「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展
国立西洋美術館で開催中の「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展（2008年12月7日まで）に行ってきた。
松浦寿輝『半島』（文春文庫）の表紙にも使われている「背を向けた若い女性のいる室内」がポスターに使われているこの展覧会――その後ろ姿のそこはかとない雰囲気に心奪われて数ヶ月、ようやくの鑑賞と相成ったわけであるが、一言、甘かったというのが率直な感想だ。もちろん、ハンマースホイが、ではなく、私が、である。
特に刺激を受けた点を、展覧会の構成に従って挙げてみよう。
「��.ある芸術家の誕生」では、コペンハーゲンに生まれた彼の初期作品が展示されている。説明にあるとおり「初期作品を見て驚かされることは、彼の生涯を通じて繰り返し登場するモチーフの全てが早くも現れていることで」はあろう。ただ同時に、「モチーフ」ではなく、その筆触にこそハンマースホイの凄みが現れていると感じさせてくれたのもまた、これら初期作品である。
一見、繊細で柔らかな北欧の空気を描いたかのような作品だが、そのタッチは驚くほど大胆（フェルメールの筆遣いもそうだと聞いたことがあるが、これは来週確認してくる予定だ）。点や線よりも、むしろ面で構成された映像は、後々まで重要な色として再演される黒の質感において特に強い印象を残す。
また、「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」で描かれている彼の婚約者の肖像では、彼女の影が背後の壁の左右に投影されていたり、左手が死者のように青褪めていたりと、ハンマースホイが単一の視覚によって対象を捉えていたわけでないことが分かる。
写実を超える現実が、この先どう展開されるのか。
「��.建築と風景」では、そこにいたはずの人間が完全に排除された、極めて物質的な雰囲気を備えた建築物、風景の絵が並ぶ。印象的なのは、特に建築物に表れた正確さだ。それは対象の再現度の問題ではなく、客観を貫こうとする画家の姿勢の表れに他ならない。しかし一方で、その客観はあくまで画家自身の客観にしかなり得ない。主観的客観性とでも呼ばずにはいられない対象性がそこにある。
特に「ロンドン、モンタギュー・ストリート」「ロンドン、ギルフォード・ストリートのユダヤ人学校」における青い霧に覆われたロンドンの風景、「フォトゥーネン近く、イェーヤスボー、デューアヘーウェン自然公園」における木々から洩れる光の神々しさ、「リネゴーオンの大ホール」「ローマ、サント・ステーファノ・ロトンド聖堂の内部」における空間の不思議な歪みと幻想性――これらは、ハンマースホイの世界認識を支えるものを予感させると共に、客観への信頼を疑わせ、主観の非整合性の自覚を促す。
「��.肖像」では、「ハンマースホイは友人や家族以外の肖像画を残していない」という説明どおり、彼の近しい人物の肖像が並ぶ。そんな中で、特に印象的だったのは黒の使い方だ。
「居間での夜会」では、画面のほとんどが黒い闇に覆われ、その中に浮かび上がる人物、とりわけ中心に位置する人物の顔が奇妙なほど精密に描き込まれている。あるいは「チェロ奏者」や「ふたりの人物像（画家とその妻）、あるいは二重肖像画」では、チェロ奏者ヘンリュやハンマースホイ自身の後ろ姿が背後の闇に溶け込むようでもあり、闇よりももっと深い漆黒の中に沈んでいるようでもある。この後の「��.人のいる室内」で描かれる人物が、ほとんど黒い衣服を身にまとっていることを考えると、ハンマースホイにとって黒という色が、人間を捉える上で――「��.建築と風景」には、はっきりした形で黒が使用されている絵はなかった――中心的なイメージを持っていたのではないかと思わせる。
また、忘れられないのが「イーダ・ハンマースホイの肖像」である。全体に緑がかった画面に、目の落ち窪んだ妻の姿が描かれる。視線は自然に、しかし意識的に画面の端へ向けて逸らされ、指輪は外されている。指輪のことはともかくも、このように描かれた妻はどんな気持ちがするのだろうか。画家の妻としての覚悟を垣間見たような気がした。
「��.人のいる室内」は、今回の展覧会のメインだといっても過言ではない。そのほとんどは、コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に住んでいた頃のもので、その室内に妻イーダの、多くは後ろ姿が描き込まれている。
