« 2008年10月 | トップページ

追記

コメントで質問の多かった次の3点について追記しておきます。

Vect200811180800cvg


■どうして出航したのか?

僕はシーカヤックでの出航前は気象庁発表の「天気図」「24時間予想天気図」「海上気象予報」にてその海域の風、天気、視程、波をウォッチしています。カヤッカーだけでなく、サーファーや釣り人にとってもこれは常識だと思っています。

これに加え、第三管区の「海洋速報」と海上保安庁海洋情報部の「潮汐情報」を随時参照します。そして今回は相模湾の旅だったので、同じく海洋情報部が公開している「海洋短波レーダによる海流データ」の中から「相模湾の海流分布図」と「伊豆諸島周辺の海流」(3時間ごとの詳細なデータが公開されています)を参照していました。基本的にこの3点を最も大きな出航の判断材料にします。

海図は日本水路協会の「M503」を使い、同時に陸の地形を参照できるようにしていました。シーカヤックはヨットと違い、マリーナや漁港ではなくビーチに上陸するのが(周囲に迷惑をかけないし、上陸が安全な)ベストな方法です。そのために海水浴場やゴロタ浜の位置が判るものを使うのです。

これと併用して手元のGPSには「Japan Blue Chart・日本航海参考図」と「Japan TOPO 10m・日本地形図10m等高線仕様」をインストールし、海と陸の状況を漕ぎながら常時ウォッチしていました。またサポートの車はカーナビとワンセグテレビを備え、上陸や合流点探し、定時の情報集め(天気予報)ができるよう準備してあります。これらが状況判断のベースになりました。

今回のツーリングでも真鶴半島を回り込む時には北東の風がなかなか落ちませんでした。数時間なら止みそうな場合も何回かあったのですが、なにしろソロだし、犬連れなので毎回大事をとり、悪い予報が出ている限りは、一切海には出ませんでした。とにかくプロの予報には充分に耳を傾ける。ビビるぐらい慎重に進む。それが僕らの基本です。そのためここでは一週間も停滞をしました。しかしシーカヤックの旅ではよくあることです。

ただし野宿の旅の場合は途中で十分な情報が確保できないこともあります。前日の川奈のビバーク地ではインターネット環境がなく、前夜のラジオの天気予報とテレビの天気予報、ケータイで見る天気図の情報が判断材料になりました。現地では北東は32時間前から止んでおり、翌日も昼間は晴れ、午後遅くになって西日本から徐々に崩れ始める。翌々日は全国的に雨となり寒さが増す、という予報でした。

翌朝7時に観察すると、東伊豆は薄曇りで無風でした。海面も穏やかで、山の上の木々を見てもまったく動いていません。僕は「予定通り出航し、様子を見ながら南下して行こう」という決定をしました。
出航した川奈港は北北東に向かって開いた港です。通常この時期の風は北東です。その風上に向かった湾内が非常に穏やかで、小高い位置にある小室山や予望島の木々もまったく動いていなかったことが安心感を与えました。また午前8時の海流図を見てもらえばわかる通り、この時点で川奈周辺は、海流の動きや、風の影響による波はまったくありませんでした。出航を迷う材料はこの時の僕にはなかったのです。
(のちにこれが間違いだということが判明しました)


■どうしてエスケープ地を設定しなかったのか?

