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社説

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元次官殺傷―全容の解明を急げ

 「おれが事務次官を殺した」。そう言って東京・桜田門の警視庁に男が車で乗りつけてきた。

 元厚生事務次官らの自宅が襲撃された衝撃的な事件が発覚して4日。事態が大きく動き出した。

 男は「さいたま市の46歳」と名乗っている。出頭したとき、数本の刃物を持っており、乗ってきた車の中には血痕のようなものがあったという。警視庁は銃刀法違反の疑いで逮捕する方針だ。

 住民票も持っていたというから、警察に名乗り出ようという明確な意思があったのだろう。

 男は元次官を襲ったと口にしている。警察当局も、事件との関係があるとの感触を持っているようだ。これから、さらに厳しく追及していくことになる。

 この男が本当に元次官らを襲ったのかどうか。警察当局は、その確認を急がなければならない。

 元次官らがかかわっていた厚生労働省の仕事に何らかのうらみがあったのか。それとも、まったく別の動機なのだろうか。

 男はいったい何を考え、元次官らとどこでかかわりがあったのか。知りたいこと、そして知らなければならないことはいくらでもある。

 いずれにせよ裁判が終わるまで無罪が推定される。そのことを踏まえたうえで、改めてこの事件の犯人に言わねばならない。

 何に不満を持っていたのか、怒っていたのか。動機がどうあれ、人を殺傷したことは間違っている。民主主義の社会の中で許されることではない。その罪は負わねばならない。

 それにしても卑劣で、許しがたい事件である。

 9年前に退任した山口剛彦さん(66)が妻とともに命を奪われ、次いで社会保険庁長官も歴任した吉原健二さん(76)方で、宅配便を装った男に妻が胸などを刺された。無抵抗な人たちにいきなり刃物を向けるとは残忍きわまりない。

 厚生労働省の幹部やOBらは身辺警戒を強めた。霞が関にも緊張が広がった。宅配便業者は困惑している。事件が起きた地元の人たちの恐怖もはかりしれまい。

 政治、経済、社会、いずれも先行きが見えない今の日本社会の中で、この事件が与えた衝撃は非常に大きい。こんな事件は、2度と起こってはならない。

 世間に広がっている不安を解消していくためにも、警察には事件の全容の解明を急いでもらいたい。

 こうした事件を放置すれば、世の中の空気もおかしくなる。それを防ぐために、警察も厳しい姿勢で臨んでもらいたい。

WTO交渉再開―保護主義を封じ込めよ

 世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)は、今年の夏に大詰めの交渉が決裂して「仮死状態」に陥ったといわれた。それが思わぬ形で息を吹き返した。

 先の金融サミットに参加した20の国・地域の首脳が「年内の大枠合意をめざす」と宣言したからだ。意気込み通りに事を進めるなら、来月、ラウンドの再開閣僚会合が開かれる。

 なにが首脳たちを前向きにさせたのか。この秋、米国から始まった経済の大混乱に対する強い危機感だ。

 世界は金融危機から同時不況へと向かいつつある。日米欧は来年、そろってマイナス成長に陥る見通しだ。戦後初である。放っておけば、関税引き上げなどによって国内産業の保護に走る国が出てきかねない。

 思い起こすのは、1930年代の大恐慌のさなか、各国が関税引き上げやブロック経済化に走り、第2次世界大戦へつながったことだ。この悪夢を再現させてはならない。保護貿易の台頭を絶対に食い止めねばならない。

 サミット宣言は「保護主義を拒否し、内向きにならない」とうたい、今後1年間は投資・貿易の新たな障壁を設けない、と異例の誓いを立てた。

 農産品、鉱工業品などの貿易自由化を進めるために約150カ国が交渉を重ねるこのラウンドは、01年11月に始まった。9・11テロの2カ月後だ。貧しい途上国へもグローバル経済の恩恵を及ぼすことで、テロの温床となる貧困をなくそうとの狙いからだ。その意義はいささかも色あせていない。

 合意寸前だった7月の閣僚交渉が決裂したのは、米国とインド、中国が緊急輸入制限の発動条件をめぐって対立したのが原因だ。再開交渉でもこの点が難航するかもしれないが、米印中にはそこを乗り越えてもらいたい。

 貿易障壁を取り除くことは、どの国にとっても国内産業への「痛み」を伴う。とりわけ景気後退のさなかだけに、政治的に難しい。だが逆に、多くの首脳が危機意識を共有している今こそ、合意する絶好の機会だともいえる。

 日本はコメや小麦、バターなど農産品に対する高関税の大幅引き下げを求められている。当然、農家の反発はある。しかし、世界経済の現状を考えれば、きめ細かい支援策をとりつつ受け入れるべきだ。

 23日までペルーで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)には21カ国・地域の首脳たちが集っている。再開閣僚会合に向け弾みをつけるため、ここでも合意への強いメッセージを発してほしい。

 保護主義を封じ、「金融の収縮」が「実体経済の収縮」へと波及する負の連鎖を止める。ラウンドの合意を実現させて、その出発点としたい。

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