2008.5.27
今週は「中学生日記」(NHK教育)に本郷先生の役で出演中の、俳優、金剛地武志さんの登場です。金剛地さんはエアギター世界大会で2年連続4位入賞を果たしたり、ドラマ、バラエティでも活躍中。そんな金剛地さんの知られざる二十代をお届けします。
vol.25 金剛地武志 さん
Profile
1967年生まれ。神奈川県出身。バンド「yes,mama ok?」でメジャーデビュー後、情報番組のリポーターやバラエティ番組で活躍。俳優としても数多くの作品に出演し、現在、NHK教育『中学生日記』に音楽の先生役として出演中。

中学生日記
金剛地武志オフィシャルサイト
(NHKサイトを離れます)
僕は美術大学を目指して2年浪人し、二十歳の時に大学に入りました。美術史の勉強がしたかったので芸術学科に入りたかったんですが入れず、結果、東京造形大学のデザイン科に入ったんです。二浪もした上に、思ったところに入れなかったって言うのは、なんか、負けた感がありましたね。その悔しい思いで大学生活を送り始めたのが二十歳ですね。

その頃自分はペシミストだと思ってました。とっても暗いことを考えてましたね。ドストエフスキーとか坂口安吾とかの深刻な小説が好きでしたよ。でも同時に、悲しいことを描きながらも、徹底的にアホな方向に、楽しむ方向に持っていくボリス・ヴィアンの小説を好きになったんですね。自分もそういう風になりたいと思ってましたし、実際にそういう方向へ行ったんですけどね。本来お気楽な気質なのかもしれませんね。
就職活動はずいぶんいいかげんでした。在学中に2社ぐらい落ちて、「まあ、別にどうにでもなるさ」ぐらいに思っていたら、普通に卒業式がやってきて、「いよいよ俺、4月から行くとこないぞ」と。それで、そのころ毎月買っていた雑誌で、インテリア・建築の専門学校の助手募集の公告を見て、電話して、即二日後から勤めることになったんです。まあ助手と言っても、学生の成績の管理とか出席の管理とか、ほぼ教務課的な仕事でした。
僕は学生時代からずっとバンドをやっていて、その頃もちょこちょこ友達と一緒にイベントに出るとかライブハウスに呼ばれて出るような活動を続けていました。専門学校には結局2年間勤めたんですけど、バンドの方でメジャーからデビューできそうだという話がまとまりつつあったので、「今年度で辞めます」と宣言して、「さあどうすっか」、っていうのが26歳の時です。

そのころはずっと実家にいたんで、収入がなくても、家賃もかからないしメシは出てくるんですね。自分で払うのはガソリン代と飲み代だけ。慎ましくやってればなんとかなりました。なんか、ずっと実家住まいだったやつのメンタリティってあると思うんですよ。それはね、きっと押し入れを開けると子供のときのアルバムから何から全部揃ってるっていうことだと思うんですけども、それは善し悪しなんだろうな。僕はそれを善しの方向にするしかないと思ってましたね。

ただ、音楽活動に全く理解が無かった父とはぶつかりました。そのころ僕は、夜に部屋で音楽を作って昼過ぎまで寝てるっていう生活でした。父はサラリーマンでしたが、定年退職をしてずっと家にいて、母は実家で針灸の治療院を開業していました。まあ、母親の稼ぎがあってぬくぬくと甘えていたんですけれども、毎日両親と顔つき合わせるっていうのは非常につらいんですね。しかも、親、起きるの早いんですよ。朝4時ぐらいに起きて散歩に行っちゃうんです。で、その時間、僕はまだ全然起きてるんです。部屋の扉は閉めてあるけど光は漏れてるわけですよ。「また武志は起きている」って散歩をしながらずっと悩んでたらしいです、「このままだと性犯罪者になる」って。だから、とにかく僕を、なんとか真っ当な道へ進むように言いくるめようとしてたんです。
それは僕も分かっていましたけれど、なんか大丈夫という気がしてたんですね。目指すところはいわゆるメジャーシーンとは全く違う感じで、なんとなく良い音楽をずっと作り続けてる人達っているじゃないですか。そういう生き方があるんだぐらいに思ってたので、自分もそういう風になれると安心してたのか、慢心してたのか。なんか根拠のない自信がありましたよね。

僕のやってたバンドはyes,mama ok? って言うんです。バンドと言っても、僕のソロプロジェクトみたいなもので、作詞作曲演奏全部僕がやってたんです。一応女性のボーカルがいて、あと男性の賑やかしの人物がいるんですが、彼らはスタジオに来て遊んで帰るみたいなものでしたからね(笑)。ボーカルも半分以上僕が歌ってるかな。ギターもベースもドラムもキーボードも打ち込みも、ミックスダウンまで自分でやるっていう主義でした。で、自分で全部音を出すっていうのが作品に対する誠意だ、ぐらいに思ってたんですね。まあ、かなり独りよがりな部分があったなと今では思いますけどね。
心配しているご両親をよそに、バンド名は「イエス・ママ・オーケー?」(笑)。脱力感溢れる金剛地さんの、二十代で一番大変だったこととは? 後編に続きます。