「京都に韓日関係の未来がある」(下)
朝鮮に大きな災いとなった壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を引き起こした豊臣秀吉が主に活動していたのも京都だった。秀吉が6年にわたり乱暴な方法で改造した都市も、また朝鮮侵略計画を企てて軍を出発させたのも京都だった。京都では秀吉が花見を楽しんだ醍醐寺、壬辰倭乱で朝鮮人の耳や鼻を切り落として埋めた蛮行の証拠である耳塚も残っている。著者の言葉を借りれば、正常な歴史教育を受けた韓国人ならば怒りと悲しみを抑えることができない場所だ。また椿寺では、倭軍が蔚山から盗んだ椿の木も見ることができる。
倭乱後、両国はしばらく平和的な関係を維持した。京都の相国寺には、当時この地に立ち寄った朝鮮通信使が残した素晴らしい揮毫(きごう)や絵画が数多く残っている。その中には蕙園・申潤福(シン・ユンボク)の絵もある。当時の京都は朝鮮人参や中国の絹、日本の銀が取り引きされていた交易の中心地でもあり、その事実は今や小さな川となった運河、高瀬川が物語っている。
19世紀に入ると、京都は日本を近代化と帝国主義的侵略の道へと導いた明治維新の主な舞台となった。明治天皇が王政復古を宣言し、現在は市民公園となっている京都御所、武士たちが血で血を洗った池田屋、維新のために犠牲となった武士たちを葬った京都霊山護国神社などもある。侵略先となった韓国の悲しい歴史も京都に残っている。造成時には数十人の韓国人が労働者として動員され、その後もより多くの韓国人が強制的に参拝させられた明治天皇の墓、三宅八幡宮に残る「韓国併合報告の碑」、韓国侵略の先頭に立った山県有朋の別荘である無鄰庵、亡国後に純宗皇帝が滞在した長楽館。比叡山ケーブルカーには韓国人労働者の血と汗が染みこんでおり、同志社大学の校庭には同校に留学していた鄭芝溶(チョン・ジヨン)と尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑がある。
著者はこのように語りかける。「着物と染色産業で有名な京都西陣では、今も1日に数回、きれいなモデルたちが着物を着てファッションショーを行っている。京都を訪れる韓国人の中にもそれを目にする人たちがいるだろう。しかしその美しい着物は、本来朝鮮の商人がもたらした中国産の生糸に由来するということを知っているか。日本統治時代、韓国人労働者がこの地で重労働と低賃金に苦しみながら布を織り、染色を行った事実を知っているのか」。両国がお互いに尊重し、共生するためには、過去の歴史を正確に知らなければならない、とこの本は訴える。遺跡を訪ねるためのガイドブックとしての情報が付録として掲載されていれば、さらに良かったのだが…。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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