平成20年(2008年)02月28日
「地球に謙虚に」運動代表 仲津 英治
平成九年(一九九七)三月二二日、JR西日本がメーカー等の協力を得ながら、開発してきた五〇〇系新幹線電車が営業に供されるようになりました。最高時速三〇〇キロ運転を行っており、これは世界最高例の一つです。この電車を以って新大阪・博多間を今までの「のぞみ」の二時間三二分から二時間一七分に短縮しました。いずれ平成九年(一九九七)一一月二九日のダイヤ改正で、東京に一日三往復乗れ入る予定です。そしてこれらはJR西日本の高速試験電車WIN三五〇の走行試験による成果なのです。私は平成元年三月から技術開発の任にあたり、後半の平成四年三月から平成七年六月までWIN三五〇の走行試験の責任を担っておりました。
主たるテーマは、いかに速く走ると言うことより、いかに静かに走るかと言うことでした。そこで野鳥の飛翔、姿形から学んだことを披露します。
1.フクロウの飛翔と低騒音新幹線電車
高速走行の最大の課題は一に安全で次いで、鉄道事業者に取って世界一厳しい、日本の 騒音環境基準をクリアーすることです。現代技術の発達のお陰で、速く走ると言うことは そう難しいことではなくなり、いかに静かに走るかと言う課題の方が難しいのです。環境 庁の環境要請値では、市街化地区で二五メートル離れた地点で七五ホン以下に騒音レベル を下げるように要求されています。街の交差点での騒音を見聞きしている方は、ご存じと 思いますが、七五ホンと言うのはかなり静かなレベルであり、信号が青に変わって車がい っせいに発進しますと、交差点の騒音計は軽く八〇ホンを越えます。
新幹線騒音の音源は、低速域では車輪とレールの動接触から発生する転動音が主体で、その音源の強さは、列車速度の二乗に比例します。ただし時速二〇〇キロを越える高速域になると、列車速度の六乗に比例する空力音が主体となります。そして電気車では空力音の発生源の中心は動力源である電気を架線から取る集電装置であるパンタグラフです。そして私共は、角材が二本並んでいるような在来型パンタグラフでは低騒音化に限界があると鳥の翼を参考に翼型パンタグラフの開発に着手しました。
写真 1 風洞の中のフクロウ(写真提供 矢島誠一氏)
一九九〇年(平成二年)五月、日本野鳥の会大阪支部の室内例会で、本会会員であり、当時航空機の設計技術者でいらした矢島誠一先生から、初めてフクロウの仲間が鳥の中で一番静かに飛ぶと教わりました。ノネズミ等を捕らえるのに極めて静かに、飛びながら獲物に近づく為に自然が与えた知恵なのです。フクロウが低騒音飛行できる秘密の一つは翼の羽根にあり、初列風切羽の外縁部に普通の鳥にはない、小さな刺のような羽根が多数突き出ています(写真1)。肉眼でも確認できるこの鋸歯状の羽毛(英語でセレーションといいます)が、空気の流れに小さな渦(ヴォルテックス)を生じさせます。空力音は、空気の流れのなかにできる渦により、発生する音です。この渦が大きいほど、音は大きくなるようです。そこでごく小さなのこぎりの歯のような突起を多数、わざわざ翼につけますと、大きな渦の代わりに小さな渦が発生します(ヴォルテックスジェネレーター)。すると空気抵抗も減り、空力音も小さくなりうるようです。小さな渦が大きな渦の発生を防ぐのです。これがフクロウの羽根による低騒音飛行の有力な理論的説明です。
写真2.3 フクロウの羽根とセレーション(Serration)(羽根提供 疋田章二・笹川昭雄氏)
