日本が消し去ろうとしても消せない真実
- ソウル大学体育教育科博士課程に在籍する朴金洙(パク・クムス)さん。/写真=キム・ボベ客員記者
朴さんは「1790年(正祖14年)、王命により発刊された伝統武芸書の『武芸図譜通志』は、それまでの伝統武芸を集大成した国の公式の武芸書だが、その武芸の名称は果たして何だったのかはっきりしていなかった」とし、その武芸はこれまで「十八技」以外にも「武芸十八版」「十八番武芸」「二十四版武芸」「武芸二十四技」など、名称が混乱していた。日本が朝鮮を占領して軍を解散した当時、意図的に十八技を抹殺したからだ。
しかし朝鮮時代のほかの資料を検討した結果、「十八技」が武芸の名称として確立された固有名詞であった一方、最近使用されはじめた「二十四技」「二十四版武芸」などは単純に武芸技術を種類分けするための表現、というのが朴さんの結論だ。
まず『官撰史書』を見ると、正祖死後に記録された『正祖実録』の正祖大王行状と『純祖実録』8年8月1日の記録に「十八技」という名称が見られるが、「二十四技」はない。『日省録』1790年と1793年の記録には、正祖の親衛部隊だった壮勇営に「十八技軍」と「十八技教官」という職務があったとされている。訓練都監について記録された『訓局総要』や壮勇営の運営細則を整理した『壮勇営大節目』にも「十八技を練習する」という記録が見られる。李徳懋(イ・ドクム)の詩『城市全図』には「やることもないので演武場で十八技を見つめていた(閑看毬庭十八技)」という記録が見られるなど、多くの文書や民間の記録もこれを裏付けている。
この研究結果によると、十八技は▲壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に記録された『武芸諸譜』の6記から始まり、▲光海君当時の『武芸諸譜飜訳続集』を経て、▲思悼世子が『武芸新譜』において、竹長槍(そう)、旗槍、鋭刀、倭剣、交戦、月刀、狭刀、双剣、提督剣、本国剣、拳法、鞭棍(べんこん)の12技を追加し、▲正祖が『武芸図譜通志』を出させるまで200年という長い間、国家的レベルで育ててきた朝鮮武芸だというのだ。
- 十八技の唯一の伝承者であるキム・グァンソクさんから20年以上学んだパク・クォンモさん。/写真=キム・ボベ客員記者
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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