このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2008-11-26 16:58:30 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-現代の理論的諸問題、特に、不確実性の大きな原発災害評価の難しさ-

テーマ:ブログ

【講演要旨】原子力発電所の安全審査では、冷却材喪失事故(Loss of Coolant Accident ; LOCA)時に緊急炉心冷却装置(Emergency Core Cooling System ; ECCS)の的確な作動等により、炉心溶融は、防止できるとの考え方、すなわち、炉心は、溶融しないことを前提にしていますが(スリーマイル島原子力発電所2号機の炉心溶融事故は想定外事故と位置付けています、佐藤一男『原子力安全の論理』参照)、ただし、環境被ばく評価のためには、機械的に、ある量の放射性物質の放出を想定しているとしており(伊方原発行政訴訟における内田秀雄原子力安全委員会委員長の証言、「伊方行政訴訟ニュース」参照)、もし、炉心溶融を想定したならば、軽水炉技術は、成立せず、立地が困難になるために、この条件は、軽水炉による原子力発電を推進する原子力界にとっては、生命線となりますが、反面、矛盾する事項、すなわち、


(1)炉心溶融しなければ、放射能放出がないために、建設コスト増につながる原子炉格納容器の設置の必要性はなくなりますが、そうしていない、

(2)炉心溶融しなければ、原発災害は、考えなくても良いのですが、実際には、原発災害の発生への備えとして、電力会社の負担を軽減するための措置として原子力損害賠償法制度を設けています、


を抱えており、何が実で何が虚か、分からない世界ですが、本音は、発生確率は、低いかもしれませんが、炉心溶融は、起こりえるため、原子炉格納容器を設置し、原子力損害賠償法も設け、万一のための"保険"としており、実際に、巨大な原子力発電所の炉心溶融のシーケンスの摘出と発生確率の算出は、簡単なことではなく、米原子力委員会が実施した「原子炉安全性研究」(WASH-1400(1975)、WASHとは、原子力委員会本部の設置されていたwashingtonの略)において、米原子力委員会は、世界で初めて、NASAで開発された"事象の樹"(event tree)と"失敗の樹"(fault tree)という分析手法の組み合わせにより、炉心溶融に結び付く代表的なシーケンスを洗い出し、その発生確率を算出し、その後も、原子力規制委員会が引き継ぎ、米国の代表的なPWRとBWRの炉心溶融確率と影響を評価しましたが(NUREG-1150(1990)、NUREGは、原子力規制委員会の英語名のNuclear Reguratory Commissionの略)、災害評価の結果は、いずれも検討途中にあって改善の余地のある適用された手法・モデル・採用された定量評価数値により、非常に甘い条件と非常にきびしい条件の間には、数桁の差も存在しており、まだ、最適条件とか最適推定結果・影響は、分かっていませんが、巨大な原子力発電所の安全性を科学的な手法と数値で示せるようにしたのは、その信頼性にかかわらず、手法の進展という意味では、「原子炉安全性研究」は、歴史的出来事であり、それを批判的に再検討した米国物理学会報告(Report to the APS by the study group on light water reactor safety, Rev. Mod. Phys., Vol.47, Suppl. No.1, Summer(1975))も参考になり、そこに記された公式を利用すれば、たとえ、専門的な知識がなくても、原子力発電所・核燃料再処理工場・原子力空母の想定事故によって放出される放射性物質による災害結果を計算することは、簡単にできますが、放出量・天候・風速・人口密度等の計算条件によっては、数桁も結果が異なり、形式的に数字は、算出できるものの、結果の評価は、誰にも的確にできないというのが現状であって、WASH-1400(1975)・NUREG-1150(1990)・瀬尾評価(その後継者の結果も含む)が、過大評価とも過小評価とも断定できず、いまのところ、手法の開発中であって、改良すべき点を摘出し、特に、瀬尾評価では、不確定因子をパラメータにした感度解析や発生確率を組み合わせた最適評価の可能性を模索するしかなく(先端の確率論的安全評価によれば、炉心溶融発生確率は、年間平均マイナス6乗以下であり、原子炉格納容器が破損するのは、それより一桁低いと推定されており、よって、放射性物質大量放出の発生確率は、年間平均マイナス7乗以下となり、工学では、そのオーダーの現象は、実際には起こらないとして、工学的安全対策を施さない方針ですが、そのことは、絶対に起こらないということではなく、過去の例からして、たとえ、それ以下の発生確率の事象でも発生していますので、単純な議論は、できませんので、注意してください)、瀬尾コードがWASH-1400(1975)に先駆けて作成されたことを考慮すれば、歴史的位置と学術的評価は、たとえ、両者に部分的修正を必要とする箇所があったとしても、評価し過ぎてし過ぎることは、ないように思えます(原子力産業界の一部の人達は、瀬尾評価が桁外れの過大評価になっていると批判していますが、それ以上に、炉心溶融しないとして今日まで軽水炉の災害評価を怠ってきた関係省庁・原子力研究機関・原子力界の人たちこそ、批判されるべきです)。



2008-11-26 12:06:24 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-コンピュータ・ダウン・サイジングの流れの中でのPCの位置付け-

テーマ:ブログ

【講演要旨】これまでの34年間(28-62歳、ただし、この間、組織に属さず、個人で仕事をしていた時期も含みます)、炉物理実験と炉物理解析を実施してきましたが(バックナンバー参照、講演では約10分間解説、以下同様)、原子力技術の集大成として、最も威力を感じたのは、工学的応用技術のひとつであるコンピュータ・シミュレーション技術であり(バックナンバー参照)、たとえば、(1)材料試験炉のような大型炉心の炉心核計算(バックナンバー参照)、(2)核燃料サイクル施設の臨界安全解析・放射線遮蔽安全解析(バックナンバー参照)、(3)原子力発電所の核熱流動安全解析(バックナンバー参照)等ですが、その間、コンピュータの処理速度と記憶容量は、右肩上がりを続け、スーパーコンピュータの時代になりましたが、1990年代初めから、それまでとはまったく異なった特異な現象が生じ(コンピュータ・ダウン・サイジング)、個人所有に近いような利用ができる高速EWSになり、計算環境は、飛躍的に改善され、さらに、2000年頃から高速・大容量PCの時代になり、いまでは、数GHz・数十GbytesのPC(桜井淳所長はノート型PC3台保有・利用)での大型炉心核計算解析・核燃料サイクル施設の臨界安全解析や放射線遮蔽安全解析・原子力発電所の核熱流動安全解析が自由自在に出来るようになり(計算の実行は、いずれも、PCのコマンドプロンプト画面(XPの場合)でのバッチ処理であるため)、計算操作には、基本的なDOSコマンドの知識が必要になります)(バックナンバーの各種学術セミナーの実施内容参照)、自宅・出張途中・国内外出張先・駅や空港での待ち時間・飛行機の中等、いたるところで、計算条件を設定し直し、すなわち、入力を修正し、計算を継続することができ、コンピュータ・ダウン・サイジングの考え方とPCの科学計算への適用を視野に入れた高速化・大容量化の歴史的意味は、計り知れないものがあり、今後も、PCによる時代が続くものと推察されます。



