2008.09.24 Wednesday
別れの曲
JUGEMテーマ:音楽
ショパンのピアノ練習曲作品10の3に、「別れの曲」という愛称がついた小曲がある。有名な曲だからどなたもご存知であろう。中学生のころであったか、左手で和音をおさえ、右手で主旋律をひくという拙い奏法で、オルガンをよく弾いた。中でも愛奏したのがこの「別れの曲」である。子供用に編曲されていて堀内敬三さんの詩だったろうか「春の日 そよ風 花散る緑の丘…」という有名な歌詞がついていた。ショパンの旋律をなぞるだけで、なんだかずいぶんと偉くなったような気になったものである。
高校を卒業し、大学浪人一年目の夏休み、高校のころ同級だった女友達と、そのころはまだ京橋にあったフィルムセンターの「音楽映画の特集」というのに足を運んだことがある。そのなかに昭和10年に公開された「別れの曲」(ゲーザ・フォン・ボルヴァリ監督, 1934)という映画があり、心を打たれた。ポーランドの青年ショパンがパリに出て脚光を浴びるまでの物語で、その主題曲がショパンのピアノ練習曲作品10の3に歌詞をつけた曲であった。一人前の芸術家になるにはあんなにも愛らしく可憐なふるさとの恋人を袖にしなければならないものかと、妙に感心した。
ショパンのピアノ練習曲作品10の3を「別れの曲」と呼ぶのは、どうやら日本だけの習慣のようだ。それは昭和10年にこの映画がヒットし、またその後「別れの曲」というタイトルで日本語の歌詞をつけられ、愛唱されてきたからである。フランスにもドイツにも、このメロディーに歌詞をつけた曲はあるが、特に「別れの曲」という名前はついていない。映画「別れの曲」にはフランス語版とドイツ語版があるが、映画のなかで歌われるこの曲の歌詞も、特に別れとは関係がない。浪人のころ私がみたのは日本で初演されたのと同じフランス語版のほうである。昭和10年に刊行された『仏和対訳 別れの曲』(平原社トーキー・シリーズ 第30巻)から歌い出しの部分を引用する。
吾が心 そなたに捧げん
この調べ 吾が胸は そなたに囁き…
以前、BSで放送されたドイツ語版をみたことがあるが、ほぼ同じような内容だった気がする。要するに、いろんな国でいろんな歌詞が作られ歌い継がれているのだろう。
音盤に吹き込まれたものの中で私が格別珍重しているのは、フランスのリリックソプラノ、ニノン・バランという人が歌った「親密(アンティメイト)」という歌曲である。この歌もまたショパンのピアノ練習曲作品10の3にフランス語の歌詞をつけたものであるが、恐らく映画のヒットに合わせ、当事日本で発売されたSPレコードである。この人の優しい、魔法のような歌声を聴いていると、「別れの曲」に親しんできた長い歳月の間に起きた様々な出来事が、すべて甘美な幻影に包まれてよみがえってくるのである。(述)
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このブログの執筆者は2008年9月22日に永眠いたしました。
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