁ってみると興味深い文章を見つけることがあるが,これもその一つ。


 戦後の裁判で女性に死刑判決が言い渡されたのは、今回の宮崎知子被告で11人目。最近では、炭鉱下請け会社の従業員ら6人が焼死した北海道夕張市の保険金殺人事件の1審判決(62年3月、札幌地裁)以来のことだ。
 最高裁の調べでは、戦後の死刑確定者は628人(62年末現在)いるが、このうち女性は3人だけ。1審で死刑判決を受けたあと現在、上級審で争っている女性被告は、連合赤軍事件の永田洋子被告ら3人。
(1988年2月9日 朝日新聞)


 では、この女性の死刑判決は誰だったのだろう、ということで調べてみる気になった。
 この時点ですでに確定していたのは以下の3人である。


 また上級審で争っていたのは以下の3人である。いずれも後に死刑が確定したので、死刑囚表記とする。また一審判決と前後するが、ここでは確定順に載せてある。


 朝日新聞の記事を信用すると、残るは4人であり、一審で死刑判決を受けたが二審で無期懲役以下に減刑となったということになる。もしくは一審で死刑判決を受けた後に死亡して公訴棄却となったか。
 ただ、新聞記事が正しいという保証もないので、これは地道に調べていくしかない。


 色々と調べたことはあるのだが、ここではまず、戦後女性死刑囚の続きを記すこととする。



 一・二審で死刑判決を受け、現在最高裁へ上告中の女性被告は以下の4人である。


 一審で死刑判決を受け、現在高裁へ控訴中の女性被告は以下の1人である。



 では、一審で死刑判決を受け、二審判決で減刑された人たちは誰か。とりあえずわかっているのは以下。



 かつて2ちゃんねるの「歴代死刑囚 について語ろう〜確定二十七年目〜」(今は過去ログ倉庫)にこんなレスが載っていた。無断で申し訳ないが、転用させていただく。

昭和23〜24年ごろ確定した事件で
Y・マサと言う女性が、近所の裕福なおばあさんを
刃物で殺害、家に火をつけた事件が一審死刑だった記憶がある
娘に晴れ着を着せてやりたいので
着物を貸してくれと頼みに行って断られたのが動機とされていた。
本人は、娘に着せる着物ぐらい持っている、単なる心理上のもつれでの犯行だと
主張していた記憶
山本宏子と似た事件で、こちらの被害者は憎まれることもない
性格のよい老婆だったのに減刑か、と思ったな

例の刑事裁判資料56号に載っている事件
現場の写真がえぐかったので、あんまりじっくり読めなかったw


 調べれば簡単なのかもしれないが、手だてがないので情報待ちとさせていただきたい。


 なお、女性被告の死刑判決が書かれた新聞記事はもう1件ある。それは林真須美被告の一審判決時(2002年12月11日)である。ところが、東京新聞や時事通信では現在の刑事訴訟法が施行された1949年以降、林真須美被告で15人目と書かれているのだが、産経新聞では14人目と書かれているのである。どちらを信用すればよいのか、困ったところである。
 産経の書いているとおり14人目だとしたら、山本、杉浦、小林、日高、諸橋、永田、宮崎、坂本、石川、江藤の各死刑囚計10名に、1957年に仙台地裁で死刑判決を受けた女性と1994年5月17日に東京地裁で死刑判決を受けたT・Y、そして林被告を足してちょうど14人となる。東京新聞の記事を信用=15人とすると、1949年以降にもう1件、一審死刑判決があったこととなる。
 朝日の記事を信用=1989年2月時点で11人とすると、山本、杉浦、小林、日高、諸橋、永田、宮崎の各死刑囚7人に1957年の仙台地裁判決、1947年の大津地裁の判決と2chに載っていた判決を足して、さらにもう1件女性被告に対する死刑判決が存在することとなる。
 なお村野薫は、戦後30年間ぐらいで一審死刑その後減刑されたのは3人と書いている。この場合、大津地裁の判決、仙台地裁の判決、2chに載っていた判決の3件ということとなる。
 新聞記事が絶対というわけではないし、最高裁の統計そのものに誤りがあることもあるので、何が正しいのかはわからない。ただ、男性に比べ、女性に対する死刑判決が圧倒的に低いということだけは間違いない。


【参考文献】
村野薫『そして死刑は執行された』(講談社文庫)
その他、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、東京新聞、北海道新聞、中日新聞、西日本新聞、高知新聞の記事から多くを参考にした。

(2008年11月13日記)



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