『桜井淳著作集』の出版に先立ち、出版社が、販売のために、立派なパンフレットを作成してくれました。以下の文章はそのための原稿です。
『桜井淳著作集』の著者の言葉(2004)
20世紀後半の半世紀を生きてきた者にとっては、あらゆる価値観において、歴史的転換を経験することになった。諸々の出来事を通して現代社会がいかに脆弱であるかを痛切に感じた。当時、京都市修学院南代に住む技術評論家の星野芳郎氏にお目にかかり、技術評論を志したのは、いまからちょうど30年前の夏であった。前半の15年間は目立った成果もない準備期間であり、本格的に技術評論を開始したのは後半の15年間であった。本著作集は、後半15年間に執筆した作品のうち、まだ単行本に収録していなかった新聞文化欄や月刊誌・週刊誌・インターネット、それに対談で社会に問題提起したことを全6巻(各500頁)に体系化したものである。他にない特徴をいくつか挙げれば、(1)設計条件や技術基準に遡って問題点を解明したこと、(2)推進や反対といった単純な構図で問題に取り組むのではなく、分析を深めて諸矛盾の摘出に努めたこと、(3)インターネットでの問題提起を通して小説や科学技術社会論の展開にも手を延ばし、自身の微妙な心の内をさらけ出したこと、(4)東大大学院総合文化研究科でまとめている博士論文のアイディアの萌芽が読み取れること等である。まだまだ現象論の整理の段階に過ぎないが、これを契機に、長年の懸案事項であった小説の執筆や文明論・宗教学・哲学の研究に専念したいと考えている。本著作集を読むことによって、読者の心に確かな視点が生じることを期待する。 桜井 淳(技術評論家)
推薦者の言葉(2004)
(1)原子力発電を考える必読の文献 星野芳郎(技術評論家)
桜井淳氏の著作集全6巻が刊行されると聞いて、非常に嬉しく思います。原子力や新幹線などの安全についての桜井さんの主張は、常に現場での詳細な調査にもとづいて居り、これほど信憑性の高い論説は他にありません。ほんらいなら、原子力発電の推進者の側からの反論があって然るべきなのですが、それがほとんどありません。-と言うのは、論争となれば桜井説の優勢は動かしがたいからだと思います。 しかし推進側としては、桜井さんの主張から学ぶところが多いはずで、実際には推進側にもかなりの数の共感者がいると思います。正確な事実を伝える本著作集は、原子力発電に対して、反対するにしても賛成するにしても、必読の文献と私は考えます。多くの人にぜひ手元に置いていただきたいものです。
(2)市民科学者、桜井淳 鈴木かずえ(グリーンピースジャパン、核問題担当)
国際環境保護団体グリーンピースで核問題に取り組んでいる私にとって、桜井さんのインターネット連載「市民的危機管理入門」(電子週刊誌『東京万華鏡』、インサイダー社刊)は、迷路に迷い込んだ私自身を上方から見透かすことのできるガラス張りの部屋のようなものです。難解な原子力の問題を前に、途方にくれる私に「真の問題点はどこにあるのか」を示し、産業界全体を技術論的に見た場合の確かな視点を提供してくれるのです。私の「メル友」でもある桜井さんは、市民団体の集会などでもパネリストとして意見を述べてきた市民科学者です。故・高木仁三郎氏は、市民科学者のなすべきことは、「未来が見えなくなった地球の将来に対し、未来への道筋をつけて、人々に希望を与えること」としています。市民科学者としての道を歩んでいる桜井さんのご活躍を期待し、本書を推薦します。
(3)アカデミズムに依らない独立独歩の思想家 山田豊(朝日新聞社編集委員)
現場にこだわる、混乱の中から問題の本質を掴む、市民の側に立って専門知識を活かす-桜井さんはずっとそうやって、技術や安全の問題に向き合ってきた。 その桜井さんが、技術の現場でリアルタイムに考えてきた軌跡がまとめられることになった。著作集にはそのような、渦中での生の発言が収録されている。問題に社会的な結論が出されていない時点ではっきりものを言うことは、発表者にとって危険を伴う。しかしそのような発言こそが事態に形を与え、状況を動かしてきたことが読みとれるだろう。アカデミズムに依らず、自分の持ち場から考え抜くことで築き上げられる社会観には、物事が終わって高みからものを言う人たちにはない、勁さと個性とがある。少数ではあるがいつの世にも日本にそんな人たちがいた。桜井さんはその系譜に連なる独歩の思想家である。
