『松本サリン事件に関する一考察』

掲載にあたって

 テキストファイル化にあたっては、主に雑誌「正論」(1995年7月号)を参考にさせていただきました。ただし、改行位置などの不明個所は「週刊朝日」(1995年6月2日号)の記事とつきあわせ、完全を期したつもりです。
 とはいえ、「週刊朝日」版は、どういう編集部の方針なのか、たぶん縦書きで掲載したためなのでしょうが、不思議にもこの手のものに対して用語や数字表記の統一をはかっており、その点ではあまり参考になりませんでした。
 ということで、ここで掲載した怪文書は、基本的には「正論」版を基本にしたものですが、句読点の有無や、改行位置、あるいは一字下げかどうか、どの範囲までが倍角文字であったかなど、不確かな点もいくつかあります。
 また、原文の句点は果たして「、」であったのかどうかについても、僕自身はいささかの疑問を持っています。つまり「,」とも読めるのではないかということです。こうした不確かさは、すべて僕自身が怪文書の現物を目にしてないことから発しています。
 なお、原文はワープロ書きでA4判の紙に11ページにわたって書かれていたそうです。(風太郎)

【追記】部屋を探しているうちに「別冊宝島」の「オウム真理教=サリン事件怪文書」(宝島社 1995年8月26日)が出てきましたので、これも参照しましたが、微妙な点で「正論」版と違っている個所もあり、同書の版を採用しなかった部分もあります。




 序

 通称、『松本サリン事件』
 謎の多い、奇妙な、そして、実に恐ろしい事件である。
 化学兵器『サリン』、このような大量殺戮兵器が、市街地で、しかも平時に用いられた事件は、洋の東西を問わず、過去にその類例を見ない。それは、数々のテロ行為を含めての事だ。確かにこの兵器を用いれば、大量殺人が可能だ。それを密閉された空間、地下鉄や東京ドーム、コンサート中の武道館や横浜アリーナ等で使用すれば、未曾有の大惨事となることは、容易に想像が付く。しかし、そのあとに巻き起こるであろう非難の大きさを考えれば、『まともな』テロ組織が、その使用を躊躇してきた理由が分かるだろう。
 では、誰が、この事件を企てたのか?
 この事件を考える際、唯一、その類似性を見出すことが出来るケースがある。『帝銀事件』である。分類上、全く違う二つの事件。
 一つは、銀行強盗、もう一つはまさに、謎の大量殺人。にもかかわらず、この二つのケースには、奇妙な類似点が見出される。市街地の大量殺人、一般には、手に入らない特殊な毒物、そして、軍事技術を応用し、熟練した手際の殺人。だが、それにも係わらず、全くの素人による犯行とされている点。
 数々ある類似点のうちでも、最大の類似点は、『殺人のための殺人』と言う点にある。言い換えればそれは、銀行強盗を装った『デモンストレーション』とストレートに『メッセージ』を具現化した犯行。時を越え、メッセージを向ける対象は違っていても、この二つの事件は、『殺人を使った示威』と言う点で一致している。
 今回のケースで、このメッセージを発した者たちが、誰に対して何の目的でそれを送ったか、それがこの事件を解く鍵である。



 この化学式に表した悪魔の物質が、再び、神の名の元に使われることの無いよう、切に願う。


『松本サリン事件に関する一考察』

 サリン事件は、オウムである
 この夏に起こったもっとも不可解な事件。6月の27日の夜、松本市の閑静な住宅街で、突然に第2次大戦中ナチスドイツが開発した殺人毒ガス〔サリン神経ガス〕が流れ出したのである。第一通報者である、会社員の自宅に隣接する駐車場で発生したと推定されるガスは、その近辺の社員寮などで、7名の死亡者を出し、サリンによると思われる昏睡、意識障害、呼吸障害、視覚障害(瞳孔収縮によるピン・ホール現象)、嘔吐、頭痛、と言った中毒症状を被った被害者は、200人以上を数える。
 事件直後、事件を担当した松本署は、発生現場にもっとも近い会社員宅を被疑者不詳の殺人容疑で、家宅捜索を行った。警察は、会社員宅から十数点の薬品類を押収し、当夜発生した謎のガスが、神経ガス『サリン』と類推されると発表した。更に入院中の会社員が有機溶剤主任や劇物薬物取扱などの資格を多数有していることもあり、捜査の方向は、この会社員の過失によるものと固定されてしまった。
 しかし、入院中弁護士を通し、そして退院後も本人が隠れる事無く行った記者会見では、一貫して、事件に関わりを一切否定する内容のものであった。更には、警察が押収した薬品額では、サリンを合成することが困難であることが判明した。
 二回に渡り、長時間の重要参考人同然の尋問であった事情聴取でも、会社員の主張には変化はなく、捜査は全くの手詰まり状態に陥っている。

