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乱中日記:「李舜臣の人間性が現れた資料」(下)

◆「英雄ではない、人間的な側面を見せた」

 今回明らかになった日記で李舜臣は、生前と変わらぬ姿で夢に現れた亡父を見て涙を流し、哀痛な心情を吐露。戦乱の最中に息子の婚礼を執り行う複雑な心の内を文章に残した。また、上級者である権慄(クォン・ユル)との対立や、ライバルだった元均(ウォン・ギュン)に対する嫌悪感、順天府使の権俊(クォン・ジュン)など部下たちに対する不満、戦争中ソウルにいた妾たちを官公署へ連れて来る役人らの有様についても、包み隠さず記録した。

 ソウル大国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は、「“救国の英雄”というこれまでの評価の中に隠されていた李舜臣将軍の人間的な側面がよく現れた資料だ」と評価した。「当時の朝鮮軍内における権力と指揮体系、政治的関係を把握することができる敏感な箇所が、かなり含まれている」というわけだ。『忠武公遺事』の翻訳作業を進めていた兪弘濬(ユ・ホンジュン)前文化財庁長(明知大教授)は、「李舜臣将軍と関連する記録文化財ならば一挙手一投足が歴史的資料なのに、これまで読むことができず残念に思っていた。翻訳の結果、知られていなかった重要な部分が含まれており、驚いた」と語った。

◆忠武公遺事

 『再造藩邦志抄』というタイトルで知られた書物だが、表紙の裏面には『忠武公遺事』という本来のタイトルが残っている。書物の先頭部分は、1693年に刊行された『再造藩邦志』から抜粋した内容のため、その直後に筆写したものと見られる。1967年、『乱中日記』草稿本と共に盗難に遭ったが後に返却され、翌年影印本を発行する際、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が『再造藩邦志抄』という表題を直筆で書いた。『乱中日記』の内容を抜粋した『日記抄』は、この書物の23ページから60ページに収録されている。計325日分の日記を載せており、草稿本では磨耗で確認不可能だったり欠落していた文章が保存されていることが多い。61ページから74ページに収録された戦争参加将兵の名簿も、やはり貴重な資料だ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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