弓立社
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『出版を続けるということ』弓立社代表 宮下和夫
05. 〈番外〉徳間康快さん追悼
 

東京新聞2000.10.330年近く前の徳間書店時代の話を書いていたら、突如、徳間書店社長・徳間康快さんの訃報に接した。
何十年も前の淡い付き合いだったが、やはり悲しい。
10年ほど前だろうか、日本文芸社社長を辞めて出版研究所を作った、かつての徳間の営業局長・兵頭武郎の祝賀会であったのが、僕にとって最後だった。
徳間さんの功罪はいろいろあろうが、出版界にこんな大きい人はもう本当にいなくなった、というのが僕の感想だ。
マルチメディアを展開した出版社の社長くらいに考える人が多いだろうが、そうではない。

たとえば、再販制の問題をとろうか。
出版界は徳間康快が、新聞界は読売新聞の渡邊恒雄が政界に対する代表者だったろう。表に現れる論客が、代表しているのではない。この人たちが、この問題の真の実力者なのだ。
ナベツネの政界に対する深い影響力は、周知のところだ。魚住昭の『渡邊恒雄メディアと権力』に詳細にかかれている。例えば、中曽根康弘が初めて大臣(科学技術庁長官)になれたのも、総理大臣になれたのも、ナベツネの力が圧倒的だったのだ。
徳間は、出版界において、ナベツネに匹敵する力を持った唯一の人だった。
それ以外には、一人としていない。出版界は、ゼロになったのだ。

徳間の関係した政治家は、緒方竹虎から始まって河野一郎・田中角栄・中川一郎など、なぜか若死にが多かった。それでも、中曽根康弘を筆頭に、いくつものルートを持っていたはずだ。そのひとつの現われが、石原慎太郎の要請による東京都写真美術館館長就任だろう。
徳間は、中川一郎と関係が深かったから、旧・中川派の石原と関係があっても不思議ではない。
館長として何をしているのか知らなかったが、最近の朝日新聞の「徳間康快氏の死去」という記事(9月24日)によると、徳間さんらしい大胆なアイデアでいろんな企画をやろうとしていたらしい。
出版人でいちばん早く、ソ連や中国と交流を持った。大映映画で、日ソ合作、日中合作の大作を作ったことでもわかる。そんなことは、気がつく人は気がつくことだが、出版業界でもあまり言われないだろうから、いっておきたくなった。

座禅に連れて行かれた時(左から2人目・徳間康快 右から2人目が僕) 僕に残る、徳間さんの記憶は、彼がミノルフォンの社長を引き受ける少し前、泳げるぞとだまされて、海パンまで持って、山中湖の座禅に連れて行かれたことや、初めての面接で不動産屋だろうと踏んだ精力的な風貌としゃべり方、また、著者に送る、中元・歳暮のたぐいに気を配るこまやかさだ。
また、数年前、渋谷・松涛のあたりを散歩していて、不意に出くわした徳間邸のフランス菓子のようなかわいさだ。
それらの記憶を僕に残して、徳間さんは忽然として、逝った。さびしい。


(『彷書月刊』2000年11月号)

 
目次
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