乱中日記:「消えた32日分」の内容が明らかに
顕忠祠所蔵『忠武公遺事』を判読・翻訳
2004年に『乱中日記』の原本13万字全編を最初にデータベース化した順天郷大李舜臣研究所のノ・スンソク教授は1日、「文化財庁の依頼を受け、06年から顕忠祠が所蔵する古書『忠武公遺事』(写真)を判読・翻訳した結果、現在伝えられている『乱中日記』にはない新たな内容が含まれていることが確認できた」と語った。
今回解読された日記では、▲「亡父の誕生日だというのに、悲しみと切なさを胸に抱く思いで、知らず知らずのうちに涙を流した」(1595年7月1日)など、家族に対する哀切の情▲権慄(クォン・ユル)、元均(ウォン・ギュン)など他の将軍たちとの対立関係▲官吏の行動や態度に対する嘆き▲衰弱した兵士たちに対する哀れみなど、李舜臣の人間的な側面と戦乱当時の状況が記されていた。また、現在までその実態が明らかになっていなかった1598年7月の「折爾島(現在の全羅南道居金島)海戦」に関する記録もあった。
2000年に朴恵一(パク・ヘイル)元ソウル大教授らが『忠武公遺事』の原文の一部とその内容を紹介したことはあったが、今回のように全貌が具体的に現れてはいなかった。ノ・スンソク教授は、『忠武公遺事』のこの記録を『乱中日記』で失われていた部分だと見る根拠について、「同時に記された別の日記の内容が、『乱中日記』と正確に一致するだけでなく、一部の文章は『李忠武公全書』(1795)に収録された『乱中日記』の内容よりも正確であることから見て、現在伝えられていない乙未年(1595年)の日記の草稿本など、当時の原資料を見て筆写したものであることは明らかだ」と語った。
『忠武公遺事』は17世紀末、李舜臣と関連する資料を抜き出し草書で筆写したもの。李舜臣の一族である徳水李氏の宗家に、『乱中日記』親筆草稿本(国宝第76号)と共に代々伝えられてきた書物だ。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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