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経済最前線:長崎・対馬 国境の島に金融危機 ウォン急落…韓国人観光客が激減

 九州より、韓国の方が近い「対馬」(長崎県対馬市)。漁業不振や公共事業削減で苦しんでいたが、99年の釜山航路開設後は韓国からの観光客急増で産業活性化への期待が高まっていた。だが、米国発の金融危機の影響で、10年ぶりの水準に落ち込んだ韓国通貨・ウォン安で観光客は激減。生き残りをかけ、日本国内からの集客などを急ぐ「国境の島」を歩いた。【井上俊樹】

 ●漁業衰退の後

 10月21日、ソウル市内の私立男子校「ゼヒョン高校」から、修学旅行生(1年生)約550人が、2隻のチャーター高速船で対馬にやって来た。一行が到着した島の北部、比田勝(ひたかつ)港の砂浜では、荷台にカレールーやワサビを並べた軽トラックの土産店を開く脇本啓喜さん(41)が片言の韓国語で呼び込みをしていた。

 対馬は漁業の島だったが高齢化や資源枯渇で衰退。現在は建設業が中心だが公共事業の激減で打撃を受けている。観光は数少ない成長産業で、韓国・釜山と対馬を結ぶ韓国「大亜高速海運」(本社・慶尚北道浦項市)が就航した99年には約2000人だった韓国人観光客が、07年は約6万5000人に増えた。

 だが、今春以降の急激な円高・ウォン安で、その勢いに陰りが見え始めた。昨年まで100円=750~1000ウォン程度だったウォン相場は、現在100円=1600ウォン前後。毎月、前年比30~170%増え続けていた韓国人客も9月には15・8%減と07年3月(17・0%減)以来1年半ぶりの減少に転じた。

 ゼヒョン高校の旅費もウォン安で当初予定の1人39万ウォンから42万ウォンに増え、郭賛義(カクチャンビエ)教頭は「来年はあきらめるかも」と話す。

 ●カネは半島に

 韓国からの観光客が増えた「対馬人気」は、大亜高速海運が韓国内で積極的に宣伝して集客した結果だ。原生林が魅力の白岳(しらたけ)(標高519メートル)登山も韓国側がルートを開拓しマップを作った。島内の一部のホテルや民宿を買収した韓国資本も韓国からの観光客誘致に奔走している。対馬市によると、韓国の企業や個人が所有する不動産は16物件に上る。

 島民の一部には韓国資本の進出に「韓国人観光客の落としたカネが結局、韓国側に吸い上げられる」との不満がくすぶる。だが、定期便就航前から韓国との間では高校生の交換留学や共同イベントなど草の根交流を深めてきただけに、韓国人観光客が減っていることへの不安も隠せない。

 ●釣り宿も苦悩

 島内で釣り宿を営む男性(61)は「日本人相手でやれれば楽でいいんですけどね」と話すが、宿の玄関には「熱烈歓迎」を意味する赤いハングル文字。韓国では富裕層を中心に釣りが一大ブームで、この民宿の宿泊客も9割が韓国人だ。

 もともとは祖父の代からのイカ釣り漁師。70年に自宅を改造して民宿を開業したが、あくまでも本業は漁師だった。ところが70年代後半から乱獲も一因で急速に漁獲高が減少。新たな漁場を求め遠洋に出るには何百万円もかけて大型船を新調しなければならず、民宿とタクシー運転手が本業になった。

 80年代後半からはバブル経済が島内景気も底上げし、この民宿も道路工事で本土からやって来る作業員でいつも満室だった。しかし、バブル崩壊で元のもくあみになった時、新たにやって来たのが韓国からの釣り客だった。5年前に1000万円で送迎用マイクロバスを買い、妻(54)も韓国語を習って夫を支えた。ウォン高が続いた昨年までは月に何度も来る常連客もいた。

 ●頼みは日本客

 ようやく軌道に乗り始めたと思った矢先のウォン安。月に200人を数えた客が9月には50人に減った。会社員をしていた長男(26)は今、釣り宿を継ぐため福岡市内の調理学校に通っている。息子たちのことを考えると、「この先、対馬はどうなっていくのか」との思いが募る。

 財部能成市長は「韓国人観光客に依存しすぎると、今回のようなウォン安の時、どうにもならなくなる」と話す。来春には観光、物産をPRする事務所を国内では初めて福岡市内に開設。「韓国頼み」からの脱却を目指すが、日本人客を大きく増やすのは難しそうだ。

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 ■ことば

 ◇対馬

 九州本土から北西に132キロ、韓国からは南東49・5キロに位置する南北82キロの島。古くから日本と大陸との中継点として栄え、かつてはイカ漁が盛んで68年には3万5000トン以上の漁獲量があったが06年は約7000トン。86年には産業別生産額で建設業が水産業を抜いて1位となったが、近年は公共事業も激減し、観光振興に力を入れている。有効求人倍率は0・20倍程度で、ピーク時の60年に約7万人いた人口は約3万7000人に減少。04年3月に島内の6町が合併し1島1市になった。

毎日新聞 2008年11月23日 東京朝刊

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