レジ袋の有料化は、ただの宗教みたいなものにすぎない。そのことを明らかにする。(前項の続き)
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(本項は、実際の掲載日は 11月23日です。)
レジ袋の有料化については、すでに何度か述べてきた。下記のように。
レジ袋の有料化
「レジ袋有料化というのは、何らかの実効性を求めてなすものではなくて、一種の宗教なのである。その宗教は「省エネ教」という名前の宗教だ。」
ゴミと分別
「ただの精神論ですね。環境保護なんか、どうでもいい。要するに、自分たちの運動のために、レジ袋を利用しているだけだ。」
エコの意味は?
「レジ袋をやめて、マイバッグを利用したって、それによって無駄な買物を大量にしている限り、ちっとも省資源になっていない。」
廃棄食品と省エネ
「レジ袋を1枚か2枚ほどやめて石油を節約したところで、食品を廃棄してしまえば、レジ袋何十枚分も石油を浪費していることになる。まさしく、尻抜け。」
石油節約
「現状では、トラックが一台ずつ、レジ袋 20000枚分の石油を浪費する。その間に、無駄なことをしたい人は、レジ袋を10枚だけ節約してください。」
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さらに言えば、昨今の経済政策もある。
・ 民主党 …… 高速道路の完全無料化
・ 自民党 …… 高速道路の週末無料化
こんなことをやって、自動車を大量に走らせれば、それだけでレジ袋の何百倍ものガソリンが浪費される。いくらレジ袋で節約しても、まるで尻抜けだろう。
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さて。ここまでの話は、何度も述べた内容だから、目新しくもないだろう。「またか」と思う読者もいるだろう。 (^^);
肝心の話は、このあとだ。
「レジ袋有料化というのは、何らかの実効性を求めてなすものではなくて、一種の宗教なのである」
と述べた。では、なぜ、そう言えるのか? その根拠を示そう。
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もちろん、第1は、次のことだ。
「実効性がないこと」
つまり、全体の 0.1%の節約ばかりをやろうと運動して、他の 99.9%の浪費をしているのを、無視することだ。( → レジ袋の有料化 )
しかし、実は、これはただの「愚かさ」「非科学性」であるにすぎない。いかにも馬鹿げたことではあるが、それは、おばちゃん連中の非科学的なたわごとだと見なせる。(科学的な発想ができないのだろう。物事を感情ばかりで論じる。)
そこで、第2に、次のことがある。
「他人に強制すること」
実は、ここに、宗教性がある。そのことを、詳しく述べよう。
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私はしばしば、朝日を批判して、
「読者を煽動する記事を書くな」
「世間を洗脳しようとするな」
と論じる。ここで問題となるのは、朝日の次の態度だ。
「読者の自由に任せずに、読者を自分の信じる特定の方向に行動させようとする」
これは、新興宗教の強引な勧誘と、そっくりだ。
「いっしょに宗教活動しましょう。楽しいですよ。救われますよ。気分がいいですよ。まあ、とりあえず、一回だけ参加してみませんか」
こういうふうに強引に誘って、人々を自分たちの仲間に連れ込もうとする。ほとんど「 拉致 」に近い。
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ここまで述べれば、わかるだろう。
「レジ袋有料化というのは、他人の行動を特定の方向に強制する」
という性質を帯びる。換言すれば、こうだ。
「レジ袋有料化というのは、資源節約や環境保護とは別のことをめざす」
仮に、資源節約や環境保護をめざすのであれば、ストレートに「石油節約」を唱えればいい。
そして、そのためには、「環境税」の形で、石油や石炭や天然ガスなどのエネルギー資源全般に課税すればいい。そうすれば、資源節約や環境保護の効果がまさしく生じるだろう。
しかし、レジ袋有料化の論者は、そういうことを認めない。彼らは、資源節約や環境保護など、どうでもいいのだ。ガソリンをいかに浪費しようが構わない。食品廃棄でいかに大量のエネルギーを無駄にしようが構わない。また、アマゾンの原生林が伐採されようが、日本の天然林が減ってしまおうが、それも構わない。地球の砂漠化など、知ったこっちゃない。彼らにとって大切なのは、自分の手にあるレジ袋だけなのだ。
つまり、資源や環境に影響する広い範囲のなかで、たった一つ、レジ袋(と炭酸ガス)だけに着目する。そして、それだけを減らすことが、至上命題となる。……これはもはや、ほとんど宗教的な思考法である。
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例。
あなた 「暇だから、何かしようかなあ。テニスかゴルフでもやろうかな。それとも、社会奉仕で、ボランティア活動でもしようかな」