 この事件を解決する糸口が、思わぬ方角から現れた。
『オウム教信者、父親誘拐事件』
 宮崎県で旅館を営む63才の男性、彼には4人の娘がいた。その中の次女と三女がオウム真理数に入信している。彼は、所有する土地を9000万円で売却し、手元に6000万円あまりの現金を有していた。
 3月28日の夜、63才の男性は、自宅で深夜、意識を失った。普段夜中に用を足しにいく習慣のある彼だが、このときは、その覚えが全く無かった。気がつくと日頃から疎んじていた、東京・中野のオウム教が経営する病院のベッドで目を覚ましたのである。それが、彼の軟禁生活のスタートであった。
 夜間、宮崎の自宅から2女3女そして、『偶然』その近くで教団の活動をしていたオウムの医師達の車に乗せられ、1500kmの道のりを移動させられたのである。途中彼らは、岡山の東名高速で事故を起こし、JAFを要請している。JAFによれば、エンジ色のそのワゴン車は、女性(3女)が運転しており、路肩縁石に接触し、走行が困難な状況であった。また、後席には病人を乗せているとの電話であったため、付近の病院へ向かうように忠告したが、聞き入れなかったとのことである。更に中野のオウム病院へ向かう前に山梨の教団施設に寄り、『医薬品』補給をしたとのことである。この
『意識不明の病人』『薬物による昏睡状態』であり、山梨によったのは、
事故によるタイムロスによって男性『目を覚してしまう』事を恐れた。
 のではないだろうか?
 こうした経緯を経て彼は、強制的に入院させられ、外出することも許されない生活が続き、お布施をすることを強要されるのであった。
 誘拐の翌日には、2女、3女が彼の預金を解約に行くが、本人以外引き出し禁止の措置が取られており、事無きを得るのであった。(常識からいって、父親が急病で入院した直後に預金を解約しようとするだろうか? ま、もっとも常識の通用する相手ではないか…。)
 異状を察知した長女の夫と4女が病院を訪れるが、面会を許されなかった。そればかりか、長女の夫と4女には、彼が脳梗塞で左半身不随、完全な失語状態であるとし、病院から移動させることは非常に危険だと説明した。押し問答の挙げ句に長女の夫と4女を病院から追い払ったのである。(後日この男性が宮崎県で保護された際の県立病院の診断結果は、過労と衰弱、若干の難聴が見られるが、全くの健康体であり、脳硬塞に関しては、その兆候痕跡などいっさい見られないというものであった。事件発覚後、脳梗塞に類似し、その痕跡を残さないRINDO(リンド)と言う病気であったとオウムは主張するが、仮りにそうであったとしても宮崎から1500kmもの移動をし、その間施設の整った病院へ向かおうとせず、オウム病院ではCTすら撮影しなかった事実は、彼らの主張と矛盾してはいないだろうか?)
 案の定、後に彼と面会することが出来た非信者の家族には、彼はしっかりとした口調で帰宅したいとの意思を表明しており、その声は、テープに録音されている。この件があってか、オウムは再び彼を病院から移動させた。家族には、退院させることは危険だとしていながら、全く医療機関とは関係ない山梨にあるオウム教の施設に移動させたわけである。これこそ矛盾の極致ではないだろうか。
 この移動の際、車中で男性は再び意識を失う。最初の自宅での際も、今回も恐らく何らかの薬物を使われたものと推測される。特に自宅では、内側から鍵の掛けられた『密室』状態であったことから、『ガス状にした薬物』が使われた可能性が高い。気がついたときには山梨にあるオウム教の施設に収容され、僅か2畳余りの窓一つ無い、46時中大音響が流され続けるといった、部屋に監禁され、食事と言えば、〔オウム食〕と呼ばれる野菜の煮付けのみ。北ベトナムの『キャンプ・フェイス』捕虜収容所もびっくりと言った拷問を受けるのであった。その際、外出帰宅を懇願する彼に対し、信者である彼の娘が、興味深い発言をしている。
 それは、(建物の)
『外は、毒ガスで一杯で出られない』
 というものである。
 連日の拷問の結果、体重が10キロあまり減少するなどの衰弱症状に陥ったが、それでも、彼はオウム教へのお布施の強要を拒み続けた。その結果、オウムは薬物などの洗脳作戦に切り換え、彼は、ますます脱出できる可能性が低くなってしまった。
 そこで父親は、一計を案じ、オウムに心酔し、お布施を同意する芝居を打ったのである。オウムに心酔し、入信するとした内容と預金を下ろすために宮崎へ向かうと手紙にしたため、長女へシグナルを送ったのである。父親の安否を気づかった長女夫婦は、弁護士事務所に相談し、宮崎県のオウム教の施設に父親が、移される情報を察知し、空港で父親を保護することに成功したのであった。
 後日、本人、長女夫婦、4女と弁護士団によるオウム真理教が行ったと推定される今回の誘拐事件に関する関する告訴記者会見に、60代男性の2女夫婦と3女が乱入し、記者会見の妨害を企てた。同じような、白の上下に、男女の別なく短髪の彼女らは、一時間余り弁護士たちと小競り合いを続け、会見の開始を大幅に遅れさせた。その際彼女らが、弁護士たちに暴行を働き、通報で駆けつけた警察官数名によって会見場から排除させられるという事態が生じた。
 これだけでも、充分に驚くべき事態だが、警官により会場から排除される際、彼女らは、口々に『おとうさん助けて、おとうさん、目を覚まして』などと、本末転倒も甚だしい発言を繰り返し、まさに、奇異の一語に尽きる印象のみを撒き散らしていった。
 さて、オウム病院によって、脳梗塞により失語症と診断された男性自身の口から、誘拐、そして拷問紛いの軟禁生活の生々しい詳細が語られ、お布施の強要を迫り、金銭のために教団が手段を選ばないといった恐るべき実体が、浮き彫りになった。この間、屋外へ排除された2女夫婦と3女達が、拡声器を使い、あらん限りの支離滅裂の言葉を持って、ビルの外から記者会見の妨害を行おうとしていたことを付け加えたい…。
 さて、先程の『外は毒ガスで一杯で出られない』
 と言う、信者である娘の発言は、この記者会見の際、監禁されていた父親の証言によるものである。またこれは、オウム信者のあいだでは広く信じられていることだ。それは、後で述べる麻原教祖自身の言動に起因する。
 この言葉には、実に興味を引かれる。即ち、今回誘拐の手段として、ガス状と思われる薬物を用い、目撃者も無く、事をなし遂げている点。これこそは、懸案の『坂本弁護士一家失踪事件』の鍵を握るものではないか?
 そして、『松本サリン事件』に細い糸口を導いているのではないだろうか?
 更に、この四月からオウム教祖である麻原彰晃氏が、公式の場はおろか、信者の前にすら、姿を現していない。
 その理由を麻原氏自身が、教団の小冊子に明かしている。
 それによると
『外部からの毒ガス攻撃により体調を害しており、一時的に逃避する』
 と言うものだ。これらの小冊子には、マスタード・ガス、イベリット等のビラン性ガス、ソマン、タブン、サリン、等の3Gガス、さらにはVX(バイナリー)つまり、それぞれは無害な薬物だが、混合することにより、神経ガスを発生させる最新の化学兵器等の具体的な名前が列挙され、その中に、
 四月の時点でサリンが取り上げられている点が特に注目される。この氏自身の発言により、信者のあいだでは、『外は毒ガスで一杯』が広く信じられていたわけである。
 さて、ここでこの事件の『凶器のサリン』に付いて触れておく必要があるだろう。
 有機リン系農薬を作る際に偶然発見され、第2次大戦中ナチスドイツが、アウシュビィツ等のユダヤ人強制収容施設で大量殺戮の目的で使用した神経ガス。それ故にG(ジャーマン)ガスと呼ばれる。近年では、イラン・イラク戦争時、国内の反政府活動を抑えるため、クルド族の大量虐殺にサダム・フセインのイラク軍が使用した。それがサリンだ。
 生物が神経を伝達する際にアセチル・コリンと言う物質により、神経の接合点に指令を伝える。そして、次の指令を伝えるため、このアセチル・コリンを分解する必要がある。それを行うのが、コリン・エステラーゼと言う酵素である。神経ガス、即ち、サリンは、このコリン・エステラーゼを分解もしくは減少させ、次の指令が神経に伝わらなくし、生物に死をもたらすのである。
 現在でもトップクラスの保安扱いである神経ガスは、ほんの僅かな砂粒ほどが皮膚に付着しただけでも、1、2分で人間を死にいたらしめる事が出来る。有効量に達しなくても昏睡状態に陥り、一時間以内に死亡する確率が高く、目、鼻、口などの粘膜から吸収した場合、効果が高く10分以内に死亡する。米軍軍事技術パンフレット『TM−3−215』には、神経ガスによる症状が詳しく描かれている。それによると、まず、鼻水が出る。胸が締めつけられ、息苦しくなる。瞳孔が急激に収縮し、目が見えなくなる。呼吸が困難になる。大量に唾液が分泌され、同じく発汗する。悪寒が走り、嘔吐する。苦痛を伴う痙攣が起きる。無意識に失禁する。筋肉が痙攣し、手足の運動が揃わなくなり、千鳥足状態になる。虚脱状態もしくは、昏睡状態に陥る。そして、全身が痙攣し、呼吸が完全に停止し、死亡する。このような凄絶な効果とその比較的安易な製造法ゆえ、『貧者の核兵器』とも呼ばれる。
 また、その成分や製造法は、科学専門誌、軍事専門誌等にも紹介され、化学の知識がある人間ならば、容易にその化学式どおりのものを作ることが可能である。しかし、リン酸フッ素化合物(リン酸二フッ化メチル等)とイソプロピルアルコール等を混合し、サリンを合成するには、それなりの技術と設備が必要になる。それは、サリンが非常に気化しやすく、また、これらの薬品を混合する際にかなりの高速で混合する必要があるからだ。実際に軍隊が、砲弾などにサリンの原材料を詰めて発射する際は、発射の衝撃と砲弾自身の回転により、数万回掻き混ぜた状態が出来上がり、サリンが合成される。これと同じように薬品を混合し、密閉するには、かなりの設備が必要となる。それはもし、製造過程でサリンが漏れることがあれば、その場に居る者が、身を以て、その威力を体験することになる。つまり、死ぬわけだ。
 さて、サリンが発見され、またイラク軍がカムフラージュに使ったように農薬を製造する化学工場レベルの施設がサリンの製造には用いられる。したがって、そこまで高度ではなくても、大学のゼミレベルの設備は必要だろう。
 無論、これらの設備を用意するには、個人単位では難しいと言えるだろう。以上のようにサリンの製造には、『人(技術と知識)、モノ(設備)、そしてカネ』が必要である事が理解頂けるだろう。
 話は変わるが、知ってのとおり、オウム教はその付属病院をはじめ、国内に幾つかの施設を有している。この教団では、輪廻転生、不老不死が信じられており、以前マスコミに公開された活動内容によれば、
『不老不死の薬』の研究と言ったものが上げられる。当時公開されたものによれば、施設にはなかなかの設備が整っており、人間の生態についての『科学的』研究が成されているとのことだった。まあ、その中には、人間に心地好い宇宙からの信号を取り入れた音楽ということで、『麻原彰晃の歌』と言うものもあった。しかし、そのメロディは、どう聞いても『汽車ポッポッ』にしか聞こえないのだが…。
 少し話が脱線してしまったが、『信者』の中には、『付属病院』『医師』をはじめ、学生、特に『理工系の学生』や、それの卒業程度の高水準の『知識の保有者』が存在し、それらの信者たちが『研究』に従事しているとされていた。また、『不老不死の薬』研究に使われていた設備類は、相当に本格的『薬品』『合成』出来る程充実していた。また、数年前都内に新しく設けた『道場』と呼ばれる『オウム教ビル』の建築途中、『猛烈な悪臭』を付近に『タレ流し』、被害を被った付近住民大乱闘に発展したことを覚えておられる方もおいででしょう。ビルの排水管などからタレ流され悪臭は、『動物の腐った』ような『遺体を焼いた』様な『猛烈な悪臭』であり、再三の住民側の話し合いにも係わらず、建築の間中タレ流され、建築中止の要請を無視し、住民と大乱闘となった次第だ。建築は強行され、完成後も悪臭の発生することが幾度かあった。住民とオウムとの話合いの席でオウムは住民に迷惑料を支払うことに同意した。その際オウム側は、あの猛烈な悪臭の原因を建物を『浄化』する為に『オウムの香水』撒いたと説明している。どうも彼らは、薬品を作るのも使うのもお好きなようだ。
 現に彼らは今回の『父親誘拐事件』いや、彼らに言わせると『入院』の為の『移送』の際にも、
『山梨のオウムの施設』『薬品』『補給』したと主張しているわけなのだから。

