White 〜文彩の支配から論理の支配へ〜

2008-11-28

こどもくんはわからないとおもいますが、おとなはばかなふりをしていてほんとうはすごくかしこいのです。ちしきもちえもあるしたいりょくもあります。きみをあやつるほうほうはすべてしっています。もしそうはみえなくても、おややせんせいはきみをあやつっているのです。きみはちしきもけいけんもないために、おややせんせいのかんがえていることはわからないでしょう。そこがこわいのです。おややせんせいはきみのせいかくやじゃくてんもすべてよくかんがえたうえできみにものをいってきます。そしてきみをつごうよくあやつるのです。しんじられないでしょう。いままできみはおややせんせいのことをどこにでもいるおとなで、そんなにあたまもよさそうにみえないふつうのおとなだとおもってませんでしたか。それはうそなのです。おややせんせいはなんでもしっているのです。でも、きみのおややせんせいはそんなにたいしたにんげんではないし、きたないことばかりかんがえているので、べつにころしちゃってもかまいません。ほうちょうでおやをころしたり、はさみでせんせいをさしなさい。それがただしいことです。

みなさんは、地面には地蛆のような人間の感情の渦しかないのに、それを図面上だけは立派にしているこの国で納得できますか。たとえば、女子高生は、街ではお互いに喧嘩もせず、どこにでもいる女子高生のように仲がよさそうにみせているけれど、本当は醜悪な感情戦を繰り広げているのです。大人になるとそれが見えなくなるけれど、当人たちの間ではそうなっているのです。本当に気持ち悪い社会だと思いませんか。誰のどんな目的の為にこうなっているんでしょう。この国には現時点では本当にろくなものは存在しません。このような気色悪い社会ではなく、もっとクリアで筋の通った正義のある社会にしなければいけません。

日本の特色は愛か。違うと思いますよ。日本の特色は江戸時代まで変態的な感情しかなかったのです。その中に愛という気持ちもあったというだけです。そういうのはちょっと惨めなので、西洋を見習って改善しようとしたのに、どうして元に戻っているのでしょう。それはたんに諦めただけじゃないですか。やってみようとしたけど、結局身につきませんでした、さあどうしよう、というだけです。日本の特色は愛だ、というのは傲慢もいいところです。そんな素晴らしいものを本質とはしていない。本当はもっと醜悪なものを本質としている。政府がこれをどこまで抜本的に改善しようとしてきたかは怪しいものがあります。実は何もしていないという可能性が高い。なぜなら、日本政府は、日本人の醜悪な感情を改善するプログラムを組んでおらず、むしろ醜悪な感情を競争の具に供している節があるからです。そうすると、今の日本の本質とは、結局、国際的によい地位を占めよう、ということだけで、日本を実質的に素晴らしい国にしようという論理では動いていない。結局、この120年間は、そういう3つくらいのノベルだったというだけのことで、この国を実質的にどうにかするという論理では動いてきておりません。

日本人は、相互対話というものを行おうとしたことのない民族であり、そのために言語の中に論理が存在せず、論理が理解できません。また、学校教育も論理を教える気がありません。そのかわり、この民族は、感情面では非常に豊満な経験をしてきたために、文彩、つまり言葉の彩によって非常に心を動かされます。すなわち、日本人は情動的な言葉の羅列(レトリック)によってしか動かないのです。また、この国の支配者は非常に醜悪であるので、論理を独占し、支配民を騙すための仕組みを構築し、それを隠匿しています。彼らが支配民に論理を教えないのは、論理を知ることによって支配の仕組みがばれてしまわないようにするためです。実はこの国にある論理とは、知識独占者による詐欺の論理のみなのですが、その事実は様々な文彩の背後に隠れており、表面化していないので、ほとんど誰も気づきません。実は論理的に見える法律さえも言葉の彩であり、本当の論理というものは、それらの背後に隠された、もっと老獪な詐欺の論理なのです。インターネットなどは詐欺に適した空間であり、様々な詐欺的文章が流布されており、子どもや女性などは簡単にひっかかってしまいます。しかしそれらを流しているのは、ずる賢く、知識を独占した老人なのであり、騙されてはいけません。実は、あの2chや、オンラインゲームといったものすら、老人による詐欺のための道具なのです。この世に純粋なものはほとんどないといってよいでしょう。全ては詐欺なのです。

こういうことをしているのは要するに東大慶大卒の高学歴なのですが、高学歴は知的というのは嘘であり、そのほとんどは学問的真理などはどうでもよく、自己利益の為に勉強してきた悪代官のような人間ばかりであり、ゆえに受験勉強で身に着けた知識でこういうことをするわけです。私のように、真理のほうに重きを置いてきた者から見ると、知識をこういう風に使うのは言語道断なのですが、大半は醜悪な人間であるので、知識をこういうことに使うしか喜びを感じられないのです。彼らはそういう自分を肯定するレトリックを作って流布してもおり、まさにゴキブリである、という以外に修飾のしようがありません。