(4)傾聴すべき人間論と技術論 渥美好司(朝日新聞社大阪本社科学医療部部長)
私は1990年ごろから旧ソ連・ロシアの原子力施設の事故現場に何度となく足を運ぶようになった。そのきっかけの一つが桜井さんへの取材である。 当時、旧ソ連型原子炉の危険性について膨大な報道がなされていたが、目新しいデータはほとんどなかった。そんなとき、桜井さんが来日した旧ソ連の技術官僚から圧力容器の加工データを手に入れ、炉の「破壊確率」を計算していると聞き、取材した。危険性の内実をみごとに数値で示してくれた。その後、国内外で原子力施設の事故や不祥事があるたびに桜井さんの評価を傾聴するようになる。長年、原子力の安全評価に携わってきた専門家として分析力は、複雑多岐にわたるさまざまな巨大システムの弱点を、緻密な論理と簡潔な文体でえぐり出す。著作集はその分析力を遺憾なく発揮した技術論であるだけでなく、システムの開発と運用にかかわった科学者、技術者、官僚、政治家たちの思考や行動パターンの深層に切り込んだ人間論でもある。
(5)武谷三男、高木仁三郎に連なるフリーランス科学者 吉岡 斉(九州大学大学院比較社会文化研究科教授) 桜井さんは日本では数少ないフリーランス科学者である。官・産・学の研究教育機関に身を置かず、独立の立場で長年にわたり、原子力発電の安全性などについて、分析と提言を行ってきた。その論説の特徴は現場の生の情報にもとづいて議論を組み立てている点にある。過去の偉大なフリーランス科学者として、私が真っ先に思い浮かべるのは、武谷三男と高木仁三郎の両氏である。武谷氏は敗戦後から1960年代まで、理論物理学の第一線で活躍するかたわら、科学・技術論壇のスーパースターとして原子力問題など多様な問題を縦横に論じた。高木氏は1970年代初めに大学助教授の地位を捨ててのち、四半世紀にわたり原子力問題に取り組み、原子力資料情報室というNGOを育て、晩年はミスター脱原発とも呼ばれた。桜井さんはその系譜に連なるべく研鑽を重ねてきた人である。桜井さんの論鋒・舌鋒は鋭く、ときに読者を震撼させるが、それは利害関係の網の目の中で周囲の人々に配慮せねばならない職業科学者には真似のできない鋭さである。
(6)検証と洞察に基づいた未来の道筋 飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
日本社会はハリウッドのようだ、という。表は美しく飾られているが、ウラに回ると急ごしらえの張りぼてで、内実は空っぽ-近代技術の粋を装いながら、お粗末な事故を繰り返しているだけである。破綻している核燃料サイクル政策を軌道修正できない日本の原子力政策はその代表的な例だろうし、日本が「国策」として追求してきた巨大技術はいずれも同じ構図に収まるといえる。桜井淳氏は、その「内側」で研究や技術の最前線に一研究者として留まりながら、本質を鋭くえぐる独自の「桜井技術論」を展開してきた。しかも桜井技術論は、現場の丁寧な検証と研究者としての深い洞察に基づいているため、「向こう側」にも「こちら側」にも高く評価される希有な位置を占めている。一連の桜井技術論を見渡すと、日本の、とくに「国策」技術がハリウッド的であることがよく描き出されている上に、その虚ろな内実を埋めていくための、未来への道筋も指し示しているといえよう。
(7)ほんとうの専門家 柴崎昭則(尚美学園大学非常勤講師)