何より凄いのは部屋の質感だ。先述したとおり、壁や床の筆触はあくまで大胆、点描ならぬ面描とでも言いたくなるようなその描き方が、生活時間の侵食を受けた非均一性を表現しきっている。同じモチーフが繰り返される展示作品だが、その一つひとつに静かなエネルギーが満ち満ちており、どれ一つとして気を抜くことを許さない気迫が溢れている。けっして激しくはない。しかし、生きるということの、描くということの凄さをシンプルに受け止めることができる秀作たちであった。
そんな中、少し違った趣を持った作品が「室内の女性」だ。ストランゲーゼ30番地時代の最後期に描かれたらしいこの作品は、赤みが差した温かい光に部屋が包まれており、その中で相変わらずのうなじを見せるイーダの姿も、心なしか柔らかく淡い雰囲気を持っているように見える。それまでの作品が、どちらかと言えばクールな現実認識を思わせるものだったのに対して、この絵は画家の優しい眼差しを思わせるものだった。
間に「��.同時代のデンマーク美術――ピーダ・イルステズとカール・ホルスーウ」を挟んで――これらも決して悪い作品ではないのだが、ここまでで完全にハンマースホイにチューニングされてしまった目にとっては、物足りなく映ってしまう――、最後に「��.誰もいない室内」である。「��.人のいる室内」で繰り返されたイーダの存在が画面から失われ、それでもそこに残る存在の余白は、展覧会のタイトルに付された「静かなる詩情」に相応しい余韻をもたらしてくれる。とりわけ「陽光習作」のもつ白々とした雰囲気は、胸の奥の切ない傷を疼かせるのに充分な不在を備えていた。
過剰さではない何か。演出ではない何か。それが何であるかを述べることはできない。そこに絵があったという、ただそれだけである。そして、それがヴィルヘルム・ハンマースホイ、その人の絵だったと。
松浦寿輝『半島』（文春文庫）の表紙にも使われている「背を向けた若い女性のいる室内」がポスターに使われているこの展覧会――その後ろ姿のそこはかとない雰囲気に心奪われて数ヶ月、ようやくの鑑賞と相成ったわけであるが、一言、甘かったというのが率直な感想だ。もちろん、ハンマースホイが、ではなく、私が、である。
特に刺激を受けた点を、展覧会の構成に従って挙げてみよう。
「��.ある芸術家の誕生」では、コペンハーゲンに生まれた彼の初期作品が展示されている。説明にあるとおり「初期作品を見て驚かされることは、彼の生涯を通じて繰り返し登場するモチーフの全てが早くも現れていることで」はあろう。ただ同時に、「モチーフ」ではなく、その筆触にこそハンマースホイの凄みが現れていると感じさせてくれたのもまた、これら初期作品である。
一見、繊細で柔らかな北欧の空気を描いたかのような作品だが、そのタッチは驚くほど大胆（フェルメールの筆遣いもそうだと聞いたことがあるが、これは来週確認してくる予定だ）。点や線よりも、むしろ面で構成された映像は、後々まで重要な色として再演される黒の質感において特に強い印象を残す。
また、「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」で描かれている彼の婚約者の肖像では、彼女の影が背後の壁の左右に投影されていたり、左手が死者のように青褪めていたりと、ハンマースホイが単一の視覚によって対象を捉えていたわけでないことが分かる。
写実を超える現実が、この先どう展開されるのか。
「��.建築と風景」では、そこにいたはずの人間が完全に排除された、極めて物質的な雰囲気を備えた建築物、風景の絵が並ぶ。印象的なのは、特に建築物に表れた正確さだ。それは対象の再現度の問題ではなく、客観を貫こうとする画家の姿勢の表れに他ならない。しかし一方で、その客観はあくまで画家自身の客観にしかなり得ない。主観的客観性とでも呼ばずにはいられない対象性がそこにある。
特に「ロンドン、モンタギュー・ストリート」「ロンドン、ギルフォード・ストリートのユダヤ人学校」における青い霧に覆われたロンドンの風景、「フォトゥーネン近く、イェーヤスボー、デューアヘーウェン自然公園」における木々から洩れる光の神々しさ、「リネゴーオンの大ホール」「ローマ、サント・ステーファノ・ロトンド聖堂の内部」における空間の不思議な歪みと幻想性――これらは、ハンマースホイの世界認識を支えるものを予感させると共に、客観への信頼を疑わせ、主観の非整合性の自覚を促す。
「��.肖像」では、「ハンマースホイは友人や家族以外の肖像画を残していない」という説明どおり、彼の近しい人物の肖像が並ぶ。そんな中で、特に印象的だったのは黒の使い方だ。
