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過大評価される高句麗、過小評価される新羅(上)

 「高句麗はあまりに高く評価され、新羅は低く評価され過ぎている」

 古代史を歪曲する中国の「東北工程」で高句麗史に対する関心が高まっている中、テレビドラマなどで高句麗が大いに美化されている反面、新羅に対しては否定的な認識が定着しつつある、という指摘が出ている。広開土大王が神格化される一方で、金庾信は不当に扱われている傾向が存在しているというわけだ。

■広開土大王は2000年間待望の「朝鮮の王」?  

 『朱蒙』『淵蓋蘇文』『大祚栄』に続き高句麗を素材としたドラマの『太王四神記』(MBC系)について、韓国歴史学界が批判の声を上げた。東北アジア歴史財団のキム・ヒョンスク研究委員は、今月19日に湖西史学会・大邱史学会などが主催した学術大会で、「歴史的観点から見た高句麗ドラマ」と題する論文を通じて、高句麗の広開土大王(在位:391‐413年)を主人公とした『太王四神記』の誤りを指摘した。

 キム氏は「4世紀の高句麗は中央集権化が完成し、すべての兵力が国王に集中しており、王権自体が最高潮に達していた時期」だったと指摘した。ドラマでのように、貴族が国王より多くの私兵を抱えていたという設定はあり得ないという。また、すでに長子相続制が確立していたため、外孫から王位を継承するよう強要する状況は不可能だというのだ。主人公の英雄化が、かえって歴史の歪曲を生んだわけだ。

とりわけ、青龍・朱雀・白虎・玄武の「四神」が桓雄の代から存在していたというドラマの設定は大きな誤りだ。なぜなら「四神」は中国で紀元前3世紀から1世紀にかけて創作され、1世紀以後にようやく高句麗に伝播した信仰であるからだ。広開土大王を「桓雄以後2000年間待望の朝鮮の王」と神格化する一方で、その補佐役として中国から輸入された「四神」を駆使するのは、むしろ東北工程の論理につけこむ隙を提供することになるというのだ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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