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特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか ドナルド・キーンさん

 ◇平常心で交流を--日本文学研究家、ドナルド・キーンさん(86)

 玄関のドアを開けると、花の香りがした。白や黄のランの鉢植えに囲まれたドナルド・キーンさんは「どうぞ、お入りください」と、会釈をして迎えてくれた。

 東京都内の静かなマンションは、このほど授与された文化勲章を祝う贈り物や電報でいっぱいだった。「でも、アメリカ大使館は何も言ってくれません。もし、私が映画俳優だったら関心を示すでしょうが、ハハハハ」

 母国をユーモアでチクリとすると、優しい顔で続けた。

 「受章に感謝しています。50年以上前から日本文学を研究して、広い層の人に訴えたいと、なるべく分かりやすい言葉で書いてきました。日本語と英語でものを書いて、二つの国で読まれていることを考えると幸せです。ただ、10年前だったらもっとうれしかったかもしれません」

 と、おっしゃいますと。

 「文化勲章に値する人間であることをもう一度証明したい。何か新しい作品を書いて、勲章をくださったことがよかったと証明したい。私は86歳。10年前だったらもっと自信があったのですが」。なんという向上心……。

 ■

 キーンさんは毎年、夏から年明けまでを日本で過ごす。「東京の夏は悪くないですよ」。しかし、この国の政治は立冬を過ぎてもムシムシが続いている。2代続いて1年で首相が代わり、民意を問う選挙は見送られた。閉塞(へいそく)感を吹き払う風が吹かない。一方、海の向こうではオバマ旋風。熱狂的な選挙の末、米国民は47歳の黒人指導者を選んだ。

 ニューヨーク育ちのキーンさんは19歳のとき、人種差別の現実を見た。「(南部の)ノースカロライナ州で乗ったバスで、黒人は一番後ろの席だけで、前の席が空いても腰をかけることができなかった。それが嫌だった」。そのノースカロライナ州も今回、オバマ氏支持が多数を占めた。「大きい変革です」

 キーンさんの思いを乗せた投票用紙も、日本から郵便で海を渡った。「どうしても投票したいと思いました、オバマに。私の良心の問題として。ただ、恥ずかしいことですが、大統領選への投票は60年ぶりなんです。まあ、その間は、両方(の候補)とも嫌いだったり……」

 「前回」は、太平洋戦争中にさかのぼる。1944年、フランクリン・ルーズベルト大統領(民主)が4選を果たした。29年のニューヨークでの株価暴落に始まった世界恐慌に、ニューディール政策と名付けた積極的介入で対処した。「戦争」と「経済危機」という点で、現在の米国と不思議と重なる。

 自著「二つの母国に生きて」(朝日新聞社)にルーズベルトへの思いが記されている。<少年のころ、ルーズヴェルト大統領は私の偶像であった。言いようもない重苦しい不況の暗闇に、彼の演説が希望の光を放った。そして彼はいつも弱者、圧迫を受けた人々の味方であり、ファシズムへの抵抗をやめぬ人に見えた>。オバマ氏への期待にも通じるのだろう。

 父親譲りの反戦主義者だったキーンさんは、苦しんでいた。「1940年、ドイツ軍がオランダ、デンマーク、ベルギーを攻め、ロンドンに空爆がありました。次は米国だと言われていた。戦争は人間の最も悪い行為だと思っていました。その時、源氏物語に救われました」

 当時18歳。コロンビア大の学生だった。「アーサー・ウェイリーが英訳した源氏物語を本屋で偶然買いました。戦争が全然描かれていないし、悪い人物がいない。人間は美を探していた。自分の生活はあらゆる面で、美しくすることができると思った」

 戦争から逃れられるわけではなかった。しかし日本に興味を抱いたキーン青年は、海軍日本語学校へ。そして、日本の文書を解析するハワイの部署に配属された。

 「手書きの日記や手紙の専門でした。日記の内容の多くは、内地の間は模範的です。しかし、隣の運送船が米国の戦艦にやられた時から心配する調子が入りました。島に着いて食べ物がない、病気になったと。『これを拾うアメリカ人の兵隊は戦争が終わったら家族に日記を返してください』と英語で書かれているものもありました。途中で軍に取り上げられたのでできなかったが、返したかったです。日記には人間味があり、とても深く感動しました」

 日本人捕虜に対する尋問もした。「名前や年齢、そして海軍が知りたいことは聞きました。大和と武蔵は見たことがあるかと。その後は、好きな音楽は何ですか、好きな小説家はだれですかと。敵対心は全くなかった。それどころか友達になりました」。なぜ、敵と友達になれたのだろう。「同じ人間だと思ったんです」

 ■

 戦後、京都に留学した。京大助教授だった永井道雄元文相や中央公論社の嶋中鵬二社長のほか、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎ら日本を代表する作家たちと交際を深めた。「ごく普通の日本人と同じように付き合っただけです。みなさん、日本の友達を呼ぶようにキーンさんと呼んでくれました。そう、安部さんだけがキーン君だった。一緒にご飯を食べて文学の話をして冗談を言い合った。普通の対応でした」

 「普通」が今もまだ日本人には難しいのだろうか。電車をめぐる笑い話になった。「英語のアナウンスで、田端を『た、ばあた』とか、巣鴨を『す、があも』って言うのを聞くと、えっ?て思う。普通に言えばいいのに。日本人が外国人に親切なのはいいけれど、日本語を理解できないと思いこんでいる。普通に付き合うというのが一番大事です」

 米国を「自分が生まれた国」と呼び、日本を「精神的に育ててくれた国」と呼ぶキーンさんにかかれば、国際交流とは実に単純なことに見える。大事なのは「相手が同じ人間である」という信頼感と、「普通に付き合う」という平常心だろう。個人がそうであるように、国同士も付き合えないものだろうか。

 現在の米国経済を問うと、苦笑いした。「経済のことは知らないんです。ただ、デパートに米国製はほとんどない。中国、台湾、韓国、グアテマラとか。安いところで作れば得をすると思って、米国の会社のものを売らなくなった。グローバリゼーションといっても、どこの国のためなんでしょうか。まったく不思議な時代です」

 日本では、源氏物語千年紀のブームが続く。私たちは、時代を超えた名作から何を学ぶべきなのか。

 「優れた文学の世界に入って、その美しさを感謝して喜びを感じるだけでいいのではないでしょうか。学ぶ必要はないし、教訓はないのでは。心を動かすだけで十分だと思います」。小春日和のインタビュー。諭す口調は最後まで穏やかだった。【坂巻士朗】

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 ■人物略歴

 1922年、米ニューヨーク生まれ。コロンビア大名誉教授。53年に京都大に留学し日本文学の研究に打ち込む。62年に菊池寛賞、85年に「百代の過客-日記にみる日本人」で日本文学大賞。02年に「明治天皇」で毎日出版文化賞。今年度の文化勲章を受章した。来年1月から、コロンビア大で「松尾芭蕉」の講座を受け持つ。

毎日新聞 2008年11月21日 東京夕刊

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