していました。この日は天気予報で天気が下り坂にあるということで、移動予定距離を短く設定しました。そのため片瀬海岸が目的地です。また、このあたりは断崖絶壁が続いてエスケープゾーンが極端に少ない、見るからに怖い場所です。そのために僕と仲間のヤマダマコト(カメラマンで陸上を車で移動)は、1富戸港、2八幡野港、3赤沢、4北川をエスケープ予定地に設定し、まずはマコトが先行して現地の様子とカヤックが安全に上陸できるかどうかを確認することにしました。連絡方法は携帯電話を使いました。(無線機も持っていましたが使いませんでした)

8時40分過ぎに出航。川奈崎を回り込んで外洋に出ると川奈の沿岸は小さな三角波がザワザワしていました。断崖絶壁の返し波と沖からの波がぶつかって非常にイヤな感じです。かなり緊張感の高いカヤッキングでした。しかし天気はよく、川奈カントリークラブの木々やススキもまったく動いていません。「波はいやな感じだが、風は大丈夫だな」と思い、どんどん漕いで行きました。航行速度は時速5〜6km。移動平均は5.5kmほどと、いたって順調です。

のちにこの間のことをマコトは報告書に【この間、私は富戸〜八幡野〜赤川〜北川と上陸できるか、写真が撮れるか先行していた。10時すぎに訪れた八幡野では少し風が吹いていたものの、海はまだそれほど深刻な状況ではなかった】と記しています。

その後10時40頃(?)、僕は富戸港の沖合を回きりました。そこで富戸に入ろうか、それともこのまま城ガ崎海岸を一気に通過し、伊豆高原までいこうか、一瞬判断に迷いました。これまでの巡航平均から割り出せば、あと2時間ほどで片瀬へ到着する計算でした。「おっかないけど、思ったより順調だ」というのが僕の正直な印象。まだ進めるな、と思いました。小さな波が続いていたのでパドルから手が離しにくく(離したくなく)、僕はマコトに電話でこの先の様子を聞けないまま、富戸港の沖合いを通過し、そして吸い込まれるように、城ガ崎灯台下へと入って行ったのです。ただしこの時点では南下する欲はあまりなく「岬回りができるかどうか、海と波の様子を見よう」という心づもりでした。ところが、その海域に入るともうUターンできなかった。そして南西風が吹き始めた……。これが風が吹き始める前の状況です。


■シーカヤック規制がされるんじゃないか?

僕が判断することではありませんが、この件が原因で規制が行われることはないと思います。
救助後の事情聴取で僕は下田保安部・伊東MPSの方にかなりしっかり話を聞かれました。12年間のシーカヤック歴のあいだにどんな海域を、どれぐらい漕いだ経験があるのか、海図や通信やレスキューの装備はどうか、今日の航程と状況判断はどう行ったのか、航行不能になった原因、救助されるまでの様子は……。係官が偶然シーカヤッカーだったということもあり、かなり詳細に、専門的に話をしました。その結果、お灸は据えられたものの、転覆や漂流ではなく、単純な救助要請事故だという判断をされたようです(僕の個人的印象です)
事故後僕は一度伊東МPSにお礼に伺いましたが、この時も好意的に接していただきました。今後の規制や行政上のペナルティについても一切言及はありませんでした。


追記は以上です。

| | コメント (3)

その後

フラッシュバックは少なくなったものの、いまだにひどい恐怖に嘖まれています。自責の念と不安がそれを加速するのか、吐き気と下痢が止まりません。自宅から出れないまま、なんとかこの波をやり過ごしてます。まだ海には近づけない。来月の「フィールドライフ」の連載「PADDLING HOBO」は一回休載することになりました。

このブログで事故報告をしたことで、各方面からいろいろな意見をもらいました。予想通り厳しい叱咤、批判も多く、そのひとつひとつを胸に刻んでいます。読者のみんなに心配をかけ、本当に申しわけない気持です。この場をもって改めてお詫びします。

今回の事故を僕はまずブログで報告しました。
でも今はこのエントリーを再度降ろそうかどうか悩んでいます。反響があまりに大きく、また、概要のみを伝えたことで誤解や行き違いを生んでしいるからです。また、残念ながらコメント以外にも多数の誹謗メールが匿名で届きます。正直それにめげてます。

僕は自分のミスで、自分と家族の命を危険に晒しました。そして一生消えぬ恐怖とペナルティを受けました。しかし助かったあと、家に戻ったあと、身も知らぬ人から届く「調子に乗るな」「迷惑なんだよ」「死ねばよかったのに」という言葉はそれを遥かに越えて僕を苦しめています。

