『拒食症』… 食べないから、極度に痩せてゆく… そう考えられがちだが実は、一度陥るとなかなか抜け出せない恐ろしい病でもある。痩せているという自覚がないまま、栄養失調による睡眠障害、骨粗しょう症、更年期障害、そして、抵抗力の低下による感染症など、最悪の場合、命を落とす危険がある。
そんな拒食症に陥り、命の危機に追い込まれた女子大生 内海真知子さんは、1981年、北九州市に4人家族の次女として生まれた。小学校の頃から家族のもめ事の仲裁をする、とても面倒見のいい子供だった。「強くて頼れる真知子」、真面目で何でも目標を立てるタイプの彼女は、高校3年を迎える春休みのある日、予備校に通う友人の一言で、夕食を減らし始めた。真知子さんはこの時、153cm45kgで決して太っていたわけではないが、自分の外見に自身が持てず鏡も見ないほどだった。勉強でも何でもまず計画を立てて、その通りに実行していく性格の真知子さんにとって、体重が減るという事は、自分をコントロールしているという証で自信になった。友人からの「痩せた?」という言葉が何よりの励みとなり、体重は40kgに減った。そして、食事を減らす行動はエスカレート。だが、体には異変が起き始めていた。以前、薬剤師をしていた母親が、「娘は拒食症だ」と確信し、注意をしても、真知子さんは反論。自分が痩せているという意識が全くなく、真知子さんは母親の言うことを聞かない。細くなった足を出すのが嬉しく、1キロ減るたびに自分が好きになる。大嫌いだった鏡もいつも眺めるようになった。そして、それは服装にも表れ、ノースリーブとホットパンツこれで予備校に通った。この時体重35kg。友人たちは気を使って真知子さんの手足を隠したが、本人には、その意味が分からなかった。
高校3年生の10月、真知子さんは一足早く推薦で長崎大学教育学部に合格。母親は受験が終わったと同時に、真知子さんを心療内科に連れて行ったが、病院で真知子さんが「これからはきちんと食べる」ということを伝えると、栄養不良として点滴を打っただけで治療は終わってしまった。
その後、真知子さんは今まで予備校に行っていた時間をエネルギー消費にあて、ジムに通って、ひたすら体を動かしたが、すでに、激しい運動には体がついていかなかった…。両親や友人の心配をよそに、真知子さんはとにかく痩せていれば幸せだと思っていた。もっと自分ができることはないかと、「夕食は必ず6時までに食べる」というルールを作った。しかしこの頃になると、真知子さん自身、感情のコントロールが出来なくなっていることを感じていた。以前は料理が好きだったのに、食べ物をどう扱っていいのかが分からなくなり、食材に触れるのも恐かった。そして一人で食べると食べ過ぎるという不安から、必ず母親と一緒に食べた。
やがて真知子さんの体重が30kg台前半になると、頭が働かなくなり、体力が落ちてよく眠れなくなった。そして、明日は何を食べようか…何なら太らず満足できるか?と、食事の事ばかり考えるようになった。
3月、高校の卒業式を迎えた真知子さんは、大学進学のため、実家を離れて一人暮らしをする予定だった。家族は一人暮らしをさせることを心配したが、真知子さんの強い意思を尊重し、一人暮らしの大学生活は始まった。
入学して1か月後、大学での健康診断が行われた。しかし真知子さんは血液検査で血管が細すぎて血液が採取できなかった。そしてさらに衝撃的な事実が突きつけられる。「体重26kg、体脂肪率3%」すぐに精神科医の元に呼ばれた。医師に入院を勧められるが、真知子さんは「絶対に4年で卒業したい」と頼んだ。医師は「1週間で1kg体重が増えれば入院しなくてもいいよ」と提案した。そんなことは簡単だと思った真知子さんだったが、いざスーパーに出かけてみると、買い物の仕方さえ分からず、母親に助けを求めた。駆け付けた母親はカツ丼を作ってくれた。なぜがすんなり食べきれた。久しぶりのお肉で、幸せな気分になれた。こうして測定当日、真知子さんは体重測定で何とか1kg増やすことができた。ひとまず、これ以上体重を減らさない、という条件で入院は免れた。