 再び話を『松本サリン事件』に戻そう。
 この事件に限らず、犯罪には必ず『動機』が存在する。一見衝動的な犯行と思える通り魔事件でさえ、犯人にはそれなりの理由が存在する。それは、麻薬などによる幻覚に対する恐怖、一時的な感情の暴走といった、多分に犯人側の一方的な勝手極まりない理由でさえ、犯人にとってはそれが『動機』なのである。
 今回の『松本サリン事件』の凶器であるサリンが、ナイフや包丁などの容易に手にはいる凶器と違い、先述のとおり、『人、モノ、金』が必要なのは理解頂けるだろう。更には、サリンを製造するリスクと試行錯誤があったと考えられ、それに要した『手間と暇(時間)』を考えれば、まったくの通り魔的犯行や、ましてや何らかの過失によるものとは、考えるに難しい。然るにこの事件には、それなりの理由が存在することが推定される。

 さて、被害者であり、第一通報者。更には、建前上警察は否定するだろうが、容疑者リストの筆頭に上げられている気の毒な会社員氏。彼がこのケースに係わっていたとする警察側のシナリオは、彼が何らかの過失によってサリンを発生させたというものである。確かにこの会社員がその学歴や多数の資格からもサリンを作りうる知識を持っていると推定でき、十数種類の薬品類を保有していたことからも疑惑の念を払いきれない。しかしながら彼の自宅から押収された薬品額では、サリンの合成は不可能である。更に翌日、当該地城がゴミの収拾日であるにも係わらず、それらの押収を怠った点からも本件に対する警察の見通しの甘さが伺える。近代捜査とは、まず、彼が犯人ではない証拠を洗い出すことから始まり、その後に証拠固めをするものだ。そうでなければ裁判で公判を維持することが困難になってくる。にもかかわらず、今回の件に関しては警察の見込み捜査的判断が伺える。つまり、会社員の自白によって本件の立件が可能であるとの判断がこの事件の捜査そのものを困難にしている。更にこの推理には最大の矛盾点が存在する。それは本当に過失によってサリンが外に流出したならば、もっとも近い場所で、もっともサリンを浴びた会社員は、発生直後に即死していなければならない。さもなくば、十分な防護手段を取らずに大量のサリンを浴びてあの程度の症状ですむ筈がなく、会社員の主張どおり、自宅内に(希薄になった)サリンが侵入し、それを浴びたと考える方が納得が行く。もし、仮に何らかの目的を持って彼が防護服、防毒マスクなどの充分な防護手段をとり、サリンを合成したとしてもあの日のゴミを押収せず、大規模な家宅捜査の際にもそれらのものは発見されなかった点を鑑みて、警察の推理、行動に失態があったと言わざるを得ない。
 もちろん彼自身が、それらの隠蔽工作に時間を掛けられたとは考えにくい。それは、彼がこの事件で病院に搬送された、最初の人物なのだから。
 ここまで来ればご理解頂けるでしょうが、この会社員氏は、気の毒なことに実に警察にとって『怪しい』人物なのだが、『動機』が無いのである。『凶器サリン』は『人、モノ、金』が必要であり、特に国内でサリンを合成する為に必要な薬品は、バイオ・テクノロジーに用いられる試薬で、数グラム単位の小瓶で販売される。しかも、その販売はすべて記録されており、当日発生したと思われるサリンおよそ2000gを製造するには、相当量の購入が必要となる。ちなみにその試薬のお値段は、数グラム入りの小瓶でも6万円とのことだ。一歩間違えれば自分が死亡する可能性のあるもので、『個人』が何らかの犯罪を犯すとは考えにくいのではないだろうか。

