finalventの日記

2008-11-17

偽科学発見テスト

 【偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト】

 ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。

 ⇒脚気 - Wikipedia

江戸時代江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。

高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。

要点


関連の追記

 「ニセ科学批判」については、シンプルに私は誤解していたなというのはあります。科学論とかの話ではなく、市民運動なんだな、ということです。これは誤認していました。自分が悪かったなと。悪い分の責めは受けるべきかな、と。

 この辺ね⇒はてなブックマーク - finalvent氏の不誠実さについて :: Archives

 私は市民運動というのは、多様にあればいいし、それにじゃまするというのをしたくないんですよ。なので、ああ、まずったな、自分の認識不足で余計なことしたなというのがありました。

 これをいうと傲慢かもしれないけど、市民運動の人に科学論とかやりたくないというのもあるんですよ。これはもっと広義に、普通の市民に科学論とかやって益なんかあるわけないんです。

 ちょっと飛躍かもしれないけど、オウム真理教事件など、市民が普通に近代科学を「信」じていたらあれほど参加者はなかったのだろうな(もちろんそうでもないか、普通にカルトはあるかという議論もありうるけど)、ところが、彼らは比較的インテリで(つまり無知蒙昧だから麻原を信じたという簡単な話ではないんですね)科学論の限界とか意外と知っていた。

 

誤解前の経緯

私のエントリに偽科学批判ぽい言説を投げかけたがゆえに回答を期待してる人のリスト

 回答をいただけたらリンクを付けておきます。言うまでもないけど、皮肉じゃなくて、なるほどっていう回答を求めていますよ。

  id:takanorikido

 

既回答

  id:dlit解答してみる - 思索の海

 ご回答ありがとう。明晰なお答えでした。

 全体としては主食を白米にすることと脚気にかかることとの直接の強い因果関係が容易に想定できるように書き過ぎている、ってところなんでしょうか。

 ええ、要点はそこにあります。科学とは基本的に因果関係の説明であり、これがこの記述ではとても「直接の強い因果関係」で書かれています。そして、「直接の強い因果関係」は科学的な説明とみなされがちです。しかし、この記述には、その割に、それを支える科学的な説明はなく、しかも、ビタミンB1の欠乏が誘導されている点で、私はこれは間違った、科学的説明であると考え、例題としました。

 話はもうすこしあるにはあるのですが、もし機会があったら書きましょう。

 余談ですが、コメント欄での、lets_skepticさんとの対話を通して、「ニセ科学」の問題領域がなんとなく以前よりわかったように思えました。もしそれが前もってわかっていたら、この問い掛けはしなかったかと思います。その点で、お手数をかけて申し訳なく思います。

 このような問い掛けは終了します。

 

参考

 最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。

 それはそれとして、科学的説明とはなにかの参考になるリンク。

 ⇒第8章 科学理論と科学的説明

ぶくまレス

 ⇒はてなブックマーク - 偽科学発見テスト - finalventの日記

2008年11月18日 rspub わからない。偽科学というのではなく、偽科学的説明、なんですよね?結果として患者が出なかったり、根絶されたり、というのはわかりやすすぎる結果という点でそれっぽいけど、それが事実なら仕方ないし。。

 偽科学と偽科学的説明の際にはちょっと難しいけど、とりあえず、このウィキペディアの説明に含まれている偽学的な思考はどこかという問題に捉えて下さい。

 個別にいうと、これって、何の「結果として」なのか、因果関係あたりがポイント。

2008年11月18日 kuroiotona 例題としては大変興味深い。でも、科学ではなく論理的思考の問題だと思うんだ。

 論理的思考に加えて、この問題には、さらに背景があります。その他の仮説、その妥当性の評価。統計の検討など。

2008年11月18日 mihrdat /(全面書直)山下政三の本読んだ。wikipedia記事の分量考えればあげつらうほどでもないじゃん(一つの類例はミリカンかな)。研究史のこの手の行過ぎは普通。少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?

 このあたりから難しい領域に入ってくるわけなんだけどね。まあ、「少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?」というのは、甘んじて受ける部分はあるかな。というか、たしかにそういう面もあるとは思う。

2008年11月20日 shokou5 科学, 科学哲学 科学は論理的営みであると同時に技術的営みでもある。実験して論文を書いて査読されて…というネットワークの中に根付く技術知がかなりある。単独の言説だけから科学か否かを問うことは「究極的には」不可能。

 いえ、科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となるから、究極を問う必要はなし。

2008年11月21日 complex_cat science, logic 切られ役のWikiの引用が論考を展開する上で,適正な材料であるように感じないのです。噛ませ犬かあるいは,相撲の土俵に,「同じ裸だから」競泳のアスリートを引っ張り上げて叩いたような感がするのですが。

 まだ第二段階の議論を展開していないせいもあります。

2008年11月21日 nanahusi まず出題者がどういう意図を持って出題しているか推測して、その後に出題者がどういう風に「偽科学」という言葉を捉えているか推理する。なんか論理思考を試すってより国語の問題を解いている気分になった。

 まず単純にこれは科学的記述じゃないなということがわかることが第一段階で、そのレベルで、これは間違っているということになります。

2008年11月22日 mori-yoshiro 「偽科学批判ぽいのを投げかけられた」ってたった二人なのかいな?それでこんなキレなくても・・・。しかも話全然変わっトル。

 ああ、キレてないですよ。mori-yoshiroさんが、「finalventは偽科学的」とかぶコメされると三人目になれますよ(冗談です、為念)。

2008年11月22日 ochame-cool a. ☆☆☆, c. 科学技術 finalvent文体で人生を語る分には深みがあってよいと思うけど、その文体で科学を語られると論点整理などめんどくさいかな。↓「国語の問題」フイタ。

 結論から整理して書けばすっきり書けるんですけどね。

2008年11月22日 kmiura えー。finalventさんはそもそも非科学的なところがよいもちあじなわけで、ニセ科学とかそうしたレベルではないと思っていたのだが。議論するだけムダだと思う。というか、非科学は科学を内包するからなあ。

 この文脈でこう言うといけないかと思うけど、ラカトシュとか出しても、前提的に通じない感じはしてますよ。そこは最初から議論にならなかな。余談ですが、反証可能性とかでネットで人気にあるポパーですが、エックルズなんか一緒にとんでもない世界像を出しているんですよ。

2008年11月22日 yukitanuki うお、あれからこんなことに

2008年11月22日 kana-kana_ceo 議論 「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」って、なってる。

2008年11月22日 kamezo ニセ科学, ニセ科学批判批判, 科学, 議論, 読まずに書く人, 過度な一般化, リテラシー, コミュニケーション つくづく知らされた。頭の良い人や知識豊富な人には、それゆえの不幸というか落とし穴があるのだと。apjさん(の切れ味、明晰さ)には頭が下がる。finalvent氏には新エントリで整理を付けていただきたいなあ。

 もうそれで終わりでいいしょ。「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」。

2008年11月22日 NATROM 医療 「「ペニシリンによって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。これは、科学的に間違いです」。その通りだろ。

 つまり、「科学的に間違いです」は間違い、と?  あ、ストマイでしょということですね。

2008年11月22日 NATROM 科学 finalventさんが何を言いたいのか理解できない。科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持っていることを示して欲しい。

 「科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持って」いないことでFA、でよいかと。

2008年11月22日 world3 疑似科学と間違った科学は全然別ですよ。疑似科学について語るなら、ポパーの反証可能性基準は必須の教養では?反証可能性基準には批判も強いが、議論はそこから始まるはず。

 そうでもないですよ。「反証可能性基準には批判も強いが」はラカトシュを想起させますが、ファイヤアーベントの批判をかなり本源的に解消していないはずです。とはいえ、もとに戻って、「疑似科学と間違った科学は全然別ですよ」との違いを私は率直なところ理解していません。なので、wrold3さんのご指摘が正しいのかもしれません。

 あと、個別の文脈でいうと、高木の仮説はたんぱく質不足でした。ですからこれで反証可能性を考えると、変なことになります。この問題は、疫学的な枠組みで見る必要があります。

2008年11月22日 y4su0 pseudoscience 出来が悪い国語のテストを経て、さらにぐだぐだな方向へ。

 そうですか。「中間的まとめ」と「仮説と科学的探求」の項目を含めて、もういちど全体を読み返すと、あれ?と思うことがあると思いますよ。そこがわかると、この問題の難所と、真の問題所在が見えてきますよ、というか、関心がうまく喚起されればなんだけど。

2008年11月23日 na23 finalvent, ニセ科学周辺 みんなの間違った知識をそれが常識になるまで熟成させてから指摘する嫌らしさについて…ではないことが最後まで読むとわかるw

 na23さんの科学観に示唆できる最後をお見せしたいとは思いますけどね。

2008年11月23日 mihrdat これはひどい, アルファブロガー(笑) "現時点では、まったく同意です。しいていうと、そういう活動があることにまったく同意しますということです" すると当初はその存在も否定してたという事?それなのに「批判」?それより早くapjさんの質問に答えろって

 違いますよ、当初はその存在がわかっていなかった。というか別のもので批判すべきだと思っていたというか、だから理解してなかったんですよ。そんだけですよ。アルファブロガー(笑)なんですもの。

2008年11月24日 yoyoprofane なんか読んでるうちに、自分のオツム(あるいは人生)の水準は、頭のいいほうではなくて、ニセ科学信奉者のほうに限りなく近いんだな、ということがわかってきた。

 「オツムの水準」はさておき(私なんか最低と見られているし)、この問題がいわゆる物理学的な因果論を問う病理学の枠組みではなく、疫学の枠組みで問う問題であり、その問題のフレームワーク認識が科学性に関連しているというあたりを、さっと見取った人は意外なほどいなかった(いても可視にはならなかった)かな。

 

とらばレス

 ⇒Interdisciplinary: テストだそうです

たとえば、finalventさんは、ゲーム脳血液型性格判断が何故ニセ科学と言われているか、押さえておいでなのかな。

 その問題は、レベル低すぎ。

 ゲーム脳は、定義とローカリゼーションに失敗している。血液型性格判断は心理学的(統計学的)に否定されている。以上。

 で。

そうじゃ無くて、ニセ科学に関する知識の無さをどうにかすれば? じゃないかと。

 いやそうじゃ無くてと言いたいわけです。つまり、「ニセ科学に関する知識」を丸暗記して教条的に対応している人たちに科学的な考え方の資質はありますかのテスト。

 ある言説がニセ科学的であるかどうかを個人で頑張って判断する必要は無い。解らなきゃ訊けばいいんだし。

 これも同じこと。教条主義に陥るだけ。宗教と同じなる。つまり、まったく偽科学批判にならないということ。

ある言説がニセ科学的であるかどうかというのは、様々な資料を検討して行われるものだから、どう答えるべきか判然としない。

 いえ、様々な資料を検討してごらんなさいというのがこのテスト。

 補助線的擬制の疑問。

  ・腸内造血説が偽科学である理由はなにか?