桜井さんは、主として新聞や月刊誌、週刊誌といった一般読者向けメディアで、自らの技術評論を発表してきた技術評論家である。一般読者向けメディアでは、なによりも「わかりやすさ」と「見通しの確かさ」が求められる。むずかしいことをむずかしく語り、ああでもないこうでもないとあやふやな見通ししか示せないような原稿は、まったく歓迎されないのだ。桜井さんが1980年代末以来、一般読者向けメディアで活動できたのは、わかりやすく、確かな見通しを持った論文が書けるからだった。専門的なことがらを“非専門家にも通じることば”で伝えられる専門家は、実はあまり多くない。その意味で桜井さんは、専門家のなかでも稀有な存在であり、まさに“ほんとうの専門家”であるといえよう。この著作集は、桜井さんの執筆活動の一里程標である。知的好奇心にあふれる一般読者はもとより、専門家を自認する人たちにこそお薦めする。
(8)科学技術社会論の実践 佐藤国仁(会社社長)
桜井淳氏は技術評論家として紹介されることが多いが、その仕事は、単なる技術評論に留まるものではない。社会にあるシステムを科学・技術の専門家の視点において分析・評価し、世論形成に役立たせることがその主たる務めである。彼はこの仕事を「科学技術社会論」と定義する。したがって、桜井氏の仕事は、「科学・技術専門職としての専門能力に基づいて問題の所在を発見し、解決するもの」であるとも見なせる。このように見れば、この仕事は、科学・技術専門職の職業倫理の実践でもある。彼は主として原子力発電の分野で実績を上げているが、その問題意識・方法論は、科学・技術専門職のすべての業務に適用できることとなる。これからの専門職倫理において「科学技術社会論」の視点が必須となるだろう。桜井氏は、13年間に1000編の小論・論文を発表し、そのうち、誤記は4編のみとしている。これは、科学・技術専門職としての矜持に基づく主張である。
(9)時代が必要とした「桜井淳」 斗ヶ沢秀俊( 毎日新聞社科学環境部デスク)
1991年、毎日新聞に「技術論を寄稿したい」という電話がかかってきた。名前を聞いて、「知らないな」と首をひねった。当時はまだ「技術評論家・桜井淳」の名前は原子力業界を除くと、ほとんど無名だった。数日後、社内の喫茶店で会った。桜井さんは新幹線など巨大システムの安全性について、例を挙げて具体的、かつ論理的に話した。「いける」と、私は思った。論文「崩壊する巨大システム」はまもなく毎日新聞文化欄に掲載され、桜井さんは全国紙デビューを果たした。その後の活躍はあえて説明の必要がないだろう。原子力や宇宙開発など日本の現代技術全般や危機管理のあり方について、桜井さんは多様なメディアを通じて、縦横に論じた。相次いだ原子力施設の事故やロケットの打ち上げ失敗、日本の技術基盤の空洞化など、事態を理解するために桜井淳が必要だったという時代状況も、桜井さんに幸いした。刊行される著作集は、90年代から21世紀初頭の日本の技術史を理解する上で、必須の書と言える。実証的で論理の貫かれた文章は、読者を十分に納得させるだろう。そして、論文に示された視点と提案は日本の技術を再生、発展させる道筋になるに違いない。
(10)海外での活動と創作家としての一面 榛名 遥(作家、サンフランシスコ在住)
評論家や作家でも、長年月書き続けないと著作集の刊行はむずかしい。それなのに、たった15年で実現したのだからおどろきである。著作集と言えば、普通、過去の著書を収録するものであるが、それらをいっさい含めずに、単行本未収録の論文だけで構成されているところが本書の目新しさだろう。桜井淳氏の評論のすぐれた点は、工学や理学の伝統的な学問的業績を基にして新たな安全論や技術論を築きつつ、誰にでもわかる言葉や表現で本質を鋭く突き、産業事故全般を網羅するほど幅の広さを示したことではないか。そのせいか、日本だけでなく、世界の主要な新聞や雑誌からのインタビューにも応じ、3年前からは米国の大学で講演もしている。著作集には、小説を意識して展開した「科学技術社会論ノート」や「市民的危機管理入門」も収められており、技術論だけでなく創作家としての一面をも覗き込める。その仕事は、先端技術ばかりか、現代社会をも包摂しているのだ。