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Part1:西明石&相生

2008年11月17日

昭和39年(1964年)、東京オリンピック開幕直前の10月1日に華々しく開業したのが「東海道新幹線」。その日の興奮を私は今も忘れられない。最高速度は世界一の時速210km、東京~新大阪間は「ひかり号」で4時間、というまさに「夢の超特急」の誕生だった。当時、私は10歳で長野の山奥の小学5年生。新幹線開業のニュースが流れる白黒テレビのブラウン管を食い入るように眺めたものだ。「夢の超特急」に乗る日を夢見て。

それから44年もの歳月が流れた。新幹線は、北は八戸、南は博多、さらに八代から鹿児島まで延伸し、最高速度は300kmまでアップした。最新鋭のN700系「のぞみ号」は東京~新大阪間をわずか2時間25分で疾駆する。けれども、それは“夢”などではなくなり、ごく当たり前の現実となっていた。そして「夢の超特急」という言葉自体、忘れ去られようとしていた。

ところがである。今年11月30日をもって、0系新幹線の引退が発表された。東海道山陽新幹線の主役は、初代0系から100系、300系、500系、700系を経て今日のN700系へと世代交代してきたが、今もわずか数本が山陽新幹線「こだま」として活躍していたのだ。その瞬間、私は無性に0系新幹線に会いたくなった。あの卵顔の0系こそ、子どもの頃の憧れの的だった「夢の超特急」なのである。

かくて新大阪駅を朝6時12分に発車する山陽新幹線「こだま629号」に乗車する。山陽新幹線の19駅に律儀に各駅停車しつつ博多まで完走する、0系「こだま号」である。そこで私は各駅停車「こだま号」に敬意を表し、新神戸、岡山、広島といった「のぞみ号」が停車するビッグターミナルは無視し、ひたすら「こだま号」各駅停車の旅を楽しむことにした。

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