  ・結核を社会的に克服したといえる水準まで抑えたのはペニシリンをきっかけとする抗生物質か?

 次。

 ⇒現代の知識で過去の行動を判断する愚 :: Archives

 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。

 そして。

 脚気が、食物摂取におけるビタミンB1欠乏以外の理由で起きるかどうかについては、私も知識が無いのでわからない。何か、代謝異常を起こすような病気があれば、脚気を発症することがあっても不思議ではないが……。しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので、まれに発症する別原因による脚気があったとしても、この文脈において考慮する必要はない。

 この程度。

 なお、「スキャンダルの科学史」には、史実としての記述として、高木が、「脚気は栄養のバランスの問題」であると考えるに至った理由として、監獄食と海軍食の比較からだと書かれている。が、これも、史実をどう確認するかという問題であり、擬似科学の問題ではない。

 偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。

 また、同じことを繰り返すけど、「史実をどう確認するかという問題」ならエジプトミイラは復活しますな。

もし、高木の推論の仕方や試験への持って行き方が、今の知識を基準とした場合に何か問題があるものであったとしても(同じことを今実行したら擬似科学と呼ばれるものであったとしても)、それは当時の実験医学の水準の限界によるものであり、現代の科学の知識を元にして批判すべき対象ではない。

 占星術の解明は23世紀を待てとか。

 次。

 ⇒わかってないのに「わかってしまった」人 - Skepticism is beautiful

現在行われているニセ科学批判*3において、もっとも端的な「ニセ科学」の定義は以下のようなものになる。

 

   科学を装っている*4

   科学ではない

 

これを批判するのが「ニセ科学批判」であり、それ以上でもそれ以下でもない*5。

 これは単純にわからない。

 科学における間違いは、間違いとわかるまで(正確に言えば社会に妥当な水準でその真理と虚偽の合意が受け入れられるまで)は、ただの科学であり、それ以降は、たんに間違いであり、科学ではなくなる。

 「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。

 あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。

 次。というか。

 ⇒finalvent氏のコメントにさらに突っ込んでおく :: Archives

 基本的に前回と同じ、および、コメント欄の展開と同じなので、私としては再コメントはない。それをもって、finalvent敗北宣言とされてもかまわないし、「思い上がるな」はまさに、そうかもしれないなと反省の契機としたいと思ってますよ。

 あと、めっけられたこの資料はよいですね。

 ⇒「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」(pdfファイル)

高木の研究について山下政三はその著書の注で、以下のようにコメントしている。「この業績は高木兼寛が功なり名遂げ、引退後に回想として述べているのが中心であり、実態が修飾されているように感ぜられる。環境因子の調査にしても全海軍の実地調査には膨大な数の調査員と、期間が必要であり、それには記述されている1年半くらいではできなかったのではないか。また探しても海軍には疫学調査の成績、記録が存在しない。高木が書類調査を実施したとしても、当時の海軍には疫学に役立つような記録はほとんどなかったようであり、新たに調べる必要があった。高木は根拠となった疫学的調査の成績を一部しか示してない。N対C比の改善にはいくつかの方法が考えられるのに、なぜ、一挙に洋式を採用しようとしたのか。またパン食の評判が悪いとなると、すぐ翌年麦飯に変更している。こうした検討を最初になぜしなかったのか。彼は初めから「タンパク質不足、米食の害」を原因と仮定してその検証に邁進したのではないか、高木は脚気伝染説、中毒説には一顧もくれないほど、全く発言をしていない、これは何を意味するのか、」などと疑問点をのべている。大学での研究者森林太郎らが指摘したように、脚気発症や予防機序についての科学的根拠については、高木はN対C比以外に何も示していない。しかし病の予防法は、証拠がそろわなくても、機序が推測でも、実施できるわけで、理論は後から判明することも少なくない。ただ高木の場合はその後理論的な研究はあまり発表していない。高木の脚気N対C比仮設は、その後の各種の動物実験追試で否定された。

 特に。

脚気の問題は、医学研究は如何にあるべきかを考えるよい例である。結局疫学的研究が結論に至る道程におおきな役割を演じたことである。しかし確率論的な研究結果に対する認識はきわめて低かったので、解決には数十年を要した。わが国では伝統的に決定論大きな比重を置いており、確率論的な研究に関心が少ない。このことは、現在の医学研究における疫学の立場を見てもわかる。脚気の問題は現在の疫学の問題でもある。

 そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ。

 次。

 ⇒「偽科学」と「ニセ科学」? - 『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録

 ご指摘の件、つまり、「ニセ科学」を私が理解していなかったというのは、まったくそのとおりなので、それはそれにて。

 あと、「レベルが低い」について、同エントリに寄せられたコメントに同意する部分多々なので、つまり、BSE騒ぎとかタミフル副作用騒ぎとか、原発耐震性とか、ミサイル防衛とか、科学的評価が難しい領域を積極的に取り上げて、マスコミを啓発してくれたらいいのに、とそういう感じです。

 私に対して「finalventは水伝がわかってない」と言われても、うーん、「ニセ科学批判」の意味合いはわかってなかったと思うけど、そもそも水に語りかける人については、ちょっとねという感じです。

 ⇒重要なのはニセ科学と科学の判別そのものではないとは言え館

 「科学的知見を問う問題」については、ごく単純にまだ道半ばですよ。ご関心のあるかたがあればまだ続きます。

 ⇒答え合わせ : 2008-11-23 - Log of ROYGB

 単純に抗生物質は栄養ではありませんよ。そのレベルで非科学的とフィルターアウトされるだけの話ですよ。

 ⇒「『ニセ科学批判』批判」問題、というかなんというか。 - 残雪日記

 ここで、id:finalventさんは、十分に(たぶん、標準以上に)知的な人だと思うが、一方で、ニセ科学運動の外側の人であり、それについて議論を積み重ねえてきた者から見れば、蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない。

 finalventさんが知的かどうかはかなり疑わしいという多数の意見をいただきますが、それはさておき、ご指摘されるように、この件については、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」というのはまったくそのとおりだと、認識できました。

 今回のこのエントリ、なんてバカなことをするんだという多数の意見もいただきましたが、私としてはシンプルには、ああ、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」ということが理解できてよかったなと思っています。そこはあまり伝わらないようにも見えますが。

 あと、「ニセ科学批判」運動の枠組みではなく、普通に科学論の一つの実技的アプローチとしてみると、話はようやく半ばかなというところですが、そのあたり(病理学ではなくて疫学だよ)にご関心を持つかたは少ないようですね。そこをある程度理解していただかないと、この話の最終部にはうまく繋がりません。ただ、こういう書き方は、ネットでいう上から目線というか偉そうな響きがあるので、この部分については、もっとシンプルに進められたと思います。

 ⇒liber studiorum: ある陰謀論

 ええ、finalventは結果としてヒールでよいと思う。というか、そう思うに至っている。そのあたりまでフォローしたエントリにするとネタを超えて他山の石になってよいのではないかな。あるいは、そこまでのすでに意図に含めてのエントリであるかもしれないけど。

 ⇒こういうのって子供がよく言い出す話だよね

 まだ終わってなかったりして。というのと、この先の話の展開が理解できたら、たぶん、驚きますよ。あと、みなさんが気にしている「解答」はいずれ公開します。

 ⇒これはナポリタン問題w - alice日記

短時間ではあるがそれなりにネットで検索したであろう氏に対して、

 その逆で、ネットには情報ないなと思った。

 この問題に関心を持つかたが、ネットの情報にプライマリーに当たるかな、と思って、ネットの情報に当たった。そのあたりの話は、いずれわかるよ。

科学的思考法(クリティカル・シンキング)という概念からいって、疫学と病理学を区別する必要はないかも知れないが、それを区別してみようと思いつく氏の思考方法は科学的といえるのではないか。

 「氏の思考方法」には、わけがあるんだけど。まあ、半分くらい書いた。

 

中間的まとめ

 話がある程度進んだので、自分なりの少し中間的なまとめをしておきましょう。

 ウィキペディアの引用に関して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題だけを単独に取り上げるなら科学的に間違っていません。これは病理学的な説明です。その機序は科学的に解明されています。

 では何が、偽科学的な説明だといえるのでしょうか?

 その前に。

 科学的な探求で最初に重要になることは、対象を明確にすることです。

 脚気についてのこの話題で、この話題、何が対象なのでしょうか。

 もちろん、「脚気」です。

 しかし、この引用で語られている脚気は、社会的に発生した脚気で、疫学的な対象です。

 病理学と疫学はどう違うのでしょうか。

 たとえば、「タバコを吸うと肺がんになる」と言われます。これは科学的でしょうか?

 私の知識では、この命題は病理学的には証明できていません。明確な機序の説明はできません。

 ではこれは、非科学的、あるいは偽科学なのでしょうか?

 より広義に、「タバコは健康に害がある」はどうでしょうか?

 そこも病理学的説明は難しいはずです。

 しかし、タバコのパッケージにもそう書かれており、それは科学的な言明であるかのように見えます。

 市民はその説明をした科学者に信を置いています。

 その科学とはなんでしょうか?

 疫学です。

 「タバコは健康に害がある」は疫学の主張です。

 病理学的にはわからなくても、疫学的には主張できます。疫学は科学です。

 病理学と疫学の関係の理解を深める別例を挙げましょう。

 「ペニシリンをきっかとする抗生物質によって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。

 これは科学的な説明でしょうか?

 病理学的に抗生物質によって結核は治癒できます。ですから、そう言えそうに思えます。

 しかし、ここで言う結核は疫学の対象です。

 では、疫学的には、この命題は正しいでしょうか。

 疫学的な対象としてみると、社会が結核を克服したといえるレベルにまで抑制した要因は、栄養の向上です。

 その意味で、この命題は間違っています。だから、この主張は偽科学です。

 脚気の問題に戻りましょう。

 社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?

 ここでも、先の問題が出てきます。科学を問うている対象はなにかという問題です。

 当時の脚気と呼ばれた社会現象は、ほんとうにビタミンB1不足による脚気だったのでしょうか?

