「京都に韓日関係の未来がある」(上)
【新刊】鄭在貞(チョン・ジェジョン)著『京都で見た韓日通史』(ヒョヒョン出版)
昨年8月、釜山-下関姉妹都市締結30周年を記念して開催された「朝鮮通信使韓日文化交流大会」。両国が過去の歴史についてしっかりとした認識を持つことができなければ、未来における共存はほど遠い、と著者は主張する。/写真=朝鮮日報DB
韓国の旅行会社のインターネットサイトで京都ツアーを調べてみた。金閣寺や清水寺などを見物し、奈良など他の都市へと移動するパターンがほとんどだ。しかし京都というのはその程度の都市なのだろうか。
なぜ京都は千年の都と呼ばれているのか。それは実際に、1000年以上天皇が住んでいた日本の古都だからだ。西暦794年に桓武天皇がこの地に都を定めた後、1869年に明治天皇が東京へと移り住んだことから、その言葉は決して誇張されたものではない。
もちろん権力の実質的な中心という観点からみれば、一時幕府が置かれた鎌倉や江戸も都のようなものと言えるだろうが、やはり京都には及ばないだろう。この本は次のように説明する。「今も京都市内には2000以上の寺や神社が存在し、規模も大きく雄大な雰囲気を醸し出し、見る者を圧倒させている。金閣寺と清水寺はそれらのごく一部に過ぎない。京都には至るところに世界文化遺産がある」
著者はソウル市立大学韓国史学科の教授であり、人文学部長でもある。また韓日歴史共同研究委員会にも参加し、韓国と日本の歴史対話の先頭に立っている学者だ。2005年から1年間、京都で研究する機会を得たことから、改めて衝撃を受けたという。「この都市の隅々にこのように韓日関係の歴史の現場が残っているとは…」。数千年にわたり、両国の関係が「千年古都」に深く刻まれているのは当然といえば当然だが、実際にその地を訪れる韓国人はそう多くはなかった。それがこの本を執筆した動機となった。京都で見た遺跡などを紹介し、古代から20世紀までの韓日関係史を通史の形で書き下ろしたのが、まさにこの本だ。
京都で最も古い寺とされる広隆寺には、韓国の国立中央博物館にある弥勒菩薩半跏思惟像とあまりにもよく似た日本の代表的な国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」がある。清水寺を創建した人物は百済系の渡来人であり、三井寺には新羅明神が安置されている。高山寺には元暁大師と義湘大師の逸話を描いた絵が所蔵されている。すべてが古代の両国間の人的・文化的交流を立証するものだ。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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