 それでは、当日、誰が、どんな『動機』を持っていたのだろう。
 ニュースは、その当日より、翌日、更にその毒ガスがサリンと判明した時のほうがより衝撃的であった。だが、その聞き覚えのない毒ガス、サリンの名を違う関心の持ち方で耳にしていた集団がいたわけだ。
 何故なら、オウムの信者は、四月からサリン知っていたわけだから。
 信者にとって、毒ガスサリンの名は何の不思議もなく、むしろ、教祖予言的中したと受け取られたわけだ。
『外部からの毒ガス攻撃により体調を害しており、一時的に逃避する』
 この麻原教祖言葉信じる信者たちにとって、この出来事は、文字通り、『外は毒ガスで一杯』が現実となったわけである。さて、教祖予言どおり、毒ガス現実となった今、何故彼らは、警察届けないのだろうか?
 かつて、『坂本弁護士一家失踪事件』の際も、今回の『信者による父親誘拐事件』のケースでも彼らは、弁護士団を名誉棄損で訴えている。特に今回の『父親誘拐事件』に関して言えば、相当の客観材料が揃っているにも係わらず、いつものように逆説的訴訟である。それは、『坂本…』の場合は、自分たちで勝手にいなくなったと主張するものであり、横浜弁護士会によるオウムを陥れる罠であるとの事だ。今回の誘拐事件でも、救出された父親は、現在、長女、4女によって『監禁』されているとし、同じく弁護士を名誉棄損で訴えている。実にシュール・リアリステック逆説主張である。更に、先程の『悪臭垂れ流しビル事件』の際も訴訟を準備し、九州のオウムキャンプ施設騒動では、
 予算20億の村から9億2千万円をせしめている。このように地域社会に対する迷惑自ら生じさせておきながら、自らは都合の良い解釈で社会生活の規範たる頼る。このように公判好きの訴訟大好きのオウム教何故、司法訴えないのかしかも、事は、教祖が毒ガス攻撃けていると言うではないか、この教団では、教祖の生命は、無価値なのだろうか? それとも裁判制度はお好きだが、司法警察はお嫌いとでも言うのだろうか? いやいや、ひょっとして、警察に訴え出て、万が一教団建物内部を捜索されると困る物でも出て来てしまうから? なのでしょうか。いずれにせよ、教祖毒ガス発言が現実となった今、信者にとって、『外は毒ガスで一杯』真実であり、疑いようのない事実となったわけである。たとえ、
『外部からの毒ガス攻撃により』と言う言葉が、お得意の『逆説的意味』を持っていたとしてもだ…。つまり、オウムにとって予言実現されることに、意味があるのだ。即ちそれは、
 オウムの信者に向けたメッセージであり、服従の要求である。図らずも信者の口から漏れた、この
『外は、毒ガスで一杯で出られない』にその真意が集約されている。(建物の)『外は、毒ガスが一杯で出られない』とは、オウムの『外は、毒ガスが一杯…』を意味し、最終的に
 オウムを脱会し、外に出ると毒ガスが待っているという、信者に向けたメッセージであり、それを強固にする、『予言の具現化』ではないのだろうか?
 更にこの推測には、もう一つの最悪のシナリオが導き出される。それは、輪廻転生を信じた新興宗教が、破綻を来したときにときより発生する。古くは、ガイアナの『人民大寺院大虐殺』、最近では、武装宗教団体『ブランチ・デビディアン』の最期を記憶されている方もいるでしょう。これら、行き詰まった新興宗教は一つの選択を行っている。それが、最悪の選択であることは、まともな人間にとって当然のことだ。だが、輪廻転生を信じる彼らにとって、それはではなく、ましてや集団自殺では有り得ない。彼らにとってその選択は、新しい生命として蘇るための『儀式』に過ぎないわけである。そして、サリン程、この『儀式』に向いたものはないだろう。銃や刃物などと違い、肉体を傷つける事無く、また充分な濃度であれば、さして苦しむこともなく、同時に大勢の人間に死が訪れる。成人が、正しい正しく無いは別にして、その選択をするのであれば、強いて止めはしない。しかし、自らの意思とは別に肉親が信者であるという理由によって、 この選択を迫られる子供たちが要るのであれば、不憫でならない。家族からの乖離をうたう宗教を信じるものが、親であることを持ち出すのだから質が悪い。ましてや、その中に…いや、止めておこう。これは、あくまでも推測にすぎない。何の根拠もない憶測である。出来れば、これが大きなお世話、余計な詮索であってほしい。しかし、私は、この推測が恐ろしくてたまらない。それは、この推測があながち荒唐無稽とは思えないからなのだが…。
 最後に『松本サリン事件』の犯行状況そのものについて、推理しておきたい。
 警察では、被害者の会社員が殺虫剤を合成しようとして、過失により、偶然サリンを発生させてしまったとしている。また、偶発的にサリンが発生したとする根拠として、被害者が白いガスを目撃している点を上げている。
 警察は、これが薬物を混合した際の副次生成物としている。しかし、この白いガスを目撃した被害者は比較的軽い症状の方が多い。これが警察の言うとおり、副次生成物ならば、発生と同時にサリンとほぼ同じ流れをしており、目撃者の症状と必ずしも一致しない。この警察の当初の発表が、どうにも推測の幅を狭くしている。つまり、あの夜、故意にせよ偶然にせよ誰かがあの場でサリンを『合成』したとする根拠は何処にもないのである。発生点が、会社員宅の庭の向こう側、更に駐車場のフェンスを越えた地点であることから、何者かが、その場にサリンを持ち込んだと考えた方が自然ではないだろうか。
 即ち、犯人がその場でもたもたとサリンを作ったとするよりも、完成品が持ち込まれた可能性の方が高いのではないだろうか。
 それならば、白いガスの正体が容易に想像できる。それは、常温では猛烈に気化する合成済みのサリンを運搬するために有機溶媒ドライ・アイスを利用する可能性があるからだ。有機溶媒=有機溶剤は、単体では扱いにくい薬物に混ぜて使用される。常温では、気化する割合の高い薬品や、激しい化学反応を起こす薬品などの気化を遅らせ、扱いやすくするために混ぜる。身近な例では、農薬を散布する際に、それを運搬するために有機溶媒に農薬を溶かし込んで用いる。 しかも、有機溶媒を噴霧した場合、白い霧状になり、かなりの刺激臭を発生させる。更に有機溶媒=有機溶剤(つまり、シンナーやトリクロロエチレン等)を吸収した場合、頭痛、嘔吐、眩暈、呼吸困難といった中毒症状を起こす。これらの症状は、今回の事件で比較的軽い症状の被害者の証言と一致する。つまり、サリンに触れて、不幸にも即死した被害者とそれを運搬するための有機溶媒を吸い込んで、被害に会われた方との二通りが存在する。その点からも現場には、完成済みのサリンが持ち込まれたと考えられる。
 更には、こういった推測もあり得る、それは、ドライ・アイスをくり抜き、そこにサリンを充填し密封するというものだ。それを大型の真空容器に密閉し、更にそれをドライ・アイスを敷き詰めた大型容器に格納し運搬する。目的の場所に付いたら、慎重にサリン封入ドライ・アイスを取り出し、それを目的の場所に設置する。
 つまり、ドライ・アイスによる簡易式『時限爆弾』である。
 ドライ・アイスと有機溶媒によってサリンの膨張、気化を抑え、ドライ・アイスが蒸発するにつれ、サリンも発生する。その間に設置者は風上に避難するわけである。これならば、大した防御手段も抗じずに済み、好きな場所に好きな時間に
 何箇所でも、時限式サリン爆弾を設置することが可能だ。無論、その場を立ち去るまでの時間を充分に稼ぐことも出来る。
 さて、『何箇所でも』という部分だが、根拠がないわけでもない。それは、サリンの直撃を受けたと推定される『即死』の被害者が、2階、3階に集中していることだ。即ち、空気より重いサリンが、もっとも近い会社員宅で死者を出さずに、それより遠い、寮やマンションのそれも、上の階で死亡者をだしている。これはサリンが『高い』場所で発生したことを示唆してはいないだろうか。そして、発生した場所が、一箇所だけではない可能性も考えられる。サリンが何箇所かに設置され、屋上や非常階段といった人目に着きにくい場所から、地上に降ってきたと考えれば、死亡者の発生場所の偏向性に説明が着く。
 勿論、当初推定された場所にも設置された可能性は高い。駐車場、それも月極の駐車場で、ガスマスクや防護服などの物々しい装備をして、ちんたらサリンを作るよりは、完成品のサリン爆弾を設置した方が、当然、目撃者も少なくて済むわけである。
 これらの推理は、犯人がサリンを製造できることを前提としている。その製造が困難であり、大規模な設備と人手が必要なことは、もう、お分かり頂けたことと思います。
 サリンを製造するリスク。(途中でサリンが漏れて、自ら死亡するケース)
 それを運ぶリスク。(運搬中にサリンが漏れて、運搬者が死亡する可能性もある。)
 目撃されるリスク。
 そして、自らが設置後のサリンに触れる可能性のリスク。
 これらのリスクを冒してまで、犯人が『単独』ですべてを行うとは、考えがたく、サリンの設置場所が、もし、複数箇所であった場合、上に挙げた3、4番目のリスクが発生する可能性が、非常に上昇するのは当然のことだ。
 にもかかわらず、この犯行を犯すに至った犯人側の動機は、身勝手極まりないが、『狂信的』なまでに強固であったと言えるだろう。状況的に単独よりも、複数の人間がこの事件に係わっていると推理できる中で、彼らを一つにしていた『動機』が何であったかは、戦術通り、理解して頂けたものと存じます。