「居間での夜会」では、画面のほとんどが黒い闇に覆われ、その中に浮かび上がる人物、とりわけ中心に位置する人物の顔が奇妙なほど精密に描き込まれている。あるいは「チェロ奏者」や「ふたりの人物像（画家とその妻）、あるいは二重肖像画」では、チェロ奏者ヘンリュやハンマースホイ自身の後ろ姿が背後の闇に溶け込むようでもあり、闇よりももっと深い漆黒の中に沈んでいるようでもある。この後の「��.人のいる室内」で描かれる人物が、ほとんど黒い衣服を身にまとっていることを考えると、ハンマースホイにとって黒という色が、人間を捉える上で――「��.建築と風景」には、はっきりした形で黒が使用されている絵はなかった――中心的なイメージを持っていたのではないかと思わせる。
また、忘れられないのが「イーダ・ハンマースホイの肖像」である。全体に緑がかった画面に、目の落ち窪んだ妻の姿が描かれる。視線は自然に、しかし意識的に画面の端へ向けて逸らされ、指輪は外されている。指輪のことはともかくも、このように描かれた妻はどんな気持ちがするのだろうか。画家の妻としての覚悟を垣間見たような気がした。
「��.人のいる室内」は、今回の展覧会のメインだといっても過言ではない。そのほとんどは、コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に住んでいた頃のもので、その室内に妻イーダの、多くは後ろ姿が描き込まれている。
何より凄いのは部屋の質感だ。先述したとおり、壁や床の筆触はあくまで大胆、点描ならぬ面描とでも言いたくなるようなその描き方が、生活時間の侵食を受けた非均一性を表現しきっている。同じモチーフが繰り返される展示作品だが、その一つひとつに静かなエネルギーが満ち満ちており、どれ一つとして気を抜くことを許さない気迫が溢れている。けっして激しくはない。しかし、生きるということの、描くということの凄さをシンプルに受け止めることができる秀作たちであった。
そんな中、少し違った趣を持った作品が「室内の女性」だ。ストランゲーゼ30番地時代の最後期に描かれたらしいこの作品は、赤みが差した温かい光に部屋が包まれており、その中で相変わらずのうなじを見せるイーダの姿も、心なしか柔らかく淡い雰囲気を持っているように見える。それまでの作品が、どちらかと言えばクールな現実認識を思わせるものだったのに対して、この絵は画家の優しい眼差しを思わせるものだった。
間に「��.同時代のデンマーク美術――ピーダ・イルステズとカール・ホルスーウ」を挟んで――これらも決して悪い作品ではないのだが、ここまでで完全にハンマースホイにチューニングされてしまった目にとっては、物足りなく映ってしまう――、最後に「��.誰もいない室内」である。「��.人のいる室内」で繰り返されたイーダの存在が画面から失われ、それでもそこに残る存在の余白は、展覧会のタイトルに付された「静かなる詩情」に相応しい余韻をもたらしてくれる。とりわけ「陽光習作」のもつ白々とした雰囲気は、胸の奥の切ない傷を疼かせるのに充分な不在を備えていた。
過剰さではない何か。演出ではない何か。それが何であるかを述べることはできない。そこに絵があったという、ただそれだけである。そして、それがヴィルヘルム・ハンマースホイ、その人の絵だったと。
〔画像〕「翼はあるが私は飛べない」
先月末の学園祭で、「翼はあるが私は飛べない」という作品を発表した。文芸部名義の作品だ。
ルネ・マグリット「大家族（La Grande Famille）」をベースにした作品で、実際に窓の外の風景が鳥の形を成せば面白いのではないかということで、窓を用いてこれを実現した。
Rene Magritte “La Grande Famille”
文芸部「翼はあるが私は飛べない」
ところが、だ。準備を終えた金曜の夜、最後の戸締りに来た我々の前で、飛べないはずの鳥が飛んだのだ！
これは！ あまりにも美しく荘厳で、魂が浄化される思いだった。涙が込み上げるのをこらえるべきか否か迷った。
残念ながら学園祭の来場者にはご覧いただけなかったわけだが――そもそも、マグリットの存在に気付く以前に、窓の作品に気付いてすらもらえない――これは、新たな創作の可能性を示唆するに充分なものだった。来年度、どういう展開にするか、今から悩ましい。
あと、せっかくなので、生徒作品用に作ったポスター二枚。私の作品のテイストでは、決して生まれ得ない二枚だと思う。
「行き場のない扉」
「Yesterday will be Today」
ルネ・マグリット「大家族（La Grande Famille）」をベースにした作品で、実際に窓の外の風景が鳥の形を成せば面白いのではないかということで、窓を用いてこれを実現した。