 この説明も、疫学によることになります。

 そして、疫学的に問い直してそれに妥当な説明ようとすることが科学的な説明になるはずです。

 それは、いくらタバコに病理学的に害が証明できなくても、疫学という科学でタバコの害が証明でき、それが科学的説明になるというのと同じ水準で問われうるものです。

 脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。

 そこが科学的説明であるかが問われるところなのです。

 疫学の枠組みで捉え直すとき、最初の問題はどう見えるでしょうか。

 

仮説と科学的探求

 科学において重要なことは、対象を明確にし、次に仮説を立て、その可否を探求し、科学的な説明にまとめることです。

 対象は、疫学的に見た「脚気」です。

 方法論は、疫学的な手法をとります。

 では、次に仮説を考えましょう。

 「脚気」という疫学的な現象に、歴史的には、次の3つの仮説が立てられました。

 

 1 伝染説

 2 タンパク質不足説

 3 中毒説

 

 そして未知の仮説を含めて、4つの仮説にしましょう。

 

 4 その他の仮説

 

 ここで歴史的に見ると、ビタミンB1不足説は4に分類されることに注目してください。

 では、これらの4仮説による科学的探求はどのような推移をたどり、「脚気」についてどのような科学的説明に至るのでしょうか。

 仮説が棄却されていく過程とその評価が重要になります。

 そして、それらの探求と科学的説明から、最初の問い掛けを見直してみてください。

 

想定質問

 補足的に想定質問をあげておきます。

「脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。」というとき、高木兼寛から始まり、脚気に取り組みビタミンB1発見に至るまでの経緯こそ、疫学そのものではないでしょうか?

 「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」の結語「脚気の問題は現在の疫学の問題でもある」に対して、私が「そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ」とコメントしたのはそこです。

 ここは分かりづらいかもしれませんし、実際、ここまで経緯を見ても、ご理解されているかたがいらっしゃらないようなので(いえ、私が間違った認識をしているかもしれませんが)、補足すると、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題(一見科学的に見える命題)は、病理学的な命題に見える、ということでした。また、話の流れから、とりあえずそうしておいたほうが煩瑣にならないからです。

 しかし、中間点を過ぎたのですから、ここも疑問を喚起しておくほうがよいかもしれません。

 私の知る限りという限定ですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という病理学的な機序はわかっていません。これは病理学的な基礎がないと言ってよいでしょう。

 では、この疫学的命題を支える科学性は、疫学的に捉え直したとき、どのように正しいと言えるのでしょうか。

 ポイントは、脚気を疫学的に捉えるということは、この命題を科学的としてきた特定の小集団での限定された実験と、本来疫学が対象とする社会での統計の扱いにあります。広く脚気の衰退の現象を疫学の視点で見たとき、なにが決定的な要因となって、脚気がほぼ撲滅されたかに見えるのでしょうか? 

 もう一つ、関連して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらすという病理学的な機序はわかっていないということはどういう含みがあるのでしょうか?

mori-tahyouemori-tahyoue 2008/11/17 23:59  先鋒、行きまーす。(「ギャグだよ」という逃げをうっておいて)

 「医学」は「科学」である部分と「技術」である部分とがあって、経験的な知識で運用する部分がある、と言うことでビタミンが解き明かされる以前では脚気対策は科学的でありえない、のではないかと思います。

 ですから、江戸時代の説明にもうビタミンを使う部分と、海軍の実験を科学的であるかのように説明する部分が「逸脱」。理由は上述。

finalventfinalvent 2008/11/18 09:05 mori-tahyoueさん、ども。ああ、いいセンスしてますね。ちょっとここは様子見で私の回答出し惜しみで申し訳ありません。でも、mori-tahyoueさんのこのセンスはいいですよ。というのも偉そうですが。
 ちなみに、基本は、実態の認識、定義、因果関係の説明、というあたりかな。
 私が想定していないエレガントな説明も可能かもしれませんが。

e_p_ie_p_i 2008/11/18 11:50 うがあっわからんっ!
時系列的におかしいなと思う所はあるのだけれど…。偽科学的説明というか、偽科学的手法が偶然技術的に成功した、というのなら説明出来ますが。でも偽科学的手法が何の因果か成功(&後世のちゃんとした科学的手法)に辿り着いちゃうって事はよくある事なので、逸脱とまではなぁ…。
一応、チャレンジしてみますと、

・高木は脚気の原因の推測を、日本国内江戸時代〜明治の食生活の変遷から行えたのではないか。
・高木は偶然パン食を採用したが、副食を豊かにする方向に行く可能性もあったのではないか。

というのが思いつきましたが…。これは引用部分が絶対唯一の演繹的手法ではないという事を言っただけで、逸脱の指摘と理由の説明にはなってませんよね…。うぅ。こういうクリティカルシンキングを要求される場面に遭うと、自分がいかに日頃考えず、ただ惰性的知識で生きているかというのを痛感させられます。

pollyannapollyanna 2008/11/18 12:45 なんかいろいろ混乱した例題ですね・・・。

まず前段。

江戸時代:
結果の記述「将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった」
原因推論の記述「玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し」
ここでは、なんで精米された白米が原因といえるのか、根拠が説明されていない。

大正時代:
結果の記述「非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。」
原因推論の記述「ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで」

大正時代の脚気の発症原因(推定)には、「副食を十分に摂らなかったことで」という要因が入っているが、江戸時代の富裕階層の発症原因(推定)には副食の記述はない。よって、ここまでの記述では、白米・副食・白米+副食のどれがが脚気の原因なのかは判断できない。
したがって、科学的説明を逸脱している。

後段。
結果の記述「海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多い」
原因推論の記述「栄養に問題があると考え」
士官と下士卒で、食事以外の条件がすべて同じかどうか不明な状態で、いきなり「栄養に問題」と推定するのは乱暴。
また、高木が比較したのは「西洋式の食事」vs「日本式の米を主食とし副食の貧しい」食事。
そもそも、構成要素もエネルギーもあまりに違いすぎるものを比較していて、食事における何を脚気の原因と判断したいのか、目的が不明。「実験」の説明としては失格。
また、ここでは米が白米なのか玄米なのかきちんと書かれていない。

結果の記述「西洋食の艦脚気患者が出なかった」
原因推論の記述「栄養障害説」
ここから判断できるのは、西洋食にあって日本食にない「なにか」が脚気の原因であるということ。(「栄養障害説」はあながち間違いではない。ただし、栄養成分なのかエネルギーなのかは不明)

結果の記述「海軍における脚気は根絶された。」
原因推論の記述「西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。」
この結果から言えるのは、米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。ほかの推定される原因は排除できない。

また、米がダメで麦がいい、ということはわかるものの、玄米と白米の違いは結局分からない。

・・・こんな感じでしょうか。

pollyannapollyanna 2008/11/18 13:04 上記に追加。
「ビタミンB1を含まない」ことが原因である根拠も述べられていません。もちろん。

finalventfinalvent 2008/11/18 13:26 e_p_iさん、ども。考え方のスジはそれでいいはずです。もうすこし単純に因果関係の説明になっているかという点でみたらと思ったら、pollyannaさんがまとめていらした。

finalventfinalvent 2008/11/18 13:49 pollyannaさん、ども。ええ、多少混乱しているかもしれません。というのは、この背景にはちょっと複雑な問題も潜んでいるからです。
 ただ、当面、ロジカルに、ある意味で中学生くらいの常識で考えても、この記述からは、pollyannaさんが導かれように「「ビタミンB1を含まない」ことが原因である根拠も述べられていません」ということになります。そして、その前段として重要な結論は、同じく「この結果から言えるのは、米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。ほかの推定される原因は排除できない」ということです。科学的な説明にはなっていません。(そして偽科学なるというのはこの先かもしれませんが。)
 そして長く書いていただいた部分は概ね妥当です。おそらく私が書くより、pollyannaさんの説明のほうがわかりやすいと思います。
 せっかくきちんと書いていただいたのでその文脈にそってコメントすると、「西洋食にあって日本食にない「なにか」が脚気の原因である」ですが、日本食にあって西洋食にない「なにか」という「マイナス=害」の要因の可能性も見えてくるはずです。
 そしてその先にもう少し違った科学的な世界が見えてくるかもしれないとういことが、レス冒頭の「多少混乱しているかもしれません」ということです。
 腸内造血説が偽科学として嘲笑されているのは今となってはもう明白でしょう。しかし、白米によるB1欠乏による軍内「脚気」説については、あるタイプの脚気がB1欠乏で起きるのは確かなのですが、この事例から妥当な判断なのか、また、軍内で「脚気」とされた病気が、B1欠乏で起きる「脚気」だったのかについては、もう少し専門的な考察が必要になるのでは、ということもあります。
 いずれにせよ、腸内造血説のように、ごく単純な知識と常識があれば既決のような偽科学を論じるより、どう科学を考えるのか、そのロジカルな考えかたや、さらに広範囲な知識のバランスが必要になるということを、この事例で提起したかったかなという思いはあります。

pollyannapollyanna 2008/11/18 17:59 finalventさん、丁寧なコメントをありがとうございました。
ごく単純な(ただしバランスの取れた)知識と、そしてロジックで、偽科学的なものを見破ることができる、というのはまったくおっしゃるとおりだと思います。
理系が文系かも、実は関係ないんじゃないのかなー、などと思ったりしています。

おもしろい頭の体操の機会を提供してくださって、ありがとうございました!

finalventfinalvent 2008/11/18 18:06 pollyannaさん、ども。ええ、そうだと思うんですよ。あと、この事例は、実は深掘りしていくと変なこと(偽科学なのか科学なのかよくわからない領域)に気が付くかたもいるかもしれません。

t-tanakat-tanaka 2008/11/19 16:24 >そして、その前段として重要な結論は、同じく「この結果から言えるのは、
>米を麦に代えさえすれば、脚気はなくなるということのみ。
>ほかの推定される原因は排除できない」ということです。

もちろん。

当時は「麦に含まれる何かの栄養素」の欠乏が原因だとわかっただけで,その「栄養素」がチアミン(ビタミンB1)だというのは後に判明したことです。

どうもfinalventさんは,いくつかの事象をもとに「真理」を発見することと,既知の「真理」をもとに事象を説明していくことをごっちゃにとらえているようですね。

引用された文章は後者のタイプの文章です。この文章だけから「真理」に到達することはもちろんできませんが,それだけで「偽科学的説明」だとは言えません。

「脚気の原因がビタミンB1の欠乏だ」という「真理」は,Wikipediaの説明に書いてある事実だけで判明したわけではありません。根拠がそれしかないにもかかわらず「真理だ」というのならば「偽科学」ですが,他にも多くの論拠があります。

引用された文章が,脚気の原因がビタミンB1の欠乏である根拠として書かれた文章であるのならば,「偽科学的説明」という指摘もあるかとは思いますが,この文章はそうではありません。

finalventfinalvent 2008/11/19 18:01 t-tanakaさん、ども。まず、「引用された文章が,脚気の原因がビタミンB1の欠乏である根拠として書かれた文章であるのならば,「偽科学的説明」という指摘もあるかとは思いますが,この文章はそうではありません」とのことですが、「大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた」とあるのは、つまり、この文章はそうなのではないですか。
 さて、この話題も第二段階に入るかもしれません。では、問いましょう。「他にも多くの論拠」とは何ですか?