 ところで、
 完成品のサリンだが、100%入手不可能というわけではないようだ。御存知のとおり、ヨーロッパでは、ロシアからと思われる核物質の不正輸出が摘発されている。これらの中には、充分に核兵器を製造できる量のものも含まれ、ロシアの核に対する管理体制の不備が指摘されている。トップ・クラス、いやトップそのものの管理体制が必要とされる『核物質』でさえ、この有様である。ソ連邦崩壊後のロシアの特に軍関係の管理体制の現状は、お寒いばかりと言った所だ。
 ましてや、『貧者の核兵器』の保安管理体制が、いかように扱われているなどは、まさに推して知るべしと言った所ではないだろうか。『核兵器』でさえ、その材料が流失している現状にあって、格下の『化学兵器』やその原料が、海外に流失していないとは誰が保証するのだろうか。
 ついでだが、ガスマスクや防護服といったものは日本でも手に入る。マニア向けのミリタリー・ショップなどで、米軍放出ものが販売されているからだ。銃器などと違い、それらの品は使用できる状態で売られている。また、ロシアなどに目を向ければ、軍用品など、簡単にしかも格安で入手できる。もし、それらの品を手に入れたければ、モスクワに寄ると良い。ホテルに着いたらテレビのオスタンキノ放送をお勧めしたい。画面に登場する麻原氏に郷愁をそそられる事でしょう。何しろオウムは、その放送局買収し、信心深いロシアの皆さんに布教を行っているそうだから。ちなみに現在、オウムモスクワ市当局とは、大いに揉めているそうである。市当局は、オウムの布教活動違法性があるとしているそうだが、願わくば、ロシアまで行って悪臭タレ流しビル騒動の様な事に成ら ないと良いんだけどねぇ。

 終りに、

 さて、及び腰のマスコミの皆さん。この文書を最後まで読まれたことに感謝します。
 この文書は、『怪文書』であります。したがって私は卑怯と思われる方もお出ででしょうが匿名とさせて頂きます。
 内容が内容だけに訴訟好きオウムの弁護士さんを狂喜させる必要もないでしょう。くどいようですが、この文書は『怪文書』です。したがって、『このような物』が世間に出回っていて、それを『紹介』すると言う形式をとれば、オウムの弁護士さんの手を煩わせることもないでしょう。なにしろ実際に『怪文書』なんですから。この文書を何らかの形でご使用なさるもなさらないも編集者の自由意思です。なにぶん、『怪文書』ですから。
 本文中でも述べましたが、私は、この推論があながち的外れなものとは思っていないのです。『凶器サリン』に必要な『人、物、金』そして、『動機』。彼らにはそれらの条件がすべて揃っています。そして、気の廻しすぎかもしれませんが、『最悪の選択』についても同様です。それ故に私は、その『選択』が行われる前に警鐘を鳴らしたい。彼らが再び『過ち』を自らに冒す前にそれをしておきたいのです。せめて今は、安らかな眠りを得ている子等のために。
 この文書によって、被害者の方々やご遺族のお気持ちを傷つけるようなことがあれば、謹んでお詫び申し上げます。また、特に事例として上げた特定の方々にご迷惑が掛からないように出来ますれば、ご配慮をお願います。
『松本サリン事件』に因って亡くなられた七人の御霊に哀悼の意を表し、終わりの言葉と変えさせて頂きます。
 謹んで、亡くなられた被害者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 1994年 9月某日
     HtoH&T.K 感謝を込めて。