私共は大阪天王寺動物園でフクロウの剥製をお借りして、風洞試験も行いました。途中なかなか思うように成果が出ず、一時、やはり時速三〇〇キロの新幹線には時速七〇キロ程度のフクロウは当てはまらないのかと、あきらめかけました。平行して翼型パンタグラフの開発で苦労したのは揚力の克服でした。翼は飛行機のごとく浮き上がるためにあります。ところがパンタグラフがあまり揚力を持ちすぎますと架線を押し上げすぎて、問題となります。この課題は矢島先生の紹介で一緒に開発に加わっていただいた当時、全日空整備ご勤務の宮村元博先生の提案で、パンタグラフの舟体の翼を一部形状変更して、解決できました。そして世界で初めて翼型パンタグラフを試作し(写4.5)、時速三二〇キロの試験走行に成功しました。この翼型パンタグラフは、普通の在来型パンタグラフより数段静かです。ところが、さらに翼型パンタグラフの支柱部から音が出ていることが風洞試験で確かめられました。その支柱部の低騒音化にフクロウのセレーションの原理が使われました。さらに一段の低騒音化に成功したのです。前述のヴォルテックスジェネレーの断面形状、取り付け位置等の最適なものを、JR西日本の若い技術者が粉骨砕身各種実験を重ねて実現してくれました。JR西日本は、翼の形をした翼型パンタグラフをもって、時速三〇〇キロ域で十分環境基準を満たす新幹線電車の見通しを立てることができました。この事実を持って技術者の一人である私は「自然に学ぶ」と言う気持ちが大変強くなりました。
写真4.5 五〇〇系電車の屋根上の翼型パンタグラフ(写真提供JR西日本)
2.カワセミの水中飛び込みと新幹線電車のトンネル突入
山陽新幹線はトンネルが多いことでは世界一です。全線の半分はトンネルです。列車が高速で狭いトンネルに突入しますと、空気の圧力波が立ち上がり、これがだんだん成長して津波のように音速で伝わり、トンネル出口側で反射して帰って来ます。このトンネル出口で一部の圧力波が放出され、その際、パカーンと破裂音を出すことがあります。圧力は大気圧のせいぜい、0.1一%以下のものなので、トンネル微気圧波と呼んでいます。原理図は図3に示す通りです。列車の断面積が大きいほど、トンネルの断面積が小さいほど、また列車速度が高速になればなるほど(速度の三乗に比例)、この圧力波はトンネル出口付近の方々に、音と振動でご迷惑を掛ける事となります。しかし、今さらトンネル断面積は変えられません。まず地上のトンネル入り口側に緩衝坑(かんしょうこう)と呼ばれる圧力波緩和装置を設けて対策を打ち、成果を上げて来ました。ただこの緩衝坑は夜間工事等のために大変な工事費がかかります。勢い車両側に対策が求められました。
写真 6トンネル微気圧波発生原理図
車両の断面積を減らすことと、先頭形状を出来るだけ、鋭く、滑らかにすることにより、この微気圧波問題をかなり克服出来ます。五〇〇系電車の前の試験電車であるWIN三五〇は、先頭車両の断面の変化している部分の長さが十mもあります。一車両の長さは二五mですから、四割近くが変化部分です。これでもトンネル微気圧波が問題となりました。私はこの課題を克服するべく、関係者と検討を重ねている過程で、自然界にも同様のものがあるはずと思い巡らしているうちに「カワセミ」の事が頭に浮かびました。列車のトンネル突入と同様、急激な抵抗の変化を経験している生き物、そうカワセミなのです。小さい流体抵抗の空中から、大きい流体抵抗の水中へ、捕食のため、飛び込む姿。結局時速三百キロの営業用電車の先頭形状はカワセミなみにしなければならないのかなと思い、関係者にもこのことを伝えました。そして弾丸の形状を様々に変えて、細いパイプに打ち込み、圧力波を測る試験が行われ、さらに平行してスーパーコンピューターを使って徹底的なトンネル内走行シミュレーションも行なわれました。
写真 7 カワセミ イラスト 仲津 里美(筆者の長女)
結果、我がニュー新幹線電車五〇〇系の先頭車の変化部分は長さ十五メートルにもなります(写真10)。カワセミにそっくりとなって来たのです。スーパーコンピューターによる長時間の解析結果の答えが、自然界のカワセミのくちばしから頭部にかけての姿に近似してきたと言えるでしょう。
