★製薬業界を襲う、営業革新の嵐(上) 


ネットを介して情報提供■

 1年前の10月11日に、厚生労働省が「プロペシア」という男性型脱毛症の新薬発売を承認した。同じ日、発売元の万有製薬は、インターネットを介した情報提供サービスをスタートさせた。

 この薬は、医療用だから、医師の処方があってはじめて、薄毛で悩む男たちの手に渡る。そこで、暮れに予定される発売までのマーケティング・ターゲットは、全国で25万人を数える医師を中心とした医療従事者である。万有は、そのためのツールとして「MR君」を選択した。

 「MR君」は、製薬会社の営業部隊であるMR(医療情報担当者)の、いわばウェブ版で、ネットを通じて情報サービスをする。医療従事者のポータルを運営するベンチャー企業、ソネット・エムスリーの主力事業でもある。このサイトには、薬事法の定める医療関係者のみが登録でき、情報の提供を受けられることになっている。「プロペシア」は、承認と同時に登録受けつけを開始して、短期間での登録数としては新記録をつくった。

 医療用薬剤はつい最近まではもっぱら、「生身の」MRたちが、病院や診療所をこまめに訪ね、医師に会い、情報を渡し、説明を繰り返す「売り方」に頼ってきた。MRはさながら地を這う歩兵たちであり、薬の販売促進は、もっぱらこの人海戦術の成否に左右されたと言っていい。

 しかし現在の業界は、「売り方」革命の最前線真っ只中にいる。旧来の手法が見直され、新しい考え方や戦術の登場が相次ぎ、6兆円にのぼる国内医薬品市場をめぐる攻防に、各企業がぶつかりあう。

 そのなかで営業の最前線に展開する55,000人にのぽるMRは、どうなるのであろう? マーケットはどう変化していくのか?

「彼らは陸軍、我々は空軍」■ 

 万有製薬が「プロペシア」の発売に先駆けて実施した、「MR君」利用のeマーケティング戦略は、マーケティング本部の黒木めぐみさん(アソシエイトプロダクトマネージャー)が提案し、仕掛けた。

 「不謹慎かもしれませんが、商品がすごくおもしろい。髪の毛の悩みがある人が、先生に診断してもらい、このお薬を服用し治療する。こういうのって、新しい時代なんですね。保険適用外の薬品ですし。そこで、MRさんが先生に説明する従来のマーケティングとはちがうやりかたを試してみたいと」

 黒木さんは、大学からアメリカに留学して、東部の大学院でMBAを取得し、現地のマスコミで仕事をしている。帰国後、ある外資系の製薬会社に勤め、MRを経験した。

 「MRはやりがいのある仕事でした。私が先生に説明する薬を患者さんが使ってよくなったという話を聞くと、とてもうれしかった。いまも辛いときなど、あの体験を思い出して、がんばろうと、勇気づけられています」

 さらに、「わたし、新しもの好き」で、「MR君」を展開するソネット・エムスリーに半年勤務した。その後に、製薬のメーカーに戻ってきたわけである。「やはり製品を相手したい、商品を売る仕事に携わりたいという気持がすごく強いんだなということがよくわかったから」と、現場復帰の理由を話している。

 「MR君」では、各提携企業のウェブキャスター(ほとんど女性)が、自社製品の情報をリリースする方法をとっている。単にアナウンスするのにとどまらないで、コンテンツを自らつくり、医師たちからのメールの問合わせに答える。動画映像にも顔を出す。結果、このサイトを利用する医師たちは、キャスターたちに親近感を抱くようになった。

 元の上司でもある、エムスリーの西章彦氏(取締役)によると、「黒木さんは、相当に人気がある」という。ドクターたちの間で話題になればなるほど、「MR君」そのものの評判も高くなる。

 もっとも、西氏らは、はじめから、キャスターが人気者になるとは予想していなかった。それがいまでは、中高年のドクターなど、自分の娘に対するような親しみをおぼえているという。あるキャスターが中国地方で開かれた医師対象の講演会で司会を務めたときなど、わざわざ九州からかけつけ、おみやげを渡して激励した女性医師の例もある。

 このトレンドは、外資系製薬企業グラクソ・スミス・クライン(GSK)のウェブキャスターとして活躍する沢村美香さん(マーケティング本部e-ビジネス課)からはじまったと、西氏は証言している。

 「沢村さんは自分から志望して、このポジションに就いたのですが、はじめ、あまりに普通の人の感じで、大丈夫か思ったのです。ところがウェブ上で活発に動きまわりはじめました。彼女の出現がすべてを変えましたね。他の企業も、対抗できるキャラクターを出そうと懸命になった結果、どんどん賑やかになっています」

 GSKのコンテンツでは、ネット上で情報を伝達する前に、かならず沢村さんが自ら画面に登場して、「先生、3分間だけお時間よろしいですか」と、にこやかに呼びかけることになっている。この表情が「かわいい」と人気を集めている。

 沢村さんも黒木さん同様に、大学病院担当のMRとして、営業の前線で三年半鍛えられた実績がある。だから、棒読みの情報伝達をする「お人形」ではない。

 「MRのときから、先生の空いている時間に入り込む方法はないかと、いつも考えていましたから、キャスターの社内公募のとき、これだと、すぐ応募したのです。いまでは、女優のまねごとまでやらせていただいます。両親もとても喜んでいます」

