妙見と狼
狼神社と「妙見宮」に何か深い関係があると考えた最初の人物は、とうぜんといえば当然ですが、日本民俗学の祖、柳田国男ということになります。1933年に刊行されたその著『桃太郎の誕生』のなかで、江戸時代から狼神社として知られていた兵庫の養父神社が妙見山という山の麓にあることに注目し次のように語っています。
養父の五社大明神と妙見山の関係・・・、現在は勿論ニ處の信仰は分立して居るから、各その社傳縁起の文字によつて、聯絡を見出すことは不可能であろう。・・・狼に関する信仰・・・もしも他から移って来たとするならば、私は或は妙見山の方からかと想像している。(P.239、240)「狼と鍛冶屋の姥」『定本柳田国男集第八巻』(筑摩書房1968)
柳田国男は、狼信仰の由来は妙見信仰にこそあるのではないかと考え、上記に続く文章の中で、さらに三峯神社、山住神社、春野山大光寺などについても妙見宮と関わりがないか自ら調査して「仮説が当っているかどうか試験してみたい」と書き、その試験結果にかなりの自信を持っていたようです。たしかに三峯神社のある秩父地方には妙見山とも言われる武甲山があり、その信仰の中心だった秩父神社は「妙見宮」として名が知られていて、その由来も天慶年間(十世紀)まで溯ることができます。そのほかに福島の狼神社、山津見神社のある相馬地方も妙見信仰が色濃い地方としてたいへん有名ですし、山陰には狼を妙見菩薩の使者とする伝承が残る地方もあるほどですから、狼神社から妙見信仰を引き出すことは柳田国男でなくても簡単にできます。
最終的に柳田国男が自分のたてた仮説にどのような評価を下したのかは判りませんが、妙見信仰とはそもそも何なのかを知っていれば、その試験結果は明白です。
妙見信仰は中国・四国、関東地方で今も健在ですが、今は神なのか仏なのかもよくわからない「妙見さん」という名で呼ばれます。
多くの妙見社の別当は大概は寺で、明治初年から神官の奉仕になったが、更に寺の護寺神たる妙見も中にはあった。妙見様は神か仏かと聞いても返答に困る土地の人が沢山居るのである。(P.343)『本邦小祠の研究』岩崎敏夫著(名著出版1963)
妙見「菩薩」ですから、道教や密教・修験道との関わりがとうぜん最初にあります。中国における妙見信仰の根幹は道教思想でしたが、日本における主な伝播者は道者そのものではなく、道教の思想を取り込んでしかも北斗に関する経典まで有していた密教や修験道ということになります。ですから、今、神社という形態をとっていても、明治以前に密教や修験道に関わっていた神仏習合の寺社であったなら、それらの多くは妙見信仰の影を抱えています。たとえば、密教と関係なさそうな日蓮宗の能勢の妙見(真如寺)も、元は為楽山大空寺という真言密教の寺でした。
妙見信仰 密教と陰陽道
新潟県魚沼地方の修験の活動を詳細に記録した宮家準編「修験者と地域社会」によると、修験道の活動の範囲は想像以上に広く、卜占(九星、四柱推命、易)、加持祈祷(錫杖による加持、護摩、祈願)、まじない(憑き物落とし、調伏、呪符)を手段として、農耕生産、出産などの人生儀礼や日常の生活にまで深く関わっています。そのような活動のなかでもとくに「星祭り(星供)」は修験との関りが深く、魚沼地方の修験系寺院35のうち29が関係しています。
(P.139)「修験者と地域社会」宮家準編(名著出版1981)
この「星祭り」は、奈良時代に盛んになった「妙見信仰」にその由来があります。
妙見信仰とは、北辰(北極星ー天の北極にある星で今言う北極星に限定されない)と北斗(北斗七星)にかかわる信仰で、天台密教では北辰(北極星)のことを妙見菩薩あるいは尊星王(そんしょうおう)と言い、他の星を統御し、天下の興亡を司り邪気をしりぞけ長生を保たせる力があるとして「尊星王法」が修せられます。
陰陽道で行われる「北辰祭」「北極玄宮祭」も同じものですので、妙見信仰は、陰陽道と密教の関係の深さを物語るひとつの例でもあります。
北斗(北斗七星)は日月五星の精とされ、七曜を統べ善悪を司り禍福を頒(わか)ち、これを礼拝供養すれば、長寿富貴が得られ願望が成就すると言われ、これに関わるものが密教の「北斗法」です。生まれた年により北斗(北斗七星)の七つの星のいずれかに属するものとし、その星をまつり富貴延命を願うのが「属星祭」です。たとえば子年うまれのひとの本命星は、狼の文字が入った「貪狼星(とんろうせい)」で、その位置は北斗(北斗七星)の柄杓の大きな口の先っぽです。
陰陽道では、これを「北斗七星延命経」と言います。