Rene Magritte “La Grande Famille”
文芸部「翼はあるが私は飛べない」
ところが、だ。準備を終えた金曜の夜、最後の戸締りに来た我々の前で、飛べないはずの鳥が飛んだのだ！
これは！ あまりにも美しく荘厳で、魂が浄化される思いだった。涙が込み上げるのをこらえるべきか否か迷った。
残念ながら学園祭の来場者にはご覧いただけなかったわけだが――そもそも、マグリットの存在に気付く以前に、窓の作品に気付いてすらもらえない――これは、新たな創作の可能性を示唆するに充分なものだった。来年度、どういう展開にするか、今から悩ましい。
あと、せっかくなので、生徒作品用に作ったポスター二枚。私の作品のテイストでは、決して生まれ得ない二枚だと思う。
「行き場のない扉」
「Yesterday will be Today」
〔画像〕「掌のエスキス」イメージ画像
最近、更新が滞っている「スケッチ」。これらの作品は、個人的に「掌のエスキス」というタイトルで括ってある。今回の学園祭では、それらの作品群を四つのテーマに分けて配布する予定だ。
それぞれのイメージ画像と収録作品は以下の通り。
掌のエスキス 〜私〜
「二人いる」
「流れる、流れ出る」
掌のエスキス 〜情〜
「白い影と」
「冷たい手」
「遺伝子の震える音色」（ブログ未アップ）
「朝日やがて沈む我に」
掌のエスキス 〜酷〜
「終の栖」
「眠る土管と天馬の夢」
「夢乃只中」
「點點」
掌のエスキス 〜奇〜
「ボタン」
「ア行会」
「欠け堕ちる穴」
それぞれの作品にリンクを貼るほど、自信のあるものばかりではない（もちろん自信のあるものもあるが）ので、万が一興味を持っていただけたら、ページ左上にある「検索バー」などを用いてご一読いただけると幸いです。
それぞれのイメージ画像と収録作品は以下の通り。
掌のエスキス 〜私〜
「二人いる」
「流れる、流れ出る」
掌のエスキス 〜情〜
「白い影と」
「冷たい手」
「遺伝子の震える音色」（ブログ未アップ）
「朝日やがて沈む我に」
掌のエスキス 〜酷〜
「終の栖」
「眠る土管と天馬の夢」
「夢乃只中」
「點點」
掌のエスキス 〜奇〜
「ボタン」
「ア行会」
「欠け堕ちる穴」
それぞれの作品にリンクを貼るほど、自信のあるものばかりではない（もちろん自信のあるものもあるが）ので、万が一興味を持っていただけたら、ページ左上にある「検索バー」などを用いてご一読いただけると幸いです。
〔画像〕「メモリア」イメージ画像
学園祭まで一週間を切った。
イメージ画像第二弾は、今年の七月の末に書き上げた短編「メモリア」だ。
背景のオブジェはアンテナを組み合わせて作ったのだが、遠近感が出るような形にしてやった方が、より空間の広がりが出たかな――とは思うものの、これはこれで（過渡期の作品としては）ありだろう。
それよりも、細かいパーツが密集しすぎていて、ごちゃごちゃした印象になってしまったのが残念だ。もう少し、イメージの組み合わせについて練る必要がある。
また、これを機に「メモリア」をお読みでない方に、ちょいと読んでみるか、という気になっていただけたら、幸いです。
「メモリア」
〔画像〕「三重奏の十字架」イメージ画像
間もなく職場（？）の学園祭だ。
文芸部の顧問をしている私は、二年前から、自作および生徒の配布作品（小説）にポスターをつけている。その前までは、模造紙に書いて壁に貼ったり単にコピーして配ったりしていたが、どうにも反応がよくない。そこで考えたのがポスターを作ることだ。ポスターを貼ることによって、作品に注目してもらうこともできるし、展示教室自体がヴィジュアル的ににぎやかにもなる（明るくはならないが）。印象に過ぎないが、その頃から客足は伸びている気がする。
で、先だって作成した「Distorted Emotion」のイメージ画像で鍛え直したGIMPのテク（なんて呼べるもんじゃあ、まだまだないが）で、まずは一つ完成させたので、ここに披露しておきたい。
タイトルは「三重奏の十字架」。「十字架」をモチーフに、私を含めて三人が書いた作品を収めた、コンピレーション盤だ。
ポスター的には、作品の暗さも、そこに込められた光も、余すところなく表現できたかな……と、自賛しておる次第でございます。ポスターの出来で、作品の売れ行き（当然、無料で配布しているわけだが、不思議と多くの人が、ポスターを見て選んで行かれる）が左右されるので、気合いも入る。
とりあえず一枚目、どうだろうか。
（ちなみに、実際に張り出すものには、ポスターの下に三人の名前と作品名が入る）