写真8.9 ダイヴィング直前のカワセミと魚捕獲後のカワセミ(写真提供有田正郎氏)
カワセミのくちばしと頭部の形状はやはり、鋭い流線形です。鉄道総合技術研究所、九州大学の研究から、理論的にも実験的にもトンネル微気圧波の緩和策として、先頭形状には断面積の変化率が一定である、回転放物面体あるいはくさび形がベストてあることが確かめられました。カワセミの嘴(くちばし)は、よく観察すると上くちばしと下くちばしがそれぞれ、三角形に近い断面をしており、併せるとひし形に近い形をしています。断面積の変化率はほぼ一定でしょう。
そして新型の五〇〇系新幹線電車は、トンネル微気圧波のみならず、対抗列車と自らに対しても圧力変化による影響も問題無く、毎日走っています
写真 10 五〇〇系新幹線電車(写真提供JR西日本)
3.生命体の持つ形状、機能の意味 -自然を大切に
野鳥だけでなく、自然界の生き物は人間も含め、生きんがためにまた命を伝えんがために、その形状、機能を発達させて来ています。フクロウとカワセミはその中でも私に取って貴重な情報源となりました。自然の中に答えがありうる、あるいはヒントがある、とつくづく思うようになりました。若い技術者にも自然をもっと観察するように促しました。一般の方々にも機会があるたびにこの事を伝えています。「一木一草、一鳥一魚、皆我々の輝ける永遠の教師であろう」。飛行機設計論の中にある著者の山名 正夫、中口 博両先生の言葉です。まさに名言と思います。
そしてさらに私は自然を大切にしなければいけない、地球上で一人勝ちの人類は、自然環境のためにもっと謙虚に生きる必要がある、と言う信念を持つに至りました。「地球に謙虚に」と言う姿勢・心掛けが、新幹線の走行試験から得た私の生活信条となったのです。
4.自然の造形に学んだ、あるいは近づいた成果
JR西日本の調査によれば五〇〇系新幹線電車の電力消費量は、新大阪〜博多間で三〇〇系電車に比べ、最高速度が時速三百キロと三〇〇系の時速二七〇キロを上回っているにもかかわらず、二万KWHと十五%下回っています。到達時間の短縮(二時間三十二分_二時間十七分)による省エネ効果もあり、また機器類の性能向上の成果もあるでしょう。しかし通常は高速になればエネルギー消費量が増加するのが普通です。五〇〇系電車の先頭形状がカワセミという自然の造形に近似し、また車両の断面が円形に近づいた賞賛すべき成果でしょう。飛ぶと言う、過酷な運動を日常こなしている鳥類の胴体の断面はいずれも円形です。五〇〇系の走行抵抗は三〇〇系の七割に過ぎないのです。(写真11)
写真11 五〇〇系と三〇〇系電車の消費電力(JR西日本ホームページより)
また高速列車のトンネル突入による圧力変動が小さいため、揺れも少なく、乗り心地が良いとお客様に評判です。さらに私は、圧力変動が小さいことにより、金属疲労が起こりにくく、車体が長持ちしてくれるのではないかと期待しています。
渡り鳥のつばめが南方の島々から日本列島に飛来するのに、十七グラムの体重の内脂肪をわずか二グラムしか消費しないで、二千キロを渡って来る事ができると野鳥の飛翔と航空機に詳しい前述の矢島氏から伺いました。何よりも「つばめ」のあの形状が飛行抵抗の少ない原点なのでしょう。さもなければ、渡る途中でのつばめの犠牲は察するにあまりに多く、今日のつばめの種族としての存在は無かったものと私は思います。自然の造形は叡智の極致では無いでしょうか。
(この一文は、拙著「自然に学ぶ」(一九九九・三発行)に収められものに写真などを追加したものです。他に日本機会学会誌の学生向け情報誌であるメカライフ一九九五・一二月号、及び日本野鳥の会会誌九十八年九月&十月合併号に同趣旨のものが記載されました。また、(財)日本野鳥の会ホームページには1999-2006の間掲載されていました。)