shokou5shokou5 2008/11/20 20:58 初めまして。ブックマーク・コメントにまでご回答いただきありがとうございます。
「科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となる」というのはひとつの立場として尊重いたします。現実はどうかというのはまた別の問題だとは思いますが。ブックマーク・コメント欄は字数制限のため、うまく伝わらなかったかもしれませんが、究極を問う必要がないことには同意いたします。
そして、上で引用された Wikipedia の文章はそれ単独で、充分に偽科学的説明であることはpollyanna さんのコメントの通りです。僕が言いたかったのは「科学的資質」を問うテストは、偽科学の十分条件を指摘できればそれで十分であって (ややこしい)、それ以上の背景知識、資料の検証まで要求するのはちょっときつすぎるかな、と思ったからです。そして偽科学の必要十分条件までは定義できないのではないか、とも思うのです。それがブックマーク・コメントの真意です。
僕の専門は神経科学でして、千島学説などの存在はこの件で初めて知ったので、更に色々教えていただきたいとは思うのですが、テストの解答としては、もう十分だと思いました。
もちろん finalvent さんがコメントされたように「偽科学を論じるより、どう科学を考えるのか、そのロジカルな考えかたや、さらに広範囲な知識のバランスが必要になるということを、この事例で提起したかった」というのであれば、非常に意味のある記事だと思いますし、僕の関心もそこにあります。

finalventfinalvent 2008/11/21 09:16 shokou5さん、ども。丁寧なレスありがとうございます。この「テスト」やらを書いた背景は、私のことを偽科学だとかオカルトとか決めつけのバッシングする人が増えてきたので、じゃあ、そういう批判者さんにその資格があるのか私から吟味させてくださいね、ということでした。shokou5さんがご指摘されるように、「それ以上の背景知識、資料の検証まで要求するのはちょっときつすぎるかな」という部分の泥沼を少し演じてもいいかな。というか、科学的認識にはそういう泥沼のような部分があるわけで、むしろそこを理解していただく機会になってもいいのではないかと。現状の過程では、pollyanna さんが問題点を区分けしてくださったので、その上で別の仮説の妥当性や研究史の再確認といったプロセスに誰か踏み込むだろうかと期待しています。というのは、ある程度は千島学説に似ている部分があるからです。似ていない部分があります。そのあたりはペニシリンと結核「抑制」の関係で見ていけたらと思います。話が戻りますが、それでも、ただ、むやみにfinalventバッシングだけを表層的に繰り返す人たちがいるのは、まあ、それが可視になるだけ、ましかなという気がします。偽科学でもなんでもいいけど、正義の御旗を掲げて、特定人物のバッシングに走るというのは論外なんで、それはただ論外でいいかな、とは思います。

shokou5shokou5 2008/11/21 11:35 丁寧なご返答をいただきありがとうございます。「科学的認識にはそういう泥沼のような部分があるわけで」これはまさに研究の現場に身をおいて実感することです。科学とは知を拡張していく作業ですから、常に科学と非科学のぎりぎりの前線に立つことを意味します。そして実際、「科学者」と呼ばれる人間たちも余程注意深くない限り、非科学的な領域に足を踏み入れかけるのは日常かと思います。そこでうまく Peer-review などが機能すればよいのですが、それでも論文レベルでは取りこぼされるものは出てきてしまいます。勿論科学全体としてはうまく自浄?作用が働いていますし、結局、なぜ科学は成功しているのか、というのが科学哲学の主題なわけです。個々のレベルで偽科学が批判できることは確かですが、あまりに静的に科学を捉えている方が確かに多いようにも思われます。今後、僕自身も科学そのものの持つダイナミズムをうまく伝えていけたらいいと思いました。科学の研究をしながら半分ラトゥールみたいな作業をするわけで非常に消耗するわけですが。大変考えさせられました。改めてありがとうございました。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 15:12 > 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 finalventさんの意図に合う例としてはホメオパシーの方が適切だと思いますが、ニセ科学の話としては「これはひどい」としか言いようがありません。
 finalventさんがニセ科学として批判されているものが何なのか、全く理解していないことを証明しています。ニセ科学批判は間違いの批判ではありません。

finalventfinalvent 2008/11/21 16:33 lets_skepticさん、ども。意図がちょっと取れないところがあるので、以下応答としては失当かもしれません。
 このエントリの提起ですが、よく見かける偽科学批判として出てくるものは、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定など、ちょっと利発な小学生なら簡単にわかるようなものばかりで、そんなものを批判してもたいした意味もないに、私に対して「お前は偽科学だのオカルトだ」といったの揶揄が飛んでくる。それなら、もう少し難しい例題で、私を批判する人がどれだけ科学的に物事を考えるのか、例題をやってみましょうかということで提起ました。
 偽科学の定義は、私は、端的に、偽の科学と考えています。そして科学が偽になるのは、その方法論と思惟の過程に問題があると思います。つまり、偽科学とはその結果に過ぎません。間違った科学と偽科学と区別する必要はないと思います。繰り返しますが、偽科学は科学的に間違っているのです。重要なのは、科学的に正しいとはどういうことなのか、その方法論、およびその思考のプロセスです。水伝、マイナスイオン、血液型性格判定について偽科学といった念仏を唱えることなどたいした意味がありません。
 科学の方法論とその思考のプロセスをかっとばして、偽科学批判を展開しても意味ないではないですか、というのが私の考えです。
 再度繰り返しますが、近代人は、個別の偽科学に関心を持つ必要はありません。科学的に物事を捉えるようになるだけでよいのです。
 そしてそのとき、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定などちゃんちゃら低レベルな問題ではないところに、いろいろ問題がおきます。BSE騒ぎやタミフル騒ぎなどのときにこそ、科学的なものの考えかたが問われます。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:19 > 偽科学の定義は、私は、端的に、偽の科学と考えています。

 これが間違いなんです。エントリを上げてトラックバックしました。また、「ニセ科学」の定義については、はてなキーワードも参照してください。簡単に言えばfinalventさんは、ニセ科学批判に言及しながら、ニセ科学批判とは関係ない「偽科学」について語っているんですよ。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:21 lets_skepticさん、ども。この件、追記もしました。敵対にとらないでほしいのだけど、その違いが皆目わからないという感じです。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:25 了解しました。他の方がもっと適切な説明を書いてくれるかもしれませんが、私もわかりやすい説明ができないか考えてみます。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:39 lets_skepticさん、ども。からむわけではないのですが、たとえば、
 
 A フロギストン
 B オルゴンエネルギー
 
 という2つについて、lets_skepticさんの考えでは、Aは間違い(すでに棄却されて冗談以外には顧みられない)、Bはニセ科学(それを科学と主張する人がいまでもいる)となるのでしょうか。
 私は、同じじゃないかな、ただの科学的間違いでしょと思いますが。
 重要なのは科学をきちんと理解することであって、ニセ科学をきちんと理解することじゃない、というか、前者がしっかりできれば、後者、ほとんど意味ないんじゃないかと思いますね。
 そして、この件で私を批判する人たち(偽科学批判者)がそれほど、科学的に物事を考えているのではないなという印象はもちます(あと、ついでにいうと、議論じゃなくて、「私」が攻撃対象になるなんだなと、それって全然科学的じゃないじゃん、とか思います)。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:40  まともなニセ科学批判者の間では「ニセ科学」の定義は広く共有されています。間違った科学を科学であると主張すれば「ニセ科学」です(科学でないのに科学を装っている)。間違った科学は「間違った科学」です(科学を装っていない)。
 というわけで、質問の件はA:間違った科学、B:ニセ科学で問題ないと思います。

 ニセ科学批判の本質は間違いにではなく、間違ったことを正しいと主張すること(時にそれは単なる嘘です)に向いていると言ってもいいかもしれません。

finalventfinalvent 2008/11/21 17:50 lets_skepticさん、ども。からんでいるととらないでくださいね。
 あと、ニセ科学がそのように、「間違ったことを正しいと主張すること(時にそれは単なる嘘です)に向いている」とき、その批判は、やはり正しい科学的方法論が問われるわけで、結果から見れば、間違った科学を認識するための批判のと、まるで同じように思います。それをただすというとき、特段に、ニセ科学という概念は不要なのではとしか思えません。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/21 17:56  からむとかそういう印象は気にしないでください。相互理解に達することができれば私も嬉しいです。

 科学の啓蒙は重要です。そのことについては異論ありません。それはニセ科学批判と一緒に行われることもあります。常に行われるわけではありませんけれど。
 「ニセ科学をきちんと理解すること」は、ニセ科学批判を批判するのならば必須というだけです。ニセ科学の理解ではなく、科学の理解が重要というのは正論ですが的外れです。

> あと、ついでにいうと、議論じゃなくて、「私」が攻撃対象になるなんだなと

 正直なことを言えば、アルファブロガーであるというfinalventさんの属性も影響していると思います。私なんかはfinalventさんに(ついでに言えば弾さんとかも)協力していただければ、ニセ科学批判ももっと効果的だろうなと思ったりしますが、実際は誤解をばら撒くことで邪魔されているとしか思えません。影響は計れませんが甚大じゃないかと思います。

 それから、どこに科学的素養を発揮すべきかという考え方については、おそらく、finalventさんとニセ科学批判者の間に断絶があります。もしかしたら、この断絶は「ニセ科学批判」とは何であるか?がわかってもらえればなくなるかもしれません。

 実は「ニセ科学」という言葉はマーケティング的な視点から採用されたという背景もあります。正しい科学を広めるのが簡単であれば「ニセ科学」なんて分類は必要なかったという意味では、finalventさんの意見が間違っているとは思いません。しかし、それは理想論ではないでしょうか。

