70歳を越えて「孤児」と言われるのは辛い。それでも自分がどこで生まれ、だれの子か分からないまま老いていくことを思えば、戦後63年もたってからの身元判明はうれしかったに違いない 肉親捜しに一時帰国した中国残留孤児の秦永珍さんが、山形県出身の高橋定子さん(73)とわかった。北海道に住む同い年の従姉妹が「似ている」と証言したが、本人は記憶がなく対面にも戸惑ったという 8歳の時に旧満洲に渡り、家に「高橋」と書かれた表札があったのを覚えていたという。それだけの記憶がありながら、どうして73歳になるまで訪日が実現しなかったのだろう 幼いころの記憶はどこまで遡ることができるかは人それぞれだが、8歳なら相当の証言ができたはずだ。高橋さんの大切な記憶はほとんどが失われていた。思い出したくない記憶のヤミがあったことと想像するのである 中国残留孤児の訪日調査が始まって既に30年に近い。孤児本人どころか二世三世の暮らしが問題になる時代である。が、まだまだ様々な事情を抱えた「高齢の孤児」がいることを日中両政府は重く見なくてはなるまい。
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