補足(原研発足時からの設置コンピュータ、原研編『原研三十年史』のp.318より引用)


1958 IBM 650(この相対的処理能力を1倍とすれば) 日本で最初に本格的な実用的コンピュータを米国から導入

1963 IBM 7044(200倍)

1969 FACOM 230-60(1 CPU)(400倍) 国の産業政策として国産コンピュータを育成するための歴史的大転換(機種変更に伴うインストールで生じる問題等については、プログラム修正等を含むすべての作業は、原研計算センターが責任を持って実施しました)

1971 FACOM 230-60(2 CPU×2)(1600倍)

1975 FACOM 230-75(2 CPU×2)(9600倍)

1980 FACOM M200(2基),M 200AP(28800倍) 桜井所長は材料試験炉の炉心核計算に利用(これまではカード入力の時代)

1982 FACOM M380, M200, M-380AP(50400倍) 桜井所長は材料試験炉の炉心核計算に利用(このあたりからファイル入力の時代への移行期)

1984 FACOM VP-100, M-380R, M380AP(79200倍) 桜井所長は原子力安全解析所からのアクセスで原子炉核熱流動解析に利用

1985 FACOM VP-100(2基), M-380R, M380AP, M-380(136800倍) 桜井所長は原子力安全解析所からのアクセスで原子炉核熱流動解析に利用

以下、略(1990年代から、コンピュータ・ダウン・サイジングの時代へ)


2008-11-25 22:27:30 stanford2008の投稿

『桜井淳著作集』(論創社)第2巻の内容-収録論文一覧表-

テーマ:ブログ

第2巻「科学技術評論Ⅱ-新聞文化欄等論文・月刊誌等短編-」500頁


第一部 新聞文化欄等論文


第1章 1990-1995
「崩壊する巨大システム」、『毎日新聞』1991年2月8日付、毎日新聞社
「機密のベールに覆われた美浜原発事故」、『毎日新聞』1991年8月5日付、毎日新聞社
「米、老朽原発の運転期間を延長 飛行機の墜落より高くなる事故確率」、『日経産業新聞』1991年11月26日付、日本経済新聞社
「美浜原発2号機事故 最終報告書を読んで 構造的欠陥見逃すな」、『中日新聞』1991年11月26日付、中日新聞社
「蒸気発生器 加圧水型原子炉に弱点」、『日経産業新聞』1992年2月25日付、日本経済新聞社
「交換時期迫る蒸気発生器 原発に新たな課題-上」、『日経産業新聞』1992年5月26日付、日本経済新聞社
「交換時期迫る蒸気発生器 原発に新たな課題-下」、『日経産業新聞』1992年5月27日付、日本経済新聞社
「タイムスリップしたあかつき丸」、『信濃毎日新聞』1992年12月4日付、信濃毎日新聞社
「問題抱えるロシアの原発」、『東京新聞』1992年12月8日付、中日新聞社
「どうするプルトニウム利用反対 50年くらい時期尚早」、『東京新聞』1992年12月15日付、中日新聞社
「夢の次世代新幹線STAR21に試乗」、『東京新聞』1993年4月6日付、中日新聞社
「「のぞみ」耐久試験やり直せ」、『読売新聞』1993年5月7日付、読売新聞社
「旧ソ連原発の安全性問題-上」、『日経産業新聞』1993年7月14日付、日本経済新聞社
「旧ソ連原発の安全性問題-下」、『日経産業新聞』1993年7月15日付、日本経済新聞社
「旧ソ連原発に西側チーム常駐」、『東京新聞』1993年9月7日付、中日新聞社
「ロシア原発 暖房・給湯システム実施」、『産経新聞』1993年10月20日付、産経新聞社
「「のぞみ」のボルトはなぜ緩む 異種構造材締結のワナ アルミ合金材ボルトの利用を」、『日経産業新聞』1994年1月27日付、日本経済新聞社
「旧ソ連型原発閉鎖急げ」、『読売新聞』1994年8月25日付、読売新聞社
「ドイツ新幹線事故の教訓」、『読売新聞』1994年9月2日付
「ひび割れ相次ぐ老朽原発」、『日経新聞』1994年11月5日付、日本経済新聞社
「世界の原発の安全は守れるか」、『毎日新聞』1994年12月1日付、毎日新聞社
「ロシアの研究所で感じたこと」、『東京新聞』1994年12月13日付、中日新聞社
「ロシアの核兵器解体」、『聖教新聞』1995年1月5日付、創価学会
「老朽原発の耐震性」、『読売新聞』1995年9月6日付、読売新聞社
「ボルトからこれだけ分かる」、『東京新聞』1995年10月24日付、中日新聞社
「原子力施設の耐震性で問われるものは? 老朽原発の耐震指針を」、『朝日新聞』1995年12月9日付、朝日新聞社