 実は、ニセ科学に科学的批判が行われる場合は、あんまりニセ科学という言葉が使われないなんて話もあるんですけどね。

finalventfinalvent 2008/11/21 18:26 lets_skepticさん、ども。心情はわかるように思いました。反論という枠組みでとらないでほしいのですが、私の心情というか信条的な部分を補足させてください。水伝を例にするなら、これが教科書に載っているというのはとんでもないことだと思います。ただ、掲載されているのは国語ではないでしょうか。するとそこでの枠組みは、比喩なり文学というものがあります。もちろん、国語であっても非科学極まりない話はどうかという批判は了解できます。教科書から離れるなら、人が水伝を信じようが人の勝手というか愚行権みたいなものだろうと思います。それが問題になるのは、その人と私が市民としての関わりを持つ場、公が問われるときだけ。たとえば、水伝で詐欺事件や悪徳商法が行われているなら問題です。実際、そのような印象も受けるので、その批判はあって当然でしょうくらいに思います。ただ、この場合、私が重視するのは、市民ルールということでその逸脱があるときに問題になります。私たちの市民社会は近代科学を真理の合意条件として成立しているのであって、そうした公において、水の思いだの死後の霊みたいなものを持ち出されたら、冗談ではありません。ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見えるし、私にその批判が向けられる。それなら、その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。
 市民社会にあって、科学とは、基本的には科学という信念でしかありません。ここは、lets_skepticさんには違和感があるところかもしれませんが、私たちは諸科学に十分に適切な知識を持つことはできません。であれば、基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考、そこから、妥当に「ニセ科学」を市民が自分で却下できるようにして、そこで却下できないその先は、科学集団への信だけが問われます。たとえば、私への批判者がするっと暴露したように「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。実際のところ、市民社会に置ける科学自体が、そうした信からなりたっている。「ニセ科学批判」の人ですら、そうではないですか。そして信の構造に移されたとき、宗教とも「ニセ科学」とも区別は付きません。
 まわりくどく聞こえるようになったかもしれませんが、重要なことは、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考を持つことと、科学集団への適切な信頼を持つことです。ただ、その信頼とは、「ニセ科学」に信頼を持つ人々と本質的な差異はないのだという、絶えざる反省を持ち、それゆえに、再び、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考に問い直す謙虚さは必要になると思います。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/22 02:26  finalventさんがニセ科学批判に関して殆ど何も知らないことははっきり分かりました。ニセ科学批判の中では、finalventさんのような立場の方を「周回遅れ」と表現しています。finalventさんの主張のほとんどは既に議論され解決済みの問題です。いくつかのニセ科学批判に関するまとめを読んでもらえれば、答えは書いてあります。
 finalventさんの嗜好で言えば、今回直接反応されている天羽優子さんよりは菊池誠さんの活動を追ってみるといいのではないかと思います。

 水伝は道徳の授業で用いられました。「比喩なり文学」としてもダメだということも既に解決済みの問題です。「愚行権」の話も議論されました。そういったメタレベルの話もニセ科学批判をする者の間で普通に行われています。

> ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見える

 そう主張したいならば、メタレベルの話で終わりにせず、誰がどこでやっている批判が、どのように問題なのか具体的に指摘しなければ無意味だというのが私の結論です。
 なぜならば、finalventさんが見ているものが、そもそもニセ科学批判ではない可能性すら十分存在するからです。又は、存在しないものを見ている…先入観による印象論である可能性もあります。

 最後の段のfinalventさんの話はよく理解できますが、まともなニセ科学批判者で、それが分かっていない人はいないだろうと考えています。
 そして、重要なのは、それは科学啓蒙の話であって、ニセ科学批判の話ではないということです。finalventさんは依然「ニセ科学批判」を理解していないので、ここが理解できていないのです。

 先入観をもたず、分かった振りをせず、ニセ科学批判を見てください。

apjapj 2008/11/22 02:43  apj@Archivesで言及した者、です。

 まず、事実の指摘をいくつか。
 水からの伝言が教科書に掲載されたことはありません。教師が個別に道徳の教材として学校に持ち込みました。

 また、水からの伝言そのものではないですが、水の結晶写真が悪徳商法(浄水器販売)の宣伝に使われたのは、道徳として使われるよりも前です。私が書いた次のコメントを見てください。少なくとも2000年には使われていました。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/alkalli/comment_ph_03.html
さらに、水からの伝言のもとになっている江本氏の波動は、最初、有機農法の農家にインチキ測定器を数百万円で設備として売りつけるという事に使われ、そちらがインチキとバレたので水に移ってきて、やらかしてくれたのが「水からの伝言」でした。その後、健康な情報の波動を水に転写し、その水を飲むと健康になれる、という触れ込みで、病気の人を狙って装置を売りつけました、先日、そういうことをしていたバイオシーパルスという会社が摘発されました。

>「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。
 の意味が不明です。
 ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません。当時問題となっていた脚気は、食事の内容を変えて、改善していたというのがwikipediaの後半の記述です。人体のしくみは今と江戸時代ではほとんど変わっていないでしょう。すると、当時、食事を変えたことでで改善した脚気については、ビタミンB1不足によるものであったという推定をしてもかまわないはずです。信の表明でもなんでもない、単なる論理的推論に過ぎません。生理学の教科書は、大学院時代に簡単なものを読みましたが、このあたりが変わったという話は無かったかと。

>その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。

 あなたが考えている科学の難しさと、私が考えている科学の難しさは、どこか違う気がしますね。

 もう一つ。ニセ科学批判は教条主義でやれるものでも、社会のルール無しで展開できるものでもありません。私は、ここ10年ほど、液体の研究をする傍ら、水商売ウォッチングというサイトを作ってきました。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html
浄水器や活水器の擬似科学宣伝を批判するサイトです。
で、この手の批判の最終防衛ラインは訴訟なんですよ。何せ、企業の利益と直接関わりますので、隙があれば提訴されると思ってやらないといけない。ニセ科学批判の活動を続ける上で重要なことは、批判について訴えられた時に裁判所で勝てる範囲で書いておく、ということになります。ここを見誤ると批判を継続することはできません。
 実際、公取の排除命令を喰らったことを私のせいだと逆恨みした神戸の会社から、サイトを置いていた大学が訴えられて、私も、私の先生も独立に弁護士を雇って訴訟参加して争っています。訴訟資料はほとんど公開していますのでここからどうぞ。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/index.html
 大体、業務妨害か名誉毀損で来るはずなので、表現内容が真実だと裁判官の前で立証できることや、公益性があることを立証できることが必要になります。
 ニセ科学の判定条件については
http://www.cml-office.org/ww-gl/article.php/20081117034728781
にまとめてああります。

apjapj 2008/11/22 03:23  wikipediaの記述について追加です。

 高木が航海による試験を思いつくまでのプロセスは、もしかしたら、相当荒っぽいものだったかもしれません。脚気の原因について他の要素を考慮していないとか、十分な証拠なしにいきなり実験航海をやったんじゃないかとか……。しかし、それは、今の実験医学の水準を知っているからそういえるだけの話です。高木は、幸運にも思い切った推論と実験が正しく、原因物質もメカニズムもわからないままに、脚気の発症を相当程度抑えることに成功したわけです。
 メカニズムと原因物質がわかったのは、後になってからです。じゃあ、推論で突っ走った高木のやったことが擬似科学かというと、そんなことはありません。発見のきっかけには何らかの飛躍があって、発見されたことの意味づけが後からなされるというのは、ごく普通に起きていることです。
 もし、後になって、ビタミンB1欠乏以外の理由で脚気になることがわかったとしても、「ビタミンB1欠乏が原因で脚気になる」が間違った記述になるわけではありません。単に、脚気の原因に新たなものが付け加わるだけです。「脚気の原因はビタミンB1欠乏のみである」という主張は間違いとなりますが。
 さらに想定されるややこしいケースとして、ビタミンB1欠乏→実は人によって異なる2通りの生理学的あるいは生化学的プロセス→結局脚気を発症、などということがわかったとしても、同様です。これらのことが分かった場合には、科学としての記述の精度が上がるだけです。
 食物を変えることで対処できた当時の脚気は、今から考えると、ビタミンB1欠乏で起きていたものと同じだろう(だから食事の改善で対処できた)、というのは、信の表明でも何でもない、通常の推論です。但し精度はそれなりです。

 じゃあ、「ここに脚気に見える人がいます。どうしますか?」ということになれば、ややこしい科学が顔を出します。
 これまでの知識に基づいてビタミンB1製剤を与えてみる、というのを最初にやるでしょうね。それでダメだったら、なぜこの人には効かないのか、効いた他の人と何が違うのかを調べることになります。脚気に似た他の病気ではないかとか、遺伝的な理由や別の病気が原因で与えたビタミンB1がうまく使われていないのではないかとか、そういう場合は他の何かを一緒に与えないとダメなのではないかとか、個別に仮説を立てたり検査データを付き合わせたりして判断しなければならないややこしい状況が待っています。おそらく、専門家なら、一番可能性のありそうなものから優先順位をつけて調べていくんでしょう。これが科学の難しさです。

>であれば、基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考、そこから、妥当に「ニセ科学」を市民が自分で却下できるようにして、そこで却下できないその先は、科学集団への信だけが問われます。

 科学集団だって欺されます。病的科学というカテゴリーになる騒動は時々起きています。常温核融合や、古いものではポリウォーター騒動など。ただ、検証する力もあるので、一定期間で否定して終結するのですが。

 で、巷に出てくるニセ科学は、商売に使われることが多く、大抵はあからさまにニセなんですよ。科学者の信を云々する必要もないほどニセです。それでも、一般の人にとって調べるハードルは高いですし、人は有限の手間と時間しか使えないわけですから、
 ですから、完全に欺されるのを防ぐのは不可能としても、理解しないでも引っ掛からずに済む方法
http://www.cml-office.org/archive/1226952019176.html
を考えたりしています。あるいは、
http://www.cml-office.org/archive/1227268796182.html
のように、それが事実なら身の回りはどうなるか?と一歩立ち止まって考えるといった対処をする、といったことを提案しています。

apjapj 2008/11/22 03:59 >それなら、もう少し難しい例題で、私を批判する人がどれだけ科学的に物事を考えるのか、例題をやってみましょうかということで提起ました。

 どう見てもその出題、科学的の意味をとり違えているようにしか見えません。

 今の科学に乗っかる部分は、「精米がビタミンB1を含まない」だけです。ちょっとだけ解釈で広げるとしても、「ビタミンB1欠乏で脚気になる」(注:他の原因が無い、ということまでは主張していないから、他の原因があったとしてもこの部分は間違いにはならない)だけです。あとは、歴史の記述でしかないです。
 上記2つの部分の精度については、既に述べました。
 歴史の方は、当時の人の推論の仕方や考え方が甘かったとしても、その時代の限界によるものなので、今の知識でもって批判する対象ではないです。

 ちょっと上の方のコメントに、フロギストンとオルゴンエネルギーの話が出ていましたのでコメントしておきます。
フロギストンは、一時期は科学でしたが、今では間違った科学です。ですから、今「物が燃えるのはフロギストンがあって……」ともっともらしくやれば、ニセ科学になります。
 オルゴンエネルギーは、発見が1939年ですから、最初は科学で後から間違いと判明したのか、それとも最初から間違いだったのかが微妙ですね。似たような感じで科学として始まり勘違いとわかったものにN線がありますが、これはさらに30年ほど前です。歴史的背景を考えると、1900年前後は、新光線発見ラッシュの時代でした。フライングも結構あったんじゃないかと。だから、30年早ければ一時期は科学に入ったかもしれませんが、その後の展開を見ると、完全に変な方向に向かってしまっているようですね。まあ、今、これを、科学として広めようとしたら、ニセ科学というしかないです。

