Print this Post Article Lists Back

拒否感を捨て「余裕」でもって楽しむ日本 『札幌でビールを楽しむ』

『札幌でビールを楽しむ』

田麗玉(チョン・ヨオク)著

ヘネム出版社/1万ウォン

 例えば、ナクチボクム(蛸の韓国風炒め)を食べながら、辛さに舌がひりひりすると不満を言う人、ホゴフェ(ガンキエイの刺身)を食べながら鼻につーんとくると愚痴をこぼす人は愚か者だ。料理を楽しむ方法を知らない人だからだ。

 放送人 田麗玉の本を読みながら、彼女は辛口すぎると悪口をいう人もまた然り。刺すような辛い味があるからこそ、唐辛子を食べるのだ。唐辛子は味と色がはっきりしている作物だ。この世には唐辛子の味を熱烈に好む人もいれば、震えあがるほど嫌いな人もいる。どちらに立つかは自由だ。

 ただ「唐辛子には甘さがない」と愚痴をこぼすのは、「チョコレートは辛くない」と不満を言うのと同様、愚かなことだ。

 『札幌でビールを楽しむ』は、それ自体もなかなか興味深い本だが、同作家が1993年に出版した 『日本はない(日本名:悲しい日本人)』に比べ、はるかに面白い。

 『日本はない』は“大胆”の一言に尽きる。ちょうど10年経った今も、この本が話題に上れば賛否両論で場が賑やかになるほどだ。当時、田麗玉は30代半ばの記者だった。明治維新を称える内容の日本のベストセラーが、韓国の書店界にブームを巻き起こしていた当時、田麗玉は「日本から学ぶものなどない」ときっぱり宣言した。

 ちょうど10年ぶりに出版された続編『札幌でビールを楽しむ』は、ずっと穏やかで軽く読める内容だ。序文で田麗玉は、「今どきの日本は可愛くて小さくてキュートだ」と書いている。「経済大国という名のイーストでぱんぱんに膨れ上がろうとしていた」強大国日本は、今や「気力を失った老女のように、静かに年老いている」というのが田麗玉の分析だ。

 その、老女を観察する田麗玉の視線は、かなり暖かくて温情的だ。一例に、田麗玉氏は日本の映画スター 故石原裕次郎の記念館でこじんまりとした記念品を買い求める日本主婦の観光客らに出会う。

 大スターのゴージャスな生活を剥製したような記念館で、一度くらいは「私もこんな風に暮らしてみたい」と思うこともあろうが、日本人は「私には到底無理な夢」と謙遜し、「すごい」を連発するだけだ。「小さな部屋で、味噌汁にご飯一杯、そして魚半分を正座をして食べる、それでも感謝の気持ちを忘れずに生きている」日本人を、田麗玉は憐憫の眼差しで見つめる。

 唐辛子の味を楽しんできた読者のための蛇足。全体的にじっくり煮込んだコムタン(牛テールスープ)の味がするが、所々ぴりっと辛い風味が利いており、思わず「さすが」と満足げに頷いてしまう。以前のように尖がらず、さらに風味を生かしているため、「まったく読み応えのある文章を書く人」と実感せざるを得ない部分が多数ある。

金秀恵(キム・スヘ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る