追伸

 元旦の読売新聞一面には、さすがに驚かされた。何故なら、『サリン残留物』の発見された、上九一色村こそが、『旅館経営者拉致事件』の中継地として登場する『山梨のオウムの施設』の所在地であるからだ…。そして、もう一つハッキリしたことがある。今回発見された『サリン残留物』の発生時点が、『松本ケース』の十二日後だという点だ。つまり、あの『気の毒な会社員氏』が、わざわざ、上九一色村まで出向き、『過失によってサリンを合成』してしまう可能性は、小数点以下の数が、無限大にゼロだということだ。
 では、『松本…』は、彼の過失で、上九一色村は、別のものの仕業?それこそまさに愚の骨頂と言わざるを得ない。サリンを持って、うろついている連中が、そう何組もいたのでは、溜まったものではない。
 それは、さておき、百歩譲って、借りに額面通り、オウムの言う『毒ガス攻撃』が本当だとして、それは何らかのテログループの犯行となるわけだ。いずれにせよ、『松本ケース』が何らかの実験的要素を持っていたことは、否定できない。『解放された空間・オープンスペース』での『結果』が、7人死亡、重軽傷者、200名以上。もし、これが、『閉ざされた空間・クローズドスペース』たとえば、満員の地下鉄や巨人戦の行われている東京ドームなどで、サリンが放出されれば、その結果が目を覆うばかりの惨状となることは、容易に想像が付く。
 しかし、しかしだ。繰り返しになるが、何故、オウムは法に訴えない?
 そして、なぜ、毒ガスがサリンだと知っていた?
 彼らは、オウムの存亡の掛かった脅威に対しては、必ず、『法的手段』によってその解決を図ってきた経緯がある。しかも、しかもだ。今回はその脅威の矢面に立たされているのは、『教祖の生命』ではないか。これほど、これも繰り返しになるが、『訴訟好き』の集団が、今回に限って法に訴えない。何故だ?
 それこそが、何かを物語ってはいまいか。そして、この『サリン残留物』、上九一色村で発見。これは、もはや、偶然の領域より、はみ出し始めている。借りにオウムが『毒ガス攻撃を』受けていて、そのために金銭が必要となったとするならば、一応の説明は付く。
 しかし、しかしだ。執こいようだが、声を大にして、訴えたい。
 彼らは、『坂本弁護士一家失踪事件』の際も、『オウムビル悪臭垂れ流し事件』の際も、『九州オウムキャンプ建設騒動』の際も、『旅館経営者拉致事件』の際も、必ず、法を『楯』にしてきた。更には、積極的にマスコミを利用し、『坂本弁護士ケース』では、自ら、『法秩序を守るために警察に協力する』とまで、公言していた集団が、『訴訟大好き』この集団が、今回に限ってそれをしないのは、
 何故だ?
 ぼやけていた焦点は、一点に向け、収束し始めている。それにより、『第二の平沢貞通』にされかかっていた『不幸な会社員氏』が、その恐怖より、一刻も早く解放されることを望む。そして、一刻も早く、正しい焦点を見出さなければならないわけが我々には、ある。それは、宗教の名のもとに狂気が、『最悪の選択』が、行われることを防がねばならないからだ。
『輪廻転生』死して後、生まれ変わることを曲解し、神を騙るものによって、『狂気の選択』が、行われる前に、正しい焦点を合わさねばならない。一刻も早く。



【解説】
  1. 通称、『松本サリン事件』
     通常、このような場合、二重カギカッコの最後には「句点」がこなければならない。ところが、怪文書の筆者は、それをしていない。これは、そういう表記の決まりを知らなかったからか、それともわざとカッコ良さを狙ったのか。
     ところが、それに続く文章は、「謎の多い、奇妙な、そして、実に恐ろしい事件である。」という具合に、句読点の使い方には、プロっぽさを感じさせる。プロならば、なぜ、カギカッコの下に句点を入れなかったのだろうか。そこが謎である。

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  2. サリン事件は、オウムである
     この部分にも、センテンスの末に句点がない。これは、たぶん「見出し」として立てたつもりだったのであろう。通常、単行本でも雑誌や週刊誌でも、見出しについては句点を省くことが多い。
     ただし、「別冊宝島」版では、この部分に倍角の句点がある。

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  3. ピン・ホール
     私事だが、先だって、ある本の原稿のゲラを受け取ったら、僕が書いたカタカナ語がすべて「キー・ボード」といった調子に書き直されていたので、困ったことがある。最近のカタカナ語表記の傾向は、あまり中黒(・)で区切らない。やや古い感覚の編集者やライターが、中黒で区切る傾向がある。この「ピン・ホール」も、今では「ピンホール」と表記するのが一般的であろう。以後もカタカナ語には中黒が入っているものが多い。これは怪文書の筆者の文章感覚を推定する上で、重要なポイントになるであろう。
     もう一つ推測されるのは、怪文書の筆者が、何かの資料をもとに書いた場合である。その場合、化学兵器系の専門書を書いた学者が「ピン・ホール」と書いていたので、それを怪文書の筆者も真似てしまったことが考えられる。

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  4. 次女と三女
     ここでは、当然ながら「じじょとさんじょ」、あるいは「にじょとさんじょ」と打って文字変換をしていると推測される。非常にありふれた文字変換であるが、あとでの注目点になるので、とりあげた。

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  5. 2女3女
     上記の部分のわずか数行下の部分で、怪文書の筆者は、先ほどの「じじょとさんじょ」という文字変換のやり方を変えている。つまり、この場合、「2じょと3じょ」という入力の仕方が普通であろうから、突然、筆者は入力方法を変えたということになる。僕がずっと疑問をもってきた部分である。普通、書き手が同一人であれば、そのように入力の途中で入力の仕方を変えることは、珍しいといわねばならない。
     もっとも、「じじょ」あるいは「にじょ」の読みに対して「2女」、「さんじょ」の読みに対して「3女」というふうに単語登録してあるのかもしれない。その場合は、これは、意外に特殊な表記ではないかと思う。どんな分野の書き物で、そうした表記が必要とされるのか、にわかには思い当たらないが、ともあれ怪文書の筆者は、特殊な入力を日常的に強いられている職場にいるとも考えられる。  ただし、いくつかの推理はある。一つは、あとでも述べるが、筆者が、横書きは算用数字を使用するということが頭にありすぎた場合。第二は、数字表記の統一など、まるで頭にない場合である。

