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内藤正中氏「竹島は日本の領土ではない」(上)

島根大・内藤正中名誉教授インタビュー

 独島(日本名:竹島)紛争が起こった際、韓国の記者が必ずインタビューする人物が、老学者の内藤正中島根大名誉教授(79)だ。同氏は最近、66ページからなる「竹島=独島問題入門」という小冊子を出版した。同書では、日本の外務省がホームページに掲載した主張について、項目別に反論している。内藤教授は学者家庭に生まれ育ち、名門京都大を卒業した。ではなぜこのようなエリートが祖国の国益に反し、韓国の肩を持つようになったのだろうか。同氏は3年前に島根県から神奈川県の老人ホ-ムに引っ越した。妻は他界し、今は一人の身だ。

-お父様は1990年に他界した内藤雋輔・前岡山大名誉教授ですよね。韓国とは個人的にどのような縁がありますか。

 「父親は朝鮮の仏教史を研究していました。息子も韓国の仏像研究をしています。息子は慶応大法学部に入学したが、つまらないと言って美術史に専攻を変えました。今は博物館の学芸研究員をしています。息子は韓国語の読み書きができます」

-先生も大学の専攻は経済史でしたが、在日韓国人の人権運動にも関与されていましたね。

 「大学3年のときに経済史を勉強していて、明治維新当時の自由民権運動に興味を持ちました。その後、日本経済史で在日韓国人の歴史的役割を発見したのです。日本の鉄道、ダムのほとんどは在日韓国人が作った、そんな反省から出発しました」

-独島研究を始めたきっかけは。

 「島根県の郷土史、とりわけ経済史を研究していました。島根大を定年退職し、鳥取短期大に移りました。鳥取県は江原道と交流がありました。鳥取県立博物館に竹島の資料があるというのを知りました。その資料を基に2000年、『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』を出版しました。川上健三氏が以前に鳥取の資料の一部を使ったことはありますが、全面的に使ったのはわたしが初めてです」

-同じ資料で研究されたにもかかわらず、川上氏は1966年に出版した『竹島の歴史地理学的研究』で韓国の独島領有権主張を否定しました。日本の領有権主張と本格的に対立するようになったきっかけがあったのですか。

 「2005年に島根県が竹島の日を条例に制定したとき、『これはないな』と思いました。この時に決心しました」

神奈川=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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