 間違った科学とニセ科学の区別について。間違った科学の全てがニセ科学になるわけじゃないんです。間違ったために歴史上の記録にはあるけど今では科学には組み入れられず、かつ今でもそのように扱われているものはニセ科学ではありません。間違った科学を今でも科学として真実であるかのように広めればニセ科学となります。
 また、非科学な思考や方法論の帰結が常にニセ科学をもたらすかというと、おそらく違うでしょう。非科学な思考や方法論の帰結がニセ科学になる場合もありますが、オカルトになる場合もありますので。

finalventfinalvent 2008/11/22 09:10 lets_skepticさん、ども。私としては、「finalventさんがニセ科学批判に関して殆ど何も知らないことははっきり分かりました」とlets_skepticさんがお考えになっていることは、はっきり分かりました。いえ、皮肉なトーンにとらないでくださいね。lets_skepticさんの考えについて、自分は表面的には理解できているのではないかなということで、あとはそれを私がどこまで同意するだろうかという問題だろうと思います。おそらく、lets_skepticさんがご指摘されているように、「finalventさんの主張のほとんどは既に議論され解決済みの問題です」は正しいのではないかと思います。そして、「いくつかのニセ科学批判に関するまとめを読んでもらえれば、答えは書いてあります」もそうなのでしょう。具体的にそのまとめ、つまり私が「周回遅れ」とやらになっている理由が明確にわかるまとめが得られるまでの、手続き的なハードルというのはあるかな。率直にいうと、ちょっと失礼に聞こえたらすみません、めんどくさいなと思いました。そうあえて言うのは、たぶん、私の人のような人には、同じくめんどくさいなという問題ではないか、という思うからです。おそらくその問題は、lets_skepticさんには知的怠惰に見えることでしょうし、それも理解できます。が、おそらくlets_skepticさんが抱えている問題は、そうした「既決の事項」をうまく、外部に伝えていないという現状があるのではないでしょうか。いえ、ここでも私は、譲歩はします。つまり、それがわからないのは、「http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-86d2.html」のコメント欄に集うみなさんのように、「ただ、finalventがバーカだからだよ」ということで、「普通はわかるよ、常考」ということかもしれない。皮肉なトーンに聞こえるかもしれませんが、そこは、なるほど、私一人がわかってないおバカなのかもしれないなとは思います。ただ、もしそうしたおバカに、これからも遭遇するなら、あるいは問題は「そうした「既決の事項」をうまく、外部に伝えていないという現状」をみなさんが課題とされてもよいように思います。
 lets_skepticさんとの対話は私には有益なものでした。すでにエントリには追加しましたが、コメント欄での最初のご指摘を了解していたら、このエントリは書かなかったでしょう。私の誤解がさらにあるかもしれませんが、「ニセ科学批判」というのは、「科学か科学でないかという知識を問うもの、つまり、finalventってほんとにマイナスイオンのことわかってんの」という問題ではなく、水俣病訴訟やアスベスト被害者救出といった市民活動のようなものなのだと私は理解しました。それは、市民に不正義が課せられているときその解消を公的に問うといことは重要だと思います。ただ、率直にいうと、私が水俣病訴訟に関わらないように、「ニセ科学批判」には自分が市民としての利益に強く関わる問題ではないなと思います。卑近にいえば、すっこんでろfinalvent、というのはよくわかりました。

finalventfinalvent 2008/11/22 09:19 apjさん、ども。まず最初に、「水からの伝言が教科書に掲載されたことはありません。教師が個別に道徳の教材として学校に持ち込みました」の件ですが、回答すると、「憂鬱亭さんのお使いご苦労様です」ではなく、なーんだ、個別のいかれた教師の問題かぁ、田母神みたいにそいつを処罰したらぁ、でもなく、いやや、それは単純に知らなかったな、教えてくれてありがとう、と思います。
 それと類似した問題。「非科学な思考や方法論の帰結がニセ科学になる場合もありますが、オカルトになる場合もありますので」、ナイス!と思いました。ただ、私の考えでは、オカルトも「ニセ科学」も偽科学です。
 脚気関連は、コメントを分けましょう。

finalventfinalvent 2008/11/22 09:20 apjさん、ども。では、エントリの「テスト」関連。
>>
>「しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので」というのは、信の表明なのです。
 の意味が不明です。
 ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません。
<<
 いえ、単なる信の表明ですよ。私たち市民は、近代人として基本的な科学的知識と思考法を超える部分については、専門の科学者に信を置いているだけです。「科学的事実」とは、そうした市民からすればそうした信を表しているだけです。ですから、問題は市民社会における科学者への信のありかたが問われるということになります。
>>
生理学の教科書は、大学院時代に簡単なものを読みましたが、このあたりが変わったという話は無かったかと。
<<
 いつの大学院時代かは知りません。私のように四半世紀も前だったら、finalvent、お前なぁ爺とか言われそうですね。しかしおそらく「生理学の教科書」は今でもそうでしょう。そしてそれもまた、科学者集団への信を表しています。
 話を少し次の段階に移しましょう。
 「ビタミンB1欠乏で脚気になることは既に知られた事実で、これは今でも変わっていません」ですが、この科学的説明について、「ビタミンB1欠乏→脚気」というのは、そのとおりなのです。Wikipediaの執筆者もそこは間違っていません。では何が、非科学的な説明だとfinalventは言うのでしょうか?
 はて。
 科学的な探求で最初に重要になることは、対象を明確にすることです。
 この「テスト」で、何を言いたいんだfinalventは、曖昧極まるじゃないか、こりゃ、とかぼやかれたかたがいるかと思いますが、そこが、ポイントでした。
 この話題、何が対象なのでしょう。
 あたりまえだろ、「脚気がビタミンB1不足で起きる」という説明が偽科学かどうか、じゃないの。それはもう確立した科学知識で、そんなの疑うお前に科学的思考がないんだ、そんなやつが、偉っらそうに「テストかよ、ぶんぷん」……
 とかなりそうですよね。
 さて、対象はですが、「脚気」です。
 あたりまえだろ、「脚気がビタミンB1不足で起きる」以下略。
 ではここで補助線。
 「タバコを吸うと肺がんになる」はどうでしょう。
 これは私の知識が、トビウオの飛行についてかつて思っていたように間違っているかもしれませんが、病理学的には証明できていません。
 じゃ、「タバコは健康に害がある」はどうでしょう。
 そこも病理学的説明は難しいはずです。でも、科学的に見て、タバコには害がある、と、市民は科学者に信を置いています。その科学とはなんでしょうか?
 疫学です。
 そして、「タバコは健康に害がある」は疫学の主張です。
 脚気の問題は、病理学的には説明されますが、Wikipediaで記載されている記述は、疫学的な対象です。その病理学的説明と元ある疫学的な対応はどのようになっていると、科学的説明となるのでしょうか。
 もう一つ補助線を引きましょう。
 「ペニシリンによって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。
 これは、科学的に間違いです。私的には偽科学です。「ニセ科学」ではないのだなというのは了解しましたが。
 疫学的な対象としてみると、社会が結核を克服したといえるレベルにまで抑制した要因は、栄養の向上です。
 脚気の問題に戻りましょう。
 社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?
 ここでもう一つやっかいな、しかし論理的に明白な対象にまつわる問題があります。
 これも対象はなにかという問題です。
 当時、脚気と呼ばれた社会現象の大半は、ほんとうにビタミンB1不足による脚気だったのでしょうか?
 この説明も、疫学によることになります。
 そして、この妥当な説明が、科学的な説明になるはずです。
 それは、いくらタバコに病理学的に害が証明できなくても、疫学という科学でタバコの害が証明でき、それが科学的説明になるというのと同じ水準で問われうるものです。
 脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるか(もちろんそこには病理学的な知見はふくまれますし、タバコの害より有力にはたらきます)、そこが科学的説明であるかが問われるところなのです。
 さて、apiさんのご回答の採点はしません。apiさんご一行にこの話が通じてるか、ちょっと私には確信が持てないからです。

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 10:46 103. DD — November 20, 2008 @07:56:38

きくちさん:
> サイエンス・フィクションをニセ科学だなどと呼ぶ人は、何もわかっていないのです。
> 疑似科学ではありますけど。

適当なときに、【疑似科学とニセ科学の違い】をじっくりと説明をお聞かせくださいね。
大事なところ、のようですから。お願いします。

http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2131-16/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1172620744

apjapj 2008/11/22 11:07 >「科学的事実」とは、そうした市民からすればそうした信を表しているだけです。
 では、偏った食事によって私が脚気になった経験があり、かつ、ビタミンB1投与で治れば、それは信の表明じゃなくなるということですか?1例で完全な証明とはいかないにしても、一応は追試で確認したことになりますよね。

>社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?

 この問いにはあなた自身がきちんとお答えください。ソースも示してね。

 それから、業務連絡.

apj_yamagataが投稿していますが、こいつは削除あるいは無視でお願いします。
私がコメントし始めると出没し、複数ハンドルで議論を引っかき回すだけの存在です。年明けには、blog のコメント欄に1日か2日の間に数十件自作自演をかましました。他には、ふま、とか、ふじ、などと名乗っていることがあります。できれば、IPアドレスを確認して全削除するのが、もっとも良い対応です。
過去にこいつが何をやったかは、
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/68/
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/69/
http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/Entry/70/
にまとめられています。

apjapj 2008/11/22 11:21 さて、finalventさんの認識不足が一層はっきりしてきました。
まずここ。

>よく見かける偽科学批判として出てくるものは、水伝、マイナスイオン、血液型性格判定など、ちょっと利発な小学生なら簡単にわかるようなものばかりで、そんなものを批判してもたいした意味もない

 その、小学生なら簡単にわかるようなものを、教師が自発的に教育現場に持ち込んでいるんですよね。しかも、個別の教師の問題で片付かない程度の数で。ひどい例だと、学校内の教師数人で話し合ったが問題無いだろう、と言う結論でやっちゃった例もあります。授業で使われた小学生は被害を受けることになります。素直に信じた場合は間違いを教えられたという被害。疑った場合は……正しいことを主張したのに教師に叱られたという被害が発生となります。

 マイナスイオンはご存じの通り、2003年くらいにピークでしたね。あの夏は、マイナスイオン機能がついていないエアコンを買うのがほとんど不可能でした。どのメーカーも搭載していた。何が言いたいかというと、小学生でもわかるような話に、専門の研究者・技術者を抱えている筈の大手家電メーカーが軒並み嵌っていたということなんですよ。損失をどうカウントするかが微妙ですが、余分なマイナスイオン装置を搭載することによる資源の浪費と環境負荷の増加は確実に起きていますし、その分は価格に上乗せという形で消費者が支払うことになっているはずです。


 血液型性格診断は、フォローしてないので言及しません。

 いずれにしても、個別の人の問題に帰するには、規模が大きすぎるんですね。むしろ社会現象なんですよ。
小学生でもわかるとか、批判することに大した意味がない、というのは明らかにあなたの認識不足です。

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 11:41 「大事なところ」らしいので、繰り返しますね。

菊池誠先生によると

【疑似科学であっても、必ずしもニセ科学であるとは限らない】

そうです。

きくち November 19, 2008 @23:53:38
103. DD — November 20, 2008 @07:56:38
http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2131-16/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1172620744

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 11:44 菊池誠先生によると

【疑似科学とニセ科学を区別できなければ、話にならない】

そうです。

きくち November 19, 2008 @23:53:38
103. DD — November 20, 2008 @07:56:38
http://s04.megalodon.jp/2008-1120-2131-16/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1172620744

apj_yamagataapj_yamagata 2008/11/22 11:50 ガードマンの制服は、警官の制服に似ています。
それは自分は警官だと騙しているのでしょうか?