いったいなんで事故の事を書いたんだろう?
いったいなんで自分を晒したりしたんだろう?
なんか、ブログなんかもう止めたい。

それでも先のエントリーを掲載し続けているのは、友人や読者に(人の噂や第3者経由ではなく)直接僕の動向を伝えたいと思っているからです。でも、この先どうするかわかりません。

ただ、先のエントリーを取り下げる前に、コメントで関心の大きかった何点かついて、のちほど追記しておきます。

では。

| | コメント (11)

生還しました。

2008年11月18日。午前11時すぎ。愛犬のラナと伊豆半島をシーカヤックでツーリングをしていた僕は、東伊豆の城ガ崎灯台沖で強い南西風と、それに伴う大波に巻き込まれた。川奈港を出航した朝のうちは無風だったが、あっというまに海上は強まり、風速15メートル、波高は3メートルまで上がった。この状況で航行するのは不可能と判断した僕は、最初のエスケープ場所に予定いていた直近の富戸港に引き返すことを決め、すぐに退避を試みるが、失敗。激しい追い波をかぶってコックピット内が浸水してしまった。

ふたたび反転し、バウを波頭にむけたまま沖合へエスケープするものの、波はどんどん高まり、途中で自力航行不能となる。この間、横波をくらって二度ほど転覆しかかったが、ローブレスで持ちこたえてなんとか浮き続け、漂流した。その後排水作業をしながらハンディGPSで自艇の現在位置を確認。携帯電話で陸上の仲間と「118番」に救助を求める。連絡を受けた第三管区海上保安庁・下田海上保安部の指令で、羽田空港から救助ヘリ、伊東港から小型救助艇、近くの海域からは無線で救助要請を受けた釣り船が出動。午後12時45分頃、僕はラナともども無事に救助された。

風が吹き始めた午前11時ごろから救助されるまでの約1時間45分のあいだ、僕は生と死の狭間にいた。城ガ崎海岸は絶壁に荒波が打ち寄せる難所で、この日も波のサイズは尋常ではなかった。僕はライフガード(水上安全法救助員)の資格を持ち泳力には自信があるが、あの海況で港へ泳ぎ着くのはもう無理だった。カヤックが沈んだら、なにかひとつでもミスをして転覆したら、途中で漕ぎ続けることをあきらめていたら、僕はもう死んでいた。これは大げさな例えでもなんでもない。僕のカヤックは波をかぶって完全に水船となり、助けられた時にはもう腰のまで海面下に沈んでいたのだ……。

僕はまさに九死に一生を得た。

「海をなめている」「スキルと経験の不足」「初歩的な判断ミスだ」今回の海難事故を公表したら、そんな声が殺到するだろう。まったくその通りで、返す言葉もない。僕は愚かで、力も無く、決定的なミスを犯した。いまこれを書きながら僕は自分がなじられている姿がリアルに想像できる。だが、それでも敢えていえば、今回僕がしていたツーリングは冒険ではない。夏の終わりから尺取り虫方式で続けてきたこのツーリングは、ほんとうに慎重に進めていた。海況が冬型になり、西風が吹いたらもう旅は終わりだということもずっと意識していた。でも、ミスを犯してしまった。 だから僕が遭遇したような事故は、どんな人にも起こりうると僕は思う。しかもおどろくほど簡単に……。だから僕はこの海難事故を隠すのではなく正直に報告し、「海ではこんなにもあっさり人が死ぬ」ということをちゃんと伝えなきゃならないと思った。それが生き延びた者の義務であり、こうして助けてもらったこの命の代償だ。

