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【私説・論説室から】

江戸の殉教者『ヨハネ原』

2008年11月26日

 長崎市で二十四日開催されたカトリックの儀式「列福式」で百八十八人がローマ法王から聖人に次ぐ「福者」に列せられた。このうち、一六二三年に江戸・札の辻(東京都港区)で火あぶりの刑に処せられたヨハネ原主水(もんど)は武士だった。

 原は千葉県で生まれ、徳川家康に仕えていた。御徒士(おかち)組頭というから、主君が移動する際の警護役リーダーだったようだ。

 一六〇〇年に洗礼を受けた原はキリスト教が禁止された一二年、追放処分を受け、逃亡生活に入る。だが、三年後に岩槻(さいたま市)で捕まってしまう。

 その時の処罰がすさまじい。両手の指が切り落とされ、太ももの筋も切られた。さらに額に十字の焼き印が押された。処罰後、河原に放置されたが、キリシタン仲間に助けられたとみられ、行方不明となる。

 それから八年後、今度は江戸市中で捕まる。賞金に目がくらんだ元家臣が原の居場所を密告したからだ。原は浅草近くの療養所でハンセン病を患った人の世話をしていたという。

 不自由な体にされながらも社会の弱者を支え、再びとらわれて生きたまま身を焼かれようとしても信仰を捨てなかった。そこまで人間は強く、崇高なものかと感じてしまう。

 日本史の教科書で殉教は「元和(げんな)の大殉教」といった記述程度だ。歴史の真実を知るためにも、原のような人物の具体的な物語があっていい。 (桜井章夫)

 

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