第2章 1996-2000
「安全とは何か」、『毎日新聞』1996年1月25日付、毎日新聞社
「公正な眼で真実をみきわめるには」、『JAST-NEWS』1996年1月、No.5、日本科学技術ジャーナリスト協会
「高燃焼度燃料の再処理に難題」、『日経産業新聞』1996年2月1日付、日本経済新聞社
「福島原発配管ひび割れ 応力腐食割れは老朽化原因」、『日経産業新聞』1996年12月15日付、日本経済新聞社
「中国・台湾とどう付き合うか-原発の安全面で協力を」、『朝日新聞』1996年12月23日付、朝日新聞社
「原発安全対策に落とし穴」、『読売新聞』1997年3月26日付、読売新聞社
「前例ない隔壁交換へ」、『日経産業新聞』1997年4月13日付、日本経済新聞社
「日本型技術開発」の袋小路」、『毎日新聞』1997年5月4日付、毎日新聞社
「守られなかった基本」、『日刊工業新聞』1997年9月12日付、日刊工業新聞社
「東電福島第一・炉心構造物の交換工事」、『日経産業新聞』1997年11月4日付、日本経済新聞社
「原発老朽化不十分な対策」、『読売新聞』1997年11月7日付、読売新聞社
「原子力界の異常な安全感覚」、『茨城新聞』1997年12月18日付、茨城新聞社
「産業への原子力熱利用-安全・経済性克服が課題」、『日経産業新聞』1998年2月1日付、日本経済新聞社
「原子炉に潜る 体験記」、『東京新聞』1998年3月24日付、中日新聞社
「インターネットで何が変るか」、『産経新聞』1998年4月25日付、産経新聞社
「プルサーマル、課題山積」、『日経産業新聞』1998年5月12日付、日本経済新聞社
「独新幹線事故の衝撃-非破壊検査の精度磨け」、『日経産業新聞』1998年6月23日付、日本経済新聞社
「高速化と安全性の課題」、『毎日新聞』1998年7月6日付、毎日新聞社
「ネット社会の不心得者」、『東京新聞』1998年8月27日付、中日新聞社
「長期戦略で核不拡散」、『読売新聞』1998年10月1日付、読売新聞社
「核燃料輸送容器製造データ改ざん-も停められる倫理観」、『日経産業新聞』1998年10月23日付、日本経済新聞社
「スパコンに迫るパソコン」、『東京新聞』1998年11月5日付、中日新聞社
「ITER、米撤退で揺らぐ」、『日経産業新聞』1998年12月13日付、日本経済新聞社
「低レベル廃棄物ドラム缶腐食-内部コンクリートの水分対策を」、『東京新聞』1999年1月26日付、中日新聞社
「ドイツ新幹線事故は警告する」、『東京新聞』1999年7月27日付、中日新聞社
「新幹線の安全対策を急げ」、『毎日新聞』1999年8月2日付、毎日新聞社
「敦賀原発事故 溶接線に沿う亀裂 製造・施工ミスの可能性」、『日経産業新聞』1999年8月12日付、日本経済新聞社
「現代技術の脆弱さ」、『読売新聞』1999年8月16日付、読売新聞社
「ドイツ新幹線事故の教訓」、『読売新聞』1999年9月2日付、読売新聞社
「「40日点検」で原発は安全か」、『朝日新聞』1999年10月7日付、朝日新聞社
「東海村JCO事故の背景 経営能力のなさを無理な生産でカバー」、『聖教新聞』1999年10月14日付、創価学会
「日本型危機管理の崩壊」、『毎日新聞』1999年11月14日付、毎日新聞社
「「プルサーマル」開始-信頼性低い欧州燃料棒」、『東京新聞』1999年11月30日付、中日新聞社
「教育と技術更新に力を」、『朝日新聞』1999年12月22日付、朝日新聞社
「熟練者生かす工夫を」、『朝日新聞』1999年12月23日付、朝日新聞社
「国は十分チェック機能を」、『朝日新聞』2000年1月28日付、朝日新聞社
「原子炉圧力容器の亀裂-カメラ検査で発見できず-」、『東京新聞』2000年2月29日付、中日新聞社
「被爆と人間 臨界事故の土壌 「安全神話」をもたらしたもの 国策に技術者も妥協」、
『中国新聞』2000年2月11日付、中国新聞社
「被爆と人間 臨界事故の土壌 なぜJCOはルール違反をしたか コスト削減へ効率追求」、『中国新聞』2000年2月11日付、中国新聞社
「日本の技術力を疑う-上」、『日経産業新聞』2000年3月22日付、日本経済新聞社
「日本の技術力を疑う-下」、『日経産業新聞』2000年3月23日付、日本経済新聞社
「日比谷線脱線事故の検証 過密スケジュール社会がもたらした人為ミス」、『聖教新聞』2000年6月1日付、創価学会
「パソコンの音声入力機能」、『東京新聞』2000年6月20日付、中日新聞社
「原子力界の安全感覚 改革の兆し、より周囲の声聞くべし」、『東京新聞』2000年9月26日付、中日新聞社
「臨界事故から一年 このままでは更なる被ばく事故が」、『聖教新聞』2000年10月19日付、創価学会
「放射性廃棄物大量管理に警告」、『産経新聞』2000年11月4日付、産経新聞社
「老朽原子炉の安全-生データの検証を-」、『日経産業新聞』2000年11月7日付、日本経済新聞社
「軍事優先の書く技術50年 つぶされてゆく民生技術」、『毎日新聞』(文化欄)2000年11月20日付、毎日新聞社
「髙木仁三郎氏を悼む 市民科学者の立場で原子力のあり方を示す」、『東京新聞』(文化欄)2000年11月28日付、中日新聞社
「髙木仁三郎氏が目指したもの」、『聖教新聞』(文化欄)2000年12月28日付、創価学会


第3章 2001-2004
「国際熱核融合実験炉ITER・日本への誘致は得策か」、『産経新聞』(文化欄)2001年5月12日付、産経新聞社
「軽水炉で応力腐食割れ」、『日経産業新聞』2001年7月30日付、日本経済新聞社
「不確実性の中での新原子力開発」、『毎日新聞』(文化欄)2001年9月4日付、読売新聞社
「もし、原発に大型機墜落したら 急降下しない限り大事故の可能性低い」、『東京新聞』(文化欄)2001年10月16日付、中日新聞社
「原発と危機管理」、『創価新報』(文化欄)2001年11月7日付、創価学会
「浜岡原発炉水漏れ 全溶接部に非破壊検査を 老朽化からむ複合現象」、『日経産業新聞』2001年12月11日付、日本経済新聞社
「老朽化大作の確立に期待」、『産経新聞』(文化欄)2002年2月16日付、産経新聞社
「想定外事象の摘出を 原発配管破断事故に学ぶ」、『毎日新聞』(文化欄)2002年2月24日付、毎日新聞社
「浜岡原発事故 専門家でも説明つかぬ現象 衝撃の安全神話崩壊」、『東京新聞』(文化欄)2002年2月26日付、中日新聞社
「浜岡2号機の漏水トラブル 原発の保守基準見直しを」、『日経産業新聞』2002年4月7日付、日本経済新聞社
「偽りの「安全」 原発不正 GE頼み裏目に 設計根拠分からず 第三者チェック厳しく」、『朝日新聞』2002年9月2日付、朝日新聞社
「東電データ隠し 偶発で説明つかない亀裂」、『日経産業新聞』2002年9月6日付、日本経済新聞社
「この人に聞きたい 老朽原発に厳しい目を」、『朝日新聞』2002年10月13日付、朝日新聞社
「「病む」原発 専門家に問う(上) ひびの原因究明こそ優先 新たな問題 維持基準」、『朝日新聞』2002年3月7日付、朝日新聞社
「「社会技術」とは何か 「国民の安全確保」という視点」、『産経新聞』(文化欄)2002年6月28日付、産経新聞社
「技術ブラックボックス化懸念」、『日経産業新聞』2002年10月29日付、日本経済新聞社
「MIT報告書「原子力発電の将来」を読む(上)」、『茨城新聞』2004年1月1日付、茨城新聞社
「MIT報告書「原子力発電の将来」を読む(下)」、『茨城新聞』2004年1月2日付、茨城新聞社
「ロケット開発 姿勢を根底から見直せ」、『朝日新聞』2004年2月13日付、朝日新聞社
「原発事故 日本は優秀の錯覚捨てよう」、『毎日新聞』2004年8月28日付、毎日新聞社