APJさん(田崎さん、菊池さん)の論法だと、

【ガードマンは警官だと騙すために、警官と似た格好をしているのだ】

ということになりそうですね。

科学による偽似科学攻撃は、警察が自分を擬態するガードマンをいじめるようなものでは? - SeaMountの雑記と書庫
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20080522/1211488635
《4.仮説の自由と「ニセ科学」のレッテル》へのコメント…付:論議しながら考えた妄言など - SeaMountの雑記と書庫
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20081024/1224798425

finalventfinalvent 2008/11/22 11:57 apj_yamagataさん、ども。業務連絡的な話から、同一内容の連投は避けて下さいね。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:00 apjさん、ども。まず、「マイナスイオン」関連で、「小学生でもわかるとか、批判することに大した意味がない、というのは明らかにあなたの認識不足です」については、lets_skepticさんのご指摘もそうですが、その点については、そうなのかもしれないなと思います。ただ、利発な小学生ならわかることだし、義務教育を終えて近代科学の考え方を身につければさして問題はないかとは思います。まあ、そこが、「認識不足」なのでしょうね。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:05 apjさん、ども。「テスト」関連。
>>
 では、偏った食事によって私が脚気になった経験があり、かつ、ビタミンB1投与で治れば、それは信の表明じゃなくなるということですか?1例で完全な証明とはいかないにしても、一応は追試で確認したことになりますよね。
<<
 そうした追試こそ、偽科学に溢れているものですよ。
 病理学は機序の解明にあり、疫学はタバコの有害性を明らかにするように統計を用います。
 こういうとお怒りになられるのでないかと懸念するのですが、というか失礼な言い方になるのを懸念するのですが、疫学についてご存じないようにお見受けします。apjさんとはこの話はここまでさせてください(敗北宣言と受け止めてくださってかまいませんよ)。
>>
>社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?
 
 この問いにはあなた自身がきちんとお答えください。ソースも示してね。
<<
 そうですね。ただ、この「テスト」の範囲からは論理的な帰結だけでみても言えない、と言えるはずです。

apjapj 2008/11/22 12:28 さらにいくつか。
http://www.cml-office.org/archive/1227299970184.html
にも書きましたが、ニセ科学を信じているだけで批判の対象になることはありません。批判の対象になっているのは、全て、「信じる」以上のことをした場合です。他人に教えたとか、blogに書いて他人が読める状態にしたなど。

次に、コメント欄から気になった部分をいくつか指摘します。

>重要なのは、科学的に正しいとはどういうことなのか、その方法論、およびその思考のプロセスです。

 実は、こんな基準を採用したっていつまでたっても問題は解決しません。というか、こんなんで解決する問題ならとっくに終わっています。理由は、科学的に正しいかどうかの線引きができないからです。そもそも、科学とは何かという定義で、合意に達したものはありません。科学哲学の人も科学者もいろんなことを言っていて、どれも相当に一理あるのですが、誰もが合意するものは存在しません。私達はグレーゾーン問題と言ってます。グレーゾーンがあるから本来線引きは無理だ、ということです。ただ、それでも、グレーから黒まで分布しているわけで、最近、批判の対象になっているニセ科学はほとんど黒のものです。

>重要なことは、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考を持つことと、科学集団への適切な信頼を持つことです。ただ、その信頼とは、「ニセ科学」に信頼を持つ人々と本質的な差異はないのだという、絶えざる反省を持ち、それゆえに、再び、市民は基礎の科学知識、およびその背景の論理的思考に問い直す謙虚さは必要になると思います。

 理想論はご立派ですが、ちょっとずれてると思います。技術開発者さんという方のたとえ話なんですが、科学者は一種の毒味役と考え、市民は殿様でいろ、がむしろ正しいんです。科学として間違っているものは、放っておけば大抵は時間が経てば消えます。今ニセ科学として広まっているものがそもそもどうして出てきたかを見ると、科学者側で十分確認が済む前に、別のルートを使って話が世の中に出てきてるんですね。
 ですから、「信をおく」のはいいんですが、どの時までの話に信をおくかという時間の要素を入れないとうまくいきません。多分、ニセ科学を信じる人というのは、多くの場合、この「信をおく」のが早すぎる方にずれてるんです。
 科学者はいろんなことをやりますが、失敗も結構あります。あからさまな間違いでなくても、実は大した意味がなかった、なんてことだってあります。誰だって失敗よりは輝かしい成果の方を望みますから、そのつもりで仕事をしますが、それでも失敗はなくせません。現在進行中の科学者の仕事は、論文になっていたってグレーです。その段階で信をおかれたって困ります。グレーになるか黒になるかが決まるのには、時間がかかるものです。
 新しいことはうさんくさい、と思うのが市民としては安全なありかたです。で、科学者が「これだけ確認しました。別の人も確認してます。抜けてることが無いようにここまでやりました。信じてください」とやって初めて、「じゃあそろそろ信じようか」となるくらいでちょうどいいんですよ。それが、最近は、科学者が確認を終えてないのにマスコミ経由で話が出回り、マスコミに出たんだから科学者は確認済みだろうと勘違いした市民が突っ走る、ということになってます。ひどいのになると、グレーの段階で科学者本人がマスコミに登場し、市民を煽るわけです。だから、新しい話は科学者が出てきて言ってもとりあえずうさんくさいと思う、とやっておかないと判断を間違えることになります。安易に信をおいちゃいけないんですよ。

 次に、どのへんまでを科学の基礎知識とするかですが、高校の理科の教科書範囲まででしょうね。この範囲であれば、かなり時間をかけて確認していますので、そうそう簡単に内容がひっくり返ることはありません。高校の範囲を越える話は、とりあえずマユツバできく、というので、大きな間違いはしないはずです。

 論理構造の問い直しですが、これはできない場合の方が多いと思います。特定の説の自己矛盾くらいならチェックできるでしょうが。科学の論理構造にあてはめての問い直しは、今の教育を考えると、一部の人しかできません。理科の教科書では個別の材料が提示されます。実験によって確認したりしますが、教育向けの実験はdemonstrationつまり演示実験です。既にわかっているややこしい科学の一部を、教育用にきれいに見える形で提示するものです。本来の科学の研究は演示でない方の実験つまりexperimentをやるんですが、experiment を経験するのは、大学の学部に入って卒業研究をするあたりです。ここまでいくと、論理構造と照らし合わせることになるのですが、これは、世の中の一部の人しか経験できません。
 ところが、科学と称する間違いは、experimentが無いのに、demonstration を装います。普通に教育を受けただけでは、理科の授業で見せられた演示実験と区別をするのが難しいんです。しかも、高校までの教育では、個別のdemonstrationを根拠に内容を信じるように訓練されてしまっています。これでは、experimentが必要だということに気付かない人だって居るはずです。

結局、
・ニセ科学言説を見かけたらそれはニセだと気付いた人が指摘する←別の人が信じるのを防ぐために必要
・正しいのは何かを説明し、説明が人目に触れる機会を増やす
・社会が健全な保守性を持つにはどうするかを考える
といったことをいろいろやらないとどうにもならないんですよ。やったから必ず解決するかというと、その保証もないですが。

haineko2003haineko2003 2008/11/22 12:36 ちわ、ニセ科学論争にはあんまし関心がないんですけど、Wikipedia 脚気でも触れられていた、板倉聖宣『模倣の時代』(仮説社1988)を読んでいたとき感じた疑問なんですが、なにかの栄養素がたりないのでそれを補いましょうというサプリメント思考ではうまくいかない場合がよくありますね。
特に栄養事情が悪い環境のときは、それでうまくいくんですけど、飽食の時代となったときには、病んでいる人の体質の問題(その栄養素を吸収、利用できるかどうか)が大きく関係してくるような気がします。

脚気にビタミンB群
鉄欠乏性貧血だから鉄剤
カルシウム不足でカルシウムを摂取
でいいのか、みたいな。

明治の漢方医が「麦飯の推奨や糠療法」を取り入れたというのはいいんだけど、それでうまくいかなかったとき経験でした投薬に理論づけしようとすると、中医学のようなトンデモが混じってくるような(しかし中国人の後づけ理論はすごい)。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:37 apjさん、ども。この件については、よくわかりました。つまり、「高校の範囲を越える話は、とりあえずマユツバできく、というので、大きな間違いはしないはずです」というあたりは、まったく同意見です。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:39 haineko2003さん、ども。これを言うとまた批判対象になるか、ちょっと控えておくべきかとも思うですが、ま、haineko2003さんなら通じるでしょとここだけの話的にですが。「飽食の時代となったとき」についての考察及び実証は中医学のほうが進んでいます。日本の場合は、基本的に古方に縛られています。

apjapj 2008/11/22 12:43 >ただ、この「テスト」の範囲からは論理的な帰結だけでみても言えない、と言えるはずです。

 テストの範囲は、内容が客観的に得られたものから逸脱しているかどうかまで含みますね。膨大な量の調査を短い記述にまとめた時に、科学として間違ったものになっているかどうかは、他の資料の調査をしてみないとわかりません。なお、疫学研究の経緯から、最終的に、当時問題になっていた脚気の原因をビタミンB1欠乏に求めるということが証明されてはいるようですね(というのは2次資料しか手元にないので、こう書いておきます)。

 ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする前に、1つ忘れていることがありますね。当初インターネットにはこの問題の解答がなかったが、探して見つけたと書いておられますね。これがウソでないのなら、何を見つけたか開示してください。

finalventfinalvent 2008/11/22 12:54 apjさん、ども。「ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする」のが未練たらしく見えるようでしたら、すみません、まいりました、apjさんには完敗しました、これにてご勘弁を。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/23 17:46 >あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らない。

理論上はその通りですね。

で、例えば、振り込め詐欺ってありますよね。俺は「振り込め詐欺というのがあって危ないよ」という情報を広めることが社会の役に立つと思います。

ここにおいて「相手の言ってることを論理的かつ慎重に検証する姿勢を持てば、詐欺も間違いも一律に見分けることができる」というのは正しいですが、そこから「詐欺と間違いを区別する必要を認めない」とか「だから振り込め詐欺を批判する必要はない」とか言ったら、それは正しいでしょうか?