「尊星王法」は妙見菩薩をまつる天台宗・寺門派(本山派修験)の秘法ですが、この行法には、陰陽道特有の反閇(へんばい)が伴ないます。ちなみに、反閇は、禹歩(うふ)とも言い、陰陽師が足で大地を踏みしめ、呪文を唱えながら千鳥足風に歩む呪法で、皇族公卿の外出・転居の際、この呪法をおこなう陰陽師が先行し邪気を払うというものです。というわけで、密教も陰陽道の儀式を取り込んでいるのがはっきりわかります。この法では、北斗(北斗七星)を頭上にあらわす「妙見菩薩」の像形を本尊とし、あるいは仏画の「妙見曼荼羅」(尊星曼荼羅、星曼荼羅、北辰曼荼羅)を用います。
いっぽう、天台宗・山門派は十六天、十二宮神、北斗七星、二十八宿の諸尊を含む七十天の大曼荼羅供を修し、同じように真言密教(当山派修験)も空海の「宿曜占術(宿曜経)」にもとづく大曼荼羅供を修します。
陰陽道については、下記の史料を参考にしました。
「陰陽道基礎史料集成」村山修一編(東京美術1987)
真言宗系、天台宗系の寺が多く残っている地域では、いまでも妙見信仰は盛んです。「都道府県の寺院数現勢地図」でそれを確認してみます。
かつて天台宗は大きな勢力をもっていたのですが、鎌倉時代に天台宗から曹洞宗などの新仏教が生まれたせいで、現在、天台宗寺院の数は極端に少なくなっています。滋賀や関東地方はかなりの天台宗寺院がありますが、それでも、現在、天台宗寺院数が最上位になっている県はありません。真言宗も同じように多くの法流に分かれていますが、こちらは真言宗〇〇派というように名乗っていますので、ひとまとめで真言宗として数えられるせいか、下記のように真言宗寺院が全寺院数の首位になる県があります。真言宗寺院数/全寺院数であらわしてあります。
岡山527/1384、愛媛310/1085、高知114/374、徳島424/628、和歌山536/1596、
千葉1118/2960、埼玉973/2177、茨城448/1274、栃木359/983、福島448/1532
(P.264、265)
「都道府県の寺院数現勢地図」『早わかり日本仏教史』(大法輪選書1980)
これをみれば、一目瞭然、妙見信仰が盛んな地域にぴったり重なります。空海の生地である四国はもちろん、ここに挙げられてない関東地方の東京や神奈川でも、真言宗の寺はその五分の一を占めています。このように、天台宗や本山派修験、真言宗や当山派修験にかかわりのある地域ではいまも妙見菩薩は重要なもので、とうぜん秩父の妙見山の武甲山も修験の山でしたし、現在の狼神社がかつて神仏習合で、密教(修験)に関わっていたなら、とうぜん妙見信仰にも関係があったことになります。妙見信仰のある寺社の数は、狼神社の何十倍にも何百倍にも達するでしょうから、妙見菩薩の信仰内容と狼になにか特別な関係があると考えるのは本末転倒です。妙見でも山王でも白山でも修験道や密教が祀っている神仏なら、どんなものでも導き出して狼神社と関連付けることは可能です。
ところで中国の『酉陽雑俎』によれば、「北斗」に関わりの深い動物がいます。
将怪為必載髑髏拝北斗 髑髏不墜則化為人矣『酉陽雑俎』
「将に怪を為さんとすれば必ず髑髏を載し北斗を拝す、髑髏墜ちずんばすなわち化して人と為す」、これはキツネが化ける時に髑髏を頭に載せて北斗を拝するという話ですから、キツネと妙見菩薩とは不可分と言えます。キツネ以外にも、妙見菩薩は亀に乗った姿で描かれますので亀とも関わりがありますし、相馬地方では馬の守護神です。
相馬家妙見菩薩信仰にて、其國に祀る所の大社有、妙見の眷属なりとて馬をとる事をせず。(巻の四)(P.82)「譚海」津村淙庵著『庶民生活史料集成第八巻』(三一書房1969)
「妙見の眷属は馬」とありますが、妙見菩薩は牛とも関わりが深く、とくに牛馬を飼育していた地方や、牛馬の市となっていた地域では、妙見の信仰が色濃いようです。これは奈良時代から「牧」が置かれていた秩父においても、まったく事情は同じです。
たしかに妙見菩薩を祭る寺社のいくつかに狼信仰がないわけではありません。しかし、だからといって妙見菩薩の信仰の中に狼を尊重するような思想があるというわけでもありません。これはちょっとした経緯があるのですが、このことは「狼信仰の系統と分類」において述べます。
北斗 2003/10
ヤマイヌ
「妙見信仰と狼神社」 明星
虚空蔵菩薩 明星天子
妙見信仰が「北斗七星」に対する信仰なら、虚空蔵菩薩信仰は「金星」に関わり、これも奈良時代からその信仰があります。