第二部  月刊誌・週刊誌短編


第1章 原子力
「幼稚な「原発技術論」は終焉の時-議論から選択の時代へ-」、『週刊エコノミスト』1989年10月3日号、毎日新聞社
「「原発事故学」の構築を」、『原子力工業』1990年1月号、日刊工業新聞社
「危険な原発の寿命延長」、『中央公論』1990年1月号、中央公論社
「チェルノブイリだけではない ソ連原発脆性破壊の恐怖」、『SAPIO』1990年5月24日号、小学館
「日本の原発の安全性を問う-商業炉の脆弱性は克服されたのか-」、『週刊エコノミスト』1990年10月2日号、毎日新聞社
「ソ連型原子炉は100万倍も危険」、『週刊東洋経済』1990年12月1日号、東洋経済新報社
「関電は事故を軽微に見せようとしている」、『週刊エコノミスト』1991年4月2日号、毎日新聞社
「福井県・美浜原発事故-崖っぷちで惨事まぬがれ」、『週刊エコノミスト』1991年9月26日号、毎日新聞社
「美浜原発事故が提起した問題-材料の「経年変化対策」は十分か-」、『原子力工業』1991年5月号、日刊工業新聞社
「美浜原発の技術論-安全性再構築のためのターニングポイント-」、『原子力工業』1991年6月号、日刊工業新聞社
「美浜原発事故が突きつけた課題とは何か-定期点検と安全基準の「限界」-」、『経済セミナー』1991年6月号、日刊工業新聞社
「巨大システムの安全を脅かす社会的要因」、『原子力工業』1991年7月号、日刊工業新聞社
「巨大システムに潜む脆弱性」、『エコノミスト』1991年9月24日号、毎日新聞社
「意外に大きい低線量放射線リスク」、『週刊東洋経済』1992年2月8日号、東洋経済新報社
「廃棄物はどこまでコントロールされているか」、『文藝春秋』1992年2月号、文藝春秋
「原発の高い破壊確率は許容されるか」、『経済セミナー』1992年3月号、日本評論社
「特集 旧ソ連もうひとつの危機 旧ソ連・東欧の全原発を即刻停止せよ-続くロシアンルーレットの恐怖-」、『週刊エコノミスト』1992年5月26日号、毎日新聞社
「旧ソ連製原子炉が抱える構造欠陥-レニングラード原子力発電所事故が提起した問題-」、『現代化学』1992年6月6日号、東京化学同人
「CIS原子炉は技術支援では救えない」、『週刊東洋経済』1992年6月6日号、東洋経済新報社
「高レベル放射性廃棄物の消滅処理は商業的に可能なのか」、『現代化学』1992年9月6日号、東京化学同人
「ロシア原発には大事故への芽が潜む」、『世界週報』1992年12月15日号、時事通信社
「「あかつき丸」は科学の問題でなく「官僚制」の問題である」、『SAPIO』1992年12月24日号、小学館
「エンマ帖 プルトニウム問題の虚構情報」、『文藝春秋』1993年1月号、文藝春秋
「ロシア共和国クルスク原発の技術力-安全実績に潜む脆弱性-」、『現代化学』1993年1月6日号、東京化学同人
「「チェルノブイリ事故」再発の懸念」、『週刊東洋経済』1993年2月6日号、東洋経済新報社
「非常識国家・ロシアの「核汚染」が日本列島に忍び寄る日」、『SAPIO』1993年6月10日号、小学館
「極東・東アジアにも広がる危険な原発」、『世界週報』1993年8月3日号、時事通信社
「リアリティに欠ける新エネルギー技術論」、『週刊エコノミスト』1993年11月9日号、毎日新聞社
「ロシア核汚染恫喝」、『SAPIO』1993年11月11日号、小学館
「今なお続くロシアの放射能垂れ流し」、『週刊東洋経済』1993年11月20日号、東洋経済新報社
「ロシアの海洋投棄は「安全軽視」の帰結だった」、『世界週報』1993年11月23日号、時事通信社
「旧ソ連秘密核都市と核汚染地図」、『SAPIO』1993年11月23日号、小学館
「ロシア最新鋭原発が危ない」、『Quark』1993年12号、講談社
「ロシアの海洋投棄は違法だが日本の合法的放出も膨大な量」、『週刊ダイヤモンド』1993年12月4日号、ダイヤモンド社
「ロシア海洋投棄続行 日本は本格的管理時代 」、『週刊東洋経済』1994年1月1日号、東洋経済新報社
「ブラックステーションアウトの恐怖-ブランンズフェリー原発1号機のケーブル火災事故例-」、『原子力工業』1991年7月号、日刊工業新聞社
「中性子で放射能を消滅する方、『世界週報』1994年1月、講談社
「高速増殖炉「もんじゅ」-核不拡散の逆風下に臨界」、『週刊ダイヤモンド』1994年4月9日号、ダイヤモンド社
「余剰プルトニウムに国際監視 再処理計画の見直し迫られる」、『日経ビジネス』1994年4月18日号、日経PB社
「北朝鮮はなぜ査察を拒否するか」、『世界週報』1994年4月28日号、時事通信社
「「もんじゅ」安全評価は十分か-材料の経年変化予測に疑問あり-」、『日経ビジネス』1994年7月号、日経PB社
「何がプルトニウムの平和利用を阻むか」、『経済セミナー』1994年8月号、日本評論社
「対策の遅れが目立つロシアのプルトニウム問題」、『世界週報』1994年9月6日号、時事通信社
「ロシア「核」流出」、『SAPIO』1994年9月24日号、小学館
「年間十回 280本のガラス固化体の行方」、『週刊東洋経済』1994年12月31日号、東洋経済新報社
「問題点が山積・世界の軽水炉「安全運用」の現実」、『世界週報』1995年2月28日号、時事通信社
「ロシア核兵器解体プルトニウムの利用計画」、『原子力工業』1995年4月号、日刊工業新聞社
「原子力発電所は大地震に耐えられるか」、『プレジデント』1995年4号、プレジデント社
「「もんじゅ」は危険を増殖する」、『Quark』1995年5月号、講談社
「「中国原発急」拡大の恐怖」、『Forsight』1995年6月号、新潮社
「日本に返還される高レベル放射性廃棄物-輸送と保管の安全は確保されているのか-」、『現代化学』1995年5月号、東京化学同人
「中国の「自力更生」原発は安全面で多くの不安」、『世界週報』1995年10月3日号、時事通信社
「日本を急迫する韓国の原発」、『世界週報』1995年10月31日号、時事通信社
「ガラス固化体の返還進む 地価貯蔵地の選定に難関」、『週刊ダイヤモンド』1995年12月30日号、ダイヤモンド社
「台湾原発開発の光と影」、『世界週報』1996年1月2-9日号、時事通信社
「日本なみになった韓国の原子力発電技術-世界最高の設備利用率の謎-」、『現代化学』1996年1月号、東京化学同人
「「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故-過去の大事故を無視した技術過信の設計-」、『現代化学』1996年2月号、東京化学同人
「「もんじゅ」運転再開の最低条件」、『週刊東洋経済』1996年2月号、東洋経済新報社
「原子力発電はなくならない」、『文藝春秋』1996年2月10日号、文藝春秋
「チェルノブイリ事故再発も心配されるロシア原発の危険度」、『世界週報』1996年6月4日号、時事通信社
「原子力政策円卓会議に出席して」、『世界』1996年8月号、岩波書店
「設計ミスが招いた「もんじゅ」の事故-事故調査中間報告書を読んで-」、『現代化学』1996年8月号、東京化学同人
「アジアの風」とソフトエネルギー革命」、『経済往来』1997年1月号、経済王来社
「特集 この二十人を論破する 七 広瀬 隆 「もんじゅ事故」で日本壊滅とは笑止千万」、
『諸君』1997年2月号、文藝春秋
「石炭化学の高度化とソフトエネルギー開発こそ必要」、『世界週報』1997年2月4日号、時事通信社
「動燃は放射能漏れを少なく見せている」、『週刊ポスト』1997年3月28日号、小学館
「韓国原子力発電所の1995年度運転状況」、『原子力工業』1997年4月号、日刊工業新聞社
「動燃につぎこまれた「税金三兆円」」、『週刊文春』1997年4月24日号、文藝春秋
「動燃再処理工場爆廃棄物固化施設で発生した火災・爆発事故-施設設計と運転管理に重大な不手際-」、『現代化学』、1997年5月号、東京化学同人
「事故は語る 段差形状にRを付け忘れ-「もんじゅ」の液体ナトリウム漏れ事故-」、『日経メカニカル』1997年5月26日号、日経PB社
「日本型技術開発の欠陥 動燃が解体される真の理由」、『週刊東洋経済』1997年6月14日号、東洋経済新報社
「「もんじゅ」事故から再処理施設事故へ」、『原子力工業』1997年7月号、日刊工業新聞社
「古いBWRに抜本的検査・研究体制を」、『サイアス』1997年7月4日号、朝日新聞社
「コメンタリー「古いBWRに抜本的検査・研究体制を」への投書」、『サイアス』1997年8月1号、朝日新聞社
「事故は語る 動燃再処理工場の爆発-安易な運転条件の変更が引き金に-」、『日経メカニカル』1997年8月18日号、日経PB社
「ボイス往来 牧野昇氏への反論」、『Voice』1997年9月号、PHP研究所