違うと思います。詐欺一般に引っかからないための知識を身につけてゆくことも大切ですが、その一つ、あるいは、きっかけとして、振り込め詐欺について知る、知らせることはマイナスではありません。

ニセ科学というのは詐欺の一種で、現実にそれによって被害が出ている以上、「こういうのはよくない」と批判することは、それだけでも意味があると思います。

いかがでしょうか?

finalventfinalvent 2008/11/23 18:15 motidukisigeruさん、ども。ええ、それは、現時点では、まったく同意です。しいていうと、そういう活動があることにまったく同意しますということです。私自身は私の流儀で考えるとしてもです。

lets_skepticlets_skeptic 2008/11/23 23:00 一点だけ。

> 率直にいうと、ちょっと失礼に聞こえたらすみません、めんどくさいなと思いました。

 とてもめんどくさいです。そこまで分かってもらえれば最低ラインはクリアだと思います。発言力のある方に、きちんとした理解のもと協力していただければ最高ですが、最低限、根も葉もない誤解をばら撒いてニセ科学批判活動の邪魔をしないで頂ければ、問題はありません。

kmori58kmori58 2008/11/24 03:44 結核の治療薬はストレプトマイシンでは?ペニシリンでも直るんですか?

finalventfinalvent 2008/11/24 07:19 kmori58さん、ども。ご指摘ありがとう。ええ、そうです。そこは大ポカしていました。本文のほうは意図が通るように修正しました。コメント欄のほうは修正が聞かないので、このコメントを訂正履歴としてください。ペニシリンは抗生物質発見の端緒としての比喩として使いました。

finalventfinalvent 2008/11/24 07:21 lets_skepticさん、ども。自分ではその点は了解したつもりです。今回の一連では、lets_skepticさんのご示唆がとても有益した。ありがとう。

nennpanennpa 2008/11/25 00:48  私もfinalventさんのこのエントリのおかげで、漠然とした考えがまとまって一つのエントリとすることでき、よかったなと思っております。

 さて「病理学ではなくて疫学だよ」ですが、確か菊池誠さんのkikulog(http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/)内での、タミフル問題関連エントリ(左側メニュー内の「カテゴリー » サイエンス » インフルエンザとタミフル問題」にまとめられています)では、主にコメント欄で、疫学についてもかなりやりとりがあったように思います。サイト内検索で「疫学」としてみてもよいかもしれません。

 その後、こちらで紹介いただいた私のエントリのコメント欄でも、finalventさんのご発言などについて対話が続いています。陰口みたいに見えるとイヤなので、お知らせしておきます。お手すきの際にでもご覧になっていただければと思います。

finalventfinalvent 2008/11/25 09:03 nennpaさん、ども。nennpaさんのエントリは拝見しました。コメント欄も読みました。特に言及することはないかとは思いました。というか、不用意にこじれることは本意ではまったくありません。あと、私なりの関心のスジで「疫学」についてももう少し話を延ばす予定でいます。これはたぶん、みなさんのご関心とはあまり抵触しないかとは思います。

SundalandSundaland 2008/11/25 16:02 今頃になってこの論争?を知りました。後出しじゃんけんは慎みますが、最初の出題って、病理学的な方法論による多分正しい現在の知識を使って、過去の再構成をやっちゃってるわけで、それって歴史学でしょ?ということですよね。

finalventfinalvent 2008/11/25 16:09 Sundalandさん、ども。ええ、まったくそのとおり。そしてこそっと言うと、「多分正しい現在の知識」は多分正しくないんです。ご存じかもしれませんが(まだご存じのかたのご指摘はないみたいですが)、そこがわかってくると、これ面白い話なのになぁと思うのですが。世間的には終了しちゃったみたいだけど、まあ、しばらくしてこの話は続けます。

SundalandSundaland 2008/11/25 16:56 「多分正しくない」ですが、歴史的「脚気」がビタミンB1欠乏症であることを証明できない、くらいしか思いつけません。面白そうなのでよろしければ教えて下さい。

finalventfinalvent 2008/11/25 17:54 Sundalandさん、ども。最初この話を切り出したときは、「歴史的「脚気」がビタミンB1欠乏症であることを証明できない」ということに気が付いてもらいたかったのです。そこから逆に歴史をトレースバックして仮説を見ていけたら、とも。そのあたりをこれからどういう話で展開するは別として、面白そうな話のほうは書く予定です。もったいぶっているつもりはないのですが、書くとなると誤解に誤解を重ねてもなんですし、この問題にあまり関心を持つかたも少なくなったし、騒ぎを起こすのは本意ではないので、しばらくして軽く触れていくつもりです。予告編みたいですが、最終的には、「科学的に正しいだろうという妥当な推論」と、「特定の国の健康行政と関連して「信」が置かれている科学集団の見解」とが異なるとき、市民はどちらを選ぶことになるのか、という問題がおきます。たぶん、ここで、「科学的に正しいということは、科学集団の「信」しか意味できない」ということになるかなと。まあ、そのぶっそうな最終部だけは書かないかもしれません。あと、「もったいぶっているつもりはない」当の話ですが、この分野の識者は「そういう「異説」もあるよね、あはは」くらいに知っているはずで、そのあたりのツッコミが早々にあるかと思っていました。意外とないものですね。

satoshi-kobayashisatoshi-kobayashi 2008/11/25 20:37 どうにも難しい問題だな…と、あれこれ思っていたのですが、finalventさんの上のコメントで、どうやら「当の話」は理解しました。
出題は「科学的説明を逸脱している理由を述べよ」ですが、答えを考えて結論を出したわけではないので、書くことは控えます。
後は「当の話」になぜ、行き着けなかったかを考えてみたいと思います。もー、ぜんぜんダメでした。

続きを楽しみにしています。

finalventfinalvent 2008/11/25 21:13 satoshi-kobayashiさん、ども。なんかもったいぶってみたいですが、書く予定でいます。たぶん、面白いですよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/26 00:54 >「科学的に正しいだろうという妥当な推論」と、「特定の国の健康行政と関連して「信」が置かれている科学集団の見解」とが異なるとき、市民はどちらを選ぶことになるのか、という問題がおきます。

なるほど。ヴィトンのショップに行ったら、ニセヴィトンが売っていたという場合ですね。

1.そんなことに、ならないようにみんな努力している。
2.そういうことが起きた場合、どういう経緯で、そうなったのかを考えないと意味がない。

ヴィトンショップではニセヴィトンは通常売ってないように、信が置かれる科学集団は、通常、科学的に妥当な結論を出すでしょう。

もしもヴィトンショップでニセヴィトンが出るようなことが起きたら、普通、「何でこんなことになったのか」を考えますよね。

原因、文脈を無視して、「どっちを選ぶべきか?」だけを言わせるのは、それこそ「ウンコ味のカレーとカレー味のうんこと、どっちを喰うか?」という質問と同じくらい無意味ではないかと思います。

finalventfinalvent 2008/11/26 07:24 motidukisigeruさん、ども。ええ、まったくそうです。文脈を無視してそんな話を進めるわけにはいきません。ただ、原因については、科学集団で意見が異なることがあり、一方が国家に関係することがあります。「ウンコ味のカレーとカレー味のうんこと、どっちを喰うか?」という問題だと比較的わかりやすいのですが、エイズ問題では国家側の科学に大きな問題があり、「ウンコ味のカレーとカレー味のうんこと、どっちを喰うか?」というほど簡単にはいきませんでした。このとき、別の視点からいえば、市民運動が重要になります。ですから、「ニセ科学批判」といった市民運動が肯定されなければならないのです。

nennpanennpa 2008/11/26 11:11 結局のところ、「ビタミンB1製剤を投与して治る病気」が「ビタミンB1欠乏症としての『脚気』」であり、それについて(だけ)は臨床治験など疫学的な裏づけがきちんとある、といったお話なのでしょうか。あまりものを調べずに、適当に書いてしまっているんですけど。

finalventfinalvent 2008/11/26 13:13 nennpaさん、ども。そこが少し込み入っていて、実は、自分のここまでの書き方もまずかったかなというのがあります。ただ、概ねそう言ってもいいのですが、留保部分を言うと、まず、ウェルニッケ脳症の問題があります。正確に言えば、ウェルニッケ・コルサコフ症候群ですが。この病気と「ビタミンB1製剤を投与して治る病気」としての「脚気」はどういう関係なのか。この背景にある病理の機序にはどのような仮説がなりたつのか。そこが問われます。そして、これに関連して、まだ言うのは早いかなとかえって錯綜してしまったのですが、脚気は「ビタミンB1欠乏症」なのか?というトレースバックしていくような問題があります。これは、ウェルニッケ・コルサコフ症候群との文脈におかれます。ここで、もし、というか、仮説として、「脚気はビタミンB1欠乏症ではないのではないか?」が成立するか、という問題を置いてみたいのです。なんだかそれこそ非科学的な、やっぱりfinalventはトンデモだぜの香りがする人もいるかもしれませんが、ウェルニッケ・コルサコフ症候群の治療と、もう一つ、ビタミンB1の機序はどうなっているのか?という問題が関連すれば問えるのではないかと思うのです。エントリの「想定質問」で書いたのですが、ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題は、一見すると、生理学というか病理学的な命題に見えるのですが、これもまた疫学の結論であって、私の知るかぎり、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という機序の解明はできていません。ちょっと話が難しくなってなんなのですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題は、実は疫学的に成立しているものの、病理学的、つまり、直接的な因果関係の命題としては成立していないのに、あたかも、病理学的、つまり、直接的な因果関係の命題としては成立しているかのように見えてしまうのです。それは科学的な理解なのか? 疫学も科学ですから科学的なのですが、ここで市民に起きている理解とは、疫学と病理学の混乱のようなものです。しかし、そのことは、科学という立場からどうなのかというと、けして誤りではない、のです。どのようにして誤りではないかというと、やはり「科学」集団への「信」があるからなのです。

motidukisigerumotidukisigeru 2008/11/26 13:50 >ただ、原因については、科学集団で意見が異なることがあり、一方が国家に関係することがあります。

国家に限らず利権が絡むことで偏向することは現実にありますね。科学も科学者も完璧ではないので。そこにおいて、客観的な議論ができる土俵をどう構築するかは大切な問題です。色々な立場の研究者が積極的に意見を述べることは重要でしょう。

でもそれがなんで「たぶん、ここで、「科学的に正しいということは、科学集団の「信」しか意味できない」ということになるかなと」という結論になるのでしょうか。ちょっと飛躍してるかと。

finalventfinalvent 2008/11/26 14:54 motidukisigeruさん、ども。いえ、「なるかな」というのは疑問であって結論ではありません。

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