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  6. 46時中
     この部分が、文中で最もおかしな表記である。通常、「四六時中」というのは、一つの単語になっている。これは具体的な時間を表わしているのではなく、“一日中”という意味に過ぎない。だから、原則的には、算用数字で表記するのは間違いである。
     怪文書の筆者は、「為に」「付く」などの漢字を使い、また「乖離」(新聞の表記では“かい離”となるのだろう)などという難読漢字を使用するような国語力優秀な人物である。ところが、なぜそのような人物が「四六時中」を「46時中」などと打ち込んだのか。
     一つは、繰り返しになるが、横書きの場合には、数字は全部算用数字にするということが頭にありすぎたのか、それとも、もともと「四六時中」という言葉を知らなかったかである。
     僕は後者の可能性を考えている。つまり、大胆すぎる推測であるが、筆者はひょっとして一人ではないのではないかという可能性である。簡単に言えば、タイピングした人間と文章を書いた人間は違うかもしれないという可能性である。
     また、もう一つの可能性としては、数人の人間が書いた文章を、一人がまとめたために、あちこちで表記が統一されていないということも考えられる。
     そう推論する根拠は、いくつかある。別途、過去に書いた論文を紹介するときに詳しく説明したいが、たとえば句読点の打ち方が、部分的にムラがあるということ。また、サリンに関する科学的な説明の部分の知識が、筆者の文章的な傾向と、あまり合わないように思えるからである。
     数人の人間が書いたか、あるいは知恵や知識を提供したデータを、一個のまとまった文章にするという技量を備えている人物として、まっさきに想像されるのが、新聞記者である。ひょっとして、筆者が新聞記者である可能性はあると思っている。

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  7. 10キロ
     ここで、単位が仮名書きされている。が、他の部分では「km」などと、英語書きの単位になっている。なぜ「10kg」としなかったのであろうか?

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  8. 充分に
    「じゅうぶん」に対しては、「十分」を用いるのが、今では一般的だ。が、ちなみに僕は、時間の十分と誤認する可能性があるため、仕事の原稿では「充分」を使っている。ただし、そういうふうに原稿を書くと、大抵の編集者が「十分」に直してしまう。怪文書の筆者は、きっとこの部分だけは、僕と同じ言語感覚を持っているのであろうと推測する。

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  9. 失踪
    「しっそう」は、最近、スポーツ新聞や夕刊紙にしても、週刊誌や雑誌にしても、「失跡」と書くことが多い。しかし、本来「失跡」の読みは「しっせき」である。もちろんワープロだから、「しっそう」と打てば、この難しい漢字が変換できるが、語感的にやや古臭く感じるので、多くの人は「失跡」を使用するのであろう。ここにも、怪文書の筆者の言葉へのこだわりを見ることができる。

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  10. 四月
     それまで算用数字で表記していたのに、突如、ここで漢数字表記になっている。書いている途中で、何らかの事情で中断したために、自分で決定した表記統一の決まりを忘れてしまったのか、あるいは別の人物が書いたものを引用し、リライトしたために、別の筆者の数字表記をうっかり受け継いでしまったという可能性も拭い去れない。
     ただし「別冊宝島」版では、「4月」となっている。

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  11. イベリット
    「正論」版では「イベリット」となっているが、「週刊朝日」版では、「イペリット」となっている。もちろん、本来は「イペリット」であるが、「正論」版を信じるならば、怪文書の筆者が間違えた可能性がある。このような重要な証拠を表記統一という錦の御旗のもとに消し去った「週刊朝日」は、ちょっと官僚的な気がする。「デパート」を「デバート」、「アパート」を「アバート」などと年配者はいう。そのように筆者の年齢を想定する手がかりになるというのに……。なお、「別冊宝島」版では「イペリット」となっている。

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  12. おいででしょう。
     突如、である調からですます調に変更されている。こうした文章の崩れは、素人の特徴でもあり、また、これまで見てきた犯行声明文の特徴ともいえる。人は他人に呼びかけるときに、ですます調になってしまうのだろうか? いや、表記の統一など考える前に、衝動のほうがエントロピーが高くて、忘れさってしまうことも考えられる。

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  13. 様な
     直前で、「ような」と変換しておきながら、その後で「様な」と変換してしまっている。怪文書の筆者は、あまりワープロ入力に習熟していないか、あるいは注意散漫な人間か、またはいつもの癖がついぽろりと出てしまったかであろう。

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  14. 然るに
    「しかるに」は、ひらがなに開くのが、通常の原則となっている。ここではたぶん、筆者は、擬古文調を使いたがっているのであろう。

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  15. 伺える
     この場合の「うかがえる」は、「窺える」と文字変換するのが正解であろう。が、あとの部分でも「窺える」という変換はないから、筆者はこの言葉を間違って覚えている可能性も否定できない。そうした文字変換に自信がない場合は、僕らライターは、ひらがなに開いてしまうのだが……。

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  16. 9億2千万円
     この数字の書き方は、すこぶる雑誌的である。単行本では、「9億2000万」と書くことが多いが、雑誌ではこのようにゼロを並べるのを嫌ってか、漢数字にしてしまうことがある。

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  17. (運搬中にサリンが漏れて、運搬者が死亡する可能性もある。)
     ここでなぜ筆者は()で囲まれたセンテンスの末尾に句点を入れたのであろうか。体言止めの場合は、句点を入れないでおき、通常文のように完結しているので、たまたま句点を打ってしまったということなのだろうか。カギカッコのほうは、句点を打っていないのに、おかしなことである。

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  18. 戦術通り
     ここは明らかに、変換ミスである。「先述通り」と文字変換するべきところ、間違えたのであろう。ここにも筆者の注意散漫がほのみえる。

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  19. お出ででしょうが
     これも「おいででしょうが」となるべきである。変換ミスであろう。

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  20. 1994年 9月某日
     この日付は、いつも問題になる。果たして、この日付が真実であろうか。それを示す根拠は、実際は何もないといっていい。なぜなら、問題の怪文書がマスコミ各社に送られてきたのは、1995年なのだから。
     オウム事件の場合、時間の経過と知識の量というのは、非常に重要な要素になる。まだサリンなどがあまり知られていない時点で、このような怪文書が出たなら評価できるが、そうでなかった場合は、また違った評価を下す必要がある。

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  21. お願います。
    「お願いします」と書くところ、脱字になっている。

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  22. HtoH&T.K 感謝を込めて。
     HtoH&T.Kがいったい何を示すのか。これは永遠の謎になりそうである。
     まず、これは言葉であるという考え方もある。なにかの暗号ということになる。
     が、素直に受け取れば、人の名前であると解釈するほうがいいように思える。というのも、このセンテンスの後に「感謝を込めて」とあるからだ。これは謝辞あるいは献辞であろう。書籍においても、謝辞や献辞というものは、人に向けられるのが普通だから、これが人名であるという可能性は高い。
     では、いったい誰に感謝したのか。それは、怪文書を書くにあたってデータなどを提供してくれた人に対してであろう。
     では、献辞を送られた人物は、どのような人なのか。まず、「HtoH」の最初のHは、筆者をあらわしていると見るのがオーソドックスであろう。通常、from〜toを使うべきなのだろうが、ここでは省略されているのであろう。
     すると、献辞の送り先は「H&T.K」ということになる。この場合、「T.K」の解釈が問題になる。僕は、これは「T氏とK氏」ではなく、「T・K」氏ではないかと思う。なぜなら、「AとBとC」という場合、「A,B&C」というぐあいにならねばならない。「A&B,C」という書き方は文法上おかしい。だから、H君が献辞を送った先は、「H」氏と「T・K」氏である。
     そう推理したとき、疑問になるのは、なぜ最初の人物は「H」だけですませておきながら、二番目の人物には「T・K」とフルネームのイニシャルになっているかである。これは、H君は、H氏とは近しく同じ次元の人間として思っているが、T・K氏のほうは上位者とみているからであろう。
     それは大学の先生や、教えを乞うた専門家をあらわしているかもしれない。しかも、一連のオウム報道で、しばしばテレビに登場した、その方面の某教授の名前が、「T・K」なのである。偶然なのか、それとも……。