「「夢」に終わった夢の原子炉」、『経済セミナー』1997年9月号、日本評論社
「世界が注目する大改造工事」、『サイアス』1997年10月17日号、朝日新聞社
「経験と教訓に目をつぶった「急拡大優先」のツケ」、『サイアス』1997年12月19日号、朝日新聞社
「老朽原子炉で炉心大改造-福島第一原子力発電所3号機の具体例-」、『現代化学』、1998年5月号、東京化学同人
「安全を確保できない甘く消極的な報告書」、『サイアス』1998年8月21日号、朝日新聞社
「平成十年度原子力白書 動燃改革を記述するも抽象的」、『原子力工業』1998年9月号、日刊工業新聞社
「核燃料サイクルでの位置づけと安全性の議論に欠ける視点」、『サイアス』1998年11月6日号、朝日新聞社
「事故は語る 核燃料輸送容器データ改ざん事件」、『日経メカニカル』1999年1月号、日経PB社
「環境対応型技術の開発が必用」、『週刊東洋経済』1999年1月30日号、東洋経済新報社
「核融合実験炉は是か非か」、『日経メカニカル』1999年2月号、日経PB社
「プルサーマルの課題」、『原子力eye』1999年4月号、日刊工業新聞社
高速増殖炉の失敗教訓に広い視野で夢の実現を」、『サイアス』1999年5月号、朝日新聞社
「意外に高い放射線被曝-長期滞在は無理かも」、『サイアス』1999年10月号、朝日新聞社
「桜井淳が目撃! 問題施設は町工場並みだ」、『週刊文春』1999年10月14日号、文藝春秋
「原子力行政「杜撰」の衝撃」、『週刊新潮』1999年10月14日号、新潮社
「原子力史に残る臨界事故が町工場で起きた衝撃となぜ」、『週刊エコノミスト』1999年10月19日号、毎日新聞社
「プルサーマル・商業技術である限り不確定要因の除去が必要」、『ECO21』1999年11月号、日経ホーム出版社
「安全審査の欠陥露呈した臨界事故」、『世界週報』1999年1月2日号、時事通信社
「事故は語る 「東海村・臨界事故」の真相-経営難のJCOが犯した“確信犯的人為ミス”-」、『日経メカニカル』1999年11月号、日経PB社
「原子力発電所における光通信技術の利用状況」、『原子力eye』1999年11月号、日刊工業新聞社
「高経年炉の安全評価項目と研究課題-通産省の報告書を読む」、『サイアス』1999年11月号、朝日新聞社
「能力を超えた作業の自滅-歴史に残る恥ずべき出来事」、『サイアス』1999年12月号、朝日新聞社
「東海村臨界事故の原因と今後の防止策」、『現代化学』1999年12月号、東京化学同人
「マネジメント真空地帯に起こった核の町工場」、『プレジデント』1999年12月号、プレジデント社
「JCO臨界事故-今後の展開を読む」、『原子力eye』1999年12月号、日刊工業新聞社
「老朽原発の寿命延長に不安はないか」、『週刊エコノミスト』1999年12月14日号 、毎日新聞社
「市民の目の高さで考え共に歩む秀才の人生」、『サイアス』2000年1月号、朝日新聞社
「この目で見た! 日本最古の商業用原発、敦賀1号機・原子炉圧力容器の亀裂の印象」、『ECO21』2000年号、日経ホーム出版社
「日本の技術力 数年あれば「プルトニウム抽出」「起爆装置」・・・日本の核兵器開発は可能」、『SAPIO』2000年1月26日号・2月9日号合併号、小学館
「原子力政策-現実的な老朽化対策こそ安全確保の最大の課題」、『週刊エコノミスト・臨時増刊号』2000年2月7日号、毎日新聞社
「敦賀2号機の一次冷却水漏れ-一ミリの施工ミスが招いた高サイクル熱疲労-」、『日経メカニカル』2000年3月号、日経PB社
「敦賀原発の亀裂を見た-全BWRに緊急点検の必要あり」、『週刊エコノミスト』2000年3月7日号、毎日新聞社
「原子力安全確保の課題-臨界事故調査報告書を読んで-、システム自体が不適切 四半世
紀もの意識の遅れ」、『サイアス』2000年4月号、朝日新聞社
「敦賀1号機のシュラウドに数百のき裂」、『日経メカニカル』2000年5月号、日経PB社
「経済効率と安全性は両立するのか」、『科学』2000年7月号、岩波書店
「日本の技術力 日本の「造船」「原子力」技術には米国を凌ぐ最新鋭空母を造る潜在能力がある」、『SAPIO』2000年7月12日号、小学館
「技術立国の神話は崩壊したのか?」、『Forbers』2000年夏号、㈱ぎょうせい
「浮上する放射性廃棄物問題 市民的危機管理が必要に」、『サイアス』2000年8月号、朝日新聞社
「構造物や原子炉に疑問次々 クルスクは欠陥だらけ?」、『サイアス』2000年11月号、朝日新聞社
「市民科学者 高木仁三郎さんを悼む」、『現代化学』2001年2月号、東京化学同人
「厳しい現状に「柔軟かつ現実的選択」」、『週刊エコノミスト』2001年2月5日号、毎日新聞社
「老朽施設の安全確保のために適切な安全規制を期待する」、『原子力eye』2001年4月号、日刊工業新聞社
「危機管理下における情報公開の重要性-再臨界停止手順をめぐって」、『科学』2001年6月号、岩波書店
「プルサーマルの現状と課題」、『現代化学』2001年6月号、東京化学同人
「原子力発電施設のコンクリート加水問題を追って」、『原子力eye』2001年7月号、日刊工業新聞社
「浜岡原子力発電所における配管の水素爆発のメカニズム-原子炉の化学的側面からの分析-」、『現代化学』2001年8月号、東京化学同人
「台湾の馬鞍山原発1号機でステーション・ブラックアウト事故」、『原子力eye』2001年8月号、日刊工業新聞社
「原発に航空機テロが起これば死者数千人、損害額20兆円に」、『週刊エコノミスト』2001年10月30日号、毎日新聞社
「改良型蒸気発生器の信頼性評価」、『原子力eye』2001年11月号、日刊工業新聞社
「浜岡原発1号機事故 三つの深刻な問題を抱える世界でもまれな異常現象」、『週刊エコノミスト』2001年11月27日号、毎日新聞社
「引きちぎられた浜岡原発の配管 原子力事故史上初めての「水素爆発」」、『日経メカニカル』2002年2月号、日経PB社
「国際核融合実験炉 国内誘致先・六ヶ所村決定の「政治的思惑」」、『週刊エコノミスト』2002年2月11日号、毎日新聞社
「開発は再編・変革の過渡期」、『週刊エコノミスト』2002年6月18日号、毎日新聞社
「日米比較論 効率追求の原発の危うさ」、『世界週報』2002年8月6日号、時事通信社
「原子力における機械とエンジニアリングのエージング」、『科学』2002年9月号、岩波書店
「浜岡原発事故の印象」、『原子力eye』2002年9月号、日刊工業新聞社
「東電、約十年も点検記録を改ざん 氷山の一角か、他の炉も亀裂の恐れ」、『Design and Manufacturing』2002年10月号、日経PB社
「私はテロをこうシミュレートする」、『SPA!』2003年1月28日号、扶桑社
「北朝鮮「核兵器保有説」への疑問」、『週刊エコノミスト』2003年2月18日号、毎日新聞社
「使用済み燃料棒の腐食、起爆装置は未完成 「金日成の核兵器」は張子の虎だ」、『SAPIO』2003年2月26日号、小学館
「北朝鮮に原爆はあるのか」、『世界週報』2003年3月25日号、時事通信社
「高レベル廃棄物の貯蔵所建設が課題に」、『週刊エコノミスト』2003年4月14日号、毎日新聞社
「高濃縮ウランかプルトニウムか いずれにせよ起爆装置開発には2-3年かかる」、『SAPIO』2003年6月11日号、小学館
「原子力発電の当面の課題-日本が後追いする米国式状態監視技術の中身-」、『原子力eye』2003年8月号、日刊工業新聞社
「宇宙開発と原子力開発の共通点-技術の脆弱性は克服できるのか-」、『世界週報』2004年5月4日号、時事通信社
「北朝鮮核疑惑 カーン博士が見た原爆は本物か「から箱」か」、『週刊エコノミスト』2004年5月11日号、毎日新聞社
「原発は二十年たったら何が起こるか分からない」、『サンデー毎日』2004年829、毎日新聞社
「予測は可能だった 美浜原発蒸気噴出事故-老朽機の材料劣化と検査の不備が初の死亡事故を招く-」、『日経ものづくり』2004年9月号、日経PB社
「美浜原発3号機事故 関西電力のずさんな管理 下請けに検査丸投げの危険」、『週刊エコノミスト』2004年9月7日号、毎日新聞社
「食い止められない原子力界の劣化現象」、『週刊金曜日』2004年9月24日号、週刊金曜日
「美浜原発復水配管破裂事故はなぜ発生したのか-整備の遅れている老朽機の技術基準-」、『現代化学』2004年10月号、東京化学同人
「老朽原発の安全をいかに守るか-美浜3号機事故の教訓-」、『世界週報』2004年10月12日号、時事通信社
「日本の原発はまだ一度も大地震を経験したことがない」、『週刊エコノミスト』2004年12月7日号、毎日新聞社
「経済効果と利便性のみを追求 脱線・転覆なら死者数千名に」、『週刊エコノミスト』2004年12月7日号、毎日新聞社


