大分県の教員採用をめぐる汚職事件で教育行政に対する不信が広がっている。教育の地方分権は当たり前だという空気が教育界には根強いが、本当にそれは正しいのだろうか。大分の事件は教育の地方分権の危うさを象徴しているのではないだろうか。学校教育の監督・指導を行うのは、直接的には設置者である都道府県および市町村教育委員会である。都道府県立の高校はそれぞれの都道府県教委が一括して学校管理・任免権を有する。小中学校の場合は、学校管理を市町村教委が行うが、教職員の任免権限は都道府県教委で、指導要領は国が基準を作るという二重三重の構造で、都道府県と市町村の教育委員会の間に教育事務所が入るなど、責任の所在が曖昧である。国が教育内容を定め、自治体が学校を管理するという構造によって世間一般に思われているほど文部科学省の目は現場には届かない。
おまけに平成12年に地方分権推進の流れから、文部大臣が教委に「指導、助言又は援助するものとする」との規定は「指導、助言又は援助を行うことができる」と改められ、「適正を欠き教育の本来の目的達成を阻害していると認めるときは、是正措置をとることができる」との規定は削除された。教育基本法改正の論議の最中に発生した北海道滝川市の小学校6年女子児童の自殺では、いじめを示す遺書が公表されず、福岡県筑前町の中学2年の男子生徒の自殺では、学校、筑前町教育委員会、福岡県教育委員会は文部科学省への報告を一向に行わず、現地調査に訪れた小渕優子文部科学省政務官、山谷えり子教育再生会議事務局長の学校訪問を拒絶するなど隠蔽体質が際立っていた。
そのことへの反省から地方教育行政法(地教行法)の改正で、失われた文部科学省の是正指導権限も一部回復されたが、各地で行われた地方公聴会でも「国の権限強化は地方分権に反する」と反対意見が根強かったことを踏まえ、結局、生徒らの「生命を保護する必要が生じた場合」や「教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」に限定されてしまった。都道府県教委の業務を指揮する教育長の選任はかつて国の承認を必要としたが、それぞれの議会に承認を受けることも変わっていない。あくまで主体は自治体であり、国は都道府県、政令市教育委員会に助言や援助、指導ができるという枠組みはそのままである。安倍内閣のとき、50年ぶりに改正された教育基本法と関連法である所謂、教育3法(学校教育法・地方教育行政法・教育職員免許法)によって教育はよくなると文部科学省は強調していたが、実際のところそうは思えない。首相の諮問機関である教育再生会議は「教委の閉鎖性や責任感のなさ、危機管理能力の不足」を指摘していたが、大分県教委ぐるみの組織的な事件で明らかのように、教訓はまったく生かされていないようだ。
本来であれば大分県の事件で地教行法に基づいて文部科学省が率先して是正に乗り出すべきにもかかわらず、国の存在感は薄い。第三者の介入なしに自浄作用が働くとは到底思えないが、こういうときのための改正ではなかったのか。たしかに不正を許してきた大分県教育委員会にも問題もあるが、全国平均より高率の大分県教職員組合(日教組系)の影響力は無視できない。残念ながら、一連の事件報道では一部を除いてその実態は伝えられていない。数年前、拉致問題の集会で大分を訪れた際に、県庁の近くに建つ赤旗が翻った自治労のビルを見て驚いたことがあるが、保守王国が多い九州にあって大分県は“特異”な地域だと地元在住の知人はいう。日教組組織率の全国平均が3割に低下しているにもかかわらず、小中学校の加入率は公称「65%」、文部科学省記者クラブ担当時代に大分県の日教組問題を取材された正論編集部の川瀬弘至氏の入手した当該教委の資料では「88%」。高等学校についてはアンチ日教組の大分県公立高等学校教職員組合(大分公高教)が日教組系の高教組と拮抗している。
この県では、とくに小中学校は日教組に加入していなければ出世できないようになっているという。組織率の高さは教育内容への影響力に反映されており、他の都道府県であれば保護者などから批判を招きかねない偏向教育が罷り通っている。
平和教育については発売中の『正論』9月号の川瀬氏論考をお読みいただくとして、性教育もかなり酷いものがあった。昨年12月14日の大分県議会一般質問で自民党の渕健児議員が高校や小中学校で行われている過激な性教育について知事の見解を質している。渕議員が示した性教育の内容は次の通り。
実例の一、大分市内の小学校です。「小学校一年生に、一人一人に鏡を持たせて、自分の性器を見る授業をしている」と、PTA指導者研修会の性教育分科会でその学校の教頭が誇らしげに発表した。
実例の二、大分市内の小学校六年生の授業。女の担任教師が男女性器の大写しした絵や男女の性器が結合した性交図を見せ、性器の各部位の名称を覚えさせたり、女子の生理、男性の勃起、射精など男女一緒に教えている。
保護者の話として、「科学的、医学的な性知識が必要と聞こえはよいが、結局は、学校の中で卑わいな話、不快な話を生徒に強要しているだけのことではないのか」と疑問の声が上がっています。
実例の三、県内中学二年生の授業。「自分らしく生きる」という人権学習で、エイズについての授業があった。同性愛者への偏見をなくそうということで、人の価値観はさまざま、お互いに認め合おうということを先生が話していた。定期的に生徒に渡るプリントには、両性具有者や同性愛者、性転換者の話題が大変多く、女装した男性の写真や性転換をした実録本を紹介。「人はそれぞれ生き方があって、自分らしく生きる。すごい」と、子供たちが同性愛者へ感心している感想文も掲載しております。
自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリープロジェクトチーム」の纏めた県別事例集でもこういった大分県で行われている性教育の事例が数多く報告されており、県議会での指摘を受け、大分県知事も衝撃を受けたとの答弁がなされ、教育長も児童生徒の発達段階に応じた適切な指導を約束することとなった。
大分県教委は現在も大分県教組と人事などついて協議を行っているといい、「あらゆる分野を教職員組合が牛耳っている」(産経新聞平成20年7月10日)といわれる。
意外だったのは、共産党機関紙「しんぶん赤旗」(平成20年8月8日)が大分の教職員の声として「教組と教育委員会のなれあいは何十年も続いている。組合推薦を受けないと管理職になれない」ことを報じていることだ。
大分県は日教組の支持を受ける旧社会党系議員の影響力が強いといわれ、教育委員会事務局も日教組出身者ばかりとなれば、正常化を期待するほうが無理であろう。
町村信孝官房長官は文部大臣の職にあったとき参議院予算委員会で、地方教育行政のあり方についてこのように答弁している。
「文部省から地方へ権限を移していく。地方の教育委員会もできるだけ学校の現場へ権限を移していく。学校の現場中心に生き生きとした教育がやれるように、地方分権の大きな流れのなかで文部行政を展開していきたい」
大分県の実態は嘗て町村官房長官が述べた「生き生きした教育」と明らかに矛盾する。
教員採用汚職事件を受け、大分県教育長は大分県内の児童・生徒約9万8700人に「皆さんやご家族の信頼を裏切ることになり深くおわびします」との謝罪文を配布したが、このままでは、トカゲの尻尾きりで終結させられてしまうだろう。
組織ぐるみで不正を行い教育行政に対する信頼を貶めた罪は大きい。いま一度、教委と教組の癒着を温存させ、責任の所在を曖昧にしてきた教育の地方分権を考え直すときではないだろうか。
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