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芸人軽視する放送界に不満…漫才師・リーガル秀才さん

81歳で死去

 相方のリーガル天才さんとともに、しゃべくり漫才の正統派として浅草軽演劇の伝統を守り続けた。1940年代に「笑いの王国」で活躍し、52年に同じ劇団の座長・曽我忠さんと「曽我天才・坂東秀才」という名で漫才コンビを結成。リーガル千太・万吉に師事し、56年からは「リーガル天才・秀才」に改名した。

 交流のあった漫才協会会長で漫才師の青空球児さんは「『ラベルが違う』『レベルでしょ』なんて掛け合いが印象に残っている。決して泥臭くならず、どこまでもスマートな、知的な芸でした」と振り返る。

 知的で軽妙な会話を主体にしたネタで、林家三平やWけんじ、漫画トリオらとともに60年代の演芸ブームを支えた。

 あくまで舞台を芸の基本に据え、相方とともに70年、芸人を軽視する放送界の姿勢を不満とし、テレビ・ラジオへの出演拒否を宣言。大きな波紋を呼んだ。

 「寄席でやる舞台漫才は20分以上演じるのが基本。それがテレビだと、1組の持ち時間はせいぜい6−8分程度。リーガル師匠らが得意としたしゃべくり漫才は流れでやるもの。芸にプライドを持っていた人だったから、そのギャップにジレンマを感じたんでしょう」(球児さん)

 それまでバラバラに活動していた東京の芸人を集めて結成した「漫才協団」(後の漫才協会)で93年から98年まで会長職をつとめた相方の天才さんを監事の立場から、サポートし続けた。

 協会の関係者は一様に「舞台に愛着を持っていた」と口を揃える。

 「天才・秀才」としては99年9月10日の埼玉県上福岡市での敬老会の公演が見納めとなったが、2004年12月に長年苦楽をともにした天才さんを亡くした後も、漫談家として舞台に上がり続けた。

 昨年11月の浅草公会堂での「第38回年忘れ漫才大会」を最後に舞台を下りた。

 ■10月10日、心不全で死去。81歳。本名・高橋章(たかはし・あきら)氏。

ZAKZAK 2008/11/26

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