第2章 新幹線
「山形新幹線 「安全神話」に赤ランプ」、『週刊文春』1992年7月16日号、文藝春秋
「新幹線「安全神話」を崩壊させるな」、『SAPIO』1992年7月23日号、小学館
「新幹線「のぞみ」は大惨事一歩手前だ JR機密文書をスッパ抜く」、『週刊文春』1992年7月30日号、文藝春秋
「新幹線トラブルと欠陥技術」、『週刊東洋経済』1992年7月16日号、東洋経済新報社
「私が運転士・整備士から聞きだした 夢の新幹線「のぞみ」270キロ運転の危うい話」、『週刊ポスト』1992年9月11日号、小学館
「JRがひた隠しにする新幹線ひかりの重大欠陥」、『週刊文春』1992年11月26日号、文藝春秋
「「のぞみ・山陽新幹線」 トンネル走行は大丈夫か」、『週刊ポスト』1993年3月26日号、小学館
「世界がしのぎを削る鉄道の高速化」、『世界週報』1993年4月20日号、時事通信社
「「のぞみ」はいずれ脱線転覆!?」、『Quark』1993年7月号、講談社
「新幹線「のぞみ」の事故はなぜくり返されるのか」、『週刊ダイヤモンド』1994年2月12日号、ダイヤモンド社
「世界の新幹線と安全問題」、『公明』1994年7月号、公明党出版局
「「六割の安全性」で成り立っているのが現代技術に共通した欠陥 このまま放置するとあなたもいつか殺される」、『週刊ダイヤモンド』1994年11月5日号、ダイヤモンド社
「新幹線は大地震に耐えられない」、『公明』1995年3月号、公明党出版局
「新潟中越地震 新幹線は脱線・転覆を想定し 高速化のリスク評価急げ」、『週刊エコノミスト』1994年2月12日号、毎日新聞社


