
それは1980年
1.ハードの制約
まず、縦あるいは横の一方向のスクロールしかできない当時のハードの制約がありました。横方向のスクロールでは既にシューティングゲームがヒットしており、縦方向のスクロールでの商品化が望まれていた状況において、縦方向スクロールゲームの主流であったレースゲームを作るということで開発が始まりました。しかし、既存のレースゲームと競合することもあり、何か新しいものを生み出す必要性があることを開発スタッフは感じていました。
2.映画「キングコ○グ」の影響
あるスタッフが映画「キングコ○グ」の中で巨大ゴリラが美女を片手にビルを登るシーンからヒントを得て、背景として用意したレースゲームのコースをスクロールする建物に変え、そこをマイキャラに登らせるというアイデアを立案しました。ド○キーコ○グの発想はどこから来たのか知りませんが、クレイジー・クライマーの発表はド○キーコ○グの登場に先立つこと数ケ月も前のことでした。ゴリラを敵キャラとして扱うところも同じなので似たような発想だったのかもしれません。いずれにせよゴリラの存在によって生じる「パニック」がゲームのテーマでした。しかし、そのスタッフに影響を与えた「キ○グコ○グ」がトーキー時代の’33年のものだったのか、ジェシカ・ラ○グーのデビュー作となった’76年のリメイクだったのかは今では知る由もありません。
3.コンセプトは「ツインなスティック操作」そのもの
レースゲームのハードにその着想を実現するのはそれほど難しくはありませんでしたので、スタッフはすぐさまプロトタイプを作り、テストプレイに臨みました。しかし、それは非常に難しいものでした。当時のゲームといえば4方向のスティック1本とボタンを2、3個使うのが標準であり、この操作によってそれらのマイキャラは比較的容易に動かすことができました。しかし、この「登るゲーム」は左右の腕(あるいは脚)をそれぞれに連動するスティック2本を操作して初めてマイキャラが移動するというかなり複雑なものでした。この段階でこのゲーム開発の継続についての疑問が少なからず社内部から湧き起こりました。当時のゲームといえば、撃ったり、殺したり、走ったりするのが普通。「登る」という発想自体に問題があるのでは。大阪本社や営業サイドからも横ヤリが…。しかし、スタッフは日夜、その画期的な「仮想現実操作」をより操作しやすいものへとこつこつ進化させていきました。
4.映画「タワーリ○グイ○フェルノ」の幻影
当時のハードウェアは国内のどのメーカーもそれほど差はありませんでした。すなわち、アイデア次第で大ヒットする状況でしたので、この「登るゲーム」にもマイキャラの位置を示すインディケータや比較的大きな動くキャラクターなど、様々なアイデアが盛り込まれました。開発スタッフは’50年代生まれの世代が比較的多く、彼らのほとんどはこのゲームについて「高層建築物」と「パニック」から、映画「タワーリ○グイ○フェルノ」をイメージしていました。すなわち、高層ビルには火災がつき物だったわけです。炎上中の高層ビルを登るヒーロー!開発スタッフの多くはマイキャラの存在理由をそこに見出しました。登るキャラクターは理由もなく登っていたわけではなかったのです。しかし、ハードウェアの制約が彼らの夢を打ち砕きました。「火災」がハードの制約で実現しないことが判明し、遂に彼らの「タワーリ○グイ○フェルノ」は幻となって消えていきました。登ることの目的意識を失ったクライマーは文字どおりクレイジーな存在になってしまいました。
5.鮮烈のデビュー!しかし…
「火災」消失とともに意気消沈したスタッフですが、一旦火のついた彼らのハートはますますメラメラと燃え上がります。そして、晴れて展示会に出品!遂に前代未聞の「2本のスティック」の「登るゲーム」がお目見えしました。しかし、結果は散々なものでした。やはり、一見複雑な操作がネックになり、ネクタイ姿の業界の方々にはウケが良くありませんでした。展示会に出品してはみたけれど、四面楚歌の末に結局お蔵入りとなったケースを山ほど知っているスタッフはクライマーの運命を危ぶみました。
6.ゲーム少年が「狂喜登山家」になる日
開発スタッフが落ち込んでいる暇もなく「クレイジー・クライマー」は喫茶店のテストロケに出陣していきました。しかし、結果は意外にも「大入り」!各地のインカムは狂ったように昇っていきました。複雑な操作に対する心配は必要ありませんでした。ゲーセン野郎たちはクライマーの手足をあたかも自分の手足のように操り、目の眩むばかりの高層ビルを登っていきます。数週間後には全国各地のゲーセンで2本のスティックを両手に握り締めて狂喜する登山家が次々に増殖していきました。これは開発スタッフやニチブツがゲーム少年やゲーセン野郎のハートをノックアウトしたのではなく、彼らプレイヤー達の操作テクニックがニチブツや業界の認識に対して勝利したのです。スタッフの面々は思いました。「登る」ことは間違いではなかった。「登る」ことに目的や結果が必要ではなく、「登る」こと自体が目的だったのです、と。
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