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【土・日曜日に書く】政治部・阿比留瑠比 正攻法だけでは勝てない
≪二つの事例の共通項≫
麻生政権下で起きた中山成彬前国土交通相の辞任と、田母神俊雄前航空幕僚長の更迭という一連の大騒動を見ていて、連想して思いだしたことがある。それは、安倍晋三元首相が首相就任前、記者と雑談しているときなどによく言っていたこんな言葉だ。
「左派勢力は、自分たちの思想をオブラートに包み隠して政府の審議会などに委員となって潜り込み、自分たちの考えを政策に反映させている。それに対し保守勢力は、正面から意見、主張をぶつけてはつぶされている。そこのところをよく考えないといけない」
中山氏は、「日教組は解体しなければいけない」などと発言したことを「失言」とされ、在任わずか5日間で大臣の職を去った。田母神氏は「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いはない」などと意見を表明し、政府見解(日本による植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」)と異なるとして更迭、定年退職させられた。
前者は報道各社の就任インタビューに答えたもので、後者は民間の懸賞論文への応募論文だ。両者は意見表明の場も、それぞれが主張する内容も異なる。ただ、2人とも動機・心情は純粋でも、自分の言葉がどんな結果をもたらすのか、政治的にプラスなのかマイナスなのかを十分計算して発言したようには見えないのが残念だ。
2人が一私人の立場だったならそれでよかったろうが、大臣や空自トップとしてはどうか。保守派は、安倍氏が指摘するような左派勢力の「ずるさ」も学び、取り入れる必要があるのではないか。
≪村山談話の呪縛力≫
田母神氏更迭の大本となった村山談話は、旧社会党左派出身の村山富市元首相の個人的思想・信条が色濃くにじみ、歴史のある一面を反映したものにすぎない。
だが、それでも村山談話は閣議決定を経た政府の公式見解だ。平成10年の日中共同宣言でも「日本側は、村山談話を順守し」とあるように、一種の「国際公約」ともなっている現実があり、保守政治家の安倍氏も麻生太郎首相もこれを踏襲せざるを得なかった。
安倍氏にあるとき、「なぜ村山談話を踏襲したのか。保守派の失望は避けられないが」との疑問をぶつけたことがある。安倍氏は次のように答えた。
「失望を買うのは仕方がない。村山談話や河野談話をいきなり否定していたら、その時点で内閣は倒れていた。耐え難きを耐え、じわじわと前進するしかない」
確かに、村山談話を否定した場合、安倍氏はただちに四面楚歌(そか)の状態に陥り、立ち往生したことだろう。野党やメディアが「危険な軍国主義内閣」として倒閣を叫ぶのは当然のこと、談話肯定派が多数派の与党内からも足を引っ張られ、閣内も意見不一致に陥ったはずだ。外国からも抗議や非難を浴びたのは想像に難くない。
一方で安倍氏は、村山談話を外交の現場で使用しないよう外務省に指示。政府答弁書では村山談話に出てくる「先の大戦」「あの戦争」の表記について、「その時期など具体的に断定することはできない」とあいまいさを指摘し、談話の「骨抜き」を図ってもいた。
≪保守派も悪賢くあれ≫
政治評論家の屋山太郎氏によると、国鉄民営化を行った第2次臨時行政調査会の参与を務めていた昭和56〜57年ごろ、調査会委員の瀬島龍三伊藤忠商事会長に次のようにクギを刺されたという。
「公の場で『これは、国労(国鉄労働組合)つぶしでもある』と言ってはいけない。そのことはみんな頭の中にはあるけれど、それを口にしたら『組合つぶしのための改革か』と必ず誤解され、改革反対勢力の口実に使われる」
当時、国労は左派勢力と結託し、ストライキなどで暴れ回っていた。屋山氏はこのころ、月刊文芸春秋誌に「国鉄労使『国賊』論」を発表していたため目をつけられたようだ。今、「瀬島さんに『君が一番、言い出しそうだから、気をつけてくれ』といわれた。ずるい面も含めて利口な人だった」と振り返る。
ことを成すためには、ときには徹底した慎重さが求められるのだろう。時期を選ばなければ、たとえ「正論」であっても反対勢力を利するばかりということもある。
田母神氏の論文が問題化した後の11月4日、麻生首相は記者団に集団的自衛権の政府解釈の見直しを検討するか聞かれ、「まったくありません」と述べた。首相は9月の国連総会出席時には「僕は解釈を変えるべきものだとずっと言っている」と語っており、この後退ぶりは田母神氏の件と無縁であるとは考えにくい。
中山、田母神両氏の無念さを思うにつけ、保守派にはもっと、悪賢く立ち回るぐらいであってほしいと願う。(あびる るい)