第3章 宇宙
「宇宙に大発電所ができる」、『週刊東洋経済』1999年4月3日号、東洋経済新報社
「日本の宇宙開発の技術力と宇宙発電の可能性」、『原子力eye』1999年7月号、日刊工業新聞社
「太陽光宇宙発電の可能性」、『原子力eye』1999年9月号、朝日新聞社
「産業技術「衰退」を映す日本の宇宙開発力」、『週刊エコノミスト』1994年1月27日号、毎日新聞社
「H2A打ち上げ失敗 調査報告書が示す当てにならない専門家」、『週刊エコノミスト』1994年3月9日号、毎日新聞社
「H2Aロケット 再現実験でノズルに穴 6号機失敗は防げた事故」、『週刊エコノミスト』1994年8月24日号、毎日新聞社


第4章 産業技術
「「脱原発」路線を明確にした米国の新エネルギー政策」、『週刊ダイヤモンド』1993年2月20日号、ダイヤモンド社
「ハイテク機は安全を切り捨てた欠陥機」、『経済セミナー』1995年3月号、日本評論社
「スペシャルテーマ ニッポンの常識を疑う! 営業最優先主義のままでは大事故が起こる」、『Forber』、1995年3月号、㈱ぎょうせい
「阪神大震災の現場を歩いて感じたこと」、『経済セミナー』1995年6月号、日本評論社
「低コストと品質管理の徹底という二つの武器を生かせ」、『財界臨時増刊号』1995年7月1日号、財界研究所
「自然は工学的な方法で取り戻せるか」、『世界』1996年2月号、岩波新書
「中国市場化進行中!」、『季刊アステイオン』1996年冬号、TBSブリタニカ
「インターネット急速浸透の理由」、『文藝春秋』1998年1月号、文藝春秋
「熱効率五十パーセント発電所時代の到来」、『週刊東洋経済』1999年6月19日号、東洋経済新報社
「日本の技術力は決して世界一でない」、『日経ビジネス』2000年4月17日号、東洋経済新報社
「特集「新世紀を読む」エネルギー問題解決への具体策」、『第三文明』2001年1月号、第三文明社
「特集「あなたが考える科学とは 理想的には未知の素過程の先端的な研究なのだが」、『科学』2001年7月号、岩波書店
「「米国家エネルギー戦略」の特徴」、『原子力eye』、2001年9月号、日刊工業新聞社
「市民と原子力界の安全座標軸の隔たり」、『原子力eye』、2002年5月号、日刊工業新聞社
「特集「社員の不正が企業を殺す」国民を欺く東電のあざとさ」、『週刊エコノミスト』2002年10月8日号、毎日新聞社
「科学技術の公共理解をめぐって」、『原子力eye』、2004年7月号、日刊工業新聞社

2008-11-25 20:46:58 stanford2008の投稿

『桜井淳著作集』(論創社)第1巻の内容-収録論文一覧表-

テーマ:ブログ

第1巻「科学技術評論Ⅰ-月刊誌・週刊誌論文-」500頁


第一部 月刊誌論文(1989-2003)


第1章 原子力
「広瀬隆著『危険な話』の危険な部分」、『諸君!』1988年5月号、文藝春秋
「再び広瀬隆氏へ 安全に「絶対」はあるか」、『諸君!』1988年7月号、文藝春秋
「原発論争 朝日のノイズと電力のノイズ」、『諸君!』1988年11月号、文藝春秋
「いま改めて原発の安全性を問う-田中三彦論文批判-」、『諸君!』1989年5月号、中央公論
「電力と通産に問う 福島第二原発は本当に大丈夫か?」、『諸君!』1989年6月号、文藝春秋
「誰も言わない 中国・秦山原発の危険性」、『諸君!』1991年1月号、文藝春秋
「美浜原発事故 アメリカ並みになった日本の技術力」、『諸君!』1991年4月号、文藝春秋
「破断 美浜原発事故で崩れた「安全神話」」、『潮』1991年4月号、潮出版
「特集「湾岸」と「美浜」からのメッセージ 懸念される加圧水型原発の構造欠陥」、『公明』1991年4月号、公明党出版局
「原発大事故をどう防ぐか」、『公明』1993年3月号、公明党出版局
「ソ連原発は救済不能」、『諸君!』1992年9月号、文藝春秋
「原子力の「未来」」、『経済往来』1994年1月号、経済往来社
「安全管理できるか「高レベル廃棄物」」、『経済往来』1995年4月号、経済往来社
「老朽原発は大地震に耐えられるか」、『読売THIS IS』1995年8月号、読売新聞社
「動燃事故で完全に破綻した「安全神話」」、『潮』1997年5月号、潮出版
「中国原子力最新情報」、『経済往来』1996年2月号、経済往来社
「「レベル3」最悪の動燃事故 安全管理 一から出直せ」、『読売THIS IS』1997年5月号
「動燃事故で完全破綻した「安全神話」」、『潮』1997年5月号
「東海村臨界事故「偶然」と「必然」」、『潮』1999年12月号、潮出版
「原子力バブルは終わった 避けられない脱原発への道」、『論座』1999年12月号、朝日新聞社
「これでいいのかITER誘致議論」、『論座』2001年8月号、朝日新聞社
「哲学も夢もない楽観主義の安直」、『論座』2001年10月号、朝日新聞社
「浜岡1号機と老朽原発の怖さ」、『論座』2002年3月号、朝日新聞社
「北の核保有は「実力」か「虚勢」か」、『諸君!』、2003年7月号、文藝春秋