 エムスリーのプロデュースで、医療情報をドラマ化した「メディ・シネマ」ね、新薬の発売前後に頻繁に制作されるようになった。渡辺典子や松村雄基をはじめプロの俳優たちが顔を揃えて、しっかりした脚本の本格映画である。その一部は、ネット上で一般向けにも公開されて、疾病啓発に利用されている。

 もっとも、インターネットを介して、医師をターゲットにする空爆の有効性は、新たに発売される薬には限らない。

 三共が、2002年3月に発売を開始した、糖尿病の薬(速効型食後血糖降下剤)「ファスティック」は、その9ヵ月後に「MR君」で情報配信をはじめた。

 昨年度、53億円の売り上げを達成し、医薬品の市場動向調査などを行うIMS社のデータによると、類似の薬剤を出している4社のなかでトップのシェアを確保している。
 IMS社はさらに、この薬に関する情報をどこから得たかについて、ドクターにアンケートを取っている。その結果9対1の割合で、インターネットからがいちばん多かった。これは通常の比率のまったく逆だと、三共の岸端就介氏(マーケティング統括部・基幹部員)は述べている。ウェブというツールの底力を垣間見る。

 「MR君」をはじめとするインターネット・メディアが活発になっている状況について、当事者の西氏は、次のように総括する。
 「在来のMRは、戦争で言えば陸軍です。緻密な計画を立て、病院という要塞に接近し攻撃を仕掛け、攻め込んで占領しようと頑張る。これに対して、我々は空軍です。地上戦だけだった戦いに、インターネットによる空中戦をもちこんだのです。緻密な戦いでは陸軍に負けるけれど、じゅうたん爆撃で殲滅するのは、ぼくたちの得意とするところです」

MRは、得意な営業職■

 空軍部隊の活躍が顕著になる一方で、陸軍部隊はどうなっているか。医療用薬品メーカーが一様に多数抱えているMRに、異変が起こるであろうか。

 MRはきわめて特異な営業職なのである。これについては、日立製作所系の商社で長く営業マンの経験がある万有製薬の平手晴彦社長が明快に語る。

 「私がずっと見てきた営業とはまるでちがいます。営業スタッフにとって大切な、顧客満足度の三要素は、価格と品質と納期です。ところが医薬品では、納期と価格に、営業が触れない。薬事法で触れてはいけないことになっている。話せるのは唯ひとつ品質だけです。つまり効能と安全性、これだけです。こういうMRがたとえばコンピュータ業界で売る側になっても、できないでしょうね」

 製薬業界では、価格と納期については、特約店と言われる卸が担当することになっている。卸が病院に注文された薬剤を届けて、売買が成り立つ。つまり、MRは、医師が購入したくなるインセンティヴとなる知識を渡すだけで、実質的な販売にはタッチしない。だから、「医療情報担当者」なのである。

 もっとも、一九九○年代の初めまでの営業はちがっていた。呼び名もMRではなくて、プロパーであった。英語のプロパガンディスト(宣伝する者)から来ていると言われる。

 ところが、「宣伝」よりも「接待と雑用とパンフレット配り」が優先し、医師を飲食やゴルフに招き、あるいは高価な贈り物をするといった雑事が目立った。「製薬プロパー」と言えば、芳しくない噂のもとであった。

 その後、名称もMRになり、MRの認定制度が導入されて、女性のMRの採用も活発に行われる。現在では、以前とはまるでちがい、情報と知識で勝負するナレッジ・ワーカーの典型になっている。

 現在の日本で、もっとも多くMRを擁するのは、世界市場でトップ(日本企業では武田薬品工業の14位が最高)の売り上げを誇るアメリカ企業ファイザーの日本法人である。その数は、約3000人にまでふくれあがっている。岩崎博充社長は、「今年も新卒で48人採り、来年は50名。だいたい3000人ほどを維持しようと考えています」と、現状据置きを明言している。

 外資はもともと、日本の製薬企業を通して販売することが多かったが、当初から独自の販路開拓を目指していたのがファイザー(スタートは台糖ファイザー)であった。したがって、はじめから多数のMRを雇用しつづけ、これにひっばられるようにして、内資の大手を中心にMRを増やしていった。

 ファイザー日本法人には、昨年暮れに、リストラ騒ぎがあった。アメリカ本社から送り込まれていた当時の社長が、「指名解雇」に近い方式で、従業員300人の削減方針を明らかにした。ところが、社員側の抵抗に遭って挫折したという経緯がある。この結果、すでに退職していた岩崎氏(元専務)が呼び戻されて、社長に就任したのである。

 この巨大外資の騒動と相前後して、日本企業の側では、大合併が二件つづくことになった。山之内製薬と藤沢薬品とが、新たにアステラス製薬となり、さらに、第一製薬と三共製薬が合体し第一三共として、陣容を整えつつある。これに武田薬品を加えて内資(国内資本)三強と言われる。三社のMRを併せると七千人強になる。

 四社のMR合計一万人態勢で陣取り合戦を繰り広げるわけである。内外の色分けをするならば、巨大外資に内資グループが、文字通り束になって戦いを挑む構図である。
[2006.12.11.]

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