彼ら 「いえいえ。そんなことは無意味です。大切なのは、神様のために働くことだけです。私たちといっしょに、神様のために奉仕しましょう」
例。
あなた 「資源節約や環境保護のために、何かしようかなあ。自動車のドライブのかわりに自転車でサイクリングしようかな。石油を3リットル節約できるぞ」
彼ら 「いえいえ。そんなことは無意味です。大切なのは、レジ袋の節約だけです。私たちといっしょに、レジ袋の節約のために励みましょう。石油を3グラム節約できますよ」
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こうして、レジ袋節約の強制性がわかるはずだ。ある特定の一つの方向に進むことだけが至上命題である。資源節約や環境保護のために別のことをすることが認めない。進む方向の自由さを剥奪して、自分の信じる特定の一つの方向だけに進ませようとする。
ここには宗教性がある。それは、資源節約や環境保護を目的としていないし、相手の行動の自由さも奪い取る。そして、自分の信じる特定の一つの方向だけに進ませようとする。
新興宗教も同様だ。「あなたの心を救います」と主張しながら、そのために相手の自由さを認めない。他の宗教を取ることを認めず、自分の信じる特定の宗教だけを選ばせようとする。「あなたの心を救います」というのは、口先だけの名分にすぎない。つまり、だましているわけだ。詐欺同然。「あなたの心を救います」と語りながら、本当は、「あなたの心を私たちのために奉仕させようとしている」にすぎない。
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これが「レジ袋有料化」の本質だ。それはただの宗教的な運動にすぎない。
彼らが本当に「レジ袋の節約」を目的とするのであれば、「レジ袋有料化」を唱えることはない。かわりに、「レジ袋の不使用」を自発的にするように促すだけでいい。
具体的に言えば、こうだ。
「レジ袋が不要のお客様にはスタンプ1個。スタンプ20個で百円のお買い物券進呈」
ここには、行動の自発性がある。こういうふうに自発性のある運動であるならば、「レジ袋の節約」と認められる。(効果は微小であるにすぎないが、やること自体は少しも悪くはない。)
こういうのは、やりたい人は、勝手にやればいい。また、こういうのを馬鹿らしいと思う人は、レジ袋のかわりに、別のところで節約すればいい。(電気やガスのガソリンの節約ならば、レジ袋の何十倍も節約できる。利口な人ならば、そうする。)
しかしながら、「レジ袋有料化」論者は、そういう自発性を認めない。ガソリンで3リットルを節約するのを認めず、レジ袋で3グラムを節約することだけを強制する。
こういうふうに、自発性や実効性を否定して、単に一つのことにこだわること。そこには盲目的な狂信性がある。この狂信性こそ、いびつな宗教性である。
「レジ袋有料化」論者は、そういう狂信性・宗教性を帯びている。(この狂信性は、一種の精神病に似ている。執着的。)
[ 付記1 ]
「レジ袋有料化」論者は、こう主張する。
「資源を節約しなくていいのか? 炭酸ガスを減らさなくていいのか? そんなことだと地球温暖化になるぞ」
と。その非論理性も、本項から明らかになるだろう。
資源の節約を狙うのであれば、レジ袋を節約するのでなく、石油を節約すればいいのだ。そして、そのためには、「環境税」をかけて、石油など全般に課税すればいいのだ。
あえて 0.1%だけのレジ袋ばかりにこだわるヒステリックな主張は、ただの精神病的な主張にすぎないのである。
(潔癖性の精神病患者に似ている。「手を洗わなくちゃ、手を洗わなくちゃ」と一日に百回も二百回も手を洗う。特別のことばかりに目が向いて、それ以外のことを科学的に考えられなくなってしまっている。実にそっくりだ。)
[ 付記2 ]
余談だが、こういう狂信性は、とても恐ろしい。最終的には、次のように主張しそうだからだ。
「石油を浪費するあくどい連中を、すべてガス室に送り込んでしまえ。そうすれば彼らはもう石油を浪費しなくなるだろう」
これは冗談だが、とても冗談だとは思えなくなってくる。彼らはそれほどにも狂信的なのだ。まずは5円の税をかける。次に百円。次に1万円。最後には怒って、死刑にするだろう。
「レジ袋の節約のために、それをを守らない悪党どもを縛り首にしてしまえ」
昔、「生類憐みの令」というのがあって、「お犬様」を粗末に扱った町民を、重罰に処した。
現代の人々は、それを馬鹿げたことだと笑っているが、今や、「お犬様」ならぬ「レジ袋様」というのが、同様に尊重されているのだ。これを粗末に扱った市民は、大々的に非難されるハメになる。狂信者たちから。
2006年01月31日
◆ レジ袋の有料化2
posted by 管理人 at 16:40
| Comment(1)
| エネルギー・環境1
(1)
例(宗教の勧誘の話)が、配置がおかしくなっていたので、修正しました。
(2)
末尾に、生類憐みの令の話を加筆しました。
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