第2章 新幹線
「新幹線「脱線・転覆」寸前!」、『現代』1989年7月、講談社
「新幹線の「安全神話」が壊れる日」、『潮』1992年8月号
「夢の新幹線「のぞみ」は本当に大丈夫か」、『文藝春秋』1992年8月号、文藝春秋


第二部 対談及びインタビューに答える


「原発問題 東京電力はこう答える」、『諸君!』1989年8月号、文藝春秋
「今週の顔 美浜原発2号機「事故」の核心はここだ」、『サンデー毎日』1991年3月3日号、毎日新聞社
「座談会 いま話題の金属疲労-経年変化対策は十分か-」、『高圧ガス』1991年3月号、高圧ガス協会
「ソ連原発 いつ大事故が起きても不思議はない」、『激流マガジン』1993年6月、国際商業出版
「兵庫県南部地震からみた原子力発電所の耐震性」、『原子力工業』1995年8月号、日刊工業新聞社
「全国大会技術講演(要旨) 巨大システムの安全を考える」、『高圧ガス』1996年1月号、高圧ガス協会
「原子力利用の信頼性向上における計算科学の位置付け」、『原子力eye』1998年1月号、日刊工業新聞社
「ニッポン技術帝国への晩歌 臨界と崩落」、『諸君!』1999年12月号、文藝春秋
「キャンパスラウンジ座談会 東海村「臨界事故」を考える」、『第三文明』1999年12月号、第三文明社
「東海村臨界事故をどう考えるか?」、『メンテナンス』2000年冬号、技術評論社
「地下鉄日比谷線事故-人為ミスか競合脱線か 魔のカーブで起きた一千万分の一の確率」、『諸君!』2000年5月号、文藝春秋
「原子力関係者の意識が低下した」、『週刊東洋経済』2004年8月28日号、東洋経済新報社


2008-11-24 17:49:27 stanford2008の投稿

『桜井淳著作集』(論創社)第3巻から第6巻までの内容-収録論文一覧表-

テーマ:ブログ

第3巻「科学技術社会論ノート」500頁

まえがき(書き下ろし)

インターネット週刊誌に連載した「市民的危機管理入門」の100編の評論文を再編集した。

あとがき(書き下ろし)


第4巻「市民的危機管理入門」500頁

まえがき(書き下ろし)

インターネット週刊誌に連載した「市民的危機管理入門」の100編の評論文を再編集した。

あとがき(書き下ろし)


第5巻「安全とは何か」500頁

まえがき(書き下ろし)

第1章

「東アジアの原子力発電所視察報告」、『原子力工業』、1996年3月、日刊工業新聞社
第2章

「高速増殖原型炉「もんじゅ」事故の技術論(上)」、『原子力工業』、1996年6月、日刊工業新聞社
第3章

「安全を読む眼」、書き下ろし
「老朽原発は大地震で炉心が溶融する!-原子力安全委耐震部会の誤りを正す-、『セキュリティ』、1996年4月号、セキュリティワールド
「「もんじゅ」事故の必然性」(原題「日本の「あいまいさ」が招く重大な事態」」、『週刊エコノミスト』、1996年6月20日号、毎日新聞社
「あいまいな日本のあいまいな事故調査」(原題「高速増殖原型炉「もんじゅ」事故の技術論(下)」)、『原子力工業』、1996年4月号、日刊工業新聞社
「高速増殖炉時代は永久に来ない!」、『週刊ダイヤモンド』1996年2月17日号、ダイヤモンド社
「阪神大震災で明確になった技術基準の虚構―大地震にどう備えるか―」、『ECO.J』1997年7月号、日経ホーム出版社
「原子力政策円卓会議での問題提起」、第二回原子力政策円卓会議での講演記録、1996年5月17日
「原子力安全委員会での問題提起」、原子力安全委員会での講演記録、1996年6月27日
「原子力安全委員会での質疑応答」、原子力安全委員会での講演記録、1996年6月27日
「警告無視で事故拡大再生産」-「システムに潜む技術欠陥」(「再処理施設事故の技術論」)、『原子力工業』、1997年8月号、日刊工業新聞社

第4章

インターネット週刊誌に連載した「市民的危機管理入門」の評論文を再編集した。

あとがき(書き下ろし)


第6巻「技術と文明-星野芳郎氏との対話-」500頁

まえがき(書き下ろし)

「エネルギー・原発問題」、『経済評論』1990年11-12月号、日本評論社
「現代日本の技術力(Ⅰ)(Ⅱ)」、『経済評論』1991年1-2月号、日本評論社
「情報化社会論(Ⅰ)(Ⅱ)」、『経済評論』1991年3-4月号、日本評論社
「資本主義と技術(Ⅰ)(Ⅱ)」、『経済評論』1991年5-6月号、日本評論社
「社会主義と技術(Ⅰ)(Ⅱ)」、『経済評論』1991年7-8月号、日本評論社
「環境・未来文明論(Ⅰ)(Ⅱ)」、『経済評論』1991年9-10月号、日本評論社

「美浜原発事故 隠された真実は何か」、『週刊エコノミスト』、1991年3月12日号、毎日新聞社
「動燃の失体で暴露された誰も無責任な日本の原子力行政」、『週刊エコノミスト』、1997年5月27日号、毎日新聞社
「原子炉の安全」、『セキュリティ』、1997年7月号、No.86、セキュリティワールド
「中国の原子力発電の実態を衝く!」、『原子力eye』、1998年5月号、日刊工業新聞社
「震度7が問いかける日本高度技術の脆弱性」、『週刊エコノミスト』、1995年5月9日号、毎日新聞社
「「技術立国」日本で重大事故はなぜ起きたのか!」、『週刊宝石』、1999年12月30日号、光文社
「核廃絶こそ21世紀文明の条件」、『第三文明』、2000年3月号、第三文明社

あとがき(書き下ろし)

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
powered by Ameba by CyberAgent