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  23. 追伸
     この追伸部分は、1995年1月に別途、新聞社に送られてきたものである。つまり、最初の文章とは時間的な差がある。新聞社では、同一人が書いたと判断しているが、詳細に見ると、多少手が違う点も見られないではない。全体の文章の調子はほぼ同じであるが、表記が異なっている点もある。たとえば、「サリンが放出されれば」は、前の怪文書の言葉づかいからいえば「サリンが噴霧されれば」という感じになるのではないか。

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  24. 別のものの仕業?
     怪文書の筆者は、疑問符(?)の後には、必ず一字分だけスペースを空けてきた。ところが、この追伸の部分だけは、一字空けがされていない。急いでいたので忘れたからか? それとも、別人が真似て書いたからなのか?
     一般の人で、疑問符や感嘆符の後にはスペースを空けるという原則を知っている人は、それほど多くないように思える。また、センテンスとしてつながっている場合は、スペースを空けないので、表記の原則を守ると、とてもややこしいことになる。

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  25. 借りに
     これもよくやる変換ミスである。筆者は書いたものを推敲しなかったのであろうか。
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  26. 執こい
    「しつこい」という言葉の文字変換に「執こい」というものはない。たぶん、どんなワープロであろうと、デフォルトでは、このような変換はしないであろう。筆者が単語登録したのか、それとも、単漢字変換で書き込んだのであろうか。

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  27. しかし、そのメロディは、どう聞いても『汽車ポッポッ』にしか聞こえないのだが…。
     全編を通して、怪文書は論文ふうというか、報告書ふうに、つまり自分が経験したことでないことを書いている。が、この部分だけは、珍しく筆者が実際に曲を聞いて、その感想を書いていることがうかがえる。
     が、少し気になったのは、あれは確か、「汽車ポッポ」ではなかったかということだ。筆者は、なぜ最後に「ッ」を余計に書いてしまったのか。つまらん詮索、どうせ単純ミスといわれればそれまでだが、僕には気になる。筆者は本当に「汽車ポッポ」を唄っていた年代なのだろうかとさえ、思ってしまうのである。あるいは、遠い昔過ぎて、ぼけてしまったのかもしれない。
     それと、もう一つ気になるのは、この部分だけでなく随所に出てくる「…」の数である。「週刊朝日」版では、いずれも「……」となっているが、「正論」版では、「…」である。また「別冊宝島」版では、いずれも「……」となっている。もちろん、編集者的な感覚では「……」が正解であるが、アマチュアには「…」を多用する人も、結構いる。そのあたりのことも、筆者の特定には、とても重要なことなのだが……。

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【風太郎による簡単な総論】
 もともと松本サリン事件に関しては、ほとんどの当初の推論が、方向として間違っていたように思う。間違いの根幹は、サリンの噴霧の仕方である。
 当時、ほとんどといっていいくらい、サリンが、第一通報者宅の前の駐車場を拠点として噴霧されたと分析していた。実は、このような分析の仕方が、冤罪を生み出しかけたのではないかと、僕自身は思っている。
 自慢話になるかもしれないが、僕は、この事件直後に、テレビに登場したある科学評論家の意見に、ずっととらわれてきた。そのために、会社員氏は無実であろうと、当初から思ってきたのである。そして、その確信は、会社員氏が最初に意見を表明したときに、固まった。
 その科学評論家の意見では、サリンは、数箇所で撒かれたのではないかということであった。そうでなければ、発生場所とされる駐車場から、最も離れた高い位置にある階の人たちの死亡率が高いという事実は説明できないのである。サリンガスだけでなく、ガスというものは、たいていは長い距離を風で押し流されていくと、だんだんに薄まってしまうというのが、常識なのであろう。すると、発生場所に近いほど死亡率が高くなるはずなのに、その逆になっている。当日の風力は、5メートル以下であり、それほどガスの拡散に多大な影響を与えるような風向の乱れはなかったように記憶する。
 が、どうしたら数箇所も短時間にサリンを噴霧することができるのか。その方法について、僕には考えもつかなかったし、また、その科学評論家も適切な解答を示してはくれなかった。その科学評論家は、スポイドのような器具を使って、あちこち撒いたのではないかと推断していた。この推断は、結局外れていたが、あたらずとも遠からずではあったのである。
 僕は素人ではあるが、元来、こうした捜査では、どこからガスが発生したか、そして、その方法は何かという分析が、最も重要なポイントとなると思う。発生源の特定によって、犯人を特定することができるかもしれないからだ。だが、警察はそうした科学的な検証をしたのであろうか。そして、なぜ、発生場所を一個所に限定しようとしたのか。そこに、捜査上の怠惰というか、戸惑いを見ることができる。もちろん、その尻馬に簡単に乗ってしまったマスコミも、検証を怠っていたように思う。
 冤罪が生じるのは、あらゆる可能性を考えないで、捜査線を単純に一本に絞ってしまったときであろう。思い込みや固定観念を優先させてしまうと、そうしたことになりやすい。科学捜査というのは、データを積み上げていき、データから考えるという捜査であるはずなのだが、松本サリン事件の場合は、マスコミも警察も、それができていなかったように思う。
 この怪文書も、また、サリンの噴霧の仕方については、単純すぎる解答をしている。単にテレビに登場した、アメリカの元捜査官の意見の域を出ていないのである(アメリカの元捜査官の場合は、ドライアイスではなく氷を使うといっていた)。このアメリカの捜査官の推論が、間違いであったことは、後に実行犯達の証言で証明されている。
 もし怪文書の筆者が、科学的知識に非常に造詣が深い人であったならば、もっといろいろな分析をしたのではないかと思う。たとえば、オウムが車というものを多用する教団であるという点などである。そして、もし科学に造詣が深ければ、先ほど紹介した当初某科学評論家が出した「複数箇所での噴霧の可能性」ということを取り上げたことであろうと思う。ドライアイスを使うよりも地味で目立たない意見であるが、結局、それだけが真実に一番迫っていたのだ。
 怪文書の筆者は、その点、突っ込みが浅いように思える。テレビを見ていたり、あるいはテレビや新聞とかかわっていれば、書けるような範囲の知識や分析を出ていないように思える。
 また、文体における体言止めの多用、そして句読点を短い区切りで使用しているなどの点も、筆者が文章を日頃から扱っている職業であることを推察させるものである。
 ということで、筆者はたぶん、マスコミ関係者であろうというのが、僕の推理の結論である。
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