今は2008年11月19日の正午過ぎだ。

救助されたあと、僕は仲間のカメラマンに抱えられて帰宅し、ひとりになると恐怖と安堵で泣き出した。目をつぶると波が繰り返し繰り返し襲ってきて、震えが止まらなかった。でもそのあと、疲れ果てて眠ってしまった。そしてさっきベッドから起き出し、塩まみれのラナにゴハンをやったところだ。僕もたっぷり水を飲み、食事をとり、今はしっかりしている。 救助されてからまだ24時間も経っていないが、僕は自分をもう一度奮い立たせた。そしてGPSのログデータを海図上に書き出し、携帯電話の通話記録をノートに書き出した。これからキーボードに向かい、事故の一部始終をなるべく詳しく書き出そうと思う。

昨日、僕が死ななかったのはひとえに「運がよかっただけ」だ。でもその反面「自力で生き延びた」という実感もある。運が悪ければ死んでいた。でも運がいいだけでも助からなかった。何回かあった“絶体絶命”をなんとか切り抜けた。それは運ではなく、スキルや、経験や、装備のおかげだった。精神的な態度や、ラナが一緒だったということもある。いろんなことが僕の命を繋いだ。

僕はいま「生と死を分けた分岐点」がどこにあったのか、ちゃんと見極めたいと思っている。そのために、当日の自然の動きも、自力がやったことも、僕のミスも、愚かさも、思い上がりも、正しい判断も、必然も、偶然も、すべてを含めて書き記すつもりだ。思い出すのがすごく怖いから、この作業には時間がかかるかもしれない。それでもちゃんと書き記そうと思う。プロの書き手として、ここは踏ん張らなきゃいけないとも思う。

この文章をいつ、どのメディアに発表するかまだ決めていない。遠い将来になるかもしれない。でもいつの日かどこかできちんと発表し、多くの人に読んでもらいたいと思っている。そして今後もアウトドアの楽しみや、シーカヤックで海を旅する喜びが、みんなの中に続いて欲しいと願っている。

このブログを読んでいるみなさん。家族と友人のみんな。僕は生還しました。ラナも元気です。だからもう心配いりません。

そして昨日あの海から僕を救い出してくれた、友人の山田真人君、第三管区海上保安庁のみなさん、富戸漁港のみなさん、本当にご迷惑をおかけしました。もうしわけありません。 そして本当にありがとうございました。このご恩は絶対に忘れません。

2008年11月19日 暖かい自宅にて

ホーボージュン

| | コメント (36)

撤退します

南西の風。大波
城ケ崎沖で僕の限界を越えました。
生還しましたが、ここでこの旅を中止します。

海へはしばらく出ません。いろんなことを考え直します。
原稿を書くことを含めて。


***HOBOJUN***

| | コメント (4)

川奈上陸

川奈上陸
今日は天気もいいし、風もなく最高のカヤック日和。
ごきげんでした。

川奈に上陸し、ラナといろいろ探検。
いまはドレイ長のヤマダマコトにピックアップされ、伊東で銭湯と飯屋とビバーク地探してます。

どこかオススメあったら教えてねー。

***HOBOJUN***

| | コメント (1)

網代上陸

網代上陸


冷たい雨の中、網代に上陸した。
とりあえず、目の前の温泉に飛び込む。これだから伊豆はいい。
最高!

で、これからメシなんだけど、さっき海の上で、「網代近辺でどこかうまい店知らない?」と友達のシャチ(30代女子、食いしん坊)に電話したら、ほんの数十秒でこんなメールが届いた。

……………

網代から熱海に戻る途中左手135号の味くらべは魚料理。網代から宇佐美にむかって右側のログハウス「シーガル」はパスタとカレー。伊豆多賀あたりは多賀そば(16時まで)かうなぎの「館」があるよ。多賀そばがイチ押しだけど間に合わないねえ。がんばってこげ!

……………

コイツは関東一円のおいしい店を暗記してるのだー。
スゲ〜。
食いしん坊万歳!


