「韓国の民族主義、旗を降ろすのはまだ早い」
最近、「民族文学作家会議」が「韓国作家会議」と名称を改め、「民族」という単語を取り去ったことに見られるように、大統領選挙を迎えた2007年末の韓国において、「民族」や「民族主義」という大きな枠組みはどこかしら古めかしいもののように映っている。そんな時にあって、民族主義歴史学界側は脱民族主義に対する反撃に出た。中堅の韓国近現代史学者にして成均館大東アジア学術院研究教授の河元稿(ハ・ウォンホ)氏(写真)は、最近発行された季刊誌『明日を開く歴史』冬号に掲載した寄稿文「ばらばらになった歴史の衝撃」を通じ、韓国の歴史学界で力を得ている脱民族主義を真っ向から批判した。
「植民地時代の人々は“支配”と“抵抗”の両極端ではなく、“グレーゾーン”にいたという脱民族主義歴史学の論理は、確かに多様な論点を提供している。しかしながら、一時代のパラダイムを再評価することとパラダイム自体の廃棄は、別の問題だ」
河教授は本紙とのインタビューで、「植民地時代の韓国の民族主義自体を否定することはできない」と語った。日本の民族主義が国民国家形成の過程で作り上げられたものならば、韓国の「民族」と民族主義は帝国主義に抵抗する過程で対自的(異なる存在との関係を通じ自らを自覚すること)に生成され、実体を持っていた、と河教授は説明する。
河教授は脱民族主義歴史学の研究方向について、「ばらばらになった歴史」を追及していると批判する。彼らは「民族」「国家」といった大きな枠組みを解体した後、「個人」「言語」「記憶」といった、それまで歴史学の主流が言及しなかったものを新たな代案として提示し、さらに読書・恋愛・映画・日常生活といったものを新たな関心事としている、というわけだ。河教授は「それまでの歴史叙述を反省させるものであることは事実だが、特定分野の孤立した歴史だけを以って歴史の全体的な流れを読み、再構成することができるかどうかは疑問だ」と語った。
河教授は、民族主義の旗を降ろすのはまだ早いと言う。統一問題が解決していないという理由もあるが、より重要なのは、「いくらグローバル化の時代とは言っても、一般大衆の行動範囲そのものは、一国家や民族の内部的葛藤から抜け出し存在することはできないからだ」ということだ。現在の脱民族主義の流れは「代案なき衝撃」に終わる可能性が大きい、と河教授は指摘した。
文・写真=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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