余録

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余録:新型インフルエンザ対策

 江戸の昔、流感がはやるとワラや張りぼてで風邪の神を作った。鉦(かね)や太鼓を鳴らし、みなではやし立てながら、川や海に流すのだ。落語の「風邪の神送り」では「送れ送れ」とはやす中、「お名残惜しや」というのを誰かと見れば町内の薬屋という次第だ▲この風邪の神送り、武江年表には1733(享保18)年に最初の記述がある。落語では楽しそうな行事だが、実際のこの時の流行は酸鼻を極め、江戸では1カ月で死者8万人を数えた。大混乱の中、遺体の多くが品川沖に流された(酒井シヅ著「病が語る日本史」講談社学術文庫)▲享保年間のインフルエンザ大流行は約100年ぶりだった。鎖国が国内へのウイルス侵入を防いでいたのだが、享保以降は世界的流行のたびに日本でも流行するようになる。流行源は異国や琉球との接触のあった長崎、対馬、薩摩であった▲海を渡る人が限られていた当時でも日本に及んだインフルエンザだ。心配される新型インフルエンザが地球のどこで発生しても、たちまち世界的流行となろう。ただ感染を少しでも遅らせれば、その分ワクチン製造などの時間がかせげる▲専門家会議が新たにまとめた新型インフルエンザ感染拡大防止策では、患者が1人でも見つかれば発生地の都道府県全域を一斉休校にするという。また流行時は医師の電話診療や、ファクスによる処方せん発行も認めるようにするそうだ▲生身の人間にとって免疫のないインフルエンザの脅威は、江戸の昔も現代もさして変わりない。感染が広がった場合の対策は個々人も考えておかねばならないが、大勢で集まる神送りばかりは風邪の神の思うツボなのでご遠慮を。

毎日新聞 2008年11月22日 0時09分(最終更新 11月22日 0時12分)

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