***HOBOJUN***

| | コメント (4)

かつかれー

かつかれー
熱海に上陸中。
お昼ご飯です。

***HOBOJUN***

| | コメント (2)

また旅

ラナとのシーカヤック旅を再開しました。
でも天気があまりよくなくて、パラパラと雨が降り出した。昨日まであんな暖かかったのに、ついてないなあ…。

でもこれもまた旅です。
***HOBOJUN***

| | コメント (2)

一時退避

寒い!!!!
なんかもう、冬だね、冬。
ずぶ濡れでシーカヤックなんか漕いでる場合じゃないぞ!!!
指先が凍えて半べそ状態だ。

この数日間、北東の風がとても強く、
僕の旅はまったく思い通りにならなかった。

「なんとか突破できないか」という思いを
必死でこらえて、いまも一時退避している。

Wind is not a liver.
海をなめてはいかん。

-----------------------------------

【東京海上気象予報】

10日19時00分発表
【関東海域南部】

■海上強風警報継続中

■今日~明日
風 北東 30ノット(15メートル) 今後18時間以内に35ノット(18メートル)
天気 曇一時雨 後 時々雨
視程 3海里(6キロ) 所により1海里(2キロ)以下
波 3メートル 後 5メートル

■明後日
風 北東 40ノット(20メートル) 後45ノット(23メートル)
天気 曇時々雨
視程 3海里(6キロ) 所により1海里(2キロ)以下
波 6メートル 後 8メートル

----------------------

もしかしたら、しばらくダメかも……。

| | コメント (6)

ラナと旅に出ます。それからビーパルのこと。

2

おいっすジュンです。
今夜の夕飯はコンビニ弁当でした。
(……と、しつこく夕飯ネタを続ける(笑))

でも食っているあいだに6件も電話が入り、
いったい何を食ったのか、もはや記憶にありません。

この両日は『モノマガジン』と『山と渓谷』の校了が重なり、
なんかもう大変なことになっているのです。

まあそれはともかく、明日からしばらくのあいだ、
ラナとふたりで旅に出ます。
ラナ丸(シーカヤックの名前ね)に乗って、
行けるところまで行くつもりなのです。

じつはこの旅、始めたのはずいぶん前です。
でも途中で重大なハプニングに見舞われ、中断しました。

先日BE-PALの「オフザロード」に書いていたのは、
じつはこの旅のことでした。

で、けっきょく僕は再びこのラナとの海旅を再開することにしました。
やっぱりラナともっと遠くへ行ってみたい……。

そんなこんなの諸事情で「オフザロード・犬連れシーカヤック旅篇」は
複数回の連載になりました。

ということで、掲載は12月号から。
今週発売の11月号には僕は登場しません。
楽しみにしていた読者のみなさん、ごめんなさい。

でも、連載は楽しみにしていて下さいね。

では。

| | コメント (2)

今夜の夕飯・2

おいっすホーボーっす。
今夜は風が寒いので、ラーメンを食べに行きました。

わざわざ車を飛ばして出かけた先は、東京、蒲田。
日本でいちばんカッコイイ名前のお店です。



噂には聞いていました。
背油ラーメンの本場、新潟・燕三条の超有名店の東京店。
麺が見えないほどの背油、煮干しの効いた魚介系スープ、
そして極太のちぢれ麺……。



けっこう「覚悟」して行ったんだけど、普通に美味しかった。
くどくもなく、やりすぎてもいない。
きっとまた食べたくなると思います。


……なーんて「いかにもブログ」っぽいエントリーを書いてみた。
どう?

……だめだな。
やっぱ、どうでもいいよ。オレの夕飯なんて。

さて。

帰り道は、ますます風が強くなった。
今はもう真夜中で、外はビュービューだ。

明日は朝からカヤックで海に出る。
ちゃんと帰ってこれるかな?

***HOBOJUN***

| | コメント (5)

« 2008年10月 | トップページ