真言密教の祖、空海が、唐に渡って体系的な密教を身に着ける前から「虚空蔵求聞持法」を学んでいたことは有名で、 記録によれば日本に善無畏の「虚空蔵求聞持法」がもたらされたのは718年です。「三教指帰」によれば、空海は唐に行く前の優婆塞(私度僧)だった時代に、或る山林修行者からこの法を授けられたとされています。つまり、真言密教や天台密教などの体系的な密教が日本に入ってくる前から、一部の密教の修法がすでに日本にもあったということですが、このような密教を「雑然とした密教、雑部密教」と呼び「雑密」と略します。空海以前の山岳修行者、役小角や泰澄などはとうぜん「雑密」に関係していることになります。ちなみに「雑密」に対して天台・真言密教などの体系的な密教を「純密」と名付け、天台密教のことは簡略して「台密」と言い、真言密教を「東密」と言ったりします。「東密」は東寺において学ばれた密教という意味です。
虚空蔵求聞持法とは虚空蔵菩薩によって記憶力を成就する修法ですが、これが星信仰とも重なるというのは、虚空蔵菩薩の化身として「明星天子」、金星を拝すことが行法としてあるからです。空海の系統を引き継ぐ真言密教では、当然のように「虚空蔵求聞持法」が重要な修法となっていて、空海の300年後に現れた真言密教の覚鑁(かくばん・1095-1143)は「虚空蔵求聞持法」を九度も修し、ようやく身に付けたことで有名です。
虚空蔵求聞持法は虚空蔵菩薩の真言を一日に一万遍、百日の間、たえまなく唱えつづけることが基本である。その真言は、 ノウボウアカシヤギヤラバヤ オンアリキヤマリボリ ソワカ といい、この真言を唱え印契を結んで、虚空蔵菩薩を観念し、午酥(今日のチーズ)を加持する。・・・満願の日に、この午酥より霊気を発し、あるいは煙がたち、あるいは光が発すれば、それはこの修行が完成したことを意味し、この午酥を食べれば超人的な記憶力を得、一度聞いたことはそのことばも意味もけっして忘れなくなるというのである。(P.192)
「覚鑁」吉田宏哲著『真言宗』松長有慶編(小学館1985)
「午酥」は「牛蘇」とも書きます。
また、真言宗の重要な経典、「理趣経」の第五段に虚空蔵大菩薩は宝生如来の聴き手として登場します。
時ニ 虚空蔵大菩薩 此ノ義ヲ顕明セント 重ネテ欲スルガ故ニ・・・輪になった首飾り(金剛宝鬘・こんごうほうまん)を自分の首にかけて、一切の灌頂を与えて悟りに至らせるような無限の宝の心真言をお説きになりましたということです。(PP.188−196)
『理趣経』松永有慶著(中公文庫1992)
この「金剛宝鬘」と鰻(まん・うなぎ)との語呂合わせなのか、この虚空蔵菩薩の眷属は「うなぎ」とされています。虚空蔵菩薩が持つ蓮華の茎は、そのかたちがうなぎに似ていないこともありませんし、うなぎを水中の蛇である龍神に見立てたのかもしれません。あるいは、中国の阿育王塔の井戸に棲む鱗魚(うなぎ)は、塔を守護する菩薩と呼ばれていますから、それと関係するのかもしれません。
とにかく、今でも虚空蔵菩薩の信仰が残っている地域ではうなぎを食べません。ほかにも、寅年や丑年生まれの人は、うなぎを食べてはいけないと言われますが、これは特に金星(明星天子)との関わりのようです。
明星天子トハ、丑ノ終ニ出テ寅ノ時ニ顕現スル也。(P.572)『渓嵐拾葉集巻第二十二』
また、求聞持法の「閼伽水(仏前に供える水)取水時」の項にも、「丑ノ終リ寅ノ一點ニ之ヲ取ルベシ。凡ソ寅ノ時トハ龍神ノ水ヲ吐ク時分也。」(P.527)とあります。すると求聞持法に関する限り、うなぎを食べていけない人がいるとしたら、それは丑の刻、寅の刻に生まれた人ということになります。ただし、丑年・寅年生まれの人を虚空蔵菩薩が守護するという思想もありますので、気の毒ですが匂いだけであきらめるしかないのかもしれません。
ところで、ウナギが食べられない人々を気の毒に思うのは現代人の勝手な思い込みと言えます。ウナギはかつて毒と見なされたことがあります。
鰻魚麓魚(ウナギ) 有毒。主五痔瘡瘻。殺諸虫。・・・鰻魚平微毒。(P.283)
「延壽類要」『續群書類従第三十一輯上』(続群書類従完成会1984)
古くから山岳宗教者が入っていた山は、十中八九、虚空蔵菩薩と関わりがあり、また胎蔵界曼荼羅には虚空蔵菩薩が描かれているくらいですから、虚空蔵菩薩にたいする信仰は密教系の寺院に必ずあり、これは妙見菩薩とまったくおなじ状況です。そういうわけで、多くの狼神社を調べてみれば、妙見菩薩と同じく虚空蔵菩薩の影も見え隠れしているのに気付きます。
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