この時医師は「甘える事も優しさ、甘える事も勇気がいる」と、真知子さんにアドバイスをした。しかし、真知子さんは体重をまた1kg戻すことしか考えていなかった。そんな姿に、両親は真知子さんを入院させる覚悟を決めた。
2000年5月、真知子さんは長崎大学付属病院精神科に入院。病院では、20代女性の一日当たりの基礎代謝と同じ1200kcalの食事をとることから始める事になった。そして、体重が32kgにまで達すれば、退院させてもらえる約束を取り付け、真知子さんの「通学だけはしたい」という願いに、昼食は400kcal摂ることなどを条件に、病院から通学する生活が始まった。だが、歩くこともままならず、何でもない段差でつまづき、階段は手すりを使わなくては上がれない。入院して2週間、真知子さんの体重は一向に増えなかった。この時、担当医が女性医師に代わり、「体重が増えない真知子さんを学校に通わせることはできない」と伝えた。そしてある夜、寝返りを打つうち、ベッドから落ちてしまった真知子さんは、自力では這い上がれない程弱っていたため、看護師の巡回を待つ事しかできなかった。「こんな生活もう嫌だ」と思い、現状から回復するためには自分で自分を変えるしかないと考えた。その後、主治医と何でも話すようになり、食事の量も1800kcalに増やした。入院して2か月後、真知子さんの体重が32kgになり退院。すぐに食事の量を減らしたが、「減ったら入院」という医師の言葉のおかげで、かろうじて体重をキープしていた。
その後、大学の授業が始まると真知子さんは、一人の女性学生と知りあった。すぐに仲良くなり、二人は親友同士になった。ある時真知子さんは彼女に「自分は拒食症らしい」と告白。すると、親友は「見れば分かるよ」とあっさり言い、「私は健康的な状態の真知子を知らないけど、仲良くしているということは、今の真知子に何か魅力を感じてるのよ」と言ってくれた。そして2001年4月、真知子さんと親友は、与論島への旅行を計画。1週間も体重を計らない生活、自由にならない食事…と、不安を抱えたままだったが、長崎から船を乗り継ぎ、与論島に到着した。その晩、真知子さんたちは、宿のおじさんに連れられ、島で唯一のラーメン店に行った。すると、宿のおじさんが味噌ラーメンを注文、サービスで、餃子やチャーハンなども出してくれた。真知子さんは戸惑ったが、人の善意を無駄にしないようにと苦しそうに食べている友人を見て、自分に出されたラーメンだけは必死で食べた。そして何とか一人前を食べ終え、店を出た瞬間、「今まで何をあれこれ考えていたのだろう… なぜ食べる事に関してなぜあんなにルールを作っていたのだろう」急にアホらしくなった。何より、初めて同世代の子に甘えて良いのだと気付き、気が楽になった。そこにいた真知子さんは今までとは明らかに違っていた。
ついに「拒食症」と向き合うことを決意した彼女は、与論島から戻った翌日、医師の元へ行き、完治するまでにどれ位の時間がかかるか聞いた。「本気で取り組んでも最低5年はかかる」と言われ、そこまで深い病だということを初めて知った。その後、真知子さんは母親や友人に支えられ、時間をかけて徐々に徐々に「昔の真知子」に戻っていった。大学は無事4年で卒業し、就職もし、そして2年前には結婚もした。真知子さんは「拒食症の恐ろしさを知って欲しい」と訴え、本も出版。現在27歳の真知子さんを訪れると、そこには夫のために料理も作る真知子さんがいた。そして、拒食症に苦しむ人へ「頼れるところは全部頼れ」と